ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

年越しそば

2014年12月31日 | 日記

 2014年が終わろうとしている。今年はなかなか前に進む事が出来なかった、具体的に言うと停滞を強いられた年でもあった。しかし、多くの事を学ぶ事が出来たと思っているので悔いは全く無い。今年はニューヨークに住みだして16年目にしてやっとこの街が好きだと感じた年でもあった。今までこの街に違和感を持ち続けて来た、気候も風景も人々も嫌いでは無いのだが、自分は何処か旅人気分であり続けたのだ。この街を見る目を変えて行った要因の一つは仕事にあると思っている。ただ目の前の仕事の課題をこなしている内に、いつの間にかニューヨークという街が自分の手の平に乗っているんじゃーないか、という感覚を持ったりもしている。

 

 

 付き合っているのはニューヨークという街だけではなく、来年(2015年)には製造されてから30年を迎えるランドクルーザーFJ60もそうだ。週末に乗る趣味のクルマではなく、仕事の通勤に使用する実用車でもある。僕はこのランクルのステアリングを握る度に多くの景色をそのフロントガラスに観ている。それは過去に走った荒野の景色(思い出)であったり、まだ走った事がない異国の世界(夢)であったりする。多くの人にとっては自動車通勤(移動手段)だが、僕にとっては毎日が冒険チックでもある。

 ニューヨークでの年越しはテレビでタイムズスクエアの中継を観るというのが常連である。今年はこれから年越しそばをつくろう、材料は揃っている。年の区切りが近づいてきたので急ぐ事にする。ではまた、来年! 良い年末、年始をお過ごし下さい。

 

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マツダロードスター (人馬一体)

2014年12月29日 | NEW CARS

 

ロードスター(マツダミアータ)はそのまま日本語にすると、路上の星というのだろうか?

星と言うのは地上から見上げると気流の加減でキラキラと煌めく存在である。

そして、その輝いた印象は意外と頭の中に残るものなのだ。

 

1993年の初期型マツダロードスター。

このロードスターには物語がある。

そしてその物語の結末は、我々に深い示唆を与えてくれる。

それは、人と車との関係である。

 

この12月にある仕事の関係で出会ったのが隣の街に住むI氏である。

このロードスターは実に特殊な一台である。

このロードスターはI氏自身の手によって製作された。

 

ほとんどのパーツは徹底的に走りを極める為に慎重にセレクトされた。

国内(アメリカ)には存在しない多くのパーツを日本から取り寄せた。

 

エンジンも基本はノーマルだが、圧縮比を高めるなどのチューニングが施されている。

 

ワンオフで製作されたパーツも多くあり、

ほとんど全てを自らの手で削り加工し組み上げた。

 

グロッシーな塗装は外注ではなく、自宅のガレージでの作業である。

元の色はブラック。

オリジナル塗装は全て剥離し、

地の鉄板を磨き込んでガレージの中に塗装ブースを設けた(DIY)。

 

ロードスターはドンガラとなり、

そこから慎重に部品を組み込んでいった。

レストレーションという表現は当てはまらない、

古い車(1993年)という表現も不自然に感じる。

1993年のロードスターを材料にして、

自分が求める車を作り込んだ。と、表現するのが相応しいのであろう。

 

トランスミッションは6速。

クラッチは重い、

エアコン無し、パワステは取り外した。

 

ダッシュボード等の多くの内装は初代のロードスターの物ではなく、

セカンドジェネレーションの物を好みで装着している。

それもあってか、古さを全く感じない。

外装のディープブルーと内装と幌のベージュの色が似合って、おしゃれでもある。

 

乗ってみた、

まさに、スポーツカーです。

その操縦感は音と共に魂を揺さぶります。

やばい!感覚。といえば分かりやすいかもしれませんね。

 

多くの人が、欲しい車は買うものだと思っていませんか?

お店に売ってある物の中から、欲しい物を見つけるのが車選びだと...

 

実は、それは選択の一つだったのですね。

欲しい車は造り上げるものです。

メーカーに対する不満などは論外ですね。

 

ロードスターを形容する表現とは、

“人馬一体”

 

これを経験すると、人は更(次)なる次元を求める様になる。

 

I氏がおっしゃるには、

もう僕は満足しました、思い残す事は何も無い。

車を極めるとこの境地に行き着くのだなと思った。

 

全てをやり尽くしたあっさりとした気分。

執着(拘り)を持って製作した結果、拘り(執着)が昇華されたという事。

 

一つの物を極めたら、人もクルマもスッキリしているんだな。

それはまた澄み切った夜空の星の瞬きのようでもある。

 

アメリカNo.1のロードスターです。

...

 

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タッチ一本火事の元

2014年12月27日 | 日記

 ペンシルバニアから来たトレーラー(18輪トラック)の運転手が不自然な歩き方をしているので、どうしたんだ? と聞くと、大きな交通事故に巻き込まれたんだ、と。フリーウェイでの走行中に前を走る車が接触事故を起こし、後続していた車が次々と巻き込まれ自分が運転していたトレーラーも路肩に車輪を外す事になった。6台の車が同時に事故を起こしフリーウェイは遮断されてしまった。自分は衝撃で背中と腰を打ってそのまま一週間の入院となった。幸い命には別状はなく仕事にも復帰する事ができたが、こうして歩くとまだ痛むんだよ。事故の原因は先行車のドライバーが運転中に電子モバイルを使用していた事にある。モバイルという小さな道具を使用するにあたって、その時と場所をわきまえなければ、そのシッペは痛い物となると言う事だ。その行為は指を動かすという小さな事だが、それ故に人の命さえ不意図に奪ってしまう。タッチ一本火事の元なのである。

 最近、ある会社のマネージャーの方とお話をした。その方は人事と採用をも担当されている方でもあり、最近の動向を伺う機会に恵まれた。マネージャーがおっしゃるには新しい人を雇用するにあたっての項目として、最近は更に一つの事を懸念する様になった。それは、電子モバイルの使用頻度だそうだ。仕事の休憩時間にモバイルに触れるのは構わないが、仕事中にちょくちょくとモバイルを弄る癖のある人、こういう人は試験採用期間中に辞めて頂く事にしているとの厳しい姿勢。

 地図を調べたりコミュニケーションを図ったりと便利なモバイルだが、そういったネガティブな実情や危険性も使用においては重なっているのが現実である。僕の周りを観てもモバイル愛用者は多く、巧みな使用者は実にスマートにも写る。そして、こういう現在のモバイル人気をどう捕らえたらいいのだろうか?と、考えてみた時に。これは、この時代における挑戦ではないだろうかと思ったりしている。それはモバイル等を否定する事ではない。これはこういう時代の中にあって、いかに自分自身を失わないかという事である。スマートにモバイルを使うという事は多様な機能を多く駆使出来るという事ではなく、使用を主管出来る意思を持ち得ているという事である。

 更に僕の場合は現在のハイテクに付いていけない要素もあるので、それもまた挑戦でもあるのだが...。

 

毎朝、チョークを引いての暖機を強いられる。

それはそれでいい、そんな事に自分らしさを感じたりもするのだから...?

エンジンが温まる数分間の間、モバイルに触れる。

数分間の待ち時間はあっという間に過ぎてしまう、ついつい時間が経ってしまう。

 

タッチ一本過時の元ですなぁ。

 

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食事は40に

2014年12月22日 | OVERLANDERS

 アメリカの旧車コングロマリッドであるHEMMINGSに載せられた、エクスペデッション7の主催者グレッグミラー氏とのインタビューの記事の中に面白い内容があったのでここにメモしておく事にする。全体の記事と写真はこちらににあります。その中から印象に残った内容が以下です。

KE – If you were to participate in the same adventure again, what would you do differently?

 グレッグさん、あなたがもし、次回にもう一度同じ旅をするとしたら、今度は何を変えたいですか?

GM – We had the right vehicles and we had the right equipment, but there are three things I’d change. First, at least one team member would have to bring a guitar, because the absence of music around the campfire was noticeable. Next, I’d bring a portable scanner and printer to produce the documents necessary for each border crossing; we had a printer, but the absence of a scanner became an issue for us. Finally, I’d place a greater emphasis on team meals; on this trip, many were eaten out of boxes, bags and cans, with no sense of formality. It sounds frivolous, but I’d bring a tablecloth, napkins and utensils to do more formal dinners. That’s something the British always got right on their expeditions.

 我々は旅に相応しい車両(Land Cruiser 78)そして相応しい装備を備えた。これに対しての異議は全くないよ。しかし、次回また同じ旅をするとしたら3つ程変えたいと思っている。まずは音楽。チームの中の誰か一人でもギターの弾ける奴がいたら夜のキャンプファイヤーも、もっと忘れがたいものになったろうなぁ。そして実際に必要性を感じた物がポータブルなプリンターとスキャナーだ。これがあると各国境越え時の書類準備に役立つね。そして最後に強調したいのがメンバーとの食事の時間だ。旅だからという事でどうしても缶詰類やレトルト食品に頼りがちになる、そしてお腹が満たされればそれでいいって事でガツガツ食って終わりだ。しかし、それじゃダメなんだな、次回からはフォーマルな食事の為に、テーブルクロス、ナプキン、そしてテーブル用品をキチンと揃えるよ。それは英国人が彼らの旅行の時に食事をフォーマルに行うのも、まんざら意味が無いって事ではなかったって事だ。食事時はフォーマルだよ40!

 エクスペデッションの旅には一部フォーマルな姿勢を取り入れたい。こうする事によって旅は更に豊かなものになるはずです。

 

...僕が言うのではなくて、世界を走ってきたグレッグさんがおっしゃっているのです。

 

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New York City X's

2014年12月17日 | NEW YORK

 ニューヨークという街には世界中から(いな)かっぺが集まっている。そしてそこには様々な価値観が乱雑しているが、ある人はそれを多様性と呼ぶ。そういう多様性を放置しょうが選択しょうがそれは自由である。この街では隣人は肌の色も容姿も宗教も価値観も異なるが、異なるのが当たり前であると多くの人が思っている。そういう実態が互いの干渉を少なくするので、ある人は暮らしやすいと言う。またある人は価値観が異なるので暮らしにくいと言う。クリスマスシーズンがやって来た。街にはイルミネーションが溢れ、そこいら中でクリスマスソングを聴く。仕事や生活の中にある乱雑な価値観はこの時期クリスマス、あるいはホリディシーズンという大きな流れの中に飲み込まれてしまっている様だ。

 先日は車内で討論が起こった。ハンドルを握るのはキューバ系アメリカ人、後席に座っているのはトルコ系アメリカ人、そしてパッセンジャーシートに座る純日本人の僕。話題は中東とアメリカとの関係から発展し、モスラム(イスラム教徒)とカソリック(キリスト教徒)に発展し、段々と声のボリュームが上がってきた。アメリカでは互いの宗教に関する話題は文化的な行事事程度で、価値観などあまり深い所までは突っ込む事はないのだが、仲がいいのか悪いのか?キューバ人とトルコ人の価値観の対立となってしまい、それは背後にある宗教というものが遠因になっているらしい。この議論は並行的で収集がつかず、喧嘩をしている訳ではないが、お互いが疲れてきた様子。

 ところで、お前はどう思う? 途中から視線を流れる車窓に向けて、面白い車が走っていないかを期待している僕にそんな事を聞いてくる。どうせ日本人は宗教や宗教観には関心が無いのだろう、意見なんて持っていないだろう。みたいな感を持って聞いているのだな、と感じた。

 

俺の意見を言っていいのか?

結構...まじめな空気が漂う。

じゃー言うが、俺は世界には三種類の宗教しか存在していないと思っている。

 

3...???

 

まずは、自分の信じている神のみが正しいと信じている人。

そして、神は呼び方は違ってもみな同じだと理解している人。

最後は、神は他ではない自分の中にいると認識している人。

 

だから君達、モスレムもクリスチャンも同じ種類だろっ。

 

車内は静かになった。

これは、俺の説得力に伏したのか、あるいは的が外れた馬鹿馬鹿しい意見に失望したのか、それは分からない。

あるいは、ただ疲れただけなのか?

 

...時間は夕暮れになった。

 

コーヒーでも飲もうか? 僕が言った。

OK! OK!

 

通り道にマクドナルドがあったので車を止めて中に入った。

 

コーヒーを飲みながら、話題が途切れたのをみて。

 

ところで、さっきのコントラバーシー(議論)は終わったのか?

と、二人に聞いた。

 

何の事だ?と、キューバ人。

眠気覚ましだったんだ!と、トルコ人。

...

結構シリアス(真面目)に感じていたのは俺だけだったのか、よっ!

 

...ジングルベルの空気はそれら全てを丸め込んでしまう様子。

クリスマスまであと一週間、ニューヨークのクリスマス(シーズン)は今盛り上がっています。

 

New York Christmas by Rob Thomas

 

いろいろあったっていいじゃないか、

だって、

ニューヨーククリスマス!

 

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アメリカン ランチ

2014年12月09日 | OVERLAND CAFE

 

 ハンバーガーとポテトフライ、...それにコーラ。

 アメリカでは何処でもあるベーシックな基本メニューである、故にシンプルな美味しいハンバーガーとポテトに出会うと嬉しい気持ちになる。美味しいハンバーガーとポテトに出会う為には、それまでにいくつものあまり美味しいと感じないハンバーガーとポテトを食している必要があるのだ。つまり味を対比してみて美味しいバーガー(店、メニュー)が浮かび挙がってくるという事。そして美味しいバーガーはやはり他人に聞いても美味しい(Very Good!)と言う。 

...が、

 

ご飯、豆類、肉

 これは、ニューヨーク市でラティーノ(南米人)のやっているデリでの昼食の日替わりメニューである。彼等にとって食事とはこういうものを食するという事なのです。南米人は家庭的な食事を好みますね。人生というのは暮らしの事です。つまり、食楽至(くらし)。そして、食べ物は人を幸福にします。なぜなら美味しいものを食べると嬉しい気持ちになるからです。

 

 毎日の昼食は楽しみでもあり、めんど臭さもあります。最近一つの発見をしました。

 昼食時になると誰でもお腹が空きます。家からお弁当を持参していない時は何処かで食事を購入する為にお店に入る事になります。そうした時に、『今日の昼食は美味しかったな、満足できたなぁ。』という感覚には法則の様なものが有るようです。これは、外食が美味しいと感じる法則、とも呼べそうです。あくまでも個人的なアメリカという地域での結果(反省)論に過ぎませんが...。

 

 外食が美味しいと感じる法則は蟻(アリ)の社会の構成数字と同じです。

 即ち、蟻の社会とは積極的な働き者の蟻達は20%、そこそこ働く蟻が60%、サボる蟻達が20%という集団である。つまり20:60:20で、比率にすると 1:3:1 となる。月曜日から金曜日までの5日間に渡って昼食の為にお店に入ると、一度は大変満足するが、一度は後悔すると言う事です。そういった意味で毎日美味しい物は食べれない様になっている、あるいは、同じ物を食べてもいつもは美味しいと感じないという事になります。

 

 じゃー、美味しいと感じる食事を多くするにはどうしたら良いのか?

それは、長生きをする。が答えです。

ですから、毎日の食事というものが大切になってくるという事です。

 

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内的蓄積 外的蓄積

2014年12月08日 | VINTAGE CARS

 “蓄積” という言葉に対して感じた事があるので自身の中にまとめておきたい。

 旧車と呼ばれる古い車と新しい新車、いったいどちらが多くの蓄積を持っているのであろうか?と。

 

 分かりやすくランドクルーザーを例に出す。

 新車の200はネームバリューと共に、技術的や構造的にも多くの蓄積を持っている。それはランドクルーザーという車種の歴史が半世紀以上に及ぶので、日本車としては深い蓄積の先端にある存在であるのは分かりやすい。

 

200には多くのビジブル(目に見える)な最新技術が満載されている。

外的な蓄積を蓄えている。

 

 一方、40となるとどうであろうか?200と比べると明らかに物理的な蓄積は無い。しかし、40はこの世に存在した時間の長さ故に年季が入っている。つまり、40に有って200にはないもの。それは、この世に長く存在しているが故に多く愛された実績が存在している。あるいは愛情が蓄積されていると語る事が出来るのではないだろうか。

 

40の持つ蓄積はインビジブル(目で見ることは出来ない)。

それは、愛されて来たという内的な蓄積である。

 

 こうして見ると、ランドクルーザーという車種をくくると、そこには2種類の(内的.外的)蓄積が絡み合っている。そして、それらの蓄積を総合して車種が持つ伝統として理解する事も出来る。

 また、200的蓄積は工場の生産ラインで出来るものなのだが、40的な蓄積は現在の工場で生まれる事は無い。それは時間(年月)と人々によって築かれるものであるからだ。

 こういった理解があると(やや屁理屈的かもしれないが…)自信を持って40をはじめとする古いランドクルーザーが良いという風に語る事が出来る。そして、何が良いのかをも説明が付く。そこには最新設備の工場では決して生産する事が出来ない蓄積という実績を持っているからである

 

先週末、ある旧車のコレクターの現場を訪れた時にその場で感じた所感をまとめてみました。

 

 

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アウトドアーズ アイテム

2014年12月07日 | LANDCRUISER

 

 来年2015年のクール(Cool Cruisers of Texas)なカレンダーには、TLCA (Toyota Land Cruiser Association) が毎年四期事に発行する会員誌 Toyota Trails の2013年秋号の表紙を飾ったコロラドナンバーのランドクルーザーFJ60が印刷されている。この60はよく観るとボディの色は深みがかった緑色である。ルーフにはルーフキャリアとルーフテント、そして60のボディカラーと同色のカヤックを積んでいる。

 クールクルーザーは今までお姉さん(セクシィ)やカーボーイ(男らしさ)を主に40系ランドクルーザーの存在イメージとして重ねて活用してきた。それは、40に乗っている男は、男らしく美女からもてる。というイメージキャラクターが内包されている。そして、そいう40に対する(キャラクター)イメージは元から有ったものではなくて、こういったクールクルーザーのようなランドクルーザーを愛するアメリカ人の存在によって形成されてきたのではないだろうか。

 

 さて、来年のカレンダーにランドクルーザー60が用いられているが、そのイメージは40の物とは異なる雰囲気である。

 では、60の持つ(イメージ)キャラクターはどのように表現されているのであろうか? 60の持つ雰囲気とはズバリ!大自然、アウトドアーである。このイメージは60の持つシンプルなワゴンを大自然が展開するその端っこに置くと、違和感なくスーッと調和して解けていく様な感覚がある。

 ランドクルーザー60はアウトドアー派の象徴的なアイテムと称される日がそれ程遠くない未来の先にやってくるのではないだろうか。

 

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