今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

777 金井(群馬県)発掘で眠りを覚まし汗水漬く

2017-09-03 15:18:14 | 群馬・栃木
ようやく探し当てた遺跡の発掘現場は、ちょうど昼の休憩に入るところだった。炎天下の作業を続けてきたオジさんオバさんたちが、やれやれといった具合に腰を伸ばし、深く掘り下げられた発掘現場から登って来る。肌の露出を極力抑えた作業着は、脇の下から胸にかけて汗でぐっしょり濡れている。夏場の発掘は暑さとの戦いだ。それでも皆さんは私を見かけて微笑み、会釈しながら休憩所に向かう。そう、発掘現場はいつもそんな風だった。



渋川市金井で続けられている金井遺跡群の発掘調査である。渋川市のほぼ全域を含む榛名山東麓は、かつての噴火で降り積もった軽石で厚く覆われている。つまり噴火時点の状態を、火山灰が蓋をして保存している土地なのである。金井は江戸時代には三国街道の宿として、それなりの賑わいを見せた街なのだろうが、現在は榛名山の東の裾野が緩やかに利根川に向かって下って行く畑地に、市街地を外れた住宅が混在している閑静な地域だ。



榛名山は数十万年前に現在の山容がほぼ形成され、5万年前頃から約1万年間隔で5回、大噴火を起こしている。こんなことを解明する火山研究とは大したものだが、そこに考古学が加わって、「直近の噴火は525年から550年の初夏にかけて」だとまで絞り込まれている。古墳時代のこの噴火で、当時のムラがそっくり埋もれたことは、近くの中筋遺跡で確認されている。約1500年前の人々の暮らしが、明らかになりつつあるのだ。

(中筋遺跡)

(同)

2012年、金井の東裏遺跡で甲冑を纏った人骨が出土した。住居の遺構や土器などの遺物が確認されることは珍しくないけれど、古墳時代の人骨、それも装いが分かる全体像が出土するなど、画期的なことである。当時の報道に私の胸はトキメキ、現地説明会に行けないことを悔やんだ。そのことを思い出しながら出土地を訪ねてやってきたのだが、見当たらない。建設中の自動車道橋梁の下部に、すでに埋め戻されているとのことだった。



近くで発掘が続けられていると聞き込んで、金井下新田遺跡を訪ねる。私は20代の6年間を渋川で暮らしたので、いくらか土地鑑がある。そのうえ「趣味は古代史」と公言し、群馬県内の遺跡や発掘現場を飽きもせず歩いたものだから、その経験で発掘現場はニオイで分かるような気がする。下新田遺跡にもニオイで引き寄せられ、昔と変わらない現場風景を眺める。そして皆さんの笑顔に出会い、「いつもそんな風だった」と感じたのである。



この感覚を言葉で言い表すのは実に難しい。カメラをぶら下げた見慣れぬ私に、親しみを込めた会釈が送られて来る。この懐かしさは何だろうと考え、昔、現場でよく出会った雰囲気だと思い至る。調査員の指揮に従って土を取り除いている作業員は、近在のアルバイトやボランティアが多い。素人ではあっても、歴史を掘り出そうとする真摯な共通意識がある。その連帯感のようなものを、一介の見学者にも投げかけてくれるのだろう。



東裏遺跡の甲冑の武人は、ひざまずき、蹲っている。頭部は山頂方向、つまり襲い来る火砕流の方角を向いている。立ち向かおうとして、押しつぶされたのだろうか。発掘事業団の情報館で、その精密なレプリカに「君は何をしていたのだ」と訊ねたのだが、答えはなかった。利根川を挟んで赤城山と向き合う榛名山は、平穏期が長いとはいえ活火山である。いつか6度目の大噴火が発生するのだろう。人の営みは、まことにはかない。(2017.8.22)




















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 776 北橘(群馬県)出土する... | トップ | 778 尖石(長野県)縄文の心... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬・栃木」カテゴリの最新記事