ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

気持ちのいい休日ドライブのために

2022年06月02日 | ランクル ドライブ

 ロクマル維持の為に行っている休日の早朝のドライブであるが、いつの間にかロクマルは僕の中で実用車からドライビングカーへと存在位置を変えてしまった。最近そう感じ出した時に、もう一つ内面的にロクマルに乗るための心得みたいなものが存在している事に気が付いた。それは、旧車であるロクマルのドライビングを週末の早朝に愉しむ事によって、一週間のストレスから解消されて気持ちを入れ替える事が出来る、という概念に異議を感じる結果となっている。自身の中で休日の早朝にロクマルドライビングを愉しむための心得というのは、一週間のストレスを保持したままロクマルを駆ってはいけない。これが条件となっている。ストレスを溜めない為には毎日やるべき事をやりきる、仕事も私事もその都度小さな結果を積み重ね、負債を残さない終日のあり方が問われる事となる。これを簡単に説明すると、休日の朝にロクマルドライビングを愉しむ為には平日のあり方こそが重要であるという事で、これが本質なのである。

 

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ロクマルサンライズドライブ

2022年05月02日 | ランクル ドライブ

 晴れた休日の早朝ドライブは自分の中でロクマルの楽しみ方の一つを確定した習慣となっている。早朝のドライブを楽しむという行為は、誰も見ていない、人との接触もほとんど無い。旧車とかスポーツカーを所有している立場からするとそれに乗っている自分を見て欲しい、そしてかっこいいと言ってもらいたい。そんな魅せたい気持ちがあるものだ。しかし、休日の早朝ドライブとはその気持ちと欲に封印する。休日の早朝ドライブとは孤独な世界を愉しみ嗜む男の美学の追及行為なのだ。その時間は、自身とロクマルとの関係を繋ぐ物語となる。日常の中の非日常であり、クルマの持つ実用機能に距離を置いた愉しみ方であると思っている。別の観点から観るとコソコソしやがって、昼間に堂々と運転しろ!と思われるかも知れない。早朝はある程度スピードが出せる。ロクマルの窓を開けると春の冷気が忙しく進入してくる。音楽は聴かない、ラジオはオフ状態。2Fエンジンの音、トランスミッションとデフ、タイヤが拾い上げるノイズが風切り音と混ざり、そこに燃焼したガソリンの匂いが加わる。これら全てが心地良さの正体である。

 

 健康生活の為に太陽の光を浴びる事が良いと聞く。特に早朝の新鮮な太陽光は体に良いと言っていた。結果、早朝のランクルサンライズドライブは心と体に良い行いなのである。

 

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イマジン

2022年03月13日 | ランクル ドライブ

 3月ももう直ぐ半ばだというのに寒い日々が続いている。朝日が昇ってくるパリセードパークを一人でランドクルーザーに乗って北上しながらジョンレノンのイマジンを口ずさむ。レノンの声をイメージしながらも、現実は他人の前では披露出来ない音痴な音程である。平和とは何か?平和とは戦争と戦争の間にある時間帯の事だとある人が語っていたのを思い出す。今までレノンのイマジンは社会主義の理想を歌にした様に思っていたが、この歌は主義を超えた究極の理想を描いた想像の様だ。具体的にイメージすると日本の縄文時代を形容した歌詞である。世界は平和とは対極にありイマジンは言葉の通り想像として存在している。20世紀は戦争の時代であったと言われるが21世紀の最初のクウォーターもそうである。ニューヨークではパンデミックが落ち着いてきたなと思って一息入れていると、原油の高騰によりインフラが加速し、世界的に不安なニュースが社会を覆っている。このような時世に個人で出来る事などしれている。外の空気は春の気配を運んで来ている。今人はただイマジンを口ずさみながらアクセレーションを加速させるしかない。

 

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雪道運転の守り神

2022年01月11日 | ランクル ドライブ

 先週は大雪に見舞われた。ランドクルーザーに乗っていると大胆に雪道を走る実力があると思われる。実際にトルクのあるランクルは多少深い雪道でも雪の障害を押して走る事は出来るが、その半面コントロールを失って滑り出したらその制御は難しく危険である。雪道では滑らないように走る事がテクニックとなる。今回の大雪時の運転ではランクルを滑らせない様に終始慎重に走った。慎重な運転を心がける事が出来たのは、雪が積もる前日に濡れた路面が凍った直線道路でいきなり後輪が滑り出し、真横に傾いたままカウンターを切り続けて何とか止まってくれて済んだ。という怖わーい経験があったので、大雪の当日は前日の恐怖心が制御力となって働き雪道での暴走を制御してくれたのであった。雪道でランクルを制御出来たのはハイテク機能やドライビングテクニックではなくて、心の動き(ビビリ)であった。これでよかったのである、ランクルは滑るぞっ!というビクビク感が安全運転に貢献してくれたのであった。寒冷地での凍て付いた道や積雪時の運転は何が起こるか分らない。自分はよくても他車が突っ込んでくるかも知れない。雪道の運転にどんだけ慣れたとしても、恐怖心(ビビリ)を根に置いて置く事が雪道運転の守り神となるのである。

 

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眩しく輝くイルミネーション

2021年10月26日 | ランクル ドライブ

 ニューヨーク郊外朝の7時過ぎ、昨夜の夕方から降り続いている雨は予報では今夜遅くまで降り続くらしい。雨天の暗闇を運転する度に感じる事は、近年のLEDヘッドライトの光は雨の日には眩し過ぎるという事である。LEDヘッドライトの光は往来のヘッドランプの光とは異なる特性を持っている。その特性とは雨水との光の同化が起こるという事。具体的には濡れた路上を覆う雨水にヘッドライトが反射して対向車が大きな光の玉の様になって近付いてくる様にみえる。ランクルのフロントガラスに付いた水滴一つ一つにLEDランプの光が当たると水滴は光を吸収し、LEDランプをそこで灯したかの様に水滴が一斉に発光する様に見える。運転中の視界の中にある全ての水がライトの光源ではないかと感じさせられる現象である。よって、対向車が近づいて来た時には特に注意が必要であり、自分の前に広がる前方の視界を見失ない集中力が求められる。

 LEDヘッドライト普及によって雨の日の闇は危険な時間になるという認識はまだ世の中にはなさそうであるが、僕はこういった経験から眩しい光の中に潜む闇を感じている。雨の日の暗闇を運転する時に遭遇する白く眩しく輝くイルミネーションが天国からのお迎えとならない様に、雨の日の運転には眩しさを回避する為の視線の置き方等もドライビングテクニックとして追加される時代が来ている。

 

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雪道運転における隠れたリスク

2021年02月05日 | ランクル ドライブ

 今週のニューヨークは2年ぶりの大雪です。二日連続で降り積もった雪は路肩に駐車したランクルを埋めてしまいました。マニュアルのギアを四駆のローに入れて車体を前後にゆすり自力での路肩からの脱出を試みましたが、今回の積雪の量に対してはランクルでさえ脱出不可でした。この現象から積雪は近年では多いのだと推測出来ます。仕事仲間3人に車輪前後の除雪を手伝ってもらい、最後にはランクルを後ろから押してもらい、やっとこさ路肩から脱出する事が出来ました。人力の有り難さを感じる機会であった。

 

 雪が無ければ30分程の自宅までの移動j時間であるが、その倍以上の時間を費やした。四駆の状態でギアは2速か3速、エンジンブレーキを酷使し続ける。車道からクルマが消えた。この深い雪の中を移動しているのは除雪車と四駆の機能を持ったピックアップトラックのみである。街の郊外ではあるが移動中は10台のクルマとすれ違ったかどうかの記憶である。

 

 路肩からの脱出は難儀であったが、路肩への駐車は一人で深い雪を掻いての作業なので更に難航した。通常は車での移動という行為は主体的な観点ではないのであるが、大雪になると、この移動という行為が主体的な生活のアクティビティとして浮上する。なぜならそこには、時間と労力がつぎ込まれるからである。人々はこの時間と労力を無駄と捕らえ、更に運転に対するリスクの回避に努める。雪道での運転とは単にドライビングテクニックの事だけではなくて、車両の雪落しとスコップによる除雪の労力、更に運転に対するリスクへの対峙と主管の総合的な要素が含まれてくる。この行為を、楽しい!と思う事が出来るならば、雪道は貴方の事を友達として捉えてくれる。ただし、この人間社会では変態(クレィジー)として捉えられるので、この要素は雪道運転における隠れたリスクとして理解しておきたい。

 

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裸のドライバー

2020年07月31日 | ランクル ドライブ

 

 真夏の暑い日が続いている。暑さ故に、或いは仕事によって疲れを感じた時には、夕方に時間を取って森の中を走るようにしている。こんな暑い時に走ると更に疲れるんじゃないのかと言われるが、そんな事はない。疲れというのは、心と思考と運動の程好いバランスが崩れた時に感じる現象で、適度な運動をして汗流す事によってバランスが修復されると実感している。

 夏の季節は多くの人々が海水浴に出かける。海辺の砂浜で体を投げ出して潮風に包まれて目を閉じている時に、なんとも言えない心地良さがあるのは、海辺という自然環境の中に裸の身を置く事によって体と自然が共振し、人間が大自然の一部であるという本来の自覚を取り戻す機会なのではないかと感じる。同じ様な感覚で、最近はシャツを脱いで(上半身裸で)森の中を走る事に居心地の良さを感じている。マッチョな体型ではなく、セクシーさも無いおっさん体型なので絵にもならなければ、映画のワンシーンの様にもならない。ただの自己満足の世界ではあるが、野生に還った様で、忘れ去られようとされているネイティブアメリカンの気鋭な感覚のようなものを感じる事が出来る。

 最初は裸になるのに抵抗があったものだが、最近はランニングの後に裸のままランクルに乗り、裸で帰宅するという有様である。慣れと言うのは恐ろしい。紳士的というイメージの逆の立場にあるのが野生的という立場なのかも知れないが、夏を楽しむ、夏を自分のものにするにはこれが一番なのである。ランクルの窓を開けて裸で運転するという行為は、一見、クーラーの利かない車に乗るエクスキューズ(暑さしのぎの行為)に見えるのであるが、実は最高に贅沢なランクルドライブなのだと思っている。せっかくの夏、楽しまなければもったいないな。

 

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サファリパーク

2020年07月28日 | ランクル ドライブ

 休日に家族で郊外のサファリパークに出かけて来ました。夏というアクティブな季節ですが、今年はコロナの影響で行き先は限定的となっています。全ては携帯のオンラインで予約し、支払いもカード決算で済ませてしまいます。便利と言えばそうですが、味気なく流れ作業的な感覚に慣れなければ時代から取り残されれるのでしょうか?当日は30度を越える真夏日でした。(汗)驚いたのは、同じ事を同じ事を考えている人々が多いらしく、サファリパークは終始大渋滞でした。お金を払って渋滞に巻き込まれに来たのか?みたいな感覚はありましたが、久し振りに家族で出かける機会を持てた事は有意義でした。動物達も暑さを感じているらしく、池に浸かっていたり木陰に身を寄せている光景が多かったです。公園を一回りするのに1時間ちょいと聞いていたのですが、結果2時間半程の時間を費やしました。(汗)ランドクルーザーで公園内を廻るのは雰囲気がマッチしていいですね。 

 このサファリパークでは車の窓を開ける事は禁止されていました。多くの監視員が配備され常に監視の目を光らせています。実は、我がランクルはエアコンが効きません。(汗)監視の目を盗んでは窓を開けて走っていましたが、基本窓は閉めた状態でした。過酷なサファリパークツアーとなり、汗びしょとなりました。より思い出に残る機会であったであろうという事です。サファリパークを廻り終えて車の窓を全開にした時、爽やかな風が車内に入って来ました。夏ってこんなに涼しいのかって思いました。(汗)

 

 公園内を乗客を乗せて廻るオープンエアなオフロードトラック。払い下げられたミリタリートラックを改造した様な造りです。コロナの影響でこれらのトラックは全て使用されておりません。夏のサファリパークに冷房の効かないランクルで挑むのは、景色はサファリパークだが、実態はボルネオジャングルツァーの様な感じでした。(汗)

 

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自由を感じるランクルドライブ

2020年04月14日 | ランクル ドライブ

 ランクルに乗り込み、直ぐに座席の横のクランクレバーを回して窓を全開にする。少しの間エンジンを温めて走り出す。誰も見ていないのであるが、カッコ付けて左手の肘を窓枠に乗せて指をハンドルに掛けて右手でギアを入れ変える。明るい太陽の下、春の陽気が嬉しい。(サングラスが欲しいな)制限速度気持ちオーバーで街を流す。コロナによって街の道は空いている。こうやって走ると、全く気取りの無い古くややくたびれたランドクルーザーのクルージングには神がかった自由を感じるのである。車は新しくてはいけない、きれいに手入れしすぎていてもいけない、難しい観点だが、普通のトラックがちょうどいい。2車線の道になると高級なベントレーがメルセデスが優雅に追い越して行くが、残念ながらドライブのこの瞬間を楽しんでいるのは誰よりも僕自身であるという優越感を感じているが故に比較する気にもならない。春の明るい陽気、広葉樹の森、そよ風、窓枠に肘を掛けた運転姿勢、そして、錆の回ったランクル。全ては程好く調和している。ランクルのアクセルを踏んでいる時間はコロナという現実を忘れさせてくれる。もうちょっと乗っていたい!という按配で自宅に到着する。エンジンを止めて、ドアをカシャンと閉めると気持ちの区切りが付く。囚われない自由な感覚。ランクルに囚われているのは囚われない自由を体感する為なのだと思うと納得がいくね。

 

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雪道運転x0,8

2020年01月18日 | ランクル ドライブ

 寒波が続き、今日のニューヨークは今年最初の雪に見舞われた。雪が降りはじめると辺りはあれよあれよと白く染まり、車の走る路上には圧雪が敷かれ僅か30分程で環境は変わってしまった。雪により舗装道はドライビングテクニックが必要なスリッピーな道となり、雪道に遭遇して胸を躍らすのはランクル乗りの心境である。エンジンを始動させて暖気の後に誰もいない駐車場の真ん中辺りのバージンな雪上で、ハンドルを思いっ切り右に切ってアクセルを強く踏み込み雪煙をたてて後輪を滑らせ180度のターンを決める。この過激な行為が積雪の日の一つの楽しみとなっている(汗)。楽しんだ後は気持ちを落ち着かせて、帰路につく。走行スピードは前後の車間距離も考慮するが、もう少しスピードを上げても自分はこのランクルを上手くコントロール出来るであろう、という感覚に対して、マイナス20%、即ち8分目程の按配で走行する事を心掛ける。逸る気持ちを抑える走行スピードであるが、この辺の感覚を意識する事が大事である。そんな気持ちが雪道運転のコツ、テクニックではないかと感じる。滑って路肩に突っ込んだり事故を起こしている車には四駆も多い。そんな光景を横目で見ながら、ランクルで雪道で滑って突っ込んだりしたらカッコ悪りぃなぁ、と思いながら、雪道での運転は8分目位でいいという正統性を自分に言い聞かせるのであった。

 

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Blue Ridge Parkway

2019年10月17日 | ランクル ドライブ

  1936年に開通した Blue Ridge Parkway は全長469マイル(755キロ)の長さを誇り、バージニア州とノースカロライナ州をまたいでいる。このパークウェイの特徴は長い東アパラチア山脈の尾根を貫通している所にある。自分が確めた最高高度は3400フィート(1030メートル)であった。資料によると高度600から1200メートルの標高を縦走する道路である。今回はパークウェイの北部の一部(バージニア州)を南から北に向かって走った。当日はコロンバスディの休日で秋の晴天に恵まれた。交通量は決して多くはなかった。巡航スピードは60から70キロ位である。ハーレーダビットソンにまたがるライダー達が気持ちよさそうに風を切りすれ違って行く。途中、目先のコーナーを曲がってこちらに近付いて来た一台の車には目を疑った。それは老人が駆るフォードのT型モデルであった。遅いだけあってT型モデルの背後にはクルマが数珠繋ぎの状態であった。

 バージニアの自然は緑が美しく眩しかった。それは何処となく日本の山々に似ている。車内には音楽が流れていた。ブルーリッジの山脈を背景に聞くと心が躍る曲、Country Roads です。

 

John Denver, Country Roads

 

 

 

  今回走った道はパークウェイ全体の8分の1程の距離であったがそれでも十分に長く感じたのは展望場所が沢山設けられている所にある。このパークウェイはぼちぼちと走る様な仕掛けに満ちていた。パークウェイを降りるとそれは下山に等しく天界から下界への降臨の様で現実に戻るという感覚であった。名曲、カントリーロードが現在も子供から年配の方まで広く口ずさまれているのは人々の意識の深層に故郷(ふるさと)が存在し、そこは自然に恵まれた野山、水のせせらぎ、小鳥の歌声、そよ風と太陽。そんな地球の母性の懐に包まれ安泰を感じながら永遠に暮らしたいとする魂の渇望であろう。逆に言えば人間はそんな故郷が存在するからこそこの現実に向き合う事が出来る。これからも時々カントリーロードを歌う時このブルーリッジマウンテンの光景が日本の故郷の景色と重なって浮かんでくるであろう。そういった映像を得た事が今回の旅の一つの収穫であった。

 

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オンロードドライビング

2019年03月28日 | ランクル ドライブ

  春に向けてランドクルーザー60のライトを新しいものに交換した。組み付ける時はパーツを一つ一つ磨き出来る範囲で汚れを落した。クルマというのはこうやって時々手を入れて簡単な作業を行うのが所有の喜びの一つである。ライトを交換したのは夜道を明るく照らすためでもあるが、広葉樹の森の中を抜けるハィウェイを走り抜ける為でもある。それは、他の車から見て走っているランドクルザーがよりかっこ好く映る事を意識している。

 自宅を出て北に向かうと直ぐに Fort Lee という小さな街がある。そこの短いメインストリートを抜けてマクドナルドの店を通り過ぎた所にあるのが Palisades Interstate Parkway というハイウェイの入り口である。Palisades Interstate 公園の中を南北に走るこのハイウェイは全長61.5キロの長さがある。トラックやバス、商用車は走行禁止であり、緩いワインデングと起伏が続くこの道は乗用車とオートバイにとっては最高のドライビングコースである。

 ランドクルーザーFJ60は未舗装地を走る楽しみもあるが同時に起伏とワインディングの自然環境に恵まれたコースを一人でマニュアルシフトを駆って走り抜ける事の楽しさをも与えてくれる。その運転の次元とは生活の為の移動とは切り離された世界であり、豊かな自然と、そこにある道をリスペクトした姿勢がランドクルーザーを駆るというドライビングなのである。車好きな男達の苦悩とは精神的な充実感を車に求めているのに、現実の課題としてその車を生活に活用しなければならない所にあるが、そういう境遇を拭い捨て車と自然が自身と一体化する時に心は充実感を感じる。パークウェイを降りて自宅に到着しキーを戻した時、自身の中に明日からの活力が充填されている事に気が付く。

 

 

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樹氷の朝

2019年03月08日 | ランクル ドライブ

 三月に入っても寒い日が続いている。体が寒さに慣れてしまったのか、寒さがそれ程苦にならないと感じるこの季節は春が近いという前兆である。冬の殺風景な広葉樹の森に雪が積もった日の早朝は樹氷が美しい。そんな中をランドクルーザーのステアリングを握ってワインディングを駆け抜ける時ドライビングの醍醐味を感じる。冬季は特にエンジンの始動時から走行、そしてブレーキング、全てにおいて緊張感が伴う。ランドクルザーFJ60は最近の快適な車とは違って走る事に集中しなければいけない。エンジンやトランスミッションの音、そしてロードノイズや風切り音、このノイズや軋みこそが車を駆る事の楽しみそのものなのである。しかし、最近の車から見るとそれらは否定的要素である。静かさや温調、スクリーンやサウンド、そして様々な制御に対する快適性の向上が重視され、結果、車内でのモバイル操作にも拍車が掛かかっている。良い車とは快適な車だという信仰は大衆の洗脳に成功した様である。そんな事をちらちら考えながら、樹氷の森の中を飛ばす。室内は寒いままで音楽は走行ノイズであるが、運転そのものが楽しい。車の楽しみとはここにある。走りながら、走り終わって、一人でニヤニヤしている自分。

 

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雪国のハッピーアワー

2019年03月02日 | ランクル ドライブ

 圧雪の雪道をランドクルーザーで走る。雪が積もっているからといって四駆に入れている訳ではなく、FRで走り抜ける。スピードを落してステアリングを回し90度に交わる道に入って行く。ハンドルを切って曲がる途中に一瞬時間が止まり、二つの選択のオプションが提示される。このままゆっくりと確実に曲がってしまうか、或いは、アクセルを少し踏んであえて後輪を滑らし、ハンドルでカウンターを切ってドリフトして立て直して行くかである。道が狭かったり他車の存在がある時には迷わず冷静に滑らせないように曲がってゆく選択をする。全ては自己責任である。今朝は仕事先の駐車場に一番乗りで入った。誰もいない新雪の駐車場に入って少し強くアクセルを踏込みハンドブレーキを引きながらハンドルを切る、ハンドブレーキを戻してハンドルを切ったまま押さえ込み継続してアクセルを踏み込むと、ランドクルーザーは雪煙をたてながら後輪を滑らせ360度のドリフトを決める。駐車場に出来たドーナツ型の轍を観て快感な気分になる。雪道では滑らない様に走らせるテクニックと、滑らせて制御するテクニックがあるのであろう。滑らせないテクニックは意識され実践されているが滑らせるテクニックは野蛮な行為に見えるかもしれない。だが、滑らせるテクニックを時々意識しておく事は、いざ雪道で意図しない滑りに合った時に心臓の鼓動を乱さないでいられよう。雪道での Fun to drive を安全に制御出来る事がランドクルーザーに乗る者の使命なのである。

 

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視界のいいクルマとは

2019年02月15日 | ランクル ドライブ

 

 クルマのステアリングを握った時に、視界がいい、という事は車の運転においてとても大切な要素である。では具体的にどんなクルマが視界の良いクルマなのであろうか? 近年、様々な機会に新しいクルマを運転するが、何時も自身が運転しているランドクルーザーに比べると視界が悪く運転に不安の要素が有る。太いフロントピラーには死角が生じ、ギアをバックに入れるとスクリーンに後方の映像が映し出されるが、それは言い換えればスクリーンに光景を映さなければ後ろが確認出来ない設計であるという事である。視界のいいクルマは街中でもオフロードでも運転に安心感が伴う、徳大寺有恒氏に代弁していただくと、『視界のよいクルマとは、たんにフロントガラスを通じて景色が広々と見えるということだけではない。もちろんそれも大事だが、もっと大事なのはボディの四隅がはっきり確認できるという事だ。』座席に座ってステアリングを握った時にボディの四隅が確認出来るクルマが視界のよいクルマである。とおっしゃている。ランドクルーザーに乗ると安心感があるが、それは車体の大きさやエンジンのパワーからくる要素だけはなくて、四隅がしっかりと確認出来る事からくる運転のしやすさが安心感や取り回しの良さに繋がり、人々を引き付ける要因の一つになっているのではないかと思っている。

 

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