冒頭の写真には、その街で最も印象に残った一枚を選んでいるつもりだ。そうやってたくさんの街を歩き、書いてきたけれど、市庁舎そのものを掲げるのは初めてかもしれない。晩秋の残照に映える大田原市役所は、それほど美しかったのだ。東日本大震災で旧庁舎が倒壊し、ほぼ8年をかけて新築された庁舎だという。市民の多くが被災し、土壌は放射能汚染され、風評被害に苦しんだ街だ。黄に色づく広場のイチョウは「団結の樹」と呼ばれている。 . . . 本文を読む
「流域面積」とは、「雨水などが川に入ってくる土地の面積を言う」のだと、国土交通省関東地方整備局のホームページに書いてある。「雨水など」とは何だ? 雨水以外に何がある? 湧水があるか。まさか下水はカウントされないのだろうな。などと取り止めもなく考えているのは、中学校の同級会から帰って、脳の働きが中学生に戻っているからかもしれない。新潟と東京の中間の水上温泉に集まって、年寄りが息災を確認し合ったのだ。
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群馬県吾妻山中の高台に立って、南方を見晴らしている。はるか前方を塞ぐように聳えているのは浅間山である。好天の今日は、山頂の冠雪が美しい。視界の中央を深く穿って流れるのは白砂川だ。合併して今では中之条町になるここは、旧六合村の世立(よだて)集落である。陶芸道楽者の私がこの村の暮坂に通って10年になる。そして好んで立ち寄る景観の地がここだ。大きな眺めに心が晴れる。季節が少し進めば、風景は紅葉で彩られる。
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八ッ場(やんば)ダムが完成した。計画決定から50年余、激しい反対運動、民主党政権による計画凍結など、曲折を経ての完工である。激しい反対活動が目立ったのは、この地で古くから温泉郷を営む川原湯の人たちだった。今そこは「八ッ場あがつま湖」の湖底に沈み、旅館街は湖畔の高台に真新しい施設を並べている。川原の湯は湖畔の湯に変わったのである。このことが新たな幸せな街造りに繋がることを願う。 . . . 本文を読む
この季節はやはり紫陽花が美しい。先々週は中之条ガーデンズのバラにうっとりしていた私だけれど、移り気であることは「花の色」に引けを取らない爺さんだから、今日は渋川市の「小野池あじさい公園」で紫陽花の乱舞に夢見心地なのである。それにしてもこの紫陽花の美しさはどうだ。ガクアジサイの一種なのだろうが、装飾花(と呼ぶらしい周囲の花びら)の一つ一つが、それ自体で見事な「花」なのである。 . . . 本文を読む
人類が新型コロナウィルスの感染爆発(パンデミック)に震え上がっているというのに、植物はいつものように蕾を膨らませ、美しい花を咲かせている。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」とはこのことかと、私は群馬県北西部の中之条ガーデンズで、「バラ爛漫」に浸って考えている。ここは山間地のせいか、都市部のバラ園よりだいぶ遅れて見ごろを迎える。緊急事態宣言が解除され、休園が解かれたおかげで、美の競演に間に合ったのである。 . . . 本文を読む
ここは標高1300メートルの浅間ハイランドパーク。浅間山(2568m)の北面に広がる北軽井沢リゾート地域の、最も標高が高いあたりだ。今日は秋恒例のクラフトフェアが開かれ、澄んだ光が集う人々と芝を照らしている。森の向こうに頭をのぞかせる浅間山は、近づく冬を前に日向ぼっこだろうか、山塊を陽に曝し、長閑な噴煙をうっすらたなびかせている。フェアに集う別荘族は、行く秋を笑顔で送っている。 . . . 本文を読む
達磨寺境内の一隅に「洗心亭」という名の簡素な平屋が建っている。若き日、『日本美の再発見』や『日本文化私観』に大いに刺激をうけた私としては、達磨の寺以上に訪れたいと思い続けてきた場所である。著者で建築家のブルーノ・タウト(1880-1938)が、ナチスの迫害を逃れてたどり着いた日本で、滞在過半の日々を過ごした家なのだから。北面の傾斜地に建つ家の裏から、榛名連山へと広がる上州の山河に見入る。 . . . 本文を読む
高崎市西郊に鼻高という土地がある。西を安中市に接し、利根川の支流・碓氷川の南に広がる田園地帯だ。「鼻高」と言うのだから天狗が棲んでいるのかと思ったら、居たのは達磨である。その名も「少林山達磨寺」という寺があって、「縁起だるま発祥の地」を名乗っているのだ。毎年正月、恒例の七草大祭には「だるま市」が開かれ、10万人の人出で賑わうのだという。寺は今日、その雑踏が想像できない静寂の中にある。 . . . 本文を読む
館林美術館は午前中に観終わったので、お昼は佐野で食べようと考えた。佐野という街は行ったことがないのだが、ラーメンが「ご当地グルメ」らしい。そこは栃木県になるものの何のことはない、館林市と佐野市は北関東北部で隣接しており、境界は渡良瀬川だったり地続きだったりして、上野国から下野国へ渡るという感慨が生じるほどの隔たりはない。茫漠とした田園地帯の向うに、冠雪した日光男体山が聳えている . . . 本文を読む
ポンポンのシロクマに会いに館林にやって来た。群馬県立館林美術館はフランスの彫刻家、フランソワ・ポンポン(1855-1933)の作品を所蔵し、代表作の「白熊」を展示しているのだ。実は陶芸でシロクマ作ってみたいと思い立ち、素焼き前の段階までこぎつけたのだが、私のシロクマはどうもリアルさに欠ける。そこでポンポンの作品をじっくり鑑賞しようと考えたわけだ。わかったことは「観察の不足」である。
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高崎市の北部に「三ツ寺」という地域がある。高崎市と合併するまでは群馬郡群馬町の中心域だったから、古くは群馬(上毛野国)の中心だったのだろうと推定される土地である。その三ツ寺で、古い居館址が確認されたと、地元の研究者が連絡してきてくれたのは1981年のことだった。新幹線建設に伴う事前調査で見つかったといい、「おそらく古墳時代だが、とても規模が大きそうだ」と、電話の彼は興奮していた。
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群馬県みどり市笠懸町阿左見というより、私には「上州新田郡笠懸村の‥」と言った方が分かりが良いのだが、「岩宿」という地名は旧阿左見村の小字名であったらしい。小さな村の小さな地名ではあるけれど、日本の考古学においては実に大きな存在である。1946年、相沢忠洋さんがその地の関東ローム層に埋もれた石器を発見したことで歴史が書き換えられ、この列島における旧石器時代人の生活が浮かび上がったのだから。 . . . 本文を読む
蔵造りの商家だったのだろう、閉じられたガラス戸の前を、何やらパンフレットを抱えた三婆さんが先を急いでいる。上州桐生の新町重要伝統的建造物群保存地区である。行く手には「桐生我楽多市」と染め抜いた幟旗が風に吹かれている。通りの突き当たりに鳥居を構える天満宮で、今日は恒例の骨董市が開催されているのだ。私と妻もその雑踏に紛れ込んでいる。晩秋の陽に、カエデの紅とイチョウの黄葉が眩しい。 . . . 本文を読む
萩原朔太郎に「広瀬川」と題する詩がある。「広瀬川白く流れたり/時さればみな幻想は消えゆかん」と始まり、「われの生涯(らいふ)を釣らんとして/過去の日川辺に糸をたれしが」と転じて「ああかの幸福は遠くにすぎさり/ちひさき魚は眼にもとまらず」と結ぶ、わずか6行の郷土望景詩である。前橋の市中を下る利根川疎水・広瀬川は、朔太郎の生家から近い。流れは今日も白い波を立てているが、「糸を垂れる」人はいない。 . . . 本文を読む