ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ランドローバー専門店での想い

2023年11月26日 | 北米ランクルビジネス

 中古車のディラーを廻っている途中で、偶然ランドローバーの専門店を見つけた。週末という事もあり店は閉まっていたが、ガレージの前のあまり広くはない駐車場にはラダーフレームのデイスカバリー、デイフェンダー90、110、そして、ロングホィールベースの130等の馴染み深い顔が並んでいる。察するに修理の為のパーツの入庫とサービスを待っている様子。旧車を維持する事において近場に旧車の専門店が存在するメリットはとても大きい。それはランドクルーザーの旧車を維持する僕にとっては羨ましいインフラである。

 10年程の昔、ニューヨークの郊外にランクルのスペシャリストの工場があった。自身のランクル好きが高じての展開であったが、それだけではやっていけない現実があり事故車の板金修理施行との両立であった。時間の経過と共に板金の方が比重が重くなりボディショップと変わってしまった経緯がある。特定の車種に限定したスペシャリスト達は経営的に、世代交代や時代の変化への適合など既存事業に対する多難が生じる。

 カリフォルニアにあるランドクルーザー専門店、スペクターオフロードは1983年に自宅のガレージを改装して事業を展開し、創始者であるマーブ スペクター氏がこの世を去った後も、妻である同創始者のケイ スペクター氏によって遺志を継続し40年間の長きに渡って事業を継続している。もし、あなたが事業の経営者であるならば40年の期間事業を継続する事の難しさは実感される事であろう。今期のTLCAの発行誌Toyota Trail にはその記事が紹介されている。

 

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TLC Jonathan Ward その3

2021年08月22日 | 北米ランクルビジネス

 今年、2021年に市場に出てきて、最近ちょくちょく街で見かけるようになった6代目フォードブロンコ。中型SUVのカテゴリーであるが1966年に誕生した初代アーリーブロンコを彷彿させる立ち振る舞いである。TLCが2011年の秋にラスベガスで開催されたSEMAにおいてアーリーブロンコをベースにした ICON BRONCOを発表してから10年、5代目のブロンコが終了してから25年の歳月が過ぎている。フォードの様な大きな企業が四輪駆動車に対して慎重で弱腰であったとは思う。ENGAGE誌ではあくまで噂であると前置きしているが、新型フォードブロンコは2011年にTLCが製作したICON BRONCO から強い影響とインスピレーションを受け、それを応用して開発されたのだと言われている。

 ロサンゼルスのTLCワード氏の工場は知名度があるとは言えメーカーに比べると小さなハンドメイド工場にすぎない。その立場にあってワード氏は2つの事を意識して現在のメーカーの四駆を観続けている。一つは、 Connect with the original. (オリジナルにつながっているか?)もう一つはMissed the target.  (ターゲットから外れていないか”?)である。メーカにおいても製品に対する理念があり、ワード氏の持っている理念との乖離が当然あるはずなので、町工場のくせに生意気なコンセプトを持っている奴と捉えられるかもしれないが、それこそがワード氏の持ち得ている魅力なのだと思う。

 最近、時間の経過が昔よりも速くなったと感じる、という会話をいろんな人とする。多くの人が、忙しい証拠だとか歳とったなっ、で終わる。ところが、ある人が面白い事を言った。時間というのは過去から未来に流れると同時に未来から過去に向かっても流れており、そのぶつかった所が今現在なのだと。僕自身はこの時間の概念を理解消化出来ないので、これからの課題ではある。この時間の流れを旧車に最新の機能を搭載するコンバージョンで捉えてみる。1966年のフォードブロンコは歳月と共に機能を失い劣化する、そこに構想を持った人間が登場しレストアコンバージョンされたブロンコを心像で描く。その構想に向かって作業は進行し、そうありたい構想に実態が近づいてゆく。こういう過程を考慮してみると、なーんとなくではあるが、未来から今に向かっても時間が流れているのかも知れないと思わせてくれる。但し、描く心像が無ければ未来から現在に向かって時間が流れないので、流されるだけになってしまうのかも知れない。

 人間が独自のビジョンを描き進んで行くという事が大切な事である。という事をワード氏は世間に示している様に感じる。彼の手掛ける ICON が世界的に注目されるのは、関心を寄せた人々がその背後にあるメッセージを受け取る事が出来るようにする何者かの采配であるのかも知れないと勝手に解釈させて頂いている。

 

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TLC Jonathan Ward その2

2021年08月19日 | 北米ランクルビジネス

 2006年にアメリカ市場で販売が始まったFJクルーザーの開発にTLCが協力参加したという事は事実である。FJクルーザーにはワード氏の意向が込められていると多くの人々が思っているのではないだろうか? 当時、TLCを率いるワード氏はトヨタの新しい四輪駆動車の開発の為にブラジルやカリフォルニアにあるトヨタ工場とかかわり、ブラジルで生産されていたBANDEIRANTEの外観をベースにした試作車を自身のコンセプトを盛り込んで製作した。 しかし、FJクルーザーが市場に出た時、結果としてTLCのコンセプトはFJクルーザーには反映されてはいなかったのである。即ち、TLCが手掛けた試作車は採用されず結果的にボツとなったのである。

 トヨタには3003年頃にはFJクルーザーの構想があり、それを暖めて製品にしたのが2006年に北米市場に現れたFJクルーザーであった。この時ワード氏は何を感じていたのであろうか? トヨタはなぜワード氏に試作車を依頼したのか?は想像の課題を与えてくれる。

 ワード氏はジープラングラーについてこんな事を語っている。ラングラーを例えるならば大型家具店のIKEAの商品の様な感じだ。しかし、ラングラーは唯一自身のブランドを強く守っている。確かに現行のラングラーJL、そして以前の、JK、TJ、を見てもそこにはジープというブランドのアイデンティティが存在し定着している。TLCのワード氏は自身のブランドICONに対して It something we believe in. (我々が信じているもの)という表現をしている。TLCが手掛ける車両はこのワード氏のブランドが反映されている。

 FJクルーザー開発の為にTLCワード氏が製作した試作車にもこのワード氏のブランドが反映していたはずである。トヨタが試作車を受け取った時に彼らは何を感じたのであろうか?機械的なデザイン的な点で評価した事は察しが付くが、その奥にあったブランドというメッセージこそが試作車の価値ではなかったと思っている。ワード氏は採用されようがされまいが、我々が信じているもの、を試作車という形にして残したのだ。

 

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TLC Jonathan Ward その1

2021年08月18日 | 北米ランクルビジネス

 ロサンゼルスにあるTLCの店を訪れてからこの8月で10年の歳月が過ぎる。今では彼の店も移転して拡張し、彼のブランドであるICONは定着して業界のアイコン的な存在となった。彼の業績は彼がユーチューブ等で紹介する車両に表れており彼の思考(指向)は形となって表現され続けている。10年に渡る彼の実績を時間の幅を意識して捉えてみると、彼が四駆に対し求める姿勢には一貫性がある事が理解出来る。おそらく、彼の手掛けるクルマが人々を惹きつける最大の魅力はここにあると思う。現在、TLCに仕事を依頼すると少なくとも3年は待たされる状態。更に、ICON の製作時間はそこから18ヶ月の時間が掛かる。そのスケジュールもアイコンの人気を表している。

 

 この夏、ENGAGE という新しい四駆雑誌が創刊された。この創刊誌の表紙を飾っているのがジョナサンワードが手掛けたアーリーブロンコであり、彼の事が紙面で紹介されている。彼に対する記事が示唆に富んでいるので一部紹介したいと思う。

 

 彼が若い頃の経験。アフリカのケニヤにおいて駆っていたランドローバーがぬかるみでスタックした。周りには野生動物が徘徊し腹を空かしたライオンの群れが我々に関心を寄せていた時にランドクルーザーが現れてぬかるみからランドローバーを引き上げてくれた。命が助かって、御蔭で無事にロサンゼルスの自宅に戻る事が出来た。その時からランドクルーザーの虜となった。彼はアフリカやアジア及びオーストラリアを旅してランドクルーザーが過酷な環境の中で活用されている事を実感した。ランドクルーザーはクルマのクオリティが異なり、生と死を分ける様な境地でこそ選ばれ活用されていた。1996年にTLCを創業した時はこのランドクルーザーの持つ本質を追求し、ビンテージランドクルーザーのパーツ、サービス、レストレーションが主流’の業務であった。そこには、あのケニアのブッシュで境地から救い出してくれたランドクルーザーの存在があった。創業してから10年の歳月を経過して、ランドクルーザーのレストレーションから展開してきたのが現在のICONである。ビジネスの規模は大きくなり創造性を駆使した斬新なクルマを手掛ける現在でも、ジョナサンワードの心の底にはケニアでのランドクルーザー(おそらく40系)の記憶が生き続けている。

 

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THE FJ COMPANY 可視化した中南米のランドクルーザービジネス

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJカンパニーを出て頭の中を整理する為にキューバ人がやっているカフェに入った。

 ニューヨークに住むアメリカ人の友達は20年前の四駆に乗っている。彼は自身の車を修理整備する為に自宅の近くで腕のいい整備士を探し続けていた、彼は現在のアメリカでは古い車をきちんと修理整備出来るメカニックがいないとぼやいていたが最近いいメカニックを見つけたという。彼は中米のコスタリカから来た男で古い車を扱い慣れているという、彼が冬休みで国に帰郷する前に車を一度観てもらおうとしている。今度、そのメカニックを紹介してくれる予定。

 南米のエクアドルから来た青年は僕のランクルを見て喜び、直ぐに親しくなった。彼の父親は赤いディーゼルの40系ランドクルーザーを現在も生活の足として使用しており、周りにも古いランドクルーザーは現役で活躍している。

 南米のコロンビアではギネスブックで承認されている世界最大のトヨタパレードが行われた。

 フロリダのマイアミという場所は中南米のハブであるのでそこにFJカンパニーが拠点を持つ事は自然な事である。そしてFJカンパニーの存在を一つのランドクルーザーレストアーカンパニーとして捕らえるのではなくて、中南米全体のクラッシックランドクルーザービジネスとして捕らえて置く方が府に落ちる。FJカンパニーは丁度、砂時計の中心の場所を占める存在。FJカンパニーがアメリカにその基盤を築いた時、それは即ち砂時計を持ち上げてひっくり返した時。即ち流れは既に変わっているのである。FJカンパニーの存在によって今後コロンビアを初めとする中南米にランドクルーザーの関心が動くであろう。市場から消えた古い40や60のパーツ等も中南米に存在する可能性は高い。この様にFJカンパニーはランドクルーザーの関心を中南米に誘う功績をたてたのである。

 

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THE FJ COMPANY 南米 ボゴタ コロンビア

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJ カンパニーのショールムにランドクルーザーが置かれていないのは在庫が存在しないからです。僕はトヨタのプロダクションシステム(TPS) の Just-in-Time を思った。在庫が存在しない理由はFJ カンパニーでは細部に至っての完全オーダーメードの体制を貫いているからである。このショールームにはイメージを伝える為のアルバム写真があり顧客との詳細な打ち合わせが出来る体制を整えている。

 

 ラファエル君がショールームの奥のにあるドアを開けてそこにつながる車庫を見せてくれた。 そこには出来上がったばかりの1960年代中頃の40と1980年代の2台の40系ランドクルーザーがコロンビアから持ち込まれ顧客への納車を待っていた。

 

 ところでラファエル君、工場は何処にあるの? 南米コロンビアのボゴタだ。...正直驚いた! コロンビアと繋がりがある事は噂には聞いていたがそれは車両の調達だと思っていた。マイアミの郊外に工場を持っているものだと思っていたからである。アメリカにはテキサス州のダラス、コロラド州のアスペンにサービスセンターを持っており、カリフォルニア州のスコットバレィには販売とサービスの提携会社が存在する。FJカンパニーでは車両の検索、そしてレストレーションは全てボゴタの工場で行い、アメリカの25年ルールに従って正式に輸入され登録される。彼らの市場は世界であり、その為にまずアメリカで基盤を構築している。

 

 この写真は彼らのホームページから、ボゴタにあるFJカンパニーの工場の一部。 僕はマイアミにおいてこの光景を見る事を期待していた。FJカンパニーの存在はランドクルーザーの歴史(メーカーから観る歴史ではない)における一つの大きな動きを示唆している。その動きと理解を僕自身の見解から述べてみたいと思う。(続)

 

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THE FJ COMPANY ショールーム

2019年12月14日 | 北米ランクルビジネス

 玄関のクリアガラスのドアの前に立っていると建物の奥から一人の若い男が近付いてきた。彼の着ている深緑色のTシャツにFJカンパニーのロゴが印刷されているのをチラッと見て、この建物がFJカンパニーである事を察した。彼の名前はラファエル、挨拶を交わし中に入れてもらい建物の中(ショールーム)を自由に廻っていいという承諾を得る。

 

 ショールームの中はポルシェで埋まっていた。美しくレストレーションされた936や911をはじめ最近の希少モデルもあり建物の中はポルシェ博物館の様でもある。ポルシエ以外は、VWビートルカブリオレ、NSX、ジープワゴニア、ランチアのラリーカー、BMXである。レストレーションが施された車体のボディにはクリアーが塗り重ねられ新車以上に輝いている。アメリカのレストアーされた車体を観てきた経験からすると細部にボディワークの面影を残した隙があったりするのだが、そういった隙が全く無く仕上げられている。また、新しく光沢のある塗装と塗装を施さないパーツとのアンバランスが無い事から、組み付けるパーツにも手を入れているか或いは新しいパーツを調達している。レストレーションされたポルシェを見て彼らが高いレストレーション技術とセンスを持っている事を察する。

 

 ランドクルーザーの展示は壁に掛けられているアルバム、写真、ポスターのみであった。 ランドクルーザーは全て売れてしまってポルシェが売れ残っているのか、或いはフロリダ、マイアミという地形からポルシェがよく売れるのだろうと思いをめぐらす。驚いたのは、ここがFJカンパニーのショールームなのにランドクルーザーが一台も展示されていないとはどういう事?スタッフのラファエル君に訊いてみた。(続)

 

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THE FJ COMPANY 大トカゲのお迎え

2019年12月12日 | 北米ランクルビジネス

 フロリダ州のマイアミにある THE FJ COMPANY (FJ カンパニー)を訪れてきました。訪問する前に自身の頭の中には過去に訪れたランドクルーザーに関する修理やレストレーション工房、或いはパーツショップのイメージが残留しており、その欠片を集めてFJ カンパニーとはこんな感じの場所かなっ、というイメージを描いていた。結果、それらは全て裏切られ否定され新鮮な驚きを得て自信の記憶の中に留まる形となった。

 

 車から降りてGPSで示された住所を頼りに FJ カンパニーのサインを探していると、目の前に長さが70センチはあろうかと思われる大トカゲがいきなり現れ驚いて足が止まった。なぜ、こんなインダストリァエリアにでかいトカゲがいるのか正直びびった。暫くにらめっこが続き互いが不動状態となる。

 

 やがて、大トカゲはにらめっこに飽きたのか、いきなり激しく前進しコンクリートの建物の壁にある穴に自身を隠した。が、頭隠して尻隠さずの状態。これ以上入る隙間がないのであろう。

 

 目の前にはBMW M1 が停まっていた、70年台の後半から80年代の初頭に掛けて生産された2シーターミッドシップ、ボディはFRP製でジウジアーローによるデザイン。当時のスーパーカーブームに便乗する為のBMWの苦作品で生産台数は477台で終わっている。

 

 BMWに見惚れていると建物から人が出てきたので写真を撮らさせてくれる様に頼んでみると、 運転席のドアを開けてくれて座ってみろと薦めてくれる。言葉に甘えて地面すれすれの座席に座ってみた。

 

 

 80年代のVWゴルフの雰囲気で飾り気が無くシンプルで実用的なドイツ車の雰囲気を持っている。座席は低いが狭さは感じない。スピードメータは280kmまで表示されている。

 

 おっさんに聞いてみた。ところで、FJカンパニーという場所を知らないか?英語がたじたじのおっさんが今居るこの建物を指差した。この建物がそうなのか?或いは分からないから中にいる人に訊いてみろ?と言っているのかがよく分からなかった。

 

 表通りに面したガラスから建物の中を覗くと車が並んではいるが、ランドクルーザーは一台も見辺らない。表の看板にはクラッシックモータースと表示されている。 とりあえず中の人に訊いてみようと思い入り口にあるブザーを押した。(続)

 

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CORSETTI CRUISERS

2018年11月04日 | 北米ランクルビジネス

 Brian Corsetti 氏は長年勤めていたTVのホストの仕事を辞める大きな決断をして、昨年2017年に Toyota Lundcruiser FJ60, FJ62 のみを扱う Corsetti Cruiser を立ち上げました。彼は15年間に渡って様々な車種のレストレーションに関わってきたようですが、ここ数年間においてFJ60とFJ62に魅了されてしまいました。彼は現在個人で12台のロクマルを保有しており、北米(世界?)においては最もロクマルを沢山保有している人物です。先月10月には Jay Leno's Garage において取り上げられました。Leno氏は会話を通じて Corsetti氏のロクマルの知識を搾り出します。FJ60は操作感やオフロード走行では優れているがアメリカのフリーウェイ走行においてはFJ62に軍配が上がる。ランドクルーザーのオーナー達はその車体のたどってきた物語、誰がいつどの様に所有してきたのかを知ろうとする。ロクマルはコレクタービークルではあるが現在でも日常生活で通勤等に使用出来る。などのコメントがある。下のビデオの後半はFJ62を駆ってロサンゼルスの郊外をクルーズする光景がすばらしいです。ロクマルのみを扱う新ビジネスが誕生した事はランドクルーザーの(裏の)歴史に新たな記載となります。

 

 

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YOTA

2018年10月14日 | 北米ランクルビジネス

 アメリカ国内の四駆4X4を巡る動きは大河の水が移動する様に絶えず動き流れ続けている。その流れを掴むと言うか把握する事は道を走るSUVやピックアップトラックを追っていても分からない。ではその流れを把握するにはどうしたら良いのであろうか?それは書店に並んでいる雑誌を見るのが好いのである。4X4にも複数の分野がある。ロックからオーバーランダー、ラングラーからディーゼルピックアップトラックス。そういった中で最近は TREAD や WHEELS AFIELD 等の雑誌が目に付く様になった(自分自身の好みも大きいが...)。それは定期的に書店に足を運び雑誌の置いてある位置とか種類等を全体的に観ている感触からそう感じる。先週、書店で大きく目を引いたのは上の写真にある “YOTA” である。TREAED誌の別紙であると思われる。サブタイトルは TOYOTA OFF ROAD ADVENTURE GUIDE である。以前 4X4 GAREAGE から毎年この時期に TOYOTA 4X4 特集が出ていたのを思い出した。今回表紙を飾るのはFJ60である。この誌が4X4雑誌コーナーの中心に配置してあったのは嬉しい感動であった。米国においてはトヨタのオフロードの先頭集団はランドクルーザーでもなければタコマでもない。4ランナーでもない。主流は何かと言えば TRD である。細かく言うと TRD PRO を先頭として、続くのが TRD OFF ROAD、そして TRD SPORTS と続く。YOTA はそういったトヨタの意向をしっかりと理解している。また、OFF ROAD 車はラダーフレーム車という拘りを持っている。アメリカではトヨタトラックは依然として人気であり、トヨタトラックを活用して小アドベンチャー的な活用を模索する人々が増えつつ有るという事を YOTA 誌の存在から感じたのであった。

 

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ランドクルーザーのレストレーションに人生懸けてみませんか?

2018年03月05日 | 北米ランクルビジネス

 TEXAS 州の DALLAS において新たなランクルビジネスが立ち上がった。駆け出したばかりの BLACK DOG TRADER は現在 FOURWHELLER の媒介を使って Do you live to restore Landcruiser? (ランドクルーザーのレストアに人生懸けてみませんか?)と謳ってメカニックやセールスなどの人材を募集している。ランドクルーザー(ここでは40)のレストレーションとは人生を懸ける程の価値や遣り甲斐のある仕事であるという自信と確信があるからこそ、その様に掛け声を掛ける事が出来るのである。また、ビジネスのキャシュフローにおいても人を雇うとなると継続的な収入が必要でありそれが見込めなければ雇用を宣伝し人を採用する事さえ難しい。即ち、ランドクルーザーのレストレーション事業の将来が明るいと見極めなければ人材を集める自信も、人を雇ってビジネスを廻してゆく展望も描けないのである。オーダーメードで希望の40を製作するのはその需要が増えているからである。これは大きな観方をするとアメリカ経済が伸びている事の一つの現象であり、観方を狭めると、新車の40が欲しいという声が続いている事になる。トヨタの公式なランドクルーザーの歴史は生産年と形式で成り立っているのは良く知られている事だ。そして現在、非公式的で表には公表される事は無い裏のランドクルーザーの歴史というのが確かに存在しており、そのページには新車の40の存在が更に書き加えられるのである。

 

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2017 Toyota Landcruiser FJ40

2017年10月30日 | 北米ランクルビジネス

 今世紀は次世代の自動車動力の模索や低燃費、企業においてはコスト削減が自動車産業を取り巻いているが同時にルネッサンスとでも呼ぼうか、過去の時代の復興を自動車で具現化する小ビジネスも確実にその基盤を築いている。半世紀以上に及ぶ世界の自動車生産の歴史の中で様々な条件をクリアーして選ばれる車種というのはとてもラッキーな存在であり、その中の一車種が Toyota Landcruiser である事は今日の結果が証明している。FJ Company はその流れの中に存在を置き新興的な存在でありながら熱い注目を浴びているのは人々の中に有って眠っていたニーズを Landcruiser を通じて呼び起こしているからである。そして、特にFJ40には本物とかオリジナルという形容が相応しい事を確信させてくれた。知っておいて欲しい事は ToyotaFJ40 をもはや生産してはいない。しかし、アメリカのベンチャー企業において今現在新車の Toyota Landcruiser FJ40 が手作業ではあるが生産され続けているという事実である。

 

FJ Company Sports

 

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FJ COMPANY

2017年04月10日 | 北米ランクルビジネス

 We build 'em like they used to.

 

 現行のランドクルーザー200のライバルはトヨタが過去に生産したランドクルーザーである。現在のアメリカにおいて旧車のランドクルーザーが再認されて来ている。それを示すものが値段という数値(バリューを示す)であり、そして新たなランドクルーザーレストレーションビジネスの誕生である。

 FJ COMPANY はフロリダ州のマイアミに拠点を置いて主にランドクルーザーFJ40のレストレーションを行っている。レストレーションとは言っても詳細なオーナーとの打ち合わせで一台一台仕様に合わせて組み上げていくので正確にはオーダーメードみたいな感覚である。外観も性能もFJ40が市場に出た時以上の仕上がりを持って提供されているのであろう。FJ COMPANY はオリジナルFJの美しさを理解しているな、と彼らのサイトから感じる。

 ここで一つ明確にしておくべき事がある。近年ランドクルーザーFJ40の価値が上昇しているのでその気流に乗ってFJ COMPANY がFJ40のレストレーションビジネスは儲かるな、としてビジネスを立ち上げた様に感じるかも知れないがそれは間違っている。ビジネス設立の動機はCalle 兄弟の亡くなった祖父が生前に所有していた1968年と1982年の2台のブルーのランドクルーザーFJ40の存在にある。彼らは祖父が他界した後でこのランドクルーザーをレストレーションした。そしてFJ40の魅力に取り付かれてしまった事がFJ COMPANY を立ち上げた動機なのである。つまり彼らは真のLAND CRUISER LOVER なのです。

 そして彼らはもう一つ別のレストレーションビジネスを行っている。それは主に空冷初期型のナローと呼ばれるポルシェ911のレストレーション(STRAAT)である。世界には数多くのクルマが存在するが四駆ではランドクルーザーFJ40、スポーツカーではポルシェ911を選んでいる。これらの選択は現在と未来において本当のクルマ好きな人々が下す選択なのではないかと感じている。

 

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Landcruiser Restoration

2016年10月13日 | 北米ランクルビジネス

 ノーマルの凛々しさ、冒険心が沸き立つモディフィケーション。ランドクルーザー60系には時間を越えて惹きつけられる魅了がある。カンザス州にある Landcruiser Restoration ではその魅力をレストレーションという手段で表現している様に感じる。ランドクルーザー60は40に続いてレジェンドとして理解されその存在はランドクルーザーという名を憧れの存在として位置付ける。アメリカの中央にランドクルーザー60系のレストレーションビジネスが生まれてきた事を知っておいて欲しい。

 

 

こちらには沢山のビデオ動画があります。

ロクマルの魅力を再確認させられます。

 

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TLC ICON Shop Tour

2014年09月13日 | 北米ランクルビジネス

  ICON を製作するカリフォルニアの TLC は以前の北ロサンゼルスの Van Nuys から SOR(スペクターオフロード) と同じ街 Chatsworth にそのビジネスの拠点を移した。工場はより広くなったが雰囲気はアトリエ的で、4x4だけではなく米欧の旧車も ICON のブランドで復活させている。ICON というブランドは FJ40 から始まったが、今日 ICON は TLC が手掛けた車両を示し、これはブランドとしては特殊な位置付けであると感じる。

 以下は Chatsworth にある新しい TLC の工場内の様子です。

 

 

 ビジネスが発展し需要が増えたという事は、それだけ既存の車に満足していない人が増えたのだろうか?ICON ブランドが定着し信頼が増えた結果でもある。しかし、今後も ICON は少量生産という形を維持する方針。そこには ICON は工業製品というカテゴリーではなく作品でありたいとする意思を感じる。

 TLC の ICON の人気の秘密はオーナーのジョナサンのカリスマ性を表現した所にもある。一流の芸術家は他人から盗んで自分の物にするが、二流の芸術家はただ借りてくるだけと言います。多くの人は意外とその所を分っていて、ICON にそれを感じているのかもしれない。

 

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