今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

848 桐生(群馬県)市の日に美術展観ておきりこみ

2018-12-04 17:49:39 | 群馬・栃木
蔵造りの商家だったのだろう、閉じられたガラス戸の前を、何やらパンフレットを抱えた三婆さんが先を急いでいる。上州桐生の新町重要伝統的建造物群保存地区である。行く手には「桐生我楽多市」と染め抜いた幟旗が風に吹かれている。通りの突き当たりに鳥居を構える天満宮で、今日は恒例の骨董市が開催されているのだ。私と妻もその雑踏に紛れ込んでいる。晩秋の陽に、カエデの紅とイチョウの黄葉が眩しい。



陶磁器やガラス細工など、骨董というより確かに我楽多市と言った方がふさわしい露店が、参道の通りからひしめいている。そして織物の街らしく、古い着物地を扱う店が多く、境内を埋める買い物客にも、着物地を洋装にリフォームした凝った出で立ちの女性が目立つ。わが奥さまも生地が目当てで、古着や端切れを漁っている。渋い泥染ながら鮮やかな色糸を織り込んだモダンな大島反物を見つけ、店主と交渉している。



「これ大島ですよね」「そうだよ。少し綿が混じっているはずだ」と、生地をこすり合わせる店主。「あれ? これはオール絹だよ。間違ったなぁ」「でもさっき3000円といったわよね」「うわー、間違った。仕方ないか」「もう一声!」「そんなぁー、勘弁してよ」。ロンドンで買ってきたリバティの生地で私のシャツを仕立てたばかりの奥方は、今度は大島でもう1枚縫おうと考えているらしい。着こなす側もなかなか忙しい。



何のついでだったかは忘れてしまったが、私は7年前の秋、この街に来ている。末広通りから本町通りへ、おそらく目抜き通りなのであろう商店街を歩きながら、西の西陣と競っていたころの織都の賑わいはすっかり失せたのだと確認した。私の記憶では、東毛(県東部)地区でトップだった人口も、時代が昭和から平成に移るころ太田市に抜かれている。しかし今日はなかなかの賑わいである。毎月第1土曜日が市の日なのだ。



とは言っても私たちは、この市を目指して桐生にやって来たわけではない。大川美術館で開催中の「松本竣介展」があと1日で終了するというので、慌てて駆けつけたのだ。松本竣介(1912-48)は、ふらりと入った美術館などで時折り見かけ、その静かなトーンに惹かれてはいたものの、まとまった作品展を観たことはない。大川美術館は小さな私設美術館だが彼の収蔵作品は多く、没後70年展を企画したという。

(「街」1938年=図録より)

丘陵の崖地に建てられた美術館は展示スペースが限られ、4期に分けて続くらしいが、毎回来るわけにはいかない私にとって、代表作の「街」を観られたことで満足である。水中に没しているかのような街に群像が浮かぶモンタージュ的画法は、深い青が静寂さを強調して実に魅力的である。聴力を失い、夭逝した若者だというが、社会に向けて臆せず意思を示した青年であったことは、自画像からもしのばれる。



かつての繁昌は遠のいたとはいえ、織都桐生を展示する有鄰館では「絲の祭典」が開催され、織物産地に根付く技術の凄さを教えてくれる。毎月の市が祭りのように人を集めているのも、市に合わせて様々な催しが計画されているからだろう。通りでは八木節保存会の面々が賑やかに「忠治一代記」を披露しているし、美術館もこの日は割引料金である。快晴の空が松本竣介の青と溶け合って、桐生は好日である。(2018.12.1)





















(「建物」1948年=図録より)







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