ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

寒い冬の朝にはチョークを引いてと

2013年12月30日 | ロクマル日記

気温は氷点下、痛いほどの寒さである。

路上駐車のロクマルに震えながら乗り込みチョークを引く。

アクセルを踏み、イグニッションのキーを捻る。

キュキュキュキュ、

ブ、オオーン!!!

車体を揺らしながら2Fエンジンが目覚めた。

 

 

ゴホ、ゴホ、ゴホ!

ゴホッ!

 

ゲホ、ゲホ、ゲホ!

ゲホッ!

 

兄貴から弟へ、一発かましている所です。(笑)

 

 気温の下がるこの季節の朝、大量に出る白煙。その正体は水蒸気である。ガソリンが燃焼すると水と二酸化炭素が発生する。その水が冷たいマフラーで冷やされ水蒸気となるのである。

 毎回、凄いなあって思うこの白煙。

これこそが、冬の車の光景なのだ。

 

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砂原(サハラ)

2013年12月29日 | OVERLANDERS

 アフリカ大陸のサハラ砂漠を自前の四駆で走破する事は男の単なる一つの夢なのであろうか?実際にその夢を追い、サハラを駆け巡り貴重な情報を提示し続ける英国人の クリススコット氏 はおそらくサハラ砂漠を旅したい人にとっては玄関となる存在である。今日、広大なサハラ砂漠は内陸地の国境封鎖、そして、旅行者の誘拐や行方不明など多くの危険な出来事なども重なり一つの危険地帯として人々は認識しつつある。

 

 クリススコット氏を中心とした、サハラの勇士達(二輪、四輪)でサハラ砂漠のオーバーランド旅行の情報を提供し続ける SAHARA OVERLAND 。遠いユーラシアの果ての日本から見るとサハラ砂漠は遥かに遠い地の果てであるが、ヨーロッパに暮らす人々にとっての感覚は小海を越えた近距離の別世界である。つまり行こうと思えば行ける対岸の地域でもある。

 

 

 こういったヨーロッパとアフリカ大陸の地理感覚があった(る)が故に、オーバーランドという意識が生まれて来た。また、この地域は嘗てパリ ー ダカール の過酷なレースが開催された場所でもあり、そのイベントによってこの地域は世界から関心を惹いた。しかし、今日イベントが南米に移った事により、この地域は再び人を寄せ付けない地域としてその静けさを取り戻しつつある。

 

  

アルジェリアの砂原(サハラ)を走る。 

 ヨーロッパ人と地元のガイドのコラボレーションによって現在も幾つかのオーバーランドツアーが行われている。最近の人気は比較的安全なモロッコだとは聞く。

 何時かはクラウンではなくて、いつかはサハラへ。頭の隅に置いて置きたい。

 

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1964 Landcruiser FJ45V

2013年12月28日 | LANDCRUISER

 半世紀前(50年)前の 希少なランドクルーザー FJ 45 V。不動車でありあちこちに錆が見られるが、まだ充分に復活の可能性を秘めている一台である。錆の表情から見るに、おそらくコロラド州あたりではないだろうかと思っている。

 

 e-bay motors

The toyota needs full restoration but is pretty solid for aproject. Front floorpans has rust in front of and behind the seat. Rear cargo area floor in nice shape. Rear fender extentions (area behind rear wheel low) both have rust. Rust in corners some too. The tailgate looks to be rust free but has bondo from being dented at some point. It does open/close fine but sticky from not being used for almost 30 years. Rear window frame, roof,drip rails are rust free. Doors are rust free. Rear quarters in good shape besides the rust mentioned. Front clip, firewall, header, and frame are rust free. Overall, a very solid body for restoration but does need the floor and rear quarter work. All doors close but a couple don't latch because latches need lubing. Will be tied shut for shipping unless I get time to fix them first. The landcruiser is mostly original but original seats are gone and original wheels. Seats out of an fj40 are most likely the same and easy to find.

 

 外観はこのままで乗るのがいいかも...

 

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ディフェンダーへの思惑

2013年12月27日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 20世紀の前半は大英帝国が輝いた時代であった。世界の多くの領土をイギリス連邦の植民地としその勢力を誇った。しかし、その野望は今日過去のものとなり、一つの歴史として刻まれたに過ぎない。現在に生きる人間の目で過去の歴史を評価してはいけない。という視点もあり、なるべく客観性を維持しながら英国ランドローバー社の誇るワークホース、ディフェンダーの生産終了(2015年12月)のニュースからくる英国人の気持ちを探ってみた。

 

 

 Land Rover Owner International (LRO)  誌と Land Rover Monthly (LRM) 誌の二冊は世界的に販売されている英国のランドローバーの月間誌である。ランドローバーの専門誌であるというのは間違いないが、英国で4x4といえばランドローバーの事。そしてこれらの主役は勿論ディフェンダーである。

 

 

Defender Forever!

(ディフェンダーよ永遠なれ!)

LRM の編集長ディブフィリップ氏のメッセージ

 

 両誌共にディフェンダーの終了のニュースに対して悲観な感情を抱いている。

 それは、英国人の四駆愛好家達がディフェンダーという車種を心底愛していたからである。誌面を通じて感じたのはディフェンダー終了のニュースで垣間見た英国人の感情である。その感場は大きく3つあると感じている。

 まず、日本に負けてしまったという敗北感。世界の道で活躍するワークホースの車種が英国ブランドではなく、ランドクルーザーを先頭にした日本製が占める事への失望。

 そして、現在のランドローバー社はインドのタタ自動車の資本で運営しているので、嘗て植民地として支配したインド人にやられたという屈辱感。

 更に、それでもランドローバーは英国のブランドとして存在し、実際に英国で生産しているのに、英国人の4x4愛好家達の期待を無視した。ランドローバー社は期待を裏切ったという失望感。

 

 英国人の4x4に対する強い愛情は裏を返せば強い憎しみにも変わるのである。しばらくは静観と行きたい。このディフェンダー終了のニュースではっきりと分かった事は、彼ら英国人の四駆乗り達は最新のレンジローバーには興味が無いという事。その意思をランドローバーの専門誌の中ではっきりと示している。彼らはもともと電磁ローバーとは決別し、ランドローバーとは何か?というテーマで今日まで進んで来た経歴がある。その方針が誌面を賑わせ、多くの人々がそれを支えている。

 

このディフェンダー終了のニュースで伝わったのは、ローバー社の方針ではない。

 

それは、

ランドクルーザーとは何か?

という原点に立ち返るテーマである。

 

英国人達は日本に負けたと思っているが、僕は逆に英国人から学びたいと思っている。

 

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Merry Christmas Mr. Lowrence

2013年12月27日 | 日記

戦場のメリークリスマスのテーマ曲。

私の好きな クリスマス エンディング 曲です。

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クリスマスに乾杯!

2013年12月26日 | ロクマル日記

 アメリカではクリスマスがホリディの王様である。

 クリスマスの起源は冬至。一年で最も夜が長い一日が過ぎて、空の太陽は上昇の波動を迎える、まさに迎春である。一年の終わりがクリスマスであり、一年の始まりが元旦。この一週間はこよみの死と生が同時に訪れる時間。生きるものは死に、死から生命が生まれる循環が宇宙の営みと思ってしまうが、実は人は千の風となって永遠とも思える宇宙の歴史を太陽の周りを地球が廻る様に、或いは四季が変わるように動き流れて行く存在なのではないだろうか?

 そんな一瞬とも言える短い人生の中にあって、人生を楽しまなければ損?と、年末のこの忙しさの中に身を置きながら、ちらっと思ったりする自分。多忙さや、仕事に追われる現実に身を置きながら、それさえ楽しむ事が出来たら人生は愉快になるであろう、冬至の長い夜に真夏の花火を待つのではなくて、闇の陰の世界を恋い慕うのも愉しい事なのだ。

 

 英語では蒸留酒の事をスピリッツ(Spirit)と呼ぶ、スピリッツとは精神とか目に見えないエネルギーや意思、或いは霊の事。暗い夜だからこそ明るいクリスマスのイルミネーションが冴える。賑やかに過ごしたクリスマスの時間には、静かに過ごす時間があってこそバランスがとれる。

 

 このクリスマスには、素晴らしいギフトを頂いた。州の車検を通す為に修理に出していたブルーのランドクルーザーFJ60が州の車検をパスして手元に帰って来た。

 

再会、今夜はそのために乾杯!

 

...明日はロクマルでいこう!

 

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世界で最も危険なのはユンガスの道

2013年12月23日 | OVERLANDERS

 賛否両方の意見が交差しているが、とりあえず世界で最も危険な道のベスト10というのがある。これを参考にすると危険な道の多くが山岳地帯のヘアピンを伴う道にある様子。

 

世界の危険な道トップ10

10番から2番までは意見が交差するが、

最も危険な道の1番においては多くの人が黙り込み、首を縦にうなずく。

 

その道は Yungas Road, Bolivia

別の名称は The Deth Road (死の道)

wiki より

 この道路は標高3,600mのラパスから国道3号線として標高4,650mのクンブレ峠(La Cumbre Pass)を越えた後、ウンドゥアビで南部ユンガスへ向かう国道25号線(南ユンガスの道: Sur Carretera de Los Yungas)として分岐。さらにチュルマニ(Churumani)へ向かう国道25号線から国道40号線(北ユンガスの道、 Norte Carretera de Los Yungas)として分岐後、海抜1,500mほどのコロイコCoroico)へ至る。このうち死の道路として知られるのは国道25号線から国道40号線の部分である。

1930年代のチャコ戦争中にパラグアイ人捕虜によって開設されて以来、1990年代までの長きにわたってボリビア北部のアマゾン森林地帯と大都市ラパスを結ぶ数少ない道の一つであり、ユンガスの農産物をラパスに運ぶトラックや、ユンガスにある保養地に向かうバスなどの往来が激しかった。

幅員は車1台分程度(場所によっては3m程度)しか無く、ガードレールが無いため、現在でも極めて危険な状態にある。さらに、この地域は雨や霧が多い多雨林にあり、視界が著しく失われる事もしばしばで、泥状になった路面に山肌からの落石もある。つづら折れになった道路はほとんどの場所で崖っぷちになっており、垂直に800mも切り立っている箇所もある。このため事故による死者の数が多い事でよく知られている(年平均209回の事故が起こり96人が死亡している。米州開発銀行は1995年に「世界でもっとも危険な道路」と呼称している。

 

 

途中何があっても、自己責任のみです。(汗)

 

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クールの世界

2013年12月21日 | 北米ランクルビジネス

 今年もテキサスの旧ランクル専門店 Cool Cruisers  (クール クルーザース オブ テキサス)の2014年のカレンダーが販売されている。クールクルーザーといえば、そのイメージにセクシーなオネーさんを活用する伝統があったが、今年2014年からはそのイメージが変わった様子。新しいクールのイメージは荒野のカーウボーイ。そのイメージを荒野のランクル40と合わせて、クールが求める独自の世界を表現している。

 

ランクル40、実に絵になる車です。

 

でも、やっぱり、

オネーさんとは決別出来ませんなぁ。(笑)

 

カーウボーイと美女、そしてランドクルーザー

そして、テキサス。

 

角と丸、そして硬さと柔らかさ、

大地と人を繋ぐもの、それは馬でありランドクルーザーであるという事。

それが Cool の世界です。

 

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オーバーランダーとしての本質とは何か?

2013年12月20日 | OVERLANDERS

 Heavy Loding(重装備)の四輪駆動車を駆ってジャングルを駆け回る姿こそがオーバーランダーとしての象徴的イメージが強い。

では、オーバーランダーとしての本質は何か?

 

それは現実的にはこういう時に実際に試される。

そのキーワードは たまたま。

 

 日頃から4x4を飼い馴らし、知識と経験を蓄積し、リカバリー等の道具の使用にも長けている。しかし、事が起こるのは整備と装備が行き届いた4x4を運転している時ではない、車の故障や脱輪など、普段使わない普通乗用車やトラックを たまたま 運転している時に起こるのである。リカバリー等の道具などはない、予備パーツも無い、あるのは備え付けのジャッキのみ、しかしレンチが見当たらないぞ、さて困った、どうしょう?

 装備を満載したトラックを使用しての経験と知識が豊富であって、それが最低条件だと思っていると、こういう状況の時に失望してしまう。

 実は、

  んな状況に追いやられた時にこそ本質が試されるのである。

オーバーランダーとしての本質が、

あなたなら、そんな時どういう感情を抱くであろうか?

 

 いかにその状況を抜け出すか?周りにある物で対応するか、助けを呼びに行くか、解決方法は一つではない。その姿勢は自分で考え、あらゆる可能性を検討し、自分で行動する事。誰か他人のせい、道具のせい、自分の選択のせい、にしてはいけない。運の悪さを嘆いてはいけない。運の悪さを楽しむのがよい。

 

 そして、後になって思う。あの時 たまたま 通りすがりのトラックが...とか、たまたま 落ちていた角材を車輪下に押し込んでとか...。

 

事の解決も、結果 たまたま であったりする。

 

オーバーランダーの本質とはこの たまたま と向かい合う姿勢ではないかと思っている。

仕事や人生そのものでもある。

 

...結果、それが面白いのである。

 

 

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さらば!ディフェンダー

2013年12月18日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 1983年から30年以上生産が続いている ランドローバー ディフェンダー が2015年の12月を最後に生産を打ち切られる。ディフェンダー は初期の ランドローバー のシリーズからの流れを維持するモデルである。

 別に ランドローバー を所有している訳ではないが、このニュースには落胆を感じている。英国を中心とする英国連邦の ディフェンダー ファン 達は僕以上に残念がっているのは想像出来る。ランドローバーは英国の誇り、その内容は古い伝統を大切にしたい精神であり現行モデルは30年間モデルチェンジを許さなかったのであった。

英国のランドローバーオフィシャルサイト

 

 更に落胆缶の火に油を注ぐのは次期 ディフェンダー の容姿。

 

2016 ランドローバーディフェンダー

モノコック構造の デンジ ローバー

 

 自動車の性能も形も時代の流れと言ってしまえばそれでまるめ込まれ、フレーム構造のシンプルで長く使えるトラックが欲しい、という意見は商業主義の流れから除外される。メーカーは俺たちが作った物がいいのだから大人しく買え、使ってみろ、ほら昔使っていたトラックに比べて格段に快適で気持ちいいだろ、ありゃ時代遅れだったな、これは対面もいいしね、金持ちに見えるぞっ!ってね。

 しかし、ランドローバー という名詞の響きは現在の ランドローバー 社が示唆するものとは異なっていると感じているのが僕の意見。ランドローバーが進化したと捉えて理解して欲しいメーカーに対して、ランドローバーがランドローバーを捨てたと感じてしまうのが僕の感覚である。現行のディフェンダーの終了と共にランドローバーの歴史が終ると感じている。

 

今後、メーカーとディフェンダー所有者の乖離は明らかになる。

 結果、ランドローバーは将来メーカーから離れて個人個人の所有物となるという事。

メーカーに対する期待は薄れるどころか、無くなる。

これが近未来のランドローバーの運命ではないかと感じている。

 

ランドローバー社には、ランドローバーを造って欲しい。

 

...と、言いたい。

 

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寒冷地仕様者

2013年12月16日 | ロクマル日記

 冬はこれからが本番だというのに、先週のニューヨークは日中の最高気温が氷点下の日々が続き週末は積雪に見舞われた。12月はバケーションの季節でもあり、周りの知り合いは南半球(あちらは今は夏)へ長期間の休暇を取って出かけて(逃げて)行く。今年のニューヨークの冬は特に寒く感じているが、ここの住人は冬越隊としてこの冬を乗り超えなければならない。

 

 

 厳冬の冬への心得の一つ、それは 寒さを恐れてはいけないという事。吼えまくる何処かの番犬もそれを恐れない姿勢で接すると、やがて尻尾を振ってくる(はず?)。寒い冬を恐れない。積雪があろうと、解氷の塩を浴びようと、ドアが氷付いて開かなくとも。それがどうした、おもしろいじゃないかって事。

 車の寒冷地仕様車はよく聞くが、心にも(気持ちの)寒冷地仕様があるという事です。

 

 ...しかし、気持ちの準備には時間がかかるなぁ、

 

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ヨタハチ

2013年12月13日 | VINTAGE CARS

 トヨタスポーツ800は1965年から1969年までの5年間に渡り生産された。

 希少な1967年のトヨタスポーツ800(UP15)左ハンドルが E-BAY (米) のオークションに出品されている。総生産台数は3131台であった。以下の出品者の記述によるが、現在生存している車は約10%程。左ハンドル車は約300台程沖縄に納品された様子、その内の一台である。車体はドンガラではあるが、夢と希望とサムマネー、そして時間と情熱の維持によって充分に再生の可能性を秘めている。

 

軽量化をとことん追及したモノコック構造である。

 

左ハンドルです。

 

2気筒エンジンはオーバーホールにより蘇える可能性が高い。

 

希少な部品も大体揃っているかな?

The Toyota Sports 800 was the very first sports car produced by Toyota Motor Corporation. The prototype was introduced at the 1962 Tokyo Auto Show. The production car was intended exclusively for the Japanese market and went into production in 1965. The chassis designation for the Toyota Sport 800 was UP15. The engine was an air cooled 2 cylinder unit displacing 790cc and producing 45 HP. Top speed was reported at 100 MPH. The aerodynamic styling was penned by the well-known designer Shozo Sato. The lift off targa top predated that of Porsche. It is believed that between 1965 and 1969 approximately 3,131 Toyota Sports 800 automobiles were produced.
 
It is also believed that perhaps as few as 10% of these cars survive today. Most cars were built as right hand drive with perhaps 300 being left hand drive for the Okinawa market. With a survival rate of 10% of all cars, it is likely that very few left hand drive cars have survived.
 
The car currently for sale is chassis # UP15-12298. The manufacture date of this car is August of 1967. # UP15-12298 is an extremely rare left hand drive example which is highly prized by JDM collectors.. This is a major project with serious modifications but is a realistic restoration candidate. This car can be restored for concours, street use, or as a vintage racing weapon…your choice. The car comes with many parts, some NOS, as shown in the photos. Everything that comes with this car is shown in the photos. If you don’t see it, I don’t have it. Toyota Sports 800 cars are coveted by collectors and a nice restoration candidate like # UP15-12298 is becoming increasingly difficult to find, especially one originally manufactured in left hand drive configuration. The car is sold as is where is without any warranty whatsoever. The car is a restoration project and does not run or drive.

 

さて、このヨタハチはどの様な運命を行くのであろうか?

 

 *確か、カリフォル二アのSOR (スペクターオフロード) の正面玄関の入り口に置いてある赤いToyota Sports 800 が左ハンドルだった。

 

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ABS

2013年12月12日 | ランクル ドライブ

 

 朝の8時頃に降り出した雪は見る見る辺りを銀世界に変えてしまった。除雪のトラックが常時駆け抜け道路一面に塩を振り撒いて行く。車は降りかかる雪をワイパーで端に追いやりながら、いつもより少しスピードを押さえて進んで行く。大きな道は除雪が行き届いているが、小さな道に入るとそうではない。寒い気温も重なり一部路面は凍結しており滑る事を意識しての運転が要求される。

  同日、2回程 ABS (Antilock Brake System) が働いてブレーキを踏む足に振動を感じた。一度はゆるい坂道の下りで、そして二度目は右に曲がって小道に入る時...。

 ABS が働くのは悪くないが、予期せぬ時に働くと正直怖い。車のコントロールを失うからだ。ブレーキを踏んでも制動距離が伸びて、しばらく止まらないので雪道では何時もの倍の車間距離を保つ事が大切だ。そして今回は右に右折しようとしてスピードを緩める為にブレーキを踏むと ABS が働いて止まらない、そこでハンドルを右に切ったままハンドブレーキを引いて後輪を滑らせて曲がり切った。

 ABS が付いているから安全というのは妄想である。

 ただ、僕の1997年製のLEXUS LX450 (ランクル80) が製造から16年経った旧車で最新の車ではないので、古い故に正確に働かなかった可能性もある。

 

 雪道で信頼出来るのは車の性能ではない。

 雪道で滑るのは危険、その滑りを不意に止めるのも危険。感覚的にはABS は安全と捉えられているが、ABS が搭載されている車両はその安全性だけではなくて、危険性も更に強く理解しておく必要があると感じている。

 

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2014 TUNDRA

2013年12月10日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 写真はタンドラ1794バージョンの内装。

 先月の11月はアメリカの新車販売が同月としては10年振りの高水準を記録したとの事。その中に混ざって大型ピックアップトラックも販売を伸ばしている。最近あちこちでよく見かける新型トヨタタンドラ。目を引く様な存在感ではなく、どちらかと言えば溶け込んだ存在感である。

 

2014 Tundra  CONSUMER REPORTS より、

 

2014 Tundar KBB (Kelley Blue Book)  より、

 

 これを観て思うのは、もうランドクルーザー200はこの国(アメリカ)では売れないのではないだろうかという懸念である。

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ニューヨーク冬の始まり

2013年12月09日 | NEW YORK

 FMラジオが一日中クリスマスソングを流し出す季節になった。このクリスマスシーズン(ホリディシーズンとも呼び、日本の師走に重なる時期)は特にニューヨークにおいては活気のある季節である。先週は12月らしからぬ少し暖かい日々が続いた、商店と人込をさけて、クリスマスキャロルに背を向けて、街を徘徊したい。

 

 ニューヨークの寒い冬だからこそ、心に想うのは南カリフォルニアの光景。

クリスマスソングに背を向けて、最近よく聞くのはこの曲です。

サンタモニカの暖かい風を想いながら、

12月のニューヨークの木枯らしの中を散歩する。

 

少し歩いてみましょうか。

 

 ニューヨークを歩いてもショーウインドウを飾るクリスマス商品などには関心がない。

関心があるのは路上の車だったりする。

 

街の季節は狂っているのか?まだ緑の葉が多く残っているのが不思議だ。

 

スマート、フィァット、小型車も普及しているが、決っして多くはありません。

 

80年代の配達用のシボレーのバン。

 

ドアの鍵はダブルロックです。

いや、トリプルです?

 

道路工事の主役は何処でも、

 

ピップアップ トラックです。

働いているトラックが好きです。

 

真っ赤なポンティアック?時々粋な車に出会います。

寒いのにオープンかぁ、ではなくて。

冬こそオープンで、です。

 

街での路上駐車は、バンパー トウ バンパー。

 

黒色のレクサスも多いですね、これはGX。

 ニューヨークの駐車料金は高いですね。

 

ニューヨークという街は東西南北どちらに歩いて行っても水にぶつかります。

 マンハッタン島。

 

ニューヨークを南北に沿って走るハーレムリバー高速道路.

ビルを貫通して車は飛ばして行きます。

  

 12月は陽の入りも早いですね。

寒い季節になると気分も憂鬱になりやすいです。

 

寒い冬を避けた気持ちでいるよりも、

前向きに受容する気持ちで過ごした方が、得なのは分かっている。

中には、

ニューヨークの寒い冬が好きだ、という人が結構多いのも事実。

 

コンクリートジャングル

ジャングルでは何時何が起こるか分からない。

 

時々思う、

僕はこのジャングルを越えないとお家に帰れないんじゃないかってね。

 

...街の交通渋滞の事ではないっスよ。

 

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