ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

明るい太陽の下で OVERLAND JOURNAL をめくる

2020年09月29日 | OVERLANDERS

 天気の好い日に明るい太陽の下の陰で行う読書が自分にとっては目が疲れないので一番いい。読む本は何でもいいのであるが、今日は OVERLAND JOURNAL という雑誌についての所感を述べてみたいと思う。人間というのは誰でも自分の見たいものを見るという習性があり、それによって心の平安が保たれていると聞く。よって、以前に一度目を通した雑誌を再読すると新たな発見が得られるのはその為である。近年ではミニマリストという名称がある様に紙の印刷物である書籍や雑誌は溜め込まない、或いは購入しないで電子書籍のみという風潮もあるが、僕はその風潮に反して古い雑誌に繰り返し目を通す。雑誌でも経済や世間の時世の話題等は読み捨てでいいと思うが、専門的な課題を扱っている誌は自分の中からそれらに対する関心が去るまで手元に置くのがいいと僕は思っている。

 

 2020年の秋の最新のオーバーランドジャーナルの表紙。重装備を備えたゲレンデワーゲンがサハラ砂漠のモロッコとアルジェリアの国境近くでスタックし、シャベルを使ってリカバリーを試みている一枚の写真である。この表紙の一枚の写真を見てある点と点が繋がった。サハラという過酷な環境を走破するゲレンデワーゲンにはウィンチが装備されていない。そういえば、あのトムシェパードがサハラで駆っていたゲレンデワーゲンにもウィンチは装備されていなかった。サハラ砂漠ではウィンチは不要なのであろうか?ウィンチを装備しない理由はなんなのであろうか?そんな疑問が頭の中に沸き起こる。あるいは、同じジャーナルにオーバーランダーズハンドブックの著者であるクリススコットのアドベンチャーモーターサイクルの記載があるが、そこに登場するモーターサイクルは大型排気量のデュアルパーパスよりも(勿論それもあるが)BMWG310GS等のあまり大きくないオフロードバイクがよく登場するのはなぜだろうか? そういったふとした疑問がページをめくると沸いてくる。こういった疑問心の衝動こそが知識の内容を深める為の刺激的なスパイスとなる。それらの疑問に対する答えは追求しながらも保留でいい。次回、オーバーランドエクスポ等で彼らに会った時にズバリその質問をしてみるという話題性も保有出来る。ちなみに、オーバーランドジャーナルの表現は文章以上に写真である。ジャーナルをただ単に四駆自動車やオフロードバイク、或いは旅行に関する雑誌として捕らえるのは十分ではなくもったいない。ジャーナルは四駆やバイクを通じて世界を捉える、現実の自分が知らない自然と人間の世界をシェアする媒介体である。今日も明るい太陽の下でジャーナルをめくりながら、砂漠を走る四駆の窓ガラスが開いているか閉まっているのかが気になる自分であったりする。

 

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トランスポーテーションとしてのSUV

2020年09月28日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 トヨタのタコマがオーバーランドヴィークルとして奨励されるのはその信頼性と耐久性であるが、そこにもう一つ収納スペースという観点がある。本来SUV(SPORT UTILITY VEHICLE)とは、ピックアップトラックの荷台にFRP製のシェルと呼ばれるハードカバーを取り付けて、そこにアウトドアで使用する道具を積み込んで野山や砂漠、或いは海辺や湖に出かける為の移動に使用する目的を持ったトランスポーテーションがオリジナルな存在であった。今日では乗用目的のクロスオーバー等もなぜかSUVと呼ばれるが、その名称を変えなければSUVとしての魂を抜かれた存在のままで本来の目的から離れた存在となっている。日本であるならば軽トラやワンボックスが目的性から見るとSUVなのではないだろうか。オリジナルSUVとはトランスポーテーション、人と荷物を運ぶ車両なのである。

 

 

 SUV というのは分母である。そして、分子にあたるのがスポーツグッズとなる。トラックに建築材料を載せて移動する時はピックアップだが週末にオートバイやマウンテンバイクを載せて移動するとSUVとなる。車両の名称は変動的で目的によって異なるというのが的を得ているのかも知れない。SUVを本当の意味で楽しむ為にはその分子を充実させる事である。それはアウトドアアクティビティという分子である。逆にアウトドアアクティビティという分子を持っていればそれに相応しい分母(SUV)を欲する欲が沸いてくる。SUV の存在原点を見直して車両に対する客観的な見解を持つ事によって、クルマを持つ事乗る事がライフスタイルの形成という実態となる実感こそが嬉しい事なのだと感じている。

 

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タイヤ交換

2020年09月27日 | ロクマル日記

 

 ランクルのタイヤを5本新しくしました。自身の生活環境と使用状況から普通に使っていれば4年は大丈夫なはずです。このオールタレーンタイヤならば、走りにもよりますが多少の雪道でも大丈夫です。タイヤの購入において自分が気を付けている事の一つがタイヤは長い付き合いになるので、自分が気に入ったものを買うという姿勢です。オールタレーンタイヤは決して安いものではありませんし、メーカーによって値段も変わります。タイヤ一つに50ドルの値段差があれば5本で250ドルとなり、その値段の幅は大きくなり、そこが心理的に気持ちが曲がるポイントとなります。タイヤは消耗品ではありますが使って汚れてランクルの一部となるので、道具としての存在を愉しむ事が出来るという観点から気に入ったものを選ぶのが長い目で見ると正解かな、というのが僕の見解です。

 

 新しいタイヤを履いて早速近所のマーケットに買い物に行って来ました。タイヤによって乗り心地が変わり、トレッドパターンによって走行音も変わります。ランクルのタイヤを新しくしたという事は、まだまだこのクルマいけますよ!という意思表示のようでもある。古い四駆に新しいオールタレーンタイヤ、僕以上にランクルが喜んでいるようである。

 

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新型ディフェンダー

2020年09月22日 | NEW CARS

 新型のランドローバーディフェンダーを街でちょくちょく見かける様になった。近所の駐車場にも停まっている。右側の後ろに何やら奇妙なアルミの弁当箱の様なものが付いており、それがアイデンティティにも見える。デザイン的には前代のディフェンダーとは一線を引いたハイテクな印象で、明らかにこっち側(モダンで都会的)の車である。新型ディフェンダーには時代が変化した事の現在の形を感じ、古い価値観で四駆を観る自身の価値観に、対比ではなくて客観性を要求されている様にも思う。

 四駆の機能を評価する時に僕は3つの負の物差しをあててみる。それは全体、或いは車体を構成している個別の部品に対して、上辺、表面的、小手先、という3つの物差しである。この3つに対しての抵抗が少ない結果が機能美となる。四駆に対する機能美は機能とデザインの調和であり、そこには本当の意味の美しさが潜み人の心を掴み、時には驚嘆させる。そして今の時世は、この竹で出来た様な古い物差しを手放して最新のデジタル機能のものにするという時代の変化に対する対応を迫られているようでもある。(上の写真は昨年の秋号の ALLOY GRIT)

 

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人間界と自然界

2020年09月16日 | 日記

 我々が生きるこの世の事を3次元世界と呼ぶが、更に一歩踏み込むと人間の住む世界と天然な自然の世界が存在しており、そこには曖昧な住み分けが成され、2つの異なる世界が同時に存在している。人間は生存と繁栄の為に自然界のアセット(財)を自分が主人の様に思い扱ってきた。自然界との共存を無視して人間の貪欲な行程が過ぎると必ず自然界からのしっぺ返しがやってくる。大きな視点から観るとその現象が自然災害であったりコロナの蔓延であるのかも知れないが、それは自然界と人間界が共存する為のバランス調整でもある。しかし、自然界は人間界が存在しなくとも(むしろその方が)繁栄するが、人間界は自然界がなければ存在不可なのである。そういった現実を改めて理解すると、人間界と自然界は平等な存在ではなく自然界の忍耐と犠牲の上で生かされているのが人間界の現実である。そういった基本的理解は学校では教えてはくれないが、古代人や非文明的と呼ばれる人々にとっては常識的な理解である。現在に生きる我々がアウトドアアクティビティで自然界と接触を持つ機会において、まず最初に理解しなければならないのが自然界>人間界に対する存在理解なのである。

 人間が自然界に足を踏み入れる時に遭遇するのが妖怪の存在である。妖怪は怖いバケモノのイメージがあるが人間が自然界に接触する時に現れる事が多い様なので、その正体は自然界の精霊なのではないだろうか。日本列島が昭和の工業化時代を向かえた時、空気や水の汚染、環境破壊や公害が問題になった時代には自然界に沈住していた妖怪が驚いて跋扈した時代であった様に感じる。

 森の中をトレイルランニングをしていると時々妖怪に遭遇し悪戯をされる。妖怪が現れるとどの様な事が起こるかといえば、道に迷う。昼間の明るい時間に、曲がるべき所が過ぎたのか、まだなのか分らなくなり引き返す事になる。口に何かが放り込まれる。虫か種か土か分らないがその味は正露丸の味そのものだ。上から砂の様な黒い小さな粒が一瞬ぱっと降ってくる。上を見上げると木もない、そこには空があるだけ、風に運ばれた木の種子か人工衛星の炭か、或いは砂かけばばあか?そういった現象は妖怪の存在が無ければ気のせい、或いは何かの自然現象で終わってしまうのであろうが、妖怪のせいにした方が楽しく感じる。ランドクルーザーの後ろのハッチを開けると、人間世界から自然界への入り口が開く。今日もまた2つの世界を行き来するのだ。

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宇宙の歯車が噛み合う時

2020年09月12日 | 日記

 我々の身の回りに起こる出来事には時々不思議だと感じる事が起こる。僕はこういった現象を宇宙の歯車が噛み合った時の現象だと理解している。

 昨日は仕事が終了したのが夕方の7時、携帯で日の入時間を確認すると7時10分と出ている。仕事が終了したので気分の修正の為にジョギングをして汗を流そうかと思っていたが、もう直ぐ辺りは暗くなり闇に包まれてしまう。僕のジョギングコースはパリセィドインタースティツパークという南北に長い森の中のハイキングのトレッキングコースで陽が落ちると不気味で非常に危険なコースではある。行こうか止めようか少しだけ迷ったが、迷うなら行くとして公園の森の中の駐車場にランクルを停めて日が暮れた薄明かりのトレールを走り出した。

 一時間程薄暗い森の中を走りぬけ駐車場のランクルに戻った時には既に辺りは真っ暗闇であった。ランクルのハッチを開けて汗を拭き水を飲んで着替えようとしていると、いきなり後ろから太い男性の声が…、エクスキューズミー、キャンナイアスクサムシン? ここからステイッアウトルックまでどれ位の距離があるかご存知ですか?とハイキングの格好した紳士が聞いてきた。その場所までは5マイル(約8キロ)ある。聞くとそこに自分は車を停めており、ここまで歩いて来たのだが予想以上に長く陽が沈んでしまったとの事。そこに自分で戻るには暗い森の中の今来た道を戻るしかないのである。廻りを見ると森に囲まれた真っ暗な駐車場には我がランクルしかない。

 遠回りになったがスティッアウトルックの駐車場までランクルで送ってあげた。最後に何かを差し出そうとしていたが丁寧にお断りした。困った時はお互い様だよ、僕とランクルが役にたって良かった。グッドラック! それにしても不思議だ。今日は走ろうかどうか迷ったが、走って良かったのだ。もし僕がこの時間にここに来なければ彼は闇中を彷徨い途方に暮れていたではないだろうか。そう思うと、結果的に彼を助ける為に僕は今日ここに導かれたのである。まさに宇宙の歯車が意図されて噛み合っているようで背筋がぞくぞくした。

 暗い夜の帰り道を運転していると、前方にニューヨークマンハッタンのワールトトレードセンターのツインビルの敷地から追悼の光の光線が空高くまで伸びているのが見える。今日は9月11日の追悼日である。災いは忘れた頃にやってくる。そういった意味でも惨事を追悼し継続して思い出す事は小さな事ではあるが平和への貢献に繋がるのではないだろうか。自宅に着いて彼を乗せた後ろの座席を見てみると、彼が使用していたであろうマスクがころがっていた。これは、今日の出来事を忘れないように、と示すなんぞの意図ではないかと思った。あのハイカーの正体は森の妖精だったのかも知れない。

 

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メルセデス エクスペデッション ビークル

2020年09月10日 | LONGISLAND EXPRESS

 残暑は続いているが今年の夏は終わった。夏の終りは陽が短くなったのと虫の鳴き声で感じる。今年は特殊な年で目に見える形で多くの変化が既に起っている。どうやらこのコロナ騒動は今後も暫く続きそうで、その期間は神のみが知るである。9月になってニューヨークでは徐々にコロナ対策が緩和され、条件付きで学校が再開されたり飲食店にお客が戻ってきたりで、空いていた幹線道路は以前の渋滞状況を取り戻した様である。

 陽の入り前のロングアイランドエクスプレスの渋滞の中で目にしたメルセデスのフライトライナー。車高の上がった四駆のキャンパー使用車でスポーツモービルが手がけたっぽいが確認は不可である。ナンバープレートがウェストコーストだったので、こんな状況下でも旅をしている人はいるんだなぁ。と感心し刺激となった。コロナによって国境が閉じて鎖国的となり閉塞感が支配する今日において、エクスペデッションビークルやオーバーランドビークルを観ると潜んでいる冒険心が頭を上げてくる。コロナの状況下だからこそいい旅を妄想したい。そんな動機を持って故に常に路上を注視している。

 

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SCHMID 夫婦の旅は続いている

2020年09月02日 | OVERLANDERS

 今日、ギネスブックに載る自動車による長旅の記録保持者はスイス国籍の SCHMID 夫婦である。1984年に旅に出発してから今年で36年を過ぎている。人生そのものが旅であるので記録は更に更新され続けられるのは確実である。上の写真の夫婦と共に写っているのがブルーの1982型のランドクルーザーFJ60で当時のオドメーターは478000マイル(769000キロ)を記録した時である。コロナが蔓延し街がロックダウンされている今日においても南米アルゼンチンの道を走り旅を続けている。その旅行の手記は定期的に写真と共にSCHMID 夫婦のホームページにアップされ続けている。2011の終りにこのブログで夫婦のホームページを紹介してから時々ホームページを訪れて移動場所などを確認していたが、今も旅が続いている事には驚きでしかない。旅は地味な様ではあるがランドクルーザー60なのでアドベン-チックである事は疑いの余地はない。海外の報道機関では時々驚きの存在として紹介される夫婦であるが日本で紹介された事があるのであろうか?ランドクルーザーに関する一つのバーチャルな刺激として時々夫婦のホームページを訪れてみるのもいいんじゃないかと思う。僕は夫婦のホームページを訪れる度に、元気にしておられるか?ドキドキする心境になる。こんな心境は余計なお世話なのかも知れない、年寄り扱いするんじゃねぇ!と怒鳴られそうだが。今後も健康に気を付けながらがんばって欲しいと願っている。

 

2019年の9月27日に7777777を刻んだオドメーター、7x7個のラッキー7です。

 

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Landcruiser Heritage Museum

2020年09月01日 | LANDCRUISER

 

 ニューヨークに住んでいる日本人の友達がこの夏に日本に帰郷して帰ってきた。日本での活動滞在期間は2週間であったのであるが、日本に入国後に指定されたホテルで2週間の観察期間を過し、米国に帰国した後も自宅において2週間の観察期間を過した。合計一月が移動の為に伴った観察期間であった為に精神的にまいってしまいそうであったという事だ。今はコロナの影響で著しく人々の移動が制限され、どこぞに行きたくとも容易ではない時世なのである。こういった環境ではオンラインを活用した、バーチャルな環境での暇潰しが受けるようである。そこで、先週僕はアメリカのユタ州のソルトレイクシティある世界最大のランドクルーザーミュージアム(ホームページ)LANDCRUISER HERITAGE MUSEUM を訪れてきた。ミュージアム自体は現在閉館であり、将来の開館の目処は立っていない。上の写真は1960年型の Landcruiser FJ28 というレアなモデルで、この様な希少なランクルが収集され現在における世界最大のランドクルーザーコレクションとなっている。以前に比べて数と種類が充実しているので今後は更に充実して行くと思われる。収集されたランドクルーザーを観ているとアドベンチャーなる感情(冒険心)が誘発される。ここんところがランドクルーザーの持つ最大の魅力で、人々を引き付ける無形のフェロモンが漂い深層にある生きたDNAの鼓動を感じるのである。

 

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