ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

朝からコーク

2021年06月27日 | CAFE RACER

 時間は朝の9時を回ったところ。昨日の夕方の通り雨が路面を濡らし湿気の伴う初夏の朝。路上から跳ね上げたのであろう腕に張り付いたミミズを振い取り、マスクを付けないでいつものカフェへ。昨年から続いたコロナとそれに伴う都市封鎖やマスク着用義務等の本質が医療や健康の懸念以上にポリティカルイッシュー(政治対策)であったと理解されつつある今日、マスクよさらば!の展開に拍車がかかりコロナの終焉がやってきたかの様な兆しである。おそるおそるマスクを付けないでお店に入ってみると、店員をはじめ誰もマスクを使用していなかった。事態の急激な変化に躊躇するのであった。

 湿度の伴う暑さ故に汗が滝の様に流れる。太陽の下で男がギラギラと輝くというのはこういう現象の事なのである。冷えたコカコーラを手に木陰に休息の場を求める。最初の一口は精神に効き心の鎮圧を促進する。二口目は中学生時代の夏休みのプールの帰り道での道草を思い出す。そして、三口目から喉の渇きが癒される。コーラには中毒性があると言われているが、それは僕にとっては当たっているようだ。また、コーラは体に悪いとされるが、精神的にはいい飲み物だと納得している。今年の夏もコークを飲んで乗り切りたい。コークを美味しく飲む為に自転車に乗って汗を流しているというもの正解の内である。 

 

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BIKES BREAKFAST

2021年05月05日 | CAFE RACER

 この5月の初旬がニューヨークに住むオートバイ愛好者にとって最も愛するべき季節なのであろう。毎月最初の日曜日の朝にニューヨークの郊外のカフェで静かに開催されているBIKES BREAKFAST の集いには、先月と比べても多くの愛好家が集っていた。このゆるいイベントは流動的で、入って来ては出て行くを繰り返し始まりのサインもなければ終了のサインもない。革ジャンをまとった大男達がラージコーヒーを片手に他人のオートバイを観察して廻る親睦会である。集うオートバイの殆どが大型でビンテージとブランニューが混ざり、オンもオフも関係なくブランドも国籍も多様である。

 

 このイベントにわざわざ足を運んだ訳ではない。自転車トレーニングの折り返し地点がこのカフェであり、休憩を兼ねて駐車しているオートバイの隙間を興味本位で彷徨ってみる。今回は、非常に程度の良い30年以上前のBMW GS DAKAR が印象的であった。

 オートバイ愛好家達には共通の気質がある事を感じた。それは、この場に集うバイク野郎達が誰もマスクを付けていないという事であった。確かにニューヨークでは状況は緩和の方向に向かっており、市長の方針では7月からノーマルに戻すという方針計画である。しかし、心理は別の次元にあるらしく、オートバイに乗るのにはマスクは似合わない。マスクによってフリーダムな気分が損なわれるのは価値観に反する。そんな空気が漂っていた。我々はマスクの要らない世界を短期間で失ってしまった。オートバイがフリーダムを象徴するものであるとすれば、一枚の小さなマスクはフリーダムを打ち消す存在の様に感じる。昨年からの伝染病の蔓延によって、束縛、統制、監視、規制、恐怖、強制、不自由、等の心理的なバイアスが人間社会にマスクという象徴と共に重く停滞した。僕はまだ毎日マスクを使用しているが、この小さくて軽い一枚のフィルターは、ものとしては吹けば飛ぶ様に小さいが、存在としては大型バイクよりも大きくて重い存在であると感じた機会であった。

 

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CAFE RACER

2020年10月13日 | CAFE RACER

 CAFE RACER(カフェレーサー)というカテゴリーを追加しました。カフェレーサーとはオートバイにおける改造思想という事であるが、僕の場合は自転車のロードレーサーで体力維持の為のトレーニングで汗を流し、折り返し地点のカフェで自転車を降りて夏は冷たいコーク、秋から春に掛けては熱いエスプレッソコーヒーを楽しむという行為を示している。クルマではスピードを出すという行為が苦手なのであるが、事自転車においてはより速くを目指している。レーサーという横文字よりも暴走という雰囲気が合い、暴走族という集団ではなく暴走独である。時々仲間や家族と一緒に走るが一人で走る事も好きだ。一人で走って風になって季節感を味わい、無になって瞑想の世界を彷徨い自身の中に潜む自己とのたわいのない会話を楽しむ。

 先週のある日の午後、3時間半程の往復の時間に右ハンドルの日本車を6台目撃した。トヨタのハイエース、スバルのインプレッサそして日産スカイライン(全て8代目)である。スカイラインは3台がつるんで走っていたのともう一台はこの折り返しのカフェに入ってきたシルバーの4ドアスカイラインである。運転していたのは20台の若者でスカイラインの紺色のTシャツを着ていた。声を掛けると1990年型だとの事でGTRではないがエンジンに手を加え、運転する度に高悦感を感じるとの事でアドレナインが高めであった。こういった現象からアメリカにおける準日本車の存在感が高まってきている事を感じた。そんな現象に足をそろえる様にアメリカにおける日本の旧車価格は既に高まっている。日本の古い車は安いという価値観は既に崩壊した。アメリカで右ハンドルの旧日本車は存在感が異次元で、かっけー!という驚嘆は刺激となり車好きな人々の心を既に捉えている様子である。

 

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