奈良県の吉野の南に位置する大嶺山を縦走する前日の夜中、林道の端に車を停めて渓谷の河原にテントを張り眠りについた。やがてテントを叩く雨の音で目が覚めた。隣のテントで寝ていた山岳隊長が、急いでテントを畳んで車に戻る様に指示を出した。雨は激しくなり水が増水してきているのが分る。我々が車に避難してまもなく、先程テントを張っていた場所は水が流れ出しやがて激流となった。安全な所へ移動する目的で車を走らせたが、路上を塞いだ土砂崩れで走行不可、Uターンして走り出したが再度土砂崩れに遭遇して脱出不可能となり万事休す展開となる。雨が止んで辺りが明るくなってくる頃に窮屈な車内で深い眠りに落ちた。朝の7時過ぎ重機の音で目が覚めた。土砂を撤去して下さった方々に御礼の挨拶をすると、この辺りはしょっちゅう起こるのでいつも待機しておる。という事であった。
ニューヨークにアイダと呼ばれた熱帯低気圧が豪雨をもたらしてから一週間が過ぎた。40人以上の死者が出る程の豪雨と洪水で、地下鉄は水に浸かり道路は陥没した。多数の爪跡が残り多数の車が水に浸かった。閉鎖されたパリせードインタースティツパークの中の荒れたトレールを走りながら考えた。もしも、この山道のトレールの途中で豪雨に襲われたら何処に身を守るのか、どうやって逃げるのか?トレールには土砂と激流が流れ込み移動に困難をきたし孤立するであろう。非常に危険な状況を想定し、結論として、森には入ってはいけないと強く感じた。
今回のドラム缶をひっくり返した様な豪雨で大峰山の麓の河川での一夜を思い出した。あの時のリーダーの適切な判断で事無きを得ることが出来たのであった。リーダーの判断は、逃げろ!であった。逃げて正解であった。逃げるというのは一つの技である。今後も生きていれば何処かで水による災いに遭遇するかもしれない。大雨の警告が出たら絶対に森に入ってはいけない。逃げるという事は避けるという事でもある。これは刺激を求める自分への警告である。最近は携帯を持っていると常に警告が送られてくるので、昔に比べると災いに対する警告を事前に知ることが出来る。ニューヨークでの大きな水害は約10年振りであった。
パリせードインタースティッ公園を管理するグリーンの Ford F-250.