今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

902 渋川(群馬県)40年荒地も今や紫陽花園

2020-07-02 15:11:06 | 群馬・栃木
この季節はやはり紫陽花が美しい。先々週は中之条ガーデンズのバラにうっとりしていた私だけれど、移り気であることは「花の色」に引けを取らない爺さんだから、今日は渋川市の「小野池あじさい公園」で紫陽花の乱舞に夢見心地なのである。それにしてもこの紫陽花の美しさはどうだ。ガクアジサイの一種なのだろうが、装飾花(と呼ぶらしい周囲の花びら)の一つ一つが、それ自体で見事な「花」なのである。 . . . 本文を読む
コメント

901 中之条(群馬県)コロナよりバラの下にてわれ死なん

2020-06-13 17:55:19 | 群馬・栃木
人類が新型コロナウィルスの感染爆発(パンデミック)に震え上がっているというのに、植物はいつものように蕾を膨らませ、美しい花を咲かせている。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」とはこのことかと、私は群馬県北西部の中之条ガーデンズで、「バラ爛漫」に浸って考えている。ここは山間地のせいか、都市部のバラ園よりだいぶ遅れて見ごろを迎える。緊急事態宣言が解除され、休園が解かれたおかげで、美の競演に間に合ったのである。 . . . 本文を読む
コメント

891 北軽井沢(群馬県)浅間山別荘ライフを見下ろして

2019-12-01 08:52:55 | 群馬・栃木
ここは標高1300メートルの浅間ハイランドパーク。浅間山(2568m)の北面に広がる北軽井沢リゾート地域の、最も標高が高いあたりだ。今日は秋恒例のクラフトフェアが開かれ、澄んだ光が集う人々と芝を照らしている。森の向こうに頭をのぞかせる浅間山は、近づく冬を前に日向ぼっこだろうか、山塊を陽に曝し、長閑な噴煙をうっすらたなびかせている。フェアに集う別荘族は、行く秋を笑顔で送っている。 . . . 本文を読む
コメント

871 鼻高(群馬県)ドイツよりこの山河へと身を寄せて

2019-04-05 10:16:37 | 群馬・栃木
達磨寺境内の一隅に「洗心亭」という名の簡素な平屋が建っている。若き日、『日本美の再発見』や『日本文化私観』に大いに刺激をうけた私としては、達磨の寺以上に訪れたいと思い続けてきた場所である。著者で建築家のブルーノ・タウト(1880-1938)が、ナチスの迫害を逃れてたどり着いた日本で、滞在過半の日々を過ごした家なのだから。北面の傾斜地に建つ家の裏から、榛名連山へと広がる上州の山河に見入る。 . . . 本文を読む
コメント

870 少林山(群馬県)からっ風ダルマ乾かし上州路

2019-04-03 09:35:27 | 群馬・栃木
高崎市西郊に鼻高という土地がある。西を安中市に接し、利根川の支流・碓氷川の南に広がる田園地帯だ。「鼻高」と言うのだから天狗が棲んでいるのかと思ったら、居たのは達磨である。その名も「少林山達磨寺」という寺があって、「縁起だるま発祥の地」を名乗っているのだ。毎年正月、恒例の七草大祭には「だるま市」が開かれ、10万人の人出で賑わうのだという。寺は今日、その雑踏が想像できない静寂の中にある。 . . . 本文を読む
コメント

866 佐野(栃木県)拉麺で厄を落としてアウトレット

2019-02-27 06:00:00 | 群馬・栃木
館林美術館は午前中に観終わったので、お昼は佐野で食べようと考えた。佐野という街は行ったことがないのだが、ラーメンが「ご当地グルメ」らしい。そこは栃木県になるものの何のことはない、館林市と佐野市は北関東北部で隣接しており、境界は渡良瀬川だったり地続きだったりして、上野国から下野国へ渡るという感慨が生じるほどの隔たりはない。茫漠とした田園地帯の向うに、冠雪した日光男体山が聳えている . . . 本文を読む
コメント

865 館林(群馬県)シロクマに撮影フリーか問うてみる

2019-02-26 09:41:30 | 群馬・栃木
ポンポンのシロクマに会いに館林にやって来た。群馬県立館林美術館はフランスの彫刻家、フランソワ・ポンポン(1855-1933)の作品を所蔵し、代表作の「白熊」を展示しているのだ。実は陶芸でシロクマ作ってみたいと思い立ち、素焼き前の段階までこぎつけたのだが、私のシロクマはどうもリアルさに欠ける。そこでポンポンの作品をじっくり鑑賞しようと考えたわけだ。わかったことは「観察の不足」である。 . . . 本文を読む
コメント

850 三ツ寺(群馬県)5世紀の王墓を照らし陽が沈む

2018-12-06 16:09:49 | 群馬・栃木
高崎市の北部に「三ツ寺」という地域がある。高崎市と合併するまでは群馬郡群馬町の中心域だったから、古くは群馬(上毛野国)の中心だったのだろうと推定される土地である。その三ツ寺で、古い居館址が確認されたと、地元の研究者が連絡してきてくれたのは1981年のことだった。新幹線建設に伴う事前調査で見つかったといい、「おそらく古墳時代だが、とても規模が大きそうだ」と、電話の彼は興奮していた。 . . . 本文を読む
コメント

849 岩宿(群馬県)3万年スリップしてみる切り通し

2018-12-05 15:43:41 | 群馬・栃木
群馬県みどり市笠懸町阿左見というより、私には「上州新田郡笠懸村の‥」と言った方が分かりが良いのだが、「岩宿」という地名は旧阿左見村の小字名であったらしい。小さな村の小さな地名ではあるけれど、日本の考古学においては実に大きな存在である。1946年、相沢忠洋さんがその地の関東ローム層に埋もれた石器を発見したことで歴史が書き換えられ、この列島における旧石器時代人の生活が浮かび上がったのだから。 . . . 本文を読む
コメント

848 桐生(群馬県)市の日に美術展観ておきりこみ

2018-12-04 17:49:39 | 群馬・栃木
蔵造りの商家だったのだろう、閉じられたガラス戸の前を、何やらパンフレットを抱えた三婆さんが先を急いでいる。上州桐生の新町重要伝統的建造物群保存地区である。行く手には「桐生我楽多市」と染め抜いた幟旗が風に吹かれている。通りの突き当たりに鳥居を構える天満宮で、今日は恒例の骨董市が開催されているのだ。私と妻もその雑踏に紛れ込んでいる。晩秋の陽に、カエデの紅とイチョウの黄葉が眩しい。 . . . 本文を読む
コメント

840 前橋(群馬県)何想ふ白き流れに朔太郎

2018-09-09 07:34:34 | 群馬・栃木
萩原朔太郎に「広瀬川」と題する詩がある。「広瀬川白く流れたり/時さればみな幻想は消えゆかん」と始まり、「われの生涯(らいふ)を釣らんとして/過去の日川辺に糸をたれしが」と転じて「ああかの幸福は遠くにすぎさり/ちひさき魚は眼にもとまらず」と結ぶ、わずか6行の郷土望景詩である。前橋の市中を下る利根川疎水・広瀬川は、朔太郎の生家から近い。流れは今日も白い波を立てているが、「糸を垂れる」人はいない。 . . . 本文を読む
コメント

819 子持(群馬県)城は消え蒟蒻畑の子持山

2018-06-01 08:19:38 | 群馬・栃木
群馬県の子持山(1296m)南面に、近年まで「子持村」があった。その位置を私流に説明する。「関東平野を図形化すると正方形になる(と考える)。北を上部とすれば南・東辺は太平洋、北・西辺は山地である。その平野部を北西角(左上)から南東隅(右下)へと対角線状に流れるのが利根川で、その上流部を赤城山との接近で塞き止めようとしているのが子持山である」。実に適切な説明だと思うのだが、ご理解いただけただろうか。 . . . 本文を読む
コメント

815 中之条(群馬県)色彩が溢れ出してる花の街

2018-04-27 16:06:40 | 群馬・栃木
群馬県の北西部に「吾妻」という地域がある。北は新潟県に、西は長野県に接しているから、関東地方の北西端と言っていい山間地で、4町2村がある。全国的に名が通っているのは草津温泉だろうが、吾妻の「山の口」にあたるのは中之条町である。古くから山と里を繋ぐ物資の集積地として賑わって来た。私がこの町の山中に、脚繁く通うようになって6年になる。また花の季節が巡って来て、私は街を駆け廻る。 . . . 本文を読む
コメント

777 金井(群馬県)発掘で眠りを覚まし汗水漬く

2017-09-03 15:18:14 | 群馬・栃木
ようやく探し当てた遺跡の発掘現場は、ちょうど昼の休憩に入るところだった。炎天下の作業を続けてきたオジさんオバさんたちが、やれやれといった具合に腰を伸ばし、深く掘り下げられた発掘現場から登って来る。肌の露出を極力抑えた作業着は、脇の下から胸にかけて汗でぐっしょり濡れている。夏場の発掘は暑さとの戦いだ。それでも皆さんは私を見かけて微笑み、会釈しながら休憩所に向かう。そう、発掘現場はいつもそんな風だった。 . . . 本文を読む
コメント

776 北橘(群馬県)出土する遺物はここに集められ

2017-07-19 06:34:52 | 群馬・栃木
赤城山西麓には北橘(ほっきつ)村もあった。赤城村の南隣りである。やはり渋川市と合併して、渋川市北橘町下箱田などと地名にその名を留めている。その丘陵地に群馬県の埋蔵文化財調査センターが建てられたのは、私が群馬を離れた40年ほど昔のことである。列島改造の勢いが県土を掘り返した時代、埋蔵文化財の調査は教育委員会の一係では手に負えないほど忙しくなったのである。遺跡の発掘は事業団が請け負う時代になった。 . . . 本文を読む
コメント