ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

夜中のタイヤ交換

2017年09月28日 | ロクマル日記

 2週間位前からだろうか、ランクルのタイヤが気になりだした。ドアを開けてシートに座る前に必ず車体を回ってタイヤをチェックしていた。空気は充分に入っているだろうか?パンク、或いはパンクの兆候はないだろうか?実に説明し難い事ではあるが、近い未来に我がロクマルのタイヤに何かが起こる様な気がしてならなかった。そして昨晩、その予期した期待?に応える様に右フロントタイヤがパンクしてしまったのである。ちょっと不気味な感覚だが、パンクという事が実際に起こった故になぜかほっとする自分なのである。

 

 時計は夜の9時を回って陽は沈んでいる。辺りは住宅街、幸いな事に30メートル程離れた所にしょぼい街灯があり完全な闇ではない。車内からタイヤ交換の為のツールを取り出す。こんな事もあろうかとスペアタイヤにはしっかりと空気を充填し、ハイリフトジャッキは常時携帯していた。しかし問題は暗さである。明るい時とは異なって一つ一つの作業に対してストレスが付随する。それはしっかりと対象を見る事が出来ないからである。

 

 外したタイヤはへこんだまま。しかし、踏み付けると直ぐに元に戻る。暗いとボルトが見難いので今度機会をつくってボルトに蛍光塗料、或いは蛍光色の印を付けて将来パンクが未舗装の闇の中で起こったとしてもボルトの紛失が起こりにくい様に対処して置きたいと思った。それ以外にも闇での作業を考慮した対策は今後の課題である。

 

 作業は30分程で終了したが汗だくである。ハイリフトジャッキ、ランクルのタイヤとホィール, それらの重量は重い。ハイリフトジャッキの重量は20キロ以上である。つくづくと感じた事は日頃から体力を維持する為のトレーニングをしておく必要性だ。タイヤ交換というのは20~30キロの重量との格闘みたいなものである。ランクルに乗り続ける為には有る程度の体力を維持する必要がある。そうじゃなければイザッと言う時に対応が出来ない。今回はタイヤ修理はプロに任せる事になるが今後の課題としてタイヤ修理も視野に入れておく必要性を感じた機会であった。

 

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ザ. トヨタウェイ 

2017年09月26日 | DATABASE

 トヨタについて書かれた本は多数存在している。この 2004年に出版された The Toyota WayJeffrey K. Liker という当時アメリカのミシガン大学の教授によって書かれた本である。この書のサブタイトルは 14 Management Principle from the World's Greatest Manufacture (トヨタの14の経営原則)である。ライカー教授自身がトヨタに惚れ込みポジティブな視線のみで書かれている感はあるが、それでも多くの関係者と意見を交わし、現実の実態を評価してトヨタの姿を文章によって整理しまとめた第3者による著書であり、それはアメリカ人の手によるものである。

 今回この本を紹介したのは最近の自動車事情でトヨタが EV (電気自動車)で他社に比べて遅れを取っている様な報道を沢山耳にするからである。トヨタウェイの14原則その1:短期的財務目的を犠牲にしても長期的な考え方で経営判断する。下流のEVという端末の普及は上流で大量の電力を必要とし、その為には更に原子力発電に頼る事になります。言い過ぎかもしれませんがEVは原子力自動車です。電気自動車を普及させようとする国や組織の根源は原子力推進、或いは依存的なのかも知れません。トヨタの事業哲学を賛美している訳ではなく、EV に反対している訳でもないが、トヨタは周りがEV. EV. EV. とやかましい中でも沈黙を守っている。それはトヨタが出遅れている訳ではなく静観している様でもあり、長期的な視野で EV 捕らえている様に見えてならない。あくまでも業界内部を知らない自分の所感ではある。

 

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空冷ポルシェでカリフォルニアへ

2017年09月24日 | 日記

 出会いがあれば短けり長けり別れが訪れるのが人生なのだ。隣に住むポルシェ愛好者のK君が仕事の移転と結婚が決まって明日の朝、自身の赤いポルシェでニューヨークを発って目的地であるカリフォルニア州ロサンゼルスに出発する。僕の忠告に従って家財道具のほぼ全てを売り捌き、もう一台あったダークブルーのポルシェも手放した。全ての手荷物はポルシェのフロントボンネットの下と後部とサイドの座席に詰め込んだ。先週は自身でブレーキローターをアップグレードするなどの整備を夜遅くまで行いポルシェは絶好調に仕上がっている。この空冷ポルシェで3日間インタースティツを走り通しアメリカ東部から中西部に広がるプレーリーを走り抜ける。2日間を掛けてコロラドの山岳地帯から西に広がる砂漠を抜けてロサンゼルスに入る予定である。僕とK君は車好きという共通点から出会う度に長い立ち話をしていた。そんな彼がいなくなるのは寂しい事だが彼の新しい出発を祝福したい。ランドクルーザーでアメリカを横断するのは最高に楽しい事なのだが、空冷ポルシェを駆ってのアメリカ横断も胸が高まる行程だ。何時か彼と Car & Coffee で会う事を約束をして最後の握手を交わした。

 

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弱点と言われていた現実が見方を変えると利点だった

2017年09月18日 | OVERLANDERS

最新のOutdoor X4 誌 22号に投稿されたオーバーランドコラムニスト Jonathan Hanson氏の記事の紹介。

 今回のコラムは特に私も含めて旧車と呼ばれる古い4x4を愛する人々に対する助言である。現在、彼の一番の愛車は1973年型のToyota Landcruiser FJ40である。FJ40は良く整備されており実用的であるが旧車であるが故に、例えば現在のトヨタの4X4であるタコマや4ランナーと比べると性能的な劣位は否定する事が出来ない。更に、アメリカにおける一部のフリーウェイでの巡航スピードが80マイル/時(約130キロ/時)に達する現在の交通事情は古いランドクルーザーにとっては酷な環境である。現行の4x4と比べて古い4x4(1973、FJ40)の不利なポイント(Disadvantages)は特に以下の3点である。

 

1、They don't like to go fast. (速く走れない)

2、They're loud.(うるさい)

3、They don't have a lot of cargo space.(荷物を積むスペースが狭い)

 

こういう現実を突きつけられてHanson氏は以下の様に回答している。

 

  速く走る必要は全くないよ、55マイルから65マイルで走れるならそれでいいじゃないか。一日に700マイル走らなくても400マイルならば走れるよ。考えてみれば分かる事だが一日に同じ時間を走るとすると、ゆっくりと走るという事は地図をじっくり眺めて考察し目的地の途上にある風景や事に接する機会が増えて色々な事を発見する事が出来るという事だ。

 もし、どうしてもエンジン音や風切り音がうるさいと感じるならば、オートバイに乗る人がやるように耳栓をするのも一つの手だな。

 FJ40は荷物を載せるカーゴスペースはFJ60等と比べると確かに狭い。よって装備はよりコンパクトにまとめる必要はある。2バーナーのストーブではなくて1バーナーのストーブ。水のタンクやプロパンなんかもカーゴスペースが狭いと搭載するのに工夫が必要とされる。テントは大型のスタンドアップテントではなくて4人用のマウンテンテントでいいんじゃないかい。

 

 この Hanson氏のコラムの要点を分かり易く私の理解で説明すると、こうである。(以下)

 

スピード: 速く走るクルマは点と点を繋ぐ移動の為にあり目指す目的地により早く到着する事を好しとする。しかし、目的を点(目的地)ではなくて線(その過程)に持つ事によってその移動期間を重視する事になり、旧車と呼ばれるあまりスピードが出ない4x4はその目的にかなっている。

騒音: エンジン音やミッションの音、タイヤの音や風切り音、これらの音は楽しむべきものなんだ。

カーゴスペース: クルマである事の特質でアウトドアでは暖かい料理に冷えたビール、すわり心地の好いアウトドアチェアなど譲れない物はあるが、スペースに限りがあるからこそ頭を使い工夫をこらす楽しみがある。

 

 古いランドクルーザーの走りというか乗り方というのは線(過程)を目的としたものである。夏が終わって少し涼しくなった今、窓を開けて(音を聞くために)風を感じながらゆっくりと走りたい。何時も走りぬける道の地図なんかもあえて眺めてみるのもいいかも知れない。ゆっくりとした走りを楽しむと言う事が古いランクルの持つDNAなのだ。ゆっくりとした走りを楽しむに最強のクルマ、それが古いランドクルーザーだったのである。

 

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バイスクルトレーニングの本質

2017年09月17日 | 日記

 霧に覆われた静かな日曜日の朝、自転車トレーニングに出かけた。休日の天候が良くないからといって気分も良くないなんて事はなく、ただ単に霧に濡れながら全力で走る楽しい一瞬一瞬である。登り坂で苦しく息が途切れても楽しい、下り坂でのスピードに乗る時も楽しい。他人を追い越す時も追い越される時も楽しい。自宅に帰ってきて汗だくのジャージを手洗いしている時も楽しいひと時である。そうやって何気なく思っていると楽しさや幸福感というのは何かを達成したり欲しい物を手にした事によって起こる心の感情ではなくて、ゴールに至ろうが至らまいが、取得しょうがせまいがは関係なくある心の継続した姿勢であると思った。今日は家事に専念し、明日からはまた仕事の継続だが、この自転車トレーニングでの感覚が応用されるという理解を意識していたいと思う。

 

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31万マイル

2017年09月17日 | ロクマル日記

 週末の買出しに出かけた先の駐車場でふとブルーのランクルのオドメーターに目をやると31万マイルを越えて310013マイルと表示されていた。キロに換算すると約50万キロである。ランドクルーザーロクマルは定期的な整備のみで30万マイルは問題なく走ると言われた2010年の雑誌の記事の如く30万マイルを越えて31万マイルを越えた。ロクマルは機械的にはメインテナンスを怠らなければ今後も大丈夫そうだが問題はシャーシーとボディの錆である。車体は錆の進行で穴だらけであり錆で開いたドアの下部の穴から走行中に気持ちの良い風が足元に入ってくる。夏は宜しいが冬は対策が必要である。50万キロという数字はランドクルーザーの持つ信頼性を裏付けてはいるが、ランドクルーザーというクルマ自体に長く使用するに飽きない魅力あり、オーナーがクルマに対して保守的で新しいものを好まないなどの条件も必要であったであろう。今後もマイレージは加算されて行くが、それは心配事ではなくて歓喜な事なのである。

 

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オリジナル ツール

2017年09月16日 | ロクマル日記

 

 ブルーのランドクルーザーを地元のカーペンターから購入する時に TOYOTA のオリジナルバックに入ったツールも渡してくれた。ランクルロクマルが新車で販売当時の1980年台は車にはツールが付属していたのである。今の時代新車を購入してもツールが付いてくる車種は少ないのであろうと思われる。

 

 付属ツールというのはただ単に車に付いてくるオマケではない。ツールが付属しているという事はそのツールを使用する機会がその車にはあるという事を意味しており、それは人とクルマという機械が部分的に触れ合う事を意味している。付属ツールが無いという事はクルマという機械に対してオーナーの干入を否定しているのか、或いは最近のクルマは出来が宜しいのでドライバーやプライヤーの使用は不要であるとするのかは分らないが、クルマとオーナーの接点となるツールの存在が無視されるのは寂しい事なのではないだろうか。

 

 ツールというのは何か物が壊れた時に修理に使用する道具だと捕らえがちだが、手元にツールがあるとネジの緩み具合を確認したり、クルマの細所を覗いてどの様に、或いはどういったスクリューで絞められているのか等の関心を持つことが出来る。近代の自動車を2種類に分けるとしたらツールの付属しているクルマとツールの付属していないクルマ。或いはクルマにツールの付属していた時代と付属のツールが無くなった時代。という分け方もあるのではないだろうか。それは人とクルマとの接点が多少あった時代とそれが無くなってしまった時代であるとも言える。

 

 旧車が好きだとかランドクルーザーが好きだという区切った理解ではなくて、オーナーと機械であるクルマとの接点が多少ある方が道具として使っていて楽しいと感じる。自分にとっていい車の条件というのは幾つかあるが、その中の一つがツールを通じて多少クルマという機械に対して干渉出来るという接点を持ちえている事であり、これこそが魅力なのである。

 

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Escape from Miami 3

2017年09月13日 | 日記

 Jeep Compass はジープの名を持つがオフロードでの使用は考慮されていないFFクロスオーバーである。時々意味も無くタイヤプレッシャーの警告ランプが点灯し、いつの間にか消えるという癖を持っている。2リッターのエンジンは計算するとリッター辺り10キロ位でありランドクルーザー60に比べると3倍の燃費効率である。今回はこの小型ジープと共に2000キロの旅をする運命になったのである。

 

 9月9日、朝の7時にジョージア州サバナのホテルをチェックアウトして再び北を目指す。ここサバナの街もハリケーンの警戒態勢で街は緊張していた。ホテルも今日から閉鎖して従業員は自宅待機となるらしく、もし一日遅く出発していたら宿泊は困難であったであろう。朝から順調に距離を稼いでサウスカロライナ州を越えてノースカロライナ州に入るともはや渋滞は無いかと思われた。

 

使い込まれているエアストリームです。

避難時はキャンピングカーというのも悪くないかも知れません。

 

ゲレンデワーゲンの蛍光色グリーン、

この色はあまり見ないですね。

 

50年代のコルベットもオーナーと共に避難です。

 

 2台のZCar が並んで走っている。

Nissan 350Z と Camaro Z28 です。

 

バージニア州に入ると交通量が増えます。

追い越し車線から追い上げてくるあのトラックは...、

 

Toyota Tundra TRD です。

存在感があります。

 

付いてっちゃお!

避難中にもかかわらず、路上の車を観て楽しんでいる自分です。

 

ワシントンDCに近付く頃には日が落ちました。

このDC辺りにも沢山のフロリダナンバーの車が走っています。

 ワシントンDCからニューヨークまでは4,5時間だがこの後にDCの渋滞に巻き込まれる事になる。ラジオではフロリダ州最南部のキーウェストが暴風圏に入ったと伝えている。ハリケーンイルマはフロリダ半島の西側を北上し今夜レベル3の勢力でフロリダ半島西部の Tampa の街を襲うとの事。ニューヨークで帰りを待っていてくれている家族に電話をしてハリケーンの脅威からは確実に逃げた事を伝えると、今皆でテレビで野球観戦をしているというではないか、深刻に心配している事を期待していた自分はその期待が外れて大きく笑った。

 

 9月10日午前0時半、今回活用したジープコンパスに別れを告げ鍵を返却した。マイアミを出てから44時間、運転時間は34時間に及んだ Jeep 2000キロの旅であった。自宅に着いたのは午前1時半、ハリケーンの行方が気になったのでニュースを観ようとテレビを付ける。フロリダでは全てのチャンネルがハリーケーンニュースで溢れていたがニューヨークでは違った。今夜が峠だ。マイアミに残っている仕事関係者達が皆無事である事を願った。

 

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Escape from Miami 2

2017年09月12日 | 日記

 9月8日、早朝の2時30分に突然目が覚める。枕元の明かりをつけてモバイルを手を伸ばして念の為に飛行機のスケジュールを確認すると、CANCELD(欠航)と赤い文字で出ている。直ぐに確認の為にアメリカンエアラインに電話を入れるとレコーディングで貴方のフライトはキャンセルになりました。と、昨日手こずりながらブッキングしたボストン経由のニューヨーク行きのフライトは早速水に流れてしまったのであった。

 

 ハリケーンイルマはレベル5の強力な勢力を保ちながらフロリダ半島を目指して進行している。飛行機という脱出機会を失った今、選択は2つしかない。ハリケーンを迎えて通り過ぎるのを辛抱して待つか、或いはレンタルカーを駆って逃げるかのどちらかだ。時間は朝の3時、同じホテルの別室で寝ている仕事仲間に電話を入れる。2回目の電話でダルそうな声で電話に出た。

 

行くぜよ!

今からニューヨークに向かうぞ、30分で荷物をまとめろ!

 

 朝の4時にホテルをチェックアウトした。風のない穏やかな暖か寂しい朝で黒い空には月が浮かんでいた。車のガソリンは本日レンタカーを返却する予定でいたので昨晩長い行列に並んで満タン状態。マイアミからニューヨークまでの距離は1300マイル(約2000キロ)である。最短距離であるインターステイト95番を北に向かう事にする。レンタルカーの契約が運転手は自分一人だけなので飛行機がキャンセルされたと知った瞬間に長い旅路を安全に運転するという決意を固めなければならなかった。

 

ESCAPE FROM MIAMI!

 マイアミを出て1時間程北に走った辺りで渋滞に捕まってしまう。マイアミからの北上ルートの選択は多くはないので同じ行動を取る人々で溢れている。今日の目的地はフロリダ北部の街 Jacksonvill であるが、大渋滞とガソリンの入手に困難があるので先の予測が全くつかない。

 

 半島を出よ!

 95号線はハリケーン到来時の避難ルートである。路肩には沢山の車が停車し小さな子供やペットのケアを行っている。避難行程とはこういう光景なのだなという実を見た。サービスエリアに近づくとガソリンを入手する人々の車の列が影響し渋滞はひどくなるが良く訓練されたハイウェイパトロールのツゥルーパー達が上手に車を誘導していた。避難する人々に対するガソリンの供給も計画的に行われている様子で長い行列には並ぶ事になるがフリーウェイのサービスステーションにおいては売り切れはなさそうである。そういった理由でローカルな下道ではなくて人々はフリーウェイを使っているのだと思った。フロリダ州はその様にハリケーン対策が出来ていると感じた。

 

 フロリダ半島の真ん中の街 Orando を過ぎる頃には渋滞も緩和されてきた。時間はマイアミを出てから既に12時間が経過している。フリーウェイを出てローカルな道も走ってみる。ここオーランドでも多くのガスステーションは在庫のガソリンが売り切れ店を閉めておりガソリンの入手は限定的な状態であった。

 

 オーランドを抜けて Daytona Beach の辺りが最後の渋滞であった。結果、フロリダ半島の北の街 Jacksonvill を抜けて隣接するジョージア州に入ったのはマイアミを出てから15時間後の夕方の7時頃であった。この距離は平常ならば6時間で走れる距離である。半島を出るのに15時間を要した。本日はここから更に北上してジョージア州の Savannahまで走り明日に備えてホテルで休む事にした。長い旅路だがここまで来ると今回のハリケーンの危険性は減少する。しかし、今後は長時間運転の危険性が高まってくる。本日の運転時間は18時間であった。

 

...続、

 

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Escape from Miami 1

2017年09月11日 | 日記

 9月5日の午後、ニューヨーク発のアメリカンエアライン738は東海岸を南下し3時間後には目下にエメラルドグリーンの海岸が続くマイアミビーチの上空を横切って目的地であるフロリダのマイアミ空港に到着した。マイアミはカリブと中南米、そして北米を繋ぐハブでもあり、その魅力的な土地は世界中から人々を引き寄せている。飛行機から降りてロビーに向かう通路では湿気の高い熱気でおおわれ、マイアミの夏はメモリアルディが過ぎてもまだ継続している様子だ。今回もまた仕事でこの地にやって来た。週末には無事に仕事を終えて再び飛行機でニューヨークへ還る予定だが一つだけ懸念材料があった。大西洋の真ん中で発生した巨大ハリケーンイルマ(IRMA) が勢力を維持しながら、ここサウスフロリダを目指して北西に移動している事であった。

 

  ハリケーンの到来予測でガソリンスタンドには長い行列が出来て多くのガソリンが売り切れ状態。スーパーに入れば水は売り切れ食料品が不足しており需要に対して供給が追いつかない状態。マイアミの人々はハリケーン慣れしているのだろうか行動が早い。ハリケーン到来のニュースと街の緊迫感の御陰で気持ちが落ち着かない。

 

 ホテルの部屋の窓から眺めるマイアミの街は穏やかで、良い天気が続いた。6日の夜に一枚の手紙が各部屋に配られた。ハリケーンの到来時においての注意事項である。窓から離れて身を置く事、所持品はバスルームの中に入れる事、停電になる可能性がある事、エレベーターが使えなくなる事、ホテルにある食料品には限りがある事、そして近くにある避難所の住所のリストある。

 

  マイアミビーチでは全ての住人に非難命令が宣布された。ハリケーン到来時には3メートル以上の波がこの美しい海岸の街を飲み込んでしまうとの事。ハリケーン到来時に911に連絡しても助けに行く事は出来ないぞ!と断言された。

 

  週末までの時間を要する仕事を2日で成し終えた。行き付けのラテンレストランの前で見つけたのはライトブルーのランドクルーザーFJ62、For Sale のサインが窓に見えた。近くによって確認したかったが仕事関係者達と同行していたので個人的な行動は控えた。ハリケーンを無事に乗り越えて欲しいと思った。

 

 飛行機の予約を繰り上げ、マイアミ最後の夜を楽しんだ。マイアミ最後の夕食はペルーの海鮮料理 Ceviche (セビーチェ)で乾杯。明日は早朝の飛行機でマイアミを発ってニューヨークに向かう。ハリケーン到来からの避難スケジュールが出来た事から安堵感もありゆっくりと食事を楽しむ事が出来た。今日もマイアミは穏やかで好い天気だった。

...続、

 

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DATSUN 510

2017年09月03日 | VINTAGE CARS

 ワシントンDCからの仕事の帰り道、メリーランド州の駐車場で DATSUN 510 を見つけた。西海岸では今でも時々見る事が出来るが東海岸では特に希少である。この510は人気の2ドアセダンであり1967年から1973年に掛けてアメリカに輸出されてきた車体であり、オリジナルの510ならばL型1600CCエンジンを積んでいる。今の車には見られなくなった角ばったスタイルに目が惹きつけられる。おおよそ生産されてから半世紀を迎え、美しく手入れされた車体は下回りに多少錆が確認出来る事からガレージに座っている車体ではなくて実用的に使用されている様に感じた。

 

 DATSUN 510 には故、片山豊氏が重なる。片山氏には510に対する思い出が沢山あり、当時この型の510を駆ってカリフォルニア中を行くところ道がないぐらいに走り廻ったというエピソードがある。ここでこのDATSUN 510 を頭の中に置いて、もう一度片山豊氏が生前に語った(フエアレィZ40周年を前にして)自動車に対する見解を伝えて置きたい。

 自動車ってものは馬なんだよ、馬に乗った時の爽快な気持ちを感じさせてくれる。そして自動車は自分で走らせるものだって事を忘れちゃいけない。いつの間にか自動車は物を運んだり、人を運んだりするだけの箱車になってしまった。本当の意味での自動車は人間が動かすから『ニンベン』を付けて『自働車』って書かなきゃいけないんだ、それが今の車はラクチンになりすぎて、人間が動かさなくてもいいもんだから『ニンベン』がとれて『自動車』になっちゃんたんだ。動かすという気持ちがあれば安全に運転出来るはず。そうすれば、ほとんどの車が使う事のない安全装置を山ほど付ける必要もなくなるんだから。そういう意味でZは馬でなくててはならないと思うね。 ... 片山豊

 

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