ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

冬季自転車ロードトレーニング

2019年12月29日 | 日記

 今年最後の休日の朝、寒さを覚悟で自転車のロードトレーニングに出かける。僕にとって自転車に乗る事の難しさとは、重いギアを速く回す事や上り坂での持久力ではなく、自転車に乗るトレーニングを継続し続ける事である。仕事が忙しく時間的な余裕の無い時、そして冬の寒い日の朝におけるやる気のスイッチの入力等においては意志と少しの工夫が必要なのである。今年のクリスマス前の商戦期に結構高い買い物であったが冬季用の新しい自転車用防寒ウェアーを揃えた。

 今朝の外気は3℃、日中は最高7℃位まで気温は上昇するらしいが、お昼頃から雨になる予報。新しいウェアーに身を包み雨が降り出す頃には帰宅する予定で走り出す。自転車のトレーニングを継続させる為には時々こういった投資(新しい道具を購入する)もいい動機付けになるなと自分を納得させてみる。一時間程北に向かって走っていると小雨が降りだしサングラスに水滴が付きだす。まだ空は明るいので小雨のままであろうという判断で折り返し地点まで到着した。帰路も小雨が続いている。小雨が続く事により道は黒く濡れ700Cのタイヤが跳ねるしぶきを浴びる様になる。自転車と新品のウェアーにはねっとりした冬の水と泥が付着した。走り終えてペットボトルの水で自転車を洗い、濡れたウェアーを乾かしながらも気分は爽快であった。寒いと出掛けるのが億劫であるが、その気分を押して走り終えると気持ちの良さに支配される。灰色に汚れが付いた黒い新しいウェアーを見ながら、寒い冬に新しい防寒ウェアーを身にまとって走る事は贅沢な事だが、その新しいウェアーを躊躇する事無く汚す走りは贅が極まる行為なのだと思った。とりあえず、新しいウェアーを入手する事によって億劫な冬季自転車トレーニングのネジバネが強く回される事になったという事である。冬の冷たい空気が好きになるかも知れない...。

 

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6th Gen. FORD F-250

2019年12月26日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 

 デルリオでの朝、宿泊したホテルの玄関前に一台のフォードFシリーズが停まっていた。これは1970年代の6代目F-250である。テキサスと言えばカーボーイが浮かんでくるが、そのカーボーイ(car boy) が駆るピックアップトラックとは勝手ながらこんなトラックがピッタリ来る様な気がする。そしてこの光景は1970年台のアメリカ西部の田舎の光景を連想させる。全体を見る限りノーマルである事から、生命力の強いサバイバーである。

 

 テキサスでの滞在期間に沢山のピックアップトラックを見たがこのF-250が一番かっこ好かった。それはショールーム的な美しさではなくて生活実用的な美しさを秘めていたからである。古くても良く使い込まれているトラックにはインスパイアーが有る。

 

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地平線に沈む太陽を追いかける

2019年12月25日 | 日記

 テキサスのサンアントニオの街中から90号線をほぼ真西に3時間半程車を飛ばすと、メキシコとの国境に位置するデルリオという小さな街がある。サンアントニオを出発したのが夕方の4時、空は好く晴れている、そこから進路を西に取って制限時速75マイル(時速120キロ)の標識の続く90号線をやや制限時速オーバーで走り続けデルリオを目指した。道はとことん地平線の直線で、その先には沈み行く太陽が眩く光っており、その後赤く燃えて地平線の彼方に隠れてしまい、デルリオの街に到着する時は辺りは既に深い闇におおわれた。今回、この3時間程の走りがおもしろかったのは、西に沈みゆく夕陽を西に向かって時速130キロのスピードで追いかけ続けると、美しい夕陽を少し長く体験出来る機会を得たという事である。

 

 サンアントニオの街を抜けると直ぐに広く広大な光景が展開します。

 

車両の数を数える事がおっくうな大陸横断鉄道の貨物列車とすれ違います。

 

いよいよ本日のメインイベントである、太陽追っ駆けが始まりました。

 

途中中継の町Uvaldeで軽い帰宅ラッシュに捕まります。

 

時間は6時前、地理的に南緯である事もあり自分が住んでいる北緯と比べて日照時間は長い。

 

渋滞を抜けました、太陽を追え!

 

スピードメーターを見ると時速140キロです。少しスローダウン、安全第一。

 

車線の数がシングルとなりましたが、それでも制限速度75マイル(120キロ)です。

 

陽が沈み空が徐々に青くなります。

 

美しい光景です、地球を感じますね、ラジオはオフです。

 

大地に闇が訪れる頃、空は一瞬蒼く美しく染まります。

 

地球の鼓動を感じました。

 

空の蒼さは萎み、闇が訪れます。今日の日(陽)よ、さようなら。

 

 やがて、闇の向こうにデルリオの街の灯りが見えてきました。

 

時間は夕方の7時半を廻った所、運に任せてそのままレストランに足を運びます。

 

 メキシコの国境とはいえテキサスです。ステーキが安くて美味しいです。

 

 今年の冬至開けの朝の日の出をニュージャージー州にあるリバティ空港のロビーで迎えた。沢山の人が流れていたが今日が太陽の誕生日である事を理解している人は居なかった様に感じた。冬を迎えたこの季節、アメリカではサンクスギビングとクリスマスの大きなイベントがある。どちらも一年を通じて重要な行事であるが、どちらが大切か?と尋ねられると僕自身はクリスマスと答える様にしている。なぜならはそれは冬至明け(太陽の誕生日であり区切り)であるからだ。全てはこの天上を回る太陽から始まっているのである。今日、クリスマスの日に夕陽と朝日をテーマにしたのは空気の様に当たり前過ぎる太陽の存在を一年に一度、認識する為であった。

 

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テキサス アメリカン ガスステーション

2019年12月21日 | 日記

 12月のアメリカ南部、ルイジアナ州とテキサス州を仕事で廻って来ました。ヒューストンの東の郊外、東西に走るフリーウェイ10号線の途上で休憩と給油の為に寄ったガスステーション(ガソリンスタンド)があまりにも巨大で驚きました。ヒューストン周辺はオイルとガスをはじめとするエネルギー産業によって栄ている広大な地域です。そのヒューストンの港に接した Bay Town という街にこの巨大なガスステーションは存在しています。

 

 給油はDIYです。広い敷地で空が曇っている事もあり端の方はよく見えませんが、フューエルポンプ(給油口)の数は、なんと192ヶ所です。僕が今まで訪れたアメリカのガスステーションの中でこれ程でかい場所は見たことがありませんでした。世界最大ではないでしょうか? 流石、エネルギー産業の中心地です。

 

 ガソリンスタンドに隣接しているグロッサリーストアーも、ここはスーパーマーケットか? と、勘違いする程の広さが有ります。トイレの広さも数も空港なんかよりも全然多く、待つという事を知りません。

 

 テキサスらしい御土産も沢山有ります。

 

 ハンバーガー等のファーストフードは勿論、ケーキやスィーツ、スナック等は実に充実した品揃えです。その中でも驚いたのはビーフジャーキー(干し肉)の品揃えです。20を超える様々な形や色、味付けが有り、量り売りとなっています。この光景がテキサスそのもの、これこそアメリカンです。

 ガソリンを入れてコーヒーを買って15分位で済むはずが店の中をうろうろして30分の時間を費やした。地元テキサス人と話をすると、テキサスの住民はこの Buc-ee's を知らない人はいないという。更にこのシンボルのビーバーは人気物でテキサスではミッキーマウスよりもよく知られているという事であった。

 

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THE FJ COMPANY 可視化した中南米のランドクルーザービジネス

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJカンパニーを出て頭の中を整理する為にキューバ人がやっているカフェに入った。

 ニューヨークに住むアメリカ人の友達は20年前の四駆に乗っている。彼は自身の車を修理整備する為に自宅の近くで腕のいい整備士を探し続けていた、彼は現在のアメリカでは古い車をきちんと修理整備出来るメカニックがいないとぼやいていたが最近いいメカニックを見つけたという。彼は中米のコスタリカから来た男で古い車を扱い慣れているという、彼が冬休みで国に帰郷する前に車を一度観てもらおうとしている。今度、そのメカニックを紹介してくれる予定。

 南米のエクアドルから来た青年は僕のランクルを見て喜び、直ぐに親しくなった。彼の父親は赤いディーゼルの40系ランドクルーザーを現在も生活の足として使用しており、周りにも古いランドクルーザーは現役で活躍している。

 南米のコロンビアではギネスブックで承認されている世界最大のトヨタパレードが行われた。

 フロリダのマイアミという場所は中南米のハブであるのでそこにFJカンパニーが拠点を持つ事は自然な事である。そしてFJカンパニーの存在を一つのランドクルーザーレストアーカンパニーとして捕らえるのではなくて、中南米全体のクラッシックランドクルーザービジネスとして捕らえて置く方が府に落ちる。FJカンパニーは丁度、砂時計の中心の場所を占める存在。FJカンパニーがアメリカにその基盤を築いた時、それは即ち砂時計を持ち上げてひっくり返した時。即ち流れは既に変わっているのである。FJカンパニーの存在によって今後コロンビアを初めとする中南米にランドクルーザーの関心が動くであろう。市場から消えた古い40や60のパーツ等も中南米に存在する可能性は高い。この様にFJカンパニーはランドクルーザーの関心を中南米に誘う功績をたてたのである。

 

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THE FJ COMPANY 南米 ボゴタ コロンビア

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJ カンパニーのショールムにランドクルーザーが置かれていないのは在庫が存在しないからです。僕はトヨタのプロダクションシステム(TPS) の Just-in-Time を思った。在庫が存在しない理由はFJ カンパニーでは細部に至っての完全オーダーメードの体制を貫いているからである。このショールームにはイメージを伝える為のアルバム写真があり顧客との詳細な打ち合わせが出来る体制を整えている。

 

 ラファエル君がショールームの奥のにあるドアを開けてそこにつながる車庫を見せてくれた。 そこには出来上がったばかりの1960年代中頃の40と1980年代の2台の40系ランドクルーザーがコロンビアから持ち込まれ顧客への納車を待っていた。

 

 ところでラファエル君、工場は何処にあるの? 南米コロンビアのボゴタだ。...正直驚いた! コロンビアと繋がりがある事は噂には聞いていたがそれは車両の調達だと思っていた。マイアミの郊外に工場を持っているものだと思っていたからである。アメリカにはテキサス州のダラス、コロラド州のアスペンにサービスセンターを持っており、カリフォルニア州のスコットバレィには販売とサービスの提携会社が存在する。FJカンパニーでは車両の検索、そしてレストレーションは全てボゴタの工場で行い、アメリカの25年ルールに従って正式に輸入され登録される。彼らの市場は世界であり、その為にまずアメリカで基盤を構築している。

 

 この写真は彼らのホームページから、ボゴタにあるFJカンパニーの工場の一部。 僕はマイアミにおいてこの光景を見る事を期待していた。FJカンパニーの存在はランドクルーザーの歴史(メーカーから観る歴史ではない)における一つの大きな動きを示唆している。その動きと理解を僕自身の見解から述べてみたいと思う。(続)

 

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THE FJ COMPANY ショールーム

2019年12月14日 | 北米ランクルビジネス

 玄関のクリアガラスのドアの前に立っていると建物の奥から一人の若い男が近付いてきた。彼の着ている深緑色のTシャツにFJカンパニーのロゴが印刷されているのをチラッと見て、この建物がFJカンパニーである事を察した。彼の名前はラファエル、挨拶を交わし中に入れてもらい建物の中(ショールーム)を自由に廻っていいという承諾を得る。

 

 ショールームの中はポルシェで埋まっていた。美しくレストレーションされた936や911をはじめ最近の希少モデルもあり建物の中はポルシェ博物館の様でもある。ポルシエ以外は、VWビートルカブリオレ、NSX、ジープワゴニア、ランチアのラリーカー、BMXである。レストレーションが施された車体のボディにはクリアーが塗り重ねられ新車以上に輝いている。アメリカのレストアーされた車体を観てきた経験からすると細部にボディワークの面影を残した隙があったりするのだが、そういった隙が全く無く仕上げられている。また、新しく光沢のある塗装と塗装を施さないパーツとのアンバランスが無い事から、組み付けるパーツにも手を入れているか或いは新しいパーツを調達している。レストレーションされたポルシェを見て彼らが高いレストレーション技術とセンスを持っている事を察する。

 

 ランドクルーザーの展示は壁に掛けられているアルバム、写真、ポスターのみであった。 ランドクルーザーは全て売れてしまってポルシェが売れ残っているのか、或いはフロリダ、マイアミという地形からポルシェがよく売れるのだろうと思いをめぐらす。驚いたのは、ここがFJカンパニーのショールームなのにランドクルーザーが一台も展示されていないとはどういう事?スタッフのラファエル君に訊いてみた。(続)

 

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THE FJ COMPANY 大トカゲのお迎え

2019年12月12日 | 北米ランクルビジネス

 フロリダ州のマイアミにある THE FJ COMPANY (FJ カンパニー)を訪れてきました。訪問する前に自身の頭の中には過去に訪れたランドクルーザーに関する修理やレストレーション工房、或いはパーツショップのイメージが残留しており、その欠片を集めてFJ カンパニーとはこんな感じの場所かなっ、というイメージを描いていた。結果、それらは全て裏切られ否定され新鮮な驚きを得て自信の記憶の中に留まる形となった。

 

 車から降りてGPSで示された住所を頼りに FJ カンパニーのサインを探していると、目の前に長さが70センチはあろうかと思われる大トカゲがいきなり現れ驚いて足が止まった。なぜ、こんなインダストリァエリアにでかいトカゲがいるのか正直びびった。暫くにらめっこが続き互いが不動状態となる。

 

 やがて、大トカゲはにらめっこに飽きたのか、いきなり激しく前進しコンクリートの建物の壁にある穴に自身を隠した。が、頭隠して尻隠さずの状態。これ以上入る隙間がないのであろう。

 

 目の前にはBMW M1 が停まっていた、70年台の後半から80年代の初頭に掛けて生産された2シーターミッドシップ、ボディはFRP製でジウジアーローによるデザイン。当時のスーパーカーブームに便乗する為のBMWの苦作品で生産台数は477台で終わっている。

 

 BMWに見惚れていると建物から人が出てきたので写真を撮らさせてくれる様に頼んでみると、 運転席のドアを開けてくれて座ってみろと薦めてくれる。言葉に甘えて地面すれすれの座席に座ってみた。

 

 

 80年代のVWゴルフの雰囲気で飾り気が無くシンプルで実用的なドイツ車の雰囲気を持っている。座席は低いが狭さは感じない。スピードメータは280kmまで表示されている。

 

 おっさんに聞いてみた。ところで、FJカンパニーという場所を知らないか?英語がたじたじのおっさんが今居るこの建物を指差した。この建物がそうなのか?或いは分からないから中にいる人に訊いてみろ?と言っているのかがよく分からなかった。

 

 表通りに面したガラスから建物の中を覗くと車が並んではいるが、ランドクルーザーは一台も見辺らない。表の看板にはクラッシックモータースと表示されている。 とりあえず中の人に訊いてみようと思い入り口にあるブザーを押した。(続)

 

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車は記憶の中で生き続ける存在

2019年12月07日 | LANDCRUISER

 2ヶ月前、ニュージャージー州北部のガソリンスタンドに隣接したリペアショップでランドクルーザーHJ45のトルーピーがサービスを受けていた。ガソリンを汲む間車を離れてそのトルーピーを覗いてみた。オセアニアで使い込まれていた様な雰囲気で屋根は無く、ドアはアフターマーケットのアルミの切り出しでロールバーがごつい。エンジンはノーマルデーゼルであった。建物の中にいるショップのオーナーらしい眼力のあるイカツイおやじと目が合って挨拶をする。そこには2人のカップルがいて雑談中であった。彼らはこのHJのオーナーではなかった。この店のオーナーは洋の東西を問わず旧車をよく知っている様子で、旧車を持ち込む御客も多く8割方はアルファロメオとかフィアットのイタリア車であるとの事であった。ゲストの夫人が口を開いて、あんたどんな車に乗ってるのっ?て聞いてくるから、85年式のトヨタ ランドクルーザーだと答えると。隣にいた男性がひょっとしてブルーのやつか?と聞いてくるので、そうだ!と答えると、笑いながら、我々は知ってるよ、エッジウォーターに住んでるだろっ!僕は驚いたと同時に複雑な気分であった。ブルーのランドクルーザーはやはり目に付くのだな、世の中狭い。特に車に関心のある人、自分だってそうだが、例えば赤いランドクルーザー60とすれ違うと、あれはマウアウという町のあの辺の住宅に停まってたな、黄緑と白のFJ55を見かけると、あれはラムジィという町のあそこにカバーを掛けて保管されていた車体かな、等、関心の有る対象に対しては非常にシャープな記憶力を保持しているものだ。古いランドクルーザーに乗っていると、観られている覚えられていると意識しておくべし、正確には車が覚えられているという事である。僕はこのHJ45トルーピーを忘れないであろう。

 

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テンカラ釣りとフライフィッシング

2019年12月06日 | 日記

JOHN GIERACH  Photograph by C.D. Clarke

 John Gierach という人を知ったのは今年の夏号のOutdoor X4 誌においてのHanson 氏のコラムであった。彼は現在のアメリカで最も有名なフライフィッシャーマンである。彼の知名度が高いのは彼が小説家であり既に20冊を超えるフライフィッシングにまつわる小説を出版している実績があるからである。現在もコロラド州の山中に住みフライフィッシングをする為に小説を書き、小説を書く為に釣りにはまった毎日を送っている。Hanson氏が彼の名前を挙げて紹介したのはGierach氏の生活スタイルにHanson氏自身が感銘を受けたからである。ではGierach氏のいったいどういう所に感銘を受けたのであろうか、それは清貧で質素なライフスタイルを楽しんでいるからである。

 沢山の作品を残し多くのファンを持つGierach氏の生活とはどんなものなのであろうか?彼に付いて語られた文章やビデオを見てその生活を表現するとこんな感じである。家は質素な小さな建売の小屋である、聞く所によると雨漏りがするそうだ。生活と釣りに使用しているのはピックアップトラックで同じトラックを15年間以上使用しているとの事。僕が見た所、今世紀初頭のニッサンフロンティアではないかと思う。では、なぜ人々は質素な生活に驚くのであろうか?アメリカで釣りにまつわる小説作家と言えば、文豪アーネストへミングウェイが浮かび、彼が暮らしていた豪華な家がイメージされる傾向にあり、そこに人物を重ねてしまう。また、フライフィッシングというのは元々英国における貴族紳士のたしなみでそのイメージが残留しており、庶民的とか古いピックアップトラックではそのイメージからずれてしまう様である。

 また、Gierach氏は近年テンカラ釣りを行っている様子である。フライフィッシングはイングランド、スコットランド、アイルランド等のあまり高い山の無い丘陵地帯の比較的穏やかな川で発展してきた釣りであるのに対して、テンカラ釣りは日本の険しい山の上流から中流で行われてきた毛鉤釣りである。ロッキー山脈の渓谷においては日本で養われてきたテンカラ釣りが本領を発揮する場所である様子だ。Gierach氏のライフスタイルをフライフィッシャーマンとするとアンバランスかも知れないが、テンカラ釣り師とするとバランス良く収まる様な気がするのは僕だけであろうか。Gierach氏のおかげでテンカラ釣りがアメリカで静かに普及し始めている様子である。

 

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ランドローバー レストレーション マニュアル(虎の巻)

2019年12月04日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 自分が住んでいる地域に限った経験からくる意見ではあるが、古いランドローバーを見かける機会は同時代のランドクルーザーを見かける機会よりも全然多い。アメリカには正式に入って来なかったディーゼルエンジンやマニュアル仕様のシリーズ系が25年ルールに従って入ってきているのだという理解は持っている。古いランドローバーに対しては個人の嗜好が強く熱の入ったエンスー達が存在しているが、実は彼らを支える柱が出来ていたのである。それは古いランドローバーをどうやって直すのかというレストレーション解説書の存在である。

 

HAYNES Land Rover Restoration Manual

Product description

With Land Rover still able to supply virtually every part for every vehicle produced over the past 30 years, the tough, down-to-earth marque is an ideal choice for DIY restoration. This how-to book, illustrated with more than 1,000 photographs and diagrams, advises what to look for when buying an old Land Rover; how to renovate bodywork and chassis; to strip out and replace interiors; to give new life to mechanical and electrical components; and to modify the vehicle for improved performance and economy.

 

 発売されたのは今から20年前の1999年。DIY におけるランドローバーのレストレーション解説書。レストレーションの為のランドローバーの買い方、ボディとシャーシー、内装、エンジンと駆動系、電装等の手の入れ方、更に経済性と性能のパフォーマンス向上の為のモディフィケーションのやり方等が1000枚を超える写真を活用して解説されている様子。レストレーションという難題をビジネスの次元から個人のガレージの次元に持って来た虎の巻である。このレストレーションマニュアル及び古いランドローバーのリペアー解説書は米国のHAYNES のサイトでは非売品となっている。英国のみの密書なのである。こういった解説書が英国において20年前から存在しているという事を理解すると、今日古いランドローバーを愛する人が多い事に対しての説明が付くのである。

 ちなみに、英国発祥のHAYNES はランドローバーのみならず他の英国車やヨーロッパ車の一部の車種においてもレストレーションマニュアルを発行している。僕の手元にはHAYNES が発行したランドクルーザー60、80のリペアーマニュアルがあるが多数の写真とイラストで細かく説明された高度な解説書である事を認めている。上出来なリペアーマニュアルを発行している HAYNES がその応用編とも捕らえられるレストレーションについてのマニュアル書は英国人の車に対する嗜好を捕らえた後天的なものなのか、あるいは英国人の嗜好性を育てた先発的な指南書であったのであろうか。古いランドローバーに対するレストレーションの知識は同時に面白味も加わり、今日のランドローバーカルチャーを牽引する遠因になっている事は間違いないであろう。

 

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ガソリン価格とピックアップトラック、そしてトーイングという手段

2019年12月03日 | 日記

 中東や中南米の産油国とは比べ物にならないがアメリカは自動車のガソリン価格がG7の中では一番安い。アメリカにおける原油の供給と確保に対するエネルギー政策は軍隊を動員する程にその位置付けを高く保っている。国土の広いこの合衆国において生活の足である自動車の活用は死活的課題で、これからもこのアメリカ合衆国が存在して行く為には安定した原油燃料の供給が、我々が生きてゆく為に食事の糧を必要とするのと同じ様に求められるのである。原油価格がアップストリーム(上流価)とすると我々が身近に感じるガソリン価格はダウンストリーム(下流価)となる。

 アメリカで一番売れている車は日本ブランドの中型乗用車やSUVではなくフォードF-150のピックアップトラックである。大型ピックアップトラックは高い乗車位置を持ち大型エンジンを搭載している。フリーウェイを平均時速120キロで走破し、地方の農場や牧場に隣接した未舗装なダートコースも難無く走破してしまう高い実用性を持っている。ピックアップトラックを足として活用する人々が世界と繋がる一つの糸口がガソリン価格なのである。自動車燃料の供給や価格の不安定要素は国民感情を刺激する。このアメリカという国を動かす一つの大きな要が自動車燃料価格なのである。悪く言えば、アメリカの大衆を動かす手段として燃料価格が操作出来れば魔法の杖を得たみたいなものだ。

 

 合衆国の豊富で継続した燃料の供給はトーイング(牽引)移動の肩を押している。オフロードビークルもキャリアーに乗せて目的地まではピックアップトラックで移動する。クローラー仕様のラングラーやクラッシックランドローバーも、BMWのGSも、または、モディフィケーションを施しルーフテントを組んだオーバーランドビークルでさえ運んでしまう。こういったピックアップトラックを活用した車の文化が定着している。アメリカのオフロードビークルを考える時には、ガソリン価格とピックアップトラック。普段表には出てこない要素を頭の隅に置いておく事も今後の参考になると思う。

 

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セドナ ジープ ツアー

2019年12月01日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 アリゾナ州のフラッグスタッフから南の谷底に降りて深い森の渓谷を半時間程ドライブをすると、やがて巨大なレッドロックと呼ばれる石壁と巨石が視界に飛び込んでくる。セドナは古代から聖地と呼ばれる土地でボルテックスと呼ばれる台地のエネルギーが特に強いとする場所が街中と街の周辺に点在し癒しとスピリチャルの世界的な場所となっている。そのセドナの持つもう一つの顔がジープ天国である。僕がジープ天国と表現した場所は過去にも2箇所あり、コロラド州のデンバー、ユタ州のモアブである。しかし、それらのジープ天国は何処も同一ではなくそれぞれが個性を秘めている。

 

 セドナの街の名物の一つがジープツアーである。街には多数のジープツアーが存在しているが、代表的なのはピンクジープツアー と呼ばれるピンクに塗られたジープである。それでは実際にジープツアーで使用されているジープはどんなジープなのであろうか?

 

 ジープラングラーのTJ(1996-2006)の改造モデルである。 定員は定かではないが、あまり多く乗員するとパフォーマンスに影響するであろう。見かけたのは4人ー6人位が多かった。

 

 ジープの装備について観てゆきたいと思う。写真はジープラングラーYJ( 1986-1995)とTJ。最初に気になるのは殆んど全てのジープがフロントバンパーや車体の何処かに、この様なタンクを装着している。この正体は水のボトルです。ツアーの観光客用に水を多めに携帯しているのだと思って聞いてみると、それは違った。ジープで乾燥した岩場や荒野、そして砂漠を走っていると時々道に迷った遭難者に遭遇する、その時にこの携帯している水が命を救う事になるという、命の水なのである。

 

 足周りです。オールドマンエミュ、ダカールのイタバネ、目にした全てのジープは同じ仕様でした。オフロードの定番はそう呼ばれるだけではなくて実践で使用されています。Uボルトが新しいのは最近整備されたからでしょうか?タイヤを見るとかなりガレ場を走破している事が分かります。

 

 意外にも大きな鉄製の踏み台は御客重視の仕様だがロールバーの下部と繋がっている。その下部にシャフトがありロールバーが多少前後に移動するのは装着時の為なのか振動吸収の遊びなのかは不明なまま。

 

 屋根の正体はロールバーです。ジープの揺れに対応する為に上部にホールダーが取り付けられています。シートベルトは腰巻きです。

 

 室内ミラーには多面鏡が使用されています。これは搭乗者の顔がそれぞれ確認出来る様にです。ドライバーと搭乗者が会話をする為には必要装備となります。

 

 ラングラーYJのコクピットです。センターにあるのはローレンジとハイレンジの切り替え用シフト。オートマチックコラムシフト、そして、パーキングブレーキが足踏み式である事。この意外なノーマル仕様には驚きました。この仕様とは直接関係ないかも知れないがジープドライバーのガイドには女性の方も多かった。

 

 

 2019年新型ラングラーはJL(2017-)である。しかし、セドナを走るラングラーにはYJやTJが活用されている。確かにJK(2006-2018)を使ったツアーも見かけたのは事実である。思うに、ローレンジで低速で未舗装地帯を走るにはYJや最後のジープと謳われたTJが相応しいのであろう、それは修理や整備、そしてコスト的にもまだまだその地位を譲る事は出来ない。

 JK以降はYJやTJと比べて高速、遠距離移動とそれにおける快適性がオフロード走行と平行して重要視された様に感じるが、今後10年においてセドナでのジープツアーでYJやTJが消えてJKやJLが中心的になるとするとジープをはじめとする四駆に対する価値観も変わるであろうと思われる。

 

  2019年の今日、セドナでは1986年から2006年の20年間に掛けて製造されたラングラーYJとTJがジープツアーの中心的な存在である。この地を訪れる人々の多くは日常の足に快適なSUVやエコカーを運転する人々であろう。そんな人々がより感動するのはいつも乗っている様な快適仕様のジープではなくて、もっと非日常的なスパルタンなジープではないかと思う。もしも、ジープツアーが人々の需要に応え、それ以上の感動を僅か数時間の内に提供できるとするなば使用されるジープラングラーのモデルは今後も変わらないんじゃないかとも思っている。

 

 セドナの野山を少し歩いてみると沢山の感動がある。 ジープって本当は窓や屋根が無い方がいい、ジープにはそんなものは要らない。現在の車で自然の中に出かけ、隔離された車内という空間では感じる世界が全く異なる。本当の深い意味でジープが欲しいと思うのは、ズバリ、自由な開放感を感じたいからであろう。セドナを走るジープを見ているとジープとはこれぞやっ!っていう感覚がにじみ出てくるのは、ここが太古からの聖地で地球の強いエネルギーの渦に巻かれているからかも知れない。

 

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