ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

アメリカの守護神

2020年06月21日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 アメリカで人種の問題が浮上する度に何時も思うのはユタ州の南端にあるモニュメントバレーの存在である。一般常識的にアメリカの中心は何処か?と、問われると、政治の中心はワシントンDC、経済はニューヨーク、等となる。しかし、本質的な中心、精神の中心とはネイティブアメリカンの聖地、モニュメントバレーであると僕は感じている。なぜか?この広大なアメリカ大陸は歴史的に、もともとネイティブアメリカンの土地であった。彼らには土地に対する所有権などの価値観は勿論、貨幣的な価値さえ持ち得ていなかった。ヨーロッパからの入植者は原住民を西の荒野に追いやり、この広大なアメリカ大陸の土地を奪った歴史が存在してる。その近代アメリカの時間的歴史の磁気の篭った悠久なる自然の彫刻がこのモニュメントバレーである。こには土地を追いやられ、生活を失った先住民達の魂が鎮座し、現在の社会の行方を静観している。

 

 ナバホ自治国であるモニュメントバレーの中に掲げられているジェロニモ。

見方を変えると、ジェロニモの霊はモニュメントバレーに祭られている。

 

 メキシコとアメリカ双方は、アパッチの略奪に頭を悩ませ、何度も遠征をおこない掃討戦を試みた。しかし山岳ゲリラとも言うべき彼らの戦いは変幻自在で西部大平原のスー族と並んで、アパッチ族は最後までアメリカ合衆国に抵抗したインディアン民族となった。数々の戦いの中に、ジェロニモの姿があった。彼は雄弁に白人への抵抗を呼びかけ、白人と戦い続けた。 ウキペディア、ジェロニモより引用

 時代と共に忘れ去られようとされる負の歴史が何処の国にも存在する。人々がそれを忘れて生活に没頭していると、静かにジェロニモの霊はこの世に降りて来て銃口を引くのだ。ジェロニモはこの世を去った、しかし、彼の魂は今日もあの世で戦っているようだ。ニューヨークとその周辺で起こっているデモの様子を目撃する度にモニュメントバレーの光景が浮かぶのは自分の潜在性の発露だと思う。現在に生きる我々が前進する為に大切な事は負の歴史を忘れない事と、それらを客観性を持って受け入れる勇気である。大陸の守護神は今、このジェロニモの目付きの様な目で各自の心を見つめているのである。

 

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極寒の冬の意味を訊ふ

2017年01月10日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 先週の土曜日に積もった雪が寒さの為に解ける事無く留っている。北風が吹く度に体積した粉雪が風に舞い容赦なく吹きかかる。今年も極寒の冬の中にいる。暖かい部屋にいると外の寒気は忘れてしまうが多様の用事毎で外の外気に触れざるを得ない。氷点下15度の極寒の中でも凍て付いた30年越しのランドクルーザーFJ60を始動させ、寒さの為に温まらない室内で白い息を履きながら走る。暖かい季節だと窓を全開してランクルを駆るという気分だが極寒の中ではランクルで移動するという表現しか出てこない。

 

 ランクルに乗っても殆ど温まる事が無いので冬は辛い季節である。ならば、寒さに耐える事の意味や意義を明確に持つ事によって、厳しい寒さを経験する事はこ~んなに素晴らしい意味があるんだよ。という事を自分に納得させなければ成らない、そうすれば極寒のニューヨークの冬を耐え忍ぶ精神的な支えとなるはずだと思った。

 その意味や意義を得る事は難しい事では無かった。それはこの地方の幾つもの冬を近代的な暖房器具を用いる事無く過ごしてきたネイティブアメリカンの言葉にそのヒントはある。彼らはこの長い極寒の冬の季節をどの様に忍び耐え抜いてきたのであろうか?2017年の冬の一月も今から300年前のこの地方の冬の一月もそれ程大きな寒さの違いがないとすれば、近代的な服も家も暖房器具も無い彼らは冬という期間をどの様に捕らえたのであろうか? 

 

 名も無いあるネイティブアメリカンの冬の証: 毎年冬が来ると親父は子馬を駆ってバッファローを追った。バッファローを殺すといつも親父はまだ暖かい肝臓を生のまま食べた。それから父はバッファローの内臓の中へ手を突っ込んで手を温めたもんだ。その後皮を剥いで肉を切った。何一つ無駄にはしなかった。親父はその肉を家に持って帰って鉤にぶら下げた。その冬中肉はどっさりとあった。

 ...意外とネイティブアメリカンが過ごしていた冬は今僕が過ごしている冬よりも暖かく過ごしていたのかも知れないとも思った。燃料である薪さえ切らせなければ確かに焚き火の火は暖かい。では、北アメリカに住むネイティブアメリカンは冬をどの様に捉えていたのであろうかという本日の問いだが、そこには季節が巡る自然界から学ぶ人生哲学があった。春が冬に始まり、死が誕生によって始まる事を忘れさせない為に厳しい冬がやって来るのだという教示。寒い冬は死を感じる為の季節なのだ。それ程頻繁にそして定期的に繰り返し極寒の冬を経験する事によって生という事の意味が分ってくるものなのだ。この冬という季節が無ければうっかり忘れてしまう、と無名のネイティブアメリカンは伝えている。毎年やってくる冬にはそういった意味があるのだ。暖房の効きが悪いランドクルーザーに乗っているとその伝えの意味がよく分る気がするのは恵みなのであろうかとは思う。生死感を理解する為に今日も震えながらランクルで移動しています。

 

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宇宙の輪廻

2014年11月18日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

You shall ask. What good are dead leaves

おまえは訊く、なぜ、木の葉は散って死んでいくのか?

And I will tell you. They nourish the sore earth.

私は応える、それは、大地の栄養となるからだ。

 

You shall ask. What reason is there for winter

おまえは訊く、なぜ、冬が来るのかと?

And I will tell you. To bring about new leaves

私は応える、それは新しい葉を生む為だ。

 

...

 

- MANY WINTERS -  

名も無きプエブロインディアンの言葉

 

 宇宙の流れの中で、自分の位置を知っている者は、死を少しも恐れない。堂々とした人生、そして祝祭のような死。ネィティブアメリカンの哲学は、我々を未来で待ち受ける。

中沢新一

 

 同じ地上に生きる人間でも、ネィティブアメリカンの人生観というのは我々の人生観とは異なっている。我々はこの世に生まれた時から人生が始まり、死と共に終わるものだと人生を理解している。しかし、ネイティブアメリカンの言い伝えでは人の誕生も死も季節が変わる現象のように流れとして捉えている。これは、かなり大きな人生観の違いである。ネイティブアメリカン達は沢山の冬が来る度に、木の葉が散っていく光景からこの宇宙の輪廻を知った。自然が彼らに叡智を与えたのである。

 

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叡智は足元にあるのだよ

2014年08月26日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

I have found more to life

In the travels of an ant

Than in the progress of the world

Which has fallen far behind

The place it started from.

 

世界が移り変わっていく情勢なんてもなぁスタートラインにも及ばない、

遥か後方のたわごとにすぎん。

わしは一匹のアリンコが旅をするその姿に、

もっと深い人生の意味を見つけるよ。

 

 これは無名なプエプロインディアンの古老が、

ナンシーウッドという女性に語った言葉の一つである。

 

 

 時間があると、木を見て森を観る為に移動する。クーラーの効いた涼しいカフェよりも木陰が好きだ。別に特別な事をする訳ではない。時々、買ってきたメシを食ったり、水やコーヒーを飲んだり、本を読んだり、そのままま寝たり。ボンネットを開けたり...。こういった深い意味の無い?行動を客観的に見つめる奴がいたのだ。それは自分自身である。

 そして、ある事に気が付いたような感覚がある。

 それは、自分が今まで考え意識してきた内容の多くはこのアメリカ大陸に広く住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)と呼ばれる人々達が太古の昔から親から子へ、じーいさん、ばーさんから孫へ伝承されてきた教えであり、作者不明の哲学とでも呼ぼうか、そして、その内容に共振するという事だ。

 

 上記のメモはこうも語っている。

世間に目を囚われていては人生の本質は見つけられないよ。 

大切な事は、ほら、君の足元にあるんじゃない。

 

 さーて今日は、ありんこを探し追いかけてみようかな。 

 

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ナバホの遠方に

2013年04月01日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 4月になった、今年のニューヨークは例年よりも春の到来が遅く肌寒い日々が続いている。昨年のこの時期には既に木は芽を吹き辺りは春の様相、新花の香りを楽しんでいたのを思い出す。

 今日はずーっと前から心の隅で(頭ではない)考えていた事に対しての自分なりの見解というか答えをぶちまかしてみたい。

 

この内容が人類に明るい未来を示唆するのか?

或いは世を惑わす戯言なのか?

 

...いや、おやじの妄想にすぎん!(笑)

 

 

 

モニュメントバレー

 アメリカ中西部のユタ州の南の端にネイティブアメリカンの管轄地域であり、また聖地と呼ばれる場所がある。この地に足を踏み入れると音のない静かな風に迎えられ、何故か自然の畏怖を感じ時間という概念を忘れてしまう。そしてここにある巨大な赤い岩と大地を眺めているとなぜか懐かしさを感じてしまう、マザーネーチャーという言葉があるように大自然の懐に抱かれたのであろうか、地球の母性を体験しているのだろうか?そこで味わった感覚を大切にして気持ちの隅っこに常に置いていたのだ。

 

 

心の目には太古の憧憬が映っているように感じる。

 

なぜ、広大な光景の中で懐かしさを感じるのであろうか?

 

 心に秘めていた課題であった。

 

...そして、

その答を自分なりに見つけた、

 

それは人の魂は永遠に存在するという事だ。

 

 

 ネイティブアメリカンの人々が大自然の造形を守り後孫に伝承してきたのはこの大切な教えを伝えたい動機である事を知った。この地で暮らすナバホの人々は質素な暮しを好しとして観光開発を拒んで来た。

 

 魂が永遠に存在するという事は、

人は死んでも魂は消滅する事はないという事である。

 

 

 おそらく僕はこの様な広大な光景を遥か昔に観て親しんだ経験があるのであろう。

 

そしてその光景は地球上であるとは限らない。

 

 そういうふうに理解すると、

何故懐かしさを感じるのかの問いに、

説明が付く。

 

Mars (火星)

 我々は宇宙について無知である。太陽や月、そして地球の隣にある惑星火星においても知らないし、無関心である。前世時代(聖書の伝える5000年以前の地球)で高度な文明が栄えていた前史時代の地球の事も...無知というよりも忘れ去られたのだ。

 そして人間は何処から来たのかも知らない。サルから進化したのではなく人は元から人間という知的生物であった。人はこの宇宙に数多く存在しており寄生する星の環境に合わせ容姿(これが本当の人種)は多少異なる。

 

火星にも人が住んでいる。

ええ天気でござんすなぁー

湖も森林もあり現在6億人の人々が暮している。

遥か昔はもっと多くの人々が暮していた...。

 

 文明は地球だけにあるのではなく、惑星間の相互関係が存在する。エジプトのピラミッドの建築の秘密などは人間による惑星同士の共同文明を意識して学習していけば難解は解けるであろう。

 

 もはや地球規模のみで物事を考える時代では無い時代が始まっている。

 

人類の未来への発展は太古のへの回帰のサークルを描く。

 

さあ、

ランドクルーザーに魂を乗せて、

心ゆくまで地球を楽しみたい。

 

未来に何処かの星に生まれたらきっとこの感覚を懐かしく感じるのだろうな。

 

この肉体に魂を乗せて笑って泣いて生きていこう!

 

 

...

 

今日はエイプリルフール(4月1日)

今日はどんな事を言っても書いても、嘘だよ~!で終ってしまう感があって実に有り難い。

 

...次の星を自分で選べるのだろうか?の問いが今後の課題だ。

 

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コロンバスディ

2012年10月08日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

本日は10月の第2月曜日、コロンバスディである。

 コロンバスがアメリカ大陸を発見した記念日となっているこの日にちなんで、

古代アメリカ大陸の話題に触れてみたい。

 

 

 

奇集め的な内容ともいわれる竹内文書の解説書

 

その目次を見ると、

第1章 アメリカ・インディアンは日本語を使っていた!
第2章 『竹内文書』世界と共振するインディアン伝説
第3章 日本と古代アメリカの“虹の架け橋”縄文文化
第4章 縄文人からの“ひよわな花”への伝言
第5章 ドン・R・スミサナ氏との対談 やはり、「古代、アメリカは日本だった!」
第6章 “マヤ”文明のルーツもはるけき日本
第7章 超古代文明の深遠なる精神を未来に生かす

 

この目次を見れは何が言いたいのかが分かる。

つまり日本とアメリカ大陸は有史以前に深い関係があった地域ではなかったか?

という事である。

 

著者である高坂和導(故)は以下の内容を本中に記している。

現在アメリカインディアンのほとんどは昔ながらの自分達の言葉を捨て、征服民族の言葉を使用している。そのため、インディアンの言葉の多くは失われ、残っている言葉もその語源や本来の意味を知る人は非常に少なくなってしまった。それでも私の調べたところによると、16世紀までアメリカ.インディアンが使っていた言葉は、まごうかたなき日本語であった。

 

僕が訪れたナバホの地では和風は感じなかった。

現地の人々は流暢な英語を話していた...。

 

しかし、

 

そこで感じた風は僕に何かを伝えたかったのかも知れないと思っている。

 

ニューヨークは秋の風、

風は太古の記憶を覚えているのだろうか?

 

 フォーコーナーズの風

N A V A J O

 

 

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Gary Snyder

2011年11月30日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 1950年代前後のWillys Jeep Pick Up 

 このトラックはアメリカの詩人、ゲーリー スナイダー氏がカリフォルニアのシェラネバダの森で長きに渡って使用してきたトラックである。1930年生まれの彼が今もまだこのトラックのステアリングを握っているかどうかは解らないが、少なくとも1990年代の後半までは愛用していたらしい。

 

 Gary Snyder

アメリカを代表する詩人である。

そして地元の(カリフォルニア)の大学(UC)で教鞭を振るう教育者でもある。

彼が1970年に出版した詩集がこれ、

 

Turtle Island (亀の島)

彼はこの詩集でアメリカで最も権威のある、Pulizer(ピューリッツア)賞を受賞した。

 

僕は亀の島(北アメリカ大陸)の概念を彼から学んだ。

それがこのカテゴリーのタイトルである。

 亀の島とは北米大陸の事である。昔ここ(北アメリカ)に住んでいた数多くの部族達はこの大陸を亀の背中に乗っている島だという共通の概念を持っていたらしい。アメリカという呼び方は新しい呼び方、北米大陸を先住民の昔の呼び方で呼ぶと亀の島となる。

ところで僕はスナイダー氏と何の関係があるのか?

関係は全くない。

 

 彼は彼の多くの作品の中でアメリカ先住民の思考や日本人の禅や性質に共通の価値観を見つけ出している。(1956年~1968年の期間彼は京都に住んでいた)そしてその価値観こそがこれからの未来の道を開く鍵だと感じているのだ。

そして、

 僕自身が感じていた曖昧な思考を彼の言葉を借りてまとめる事が出来たので、感謝している。彼から何かを学んだというよりも価値観に共通性が感じられるので臭いによって惹きつけられたようだ。

つまり、共鳴した。

 

勿論、最初は彼が乗っている古いトラックが僕の気持ちを引き付けた。

署名な文章家が、大学の教授が、半世紀前のピックアップに乗っているのか...と。

 

もし仮に、僕の口座に100億円あったとしても...

僕の乗る車は使い古して錆びたロクマルでいい。

と、思った事がある。

...

あいつはセコイから金持ちになったんだ、と言われようとも。(笑)

 

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太平洋の奇跡

2011年10月26日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 写真はカリフォルニア州のモントレーで観た眩しく燃える太平洋。

遥か彼方に日本を想う...。

 

 太平洋の奇跡...ネイティブアメリカン(アメリカンインデアンと呼ばれる人々)の目で太平洋の遥か彼方で66年前に終った太平洋戦争の事を考えてみた。

その機会はこの映画

先月、この映画を観る機会に恵まれた。

 戦争末期において、サイパン島で47名の日本の兵隊と島民が4万5千のアメリカ兵に対峙する真実を元にしたストーリーである。

 日本とアメリカ両国の視点で見た太平洋戦争の映画である。

 戦争というのは平和に対峙した言葉、戦争映画を観て平和の価値をかみ締める事が出来ればそれは世に貢献する良い映画であると思っている。もし戦争映画で戦争、戦闘、兵士などに対して カッコイイとかの憧れを懐く映画は戦争映画ではなく洗脳映画として区別したい。

太平洋戦争をネイティブアメリカンの目で観た...。

それはこの夏の中西部の旅でネイティブアメリカンの霊性に触れたからである。

 

征服された彼らが太平洋の先に見た物はなんであったのだろうか?

...

 ヨーロッパ人に対峙した日本という国、

戦争には敗れたが...

奇跡を見せた。

日本が戦ったのは、奇跡であった。

 

 日本人、アメリカ人が奇跡だ!と思う以上にネイティブアメリカンにとってはもっと大きな奇跡であったのかも知れない。

 ヨーロッパで起こった大航海時代、植民地争奪戦、正教徒、アメリカ大陸西部開拓、その延長にあったのが太平洋戦争。ヨーロッパからのうねりがアメリカを東から西に飲み込んで、太平洋を渡った、アジアを覆って世界を包むと思われたが日本に当たって...

波は...はじかれた!

 その時依頼、歴史の流れは変わった様に感じる。

...

ただ、奇跡は時間をかけた地味な努力の蓄積。

 戦中を奇跡的に生き抜いた人々がいた、そう思うと今の自分はもっと頑張れると思う。戦後の高度成長期の日本人はそういった気概を持っていたはずだと気付かされた。

...

 ふと気が付けば自分は走っており、意識すると手の中にバトンを握り締めていた。

ただ、そんな状況下で全力疾走しながらもコースは指定されていない...。

コースは自分で探すように...だと。

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T u r t l e  I s l a n d (亀の島)

2011年10月11日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

アメリカは建国235年の若い国、この認識は間違った歴史認識だと思っている。

このアメリカ大陸の歴史は実に古い。

 

 この風景は平日のサンタフェの街の中心の光景である。路上に敷物を広げ手作りの工芸品を売るネイティブアメリカン(アメリカ原住民)の人々。僕はこの場所で他の人が見ない風景を見ていた。

 ...

 1990年代の中頃にワシントン州の田舎町ヤキマの郊外の夜のさびれたバー(酒場)でベロンベロンに酔っぱらったネイティブの男と視線が合った。彼は僕の横にやってきて、酒臭い口臭を撒きながら10センチ位の所まで近ついて、...『この辺じゃ見ない顔だな、何処のトライブ(部族)だ?』と聞いてきた。『日本だよ、ニッポン』と彼の目をジッと見て答えると。いきなり大きな声で『ファッ〇ユー 〇ワイトー』と叫んでテーブルの上にうつ伏せに倒れてしまった。

 おそらく彼は仕事や家庭の事で上手くいかない事があって酒を浴びていたのだと思うが、自分の周りに起こる嫌な事、不幸な出来事を白人の所為にする...。

 その時の光景がサンタフェの街角にいるネイティブな人達と重なってしまうのだ。

...

 

 遥か昔、この北米大陸に住むインデアン達の事を、亀の背中の上に乗っている人々と呼んだ何千年も続いた時代があった。

このアメリカ大陸を亀の島と呼んでいた。

 

 都会的な人間の管理した自然ではなく、広大で巨大、そして眩しく美しい、それは恐怖でもある、僕はそんな彼らが見てきて身を置いたであろう広大な景色を見るたびに彼らのアミニズム(自然崇拝)が実は野蛮なものではなく、我々が忘れかけていた最も大切なものがそこにあるようにも感じた。

それは何か?

 

昔に還れ!である。

...

この視点が今後の未来の指針となると感じている。

 

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