
この季節はやはり紫陽花が美しい。先々週は中之条ガーデンズのバラにうっとりしていた私だけれど、移り気であることは「花の色」に引けを取らない爺さんだから、今日は渋川市の「小野池あじさい公園」で紫陽花の乱舞に夢見心地なのである。それにしてもこの紫陽花の美しさはどうだ。ガクアジサイの一種なのだろうが、装飾花(と呼ぶらしい周囲の花びら)の一つ一つが、それ自体で見事な「花」なのである。

アジサイは日本原産なのだという。そもそも日本で自生していたガクアジサイが、装飾花が球形に密集する「手毬咲き」という形状に改良されてホンアジサイが生まれた。これらが中国を経由してヨーロッパにもたらされ、さらに改良が重ねられてセイヨウアジサイになっていったのだという。日本人としていささか誇らしくなる話だが、以前、ハンブルク大学本部の庭で愛でたときは、そんな歴史があるとは知らなかった。

渋川市は上越国境の山々が峰を納め、関東平野が始まろうという利根川河畔の街で、群馬県の中北部に位置する。私は1971年から77年まで6年間、この街で暮らした。社会人人生をスタートし、結婚し、最後の年には双子が生まれた。そのころ「あじさい公園」はなかった。榛名山の東麓が市街地と接する、荒れたままの崖地であったような記憶しかない。古代の大噴火による軽石が、厚く堆積している街なのである。

200ミリの豪雨に襲われたら街は土石流に埋まるといった話を聞いて、危なっかしい街で暮らすことになったものだと思った記憶がある。山麓の治水工事は行政の喫緊課題であった。その山麓を流れ落ちて来る平沢川と、江戸時代に築かれた農業用溜池である小野池が高台にある、考えてみれば常に雨量が気がかりな土地である。その一帯で、わが家が群馬を去った2年後から、花と緑の街づくりが始まったのだという。

それから40年ほども経過したのだから、紫陽花たちはすっかり根付いて、美しい散策コースを提供している。1.4ヘクタールに川コースと池コースが整備され、様々な姿と彩りの紫陽花は8000株もあるという。新型コロナのために今年の「あじさい祭り」は中止され、イノシシ注意の看板とともに「ソーシャルディスタンス」が呼びかけられている。それでもみなさんマスクをするなどして、楽しそうに鑑賞している。

渋川にも「あじさい寺」があったはずで、全国に紫陽花の公園やお寺はたくさんある。私にも旅先で出会って妙に記憶に残っている紫陽花がいくつかある。奈良山中の氷室神社、伯耆大山の大山寺、そして三宅島などだ。東京の私の散歩コースにも、実に美しい花を咲かせる株がある。ところが見頃になるとそれを摘み取る花盗人が出没する。社会には、困った人間が数%いるということは、コロナ禍の行動でよくわかる。
「君たちが生まれた家の近くに、こんなきれいな公園が整備されているよ」と息子たちにメールしたのだが、返信はない。1歳までしかいなかった街だから、記憶がないのは当たり前だろう。かくして年老いた父親だけが感傷に浸り、紫陽花に慰められているのである。これほど整備されたのだから、治山治水は進んだのだろう。いささかにせよ縁がある街で、幸せそうな市民の笑顔を見かけるのは嬉しいことだ。(2020.6.24)

(ハンブルク大学のアジサイ 2014.6.26)
(三宅島のアジサイ 2008.5.25)
(鳥取・大山寺のアジサイ 2013.8.1)
(私の散歩コースで一番綺麗なアジサイ)

アジサイは日本原産なのだという。そもそも日本で自生していたガクアジサイが、装飾花が球形に密集する「手毬咲き」という形状に改良されてホンアジサイが生まれた。これらが中国を経由してヨーロッパにもたらされ、さらに改良が重ねられてセイヨウアジサイになっていったのだという。日本人としていささか誇らしくなる話だが、以前、ハンブルク大学本部の庭で愛でたときは、そんな歴史があるとは知らなかった。

渋川市は上越国境の山々が峰を納め、関東平野が始まろうという利根川河畔の街で、群馬県の中北部に位置する。私は1971年から77年まで6年間、この街で暮らした。社会人人生をスタートし、結婚し、最後の年には双子が生まれた。そのころ「あじさい公園」はなかった。榛名山の東麓が市街地と接する、荒れたままの崖地であったような記憶しかない。古代の大噴火による軽石が、厚く堆積している街なのである。

200ミリの豪雨に襲われたら街は土石流に埋まるといった話を聞いて、危なっかしい街で暮らすことになったものだと思った記憶がある。山麓の治水工事は行政の喫緊課題であった。その山麓を流れ落ちて来る平沢川と、江戸時代に築かれた農業用溜池である小野池が高台にある、考えてみれば常に雨量が気がかりな土地である。その一帯で、わが家が群馬を去った2年後から、花と緑の街づくりが始まったのだという。

それから40年ほども経過したのだから、紫陽花たちはすっかり根付いて、美しい散策コースを提供している。1.4ヘクタールに川コースと池コースが整備され、様々な姿と彩りの紫陽花は8000株もあるという。新型コロナのために今年の「あじさい祭り」は中止され、イノシシ注意の看板とともに「ソーシャルディスタンス」が呼びかけられている。それでもみなさんマスクをするなどして、楽しそうに鑑賞している。

渋川にも「あじさい寺」があったはずで、全国に紫陽花の公園やお寺はたくさんある。私にも旅先で出会って妙に記憶に残っている紫陽花がいくつかある。奈良山中の氷室神社、伯耆大山の大山寺、そして三宅島などだ。東京の私の散歩コースにも、実に美しい花を咲かせる株がある。ところが見頃になるとそれを摘み取る花盗人が出没する。社会には、困った人間が数%いるということは、コロナ禍の行動でよくわかる。

「君たちが生まれた家の近くに、こんなきれいな公園が整備されているよ」と息子たちにメールしたのだが、返信はない。1歳までしかいなかった街だから、記憶がないのは当たり前だろう。かくして年老いた父親だけが感傷に浸り、紫陽花に慰められているのである。これほど整備されたのだから、治山治水は進んだのだろう。いささかにせよ縁がある街で、幸せそうな市民の笑顔を見かけるのは嬉しいことだ。(2020.6.24)





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