ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

バチャータ en 福岡

2015年07月30日 | 日記

 暑い毎日が続いています。 "Mucho Caliente"  暑い季節にはラテン系のムーシカ(ミュージック)などはいかがでしょうか? アミーゴ(友達)連中が日本人ならこの歌を知っているはずだ、などと思っている曲があります。数年前(2010年頃)にアメリカのラテン社会で流行った曲の様ですが私は全く知りませんでした。今日もラジオから流れるこの曲を聴きながら、ラテーノ達が一番よく知っている日本の街は福岡なんじゃないだろーか?と思って訊いてみた。Fukuoka? 意外と皆知りませんねぇ。知らないで聴いている Fukuoka 。歌われている事を知らない Fukuoka。せわしいニューヨークの人混みを背景にこの曲を聴くと柔らかい気持ちを感じるのは、バチャータというラテン音楽の気質なのだろうか? それとも時々出てくる日本語の響きなのだろうか? あなたの友達のラテーノが、おはようございます。とか、ありがとうございます。などという片言の日本語を連発するようであったら、間違いなくこの曲に影響されていると思って間違いありません。

 

Bachata en Fukuoka

by Juan Luis Guerra

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリーンアップ

2015年07月28日 | 日記

 日曜日は書斎の大掃除に励んだ。部屋を綺麗にすると気持ちが爽やかになり、外での仕事においても能率が上がるものだ。が、結局掃除は中途半端のままで部屋は混乱状態のまま新しい一週間が始まった。...結果、今週は中途半端的でスッキリしない気分で始まってしまったのである。僕の考えでは掃除というのはまず物を捨てる事が大事だと思っている。それは水が天地を巡る事で鮮度を再生する様に物の持ち主の鮮度を保つ為には物を溜め込んではいかん、鮮度を失ってしまわない様に気をつけろ、と言うのが掃除の本質ではないだろうか。

 しかし、どーしても捨てられない物がある。

 

それは車関係の雑誌です。

絶版になった雑誌でもページを開くと新鮮に感じる。

 始めた掃除が終わらないのは手に取った雑誌をめくってしまうからです。本でも音楽でも飽きてしまうと容易に手放す事が出来るが、まだその対象にイントラスト(興味)を感じるという事は、まだ僕に対してそれらの物は使命があるのではないだろうかと感じた。経済や情勢のハードカバー本は容易に手放す事が出来るのに、10年以上前のCAR&DRIVERは手放す事が出来ない。なぜならば面白いからである。そのように考えてみると僕にとって掃除というのは選択をする行為である。自分に不合いな物を捨てていくと言う行動が掃除という作務ならば、掃除というのは埃を拭いて吸い取る事だけではなくて自分を知るいい機会なのであろう。しかし、混乱する部屋に足を踏み入れると、まさに今の自分自身の内面を表しているなんだなぁ。と妙に納得してしまうのである。

さて、僕は変われるのであろうか? の問いの答えは,

直ぐ目の前にあるのだな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Welcome to BOSTON

2015年07月25日 | VINTAGE CARS

 

 仕事でニューイングランド地方の都、ボストンの街にしばらく滞在していました。

 ニューヨークと比べると時間の流れが緩やかな事と、学問の街というだけあって街を歩く人々が賢そうに見えたのは事実です。仕事のスケジュールが忙しくて観光するような余裕はなかったのですが、街並みや車の流れ、そして接する人々の表情や食べた料理の味とサービスなどを総合してみると、ボストンという街は独特の空気を内包している。それは海の向こうはヨーロッパ(英国)、北はカナダ、南はニューヨークという接触(色)を持ち合わせ、同時に歴史を秘めている。街中や郊外には自転車に乗る人が実に多いのもこの街の特色である。こういう自転車が多い風景というのは古くもあり、同時に新しい光景でもある。ボストンの夏は今が一番暑く、お盆を過ぎる頃には涼しくなってしまうらしい。夏は美しく、そして短い。

 上の写真は大学街で有名なケンブリッジ地区からチャールズリバーを渡ってボストンのダウンタウンに繋がる、なんとか?橋の上で撮った写真である。今にも壊れそうな、潤滑油が枯れたような大きな音をたてながら一台の英国車MGが我々の横を通り過ぎる。車高が低いのはおそらく足回りがヘタっている証拠であろう。

 

おっ、MG!

と言って喜んでいたのは束の間。

...

 

更に、

おおーっ! 

 

???...どうした?

 

写真ではよく見えないが、なんと、カリフォルニアナンバープレートです。

よく、こんなボロ(失礼)でやって来たものです。

 

すげえなぁ、ボストン!?

今回、一番印象に残る街の光景でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロクマルを助けてくれた人

2015年07月20日 | ロクマル日記

 

 ニューヨークの郊外で長年に渡って車のサービスを提供されてきたメカニックのTさんが他界されたという連絡が入った。僕がTさんに初めて会ったのは2013年の秋の終わりで冬を迎える直前の頃であった。愛車のブルーのロクマルを車検の為に持ち込んだあるサービス工場では古い車に対する知識と理解、更に旧車に対する経験も少なく州の車検を通す為の依頼が出来ない。このままではロクマルを諦めなければならないという状況下の中で出会ったのがTさんであった。Tさんの噂は以前から知ってはいたが、訪れる機会が無かったのである。Tさんは『お金はこれ位かかりますが、一月程私に預けて下さるならば整備して車検を通してさし上げます。』 とおっしゃった。

 2013年のクリスマスは良く整備されて車検をパスしたブルーのランドクルーザーFJ60が僕のクリスマスプレゼントとなった。

 

 当時、T氏の工場でサービスを受けた時のエンジン周りの交換部品の一部。ほとんどは消耗品であるが、Tさんのお陰で無事車検を通り、今日も実用車としてランドクルーザーを活用することが出来ている。ランドクルーザーを走らす、乗り続ける事が出来ているその背後にはそういった整備師の方々との縁があっての事なのです。

 

  夏の花を見ながら人を重ねる。野に咲くだけの一輪の小さな花が人に勇気を与える様に、有限な人生を一生懸命に生きるならば、それだけで誰かを助ける事になっているという事を感じざるを得ない。Tさんの冥福を祈りつつ、やがて薄らいでいくかも知れないTさんとの記憶は、また暑い夏の日に野に咲く花を見る時に励まされる形となって回想されるのであろう。Tさん有っての今日の我がロクマルライフなのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーバーヒート

2015年07月19日 | ロクマル日記

 

夏真っ盛り。

今日の気温は日中35度を越す暑さとなり湿度も高いとの事だ。

 

 ロクマルの健康維持のために早朝から走り(ドライブ)に行ってきた。

早朝のいつものドライヴコースを廻って帰ってきてエンジンを止めて外に出ると...

 

何か? バシャバシャと激しく水が滴る音がするではないか。

 

うっ、出血!

ヘモグロビンは含まれていないようだが...

 

純粋なグリーンカラー、これはラジエター内のクーラント液ですな。

ボンネットを開けてみると、

 

リザーブタンク内で沸騰したクーラント液が排出ホースからあふれ出ています。

 

それはドリップ式コーヒーマシンのようでもあった。

ああ...クーラント液...もったーねぇなあ!

 

横を通り過ぎるクルマのドライバーが怪訝な顔をして通り過ぎてゆく。

 

僕、お楽しみ中なのですが。何か?

いいんだよ、ここは砂漠の中じゃないんだから。

 

 オーバーヒートを起こしたのは明らかな理由がある。それはエアコンのテストを行ったからである。エアコンは抜群に良く効き、広いロクマルの室内も見る見る涼しくなり快適そのもであった。が、結果はこのザマです。人間が快適に過ごすという事はどこかで負担を抱えるものなのであるという事を教えてくれているのであろうか。

 昔、ある友達とカリフォルニアのシェラネバダ地帯を古いダッジで旅をしていた時、ワィンディングカーブの連続する坂道の上りでクルマはオーバーヒートを起こした。路肩にクルマを寄せて、さてエンジンを...という時に議論が起こった。エンジンを止めるな!という意見と直ぐにエンジンを止めろ!という意見である。こういうときはクルマに対する知識と経験が勝る者の意見が勝つので、我々はしばらくエンジンを止めなかったのを覚えている。...でも、最終的にはエンジンを止めてエンジンを冷まし、飲み水をラジエターに補給して再び走り出した。

 現在、オーバーヒート時の知識として、オーバーヒートを起こしたらまず安全な所にクルマを止めてエンジンを止める様にしている。しかし、エンジンを直ぐに止めないでしばらくファンを回した方がいいのかも知れないと思う時もある。いずれにせよ、我がロクマルライフにおいてオーバーヒートという課題を背負っているのは事実で、それは放っておいて直るものではないのは明らかである。しかし、原因不明のため、この持病と付き合う事も一つの使命なのだ。などと捕らえている価値観はクルマに対する過剰な慈愛なのかも知れないと思いつつも、こういう状況を楽しんでいる自分がいるのです。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1978 Landcruiser FJ40

2015年07月17日 | LANDCRUISER

 ORIGINAL(オリジナル)。古いランドクルーザー40の事であるが、このキーワードには心を躍らせられる。市場には美しくレストアされた40が高価な値段を付けて存在し、またアフターマーケットのモディフィケーションを施した40も多い中にあって、オリジナルのまま今日まで使用されてきた車両には錆びて年季が入ってはいるが魅力を感じてしまう。こういうオリジナルな車両を見ると宝を見つけたような気持ちになるのは少数派である自分の所感である事を否定出来ないのは、どーも自分は道具を使い込む事に対する時間的な過程に惹かれる嗜好者である事を認めざるを得ないと思わされる。

 

1978 Landcruiser FJ40, By ebay motors

 

 アメリカの中心部オクラホマ州辺りで使用されてきた車両はそれでも錆が少ない(薄い)という事を感じる。オクラホマと言えばクルーザーコープ、そこのバックヤードにレストアベース車が並べられていたのを思い出す。アメリカの南部地域にはまだまだ古いランドクルーザーのオリジナル車両が眠っている事を感じる。使い込む程に味が出る。錆びて穴が開いてもそれでも古いランドクルーザーという車種は魅力を失う事はない。むしろ魅力が増すね、と言うのは随分と先進的な捕らえ方なのかも知れないと自分では思っている。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーバックパッカー

2015年07月12日 | FIELD NOTE

 アメリカでは既に夏休みが始まっています。この季節は多くの人々の足が都会を離れて自然と触れ合う機会を求め愛車に荷物を積み込み海や山へと出かけて行きます。クルマは車種を問わずトランスポーテーションとしての役目を担い、人が目的地に到着する為に必要な道具となる事から、クルマを使ってのアウトドア活動やキャンピングなどは特別な事ではなくて、日常生活の延長に過ぎない事だと理解できます。そして、こういう機会はクルマを運転するすべての人々にあるものなのです。

 そういった機会をより深いものにしたいと考えている人々が存在します。まず頭に浮かんでくるのは、往来のキャンピングカーやキャンピングトレーラーを牽引して自然の中に向かう人々。アメリカではキャンピングカーの為のキャンプ場も充実していますから、既に定着したスタイルと言えます。

 そして近年、カーバックパッカー的と僕が呼んでいるカテゴリーです。クルマは4X4トラックで、使用する道具を注意深く吟味選択し、コース(未舗装道を含む)を選択する人々。これは近年のアメリカでジープの人気が高まっている事。そして、オーストラリアや南アフリカで静かに発展してきたアウトバックでの4X4や道具及び技術が北アメリカで更に開花した結果となって現れているものです。

 

Outdoor X4

 そういった環境が整いつつあるアメリカでは情報の伝達も整理されつつあります。その一環が Outdoor X4 などの情報誌の存在です。写真はこの夏期の(9号)の表紙。この誌の中で To pack or not pack... という記事があるのですが、その中のあるキーワードに引っかかりました。そのキーワードとは HABITS (癖)。クルマを運転するならば誰でもキャンプやBBQなどで海や山にクルマで出かける機会を得ることができます。その時は悩む悩まないに関係なくいくらかの荷物を当然の様にクルマに積み込みます。そして誌が指摘するには、その荷物の積み方には人によって癖があるものだ、そして多くの場合その癖に気付かない。

 しかし、その癖があるという事を客観的に見つめ自分の癖に気付こうとするならば、そこから発展が始まるという事です。

 年に数回荷物を搭載して山や海に出かける程ならばあまり癖について考慮する必要はないと感じます。バックパッカーのザックには重い物を下に軽いものを上に、そしてフットワークを高める為の軽量、小型化など多くの知恵と技術がパッキングされています。クルマへの荷物の積み方一つ、あるいは持参する道具の選択。水や食料の運搬や調法などを前回よりも効率の良い物にしようとする試みや思索などの領域が、クルマを活用してアウトドアに出かける愉しみを深める事なんだよ、という事です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BJHF 2015

2015年07月07日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

The Highest Jeep Festival Attendance Yet!


Thanks to all of you Jeep enthusiasts who journeyed to the birthplace of the Jeep to join us for Bantam's 75th Birthday Bash!  Our overall three-day attendance at Coopers Lake was approximately 25,000 (25% more than 2014). Our overall attendance number includes registered Jeep drivers, ticketed passengers, walk-in spectators, volunteers, sponsors and vendors.  It does not include the additional 20,000+ people who filled the streets of Downtown Butler for the Jeep Parade and Invasion.

We also welcomed 2,937 registered Jeeps throughout the weekend.  This result is 1,000+ more Jeeps than in 2014 - simply amazing!  Registered Jeeps came from a record number 38 states and Canada.  This figure does not include the hundreds of sponsor and vendor Jeeps parked in booths or the thousands of Jeeps in the parking area.  

The Guinness World Record Parade was comprised of 2,420 Jeeps making their way to downtown Butler. We will be submitting our documentation to Guinness soon and will be anxiously awaiting their official ruling in the next 8-12 weeks.

 

 今年2015年のBantam Jeep Heritage Festival (BJHF)はジープ誕生75周年を祝う機会ともあってかなり盛大であった。その盛大さを具体的に数字で表すと。3日間(6月12-14)に及ぶイベントで、ペンシルバニア州バトラーにあるクーパーズレイクのイベント会場にチケットを持って足を運んだ人の数は約2万5千人。この数は昨年のイベントよりも25%多い数字であった。更にジープのパレードを鑑賞する為にButlerの街に集まった人々は2万人を超えた。今年は昨年よりも1000台多い、2937台のジープが参加登録。参加者は38のアメリカの州とカナダから集まった。その他にもスポンサーやベンダー達のジープ。そして駐車場には1000台のジープがひしめいた。2420台のジープがButlerのダウンタウンをパレードした。今後、ギネスブック(ギネス ワールド レコード)より正式に世界記録の承認を得られる事になる。

 

上記は、BJHF オフィシャルサイトより、

パレードの写真

 

ところで、BANTAM JEEP って何?

 

 圧倒的なイベントである。ジープがアメリカ人からこれほど支えられているという事実は他の車種のイベントやクラッシックカーのイベントと比べても遥かに勝るものである。このイベントに集うジープには大方何らかの手が加えられている。ジープの魅力の一つは他にない自分だけのジープを製作する魅力であろう。そして、それを他人に観てもらう機会。そういう環境が参加者を魅了するのだ。ジープはアメリカ人が誇りを持って乗るクルマである。アメリカの文化そのものである。アメリカ人は自ら誇れる物が欲しかったのだ、ジープはそれに応えた一つの象徴。ジープが元気になってきたという事は、アメリカ人が自信を取り戻してきているんだと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

L R ディフェンダー

2015年07月06日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 

Defender 110: Made in Solihull

expedition potal より、

Land Rover just announced one of the most significant pieces of news since the launch of the Discovery in 1989. On June 1st, Jaguar Land Rover signed a manufacturing agreement with Magna Steyr, an Austrian company best known for producing such awesomeness as the G-Wagen (G-Class) and the Pinzgauer. It is no coincidence that as Defender production ends inSolihull,England this December, a new 4WD manufacturing partner is contracted. Just imagine for a moment the next Defender: Designed by Land Rover, yet engineered and manufactured by Steyr in Austria- Shangri-La indeed!

 

 今年(2015年12月)を最後に生産が打ち切られるランドローバーデフェンダー。1983年に生産が開始されてから32年間マイナーチェンジを続けながらも、そのスタイルを維持し続けたランドローバー社の本格的な4WD。世界中の荒野で、そして都会のステイタスとして愛されて続けているこのデイフェンダーの生産終了は残念な事である。しかし、ランドローバーがディフェンダーの生産を終えたからといってデフェンダーが消えて行く訳ではない、というニュースが流れている。来年以降、ジャガーランドローバー社はディフェンダーの生産をオーストリアの MAGNA STEYR社において委託生産を行う計画である。MAGNA STEYR社はメルセデスのGシリーズやピンツガウアーの生産に関わっている企業である。

 現行のデイフェンダーがそのまま継続されるのか、あるいは新しいモデルのディフェンダーが生産されるのか。詳細は現在の所不明である。いずれにせよ、現行ディフェンダーが姿を消す事は本格的な四駆が一つ消えてしまう事となり、ランドクルーザー70系がライバルの存在を失ってしまう。日本やアメリカではディフェンダーが終了したところで何も変わらないと思う。しかし、リージョナルな視点ではなくてグローバルな視点で観るとディフェンダーの存在は一つの文化なのだと感じる。オーバーランダーという定義やエクスペデッションの模範もディフェンダーの存在無くしては固まらなかったかも知れない。よって、ディフェンダーの終了は一つのクルマのモデルの終焉ではなくて一つの4x4歴史舞台の幕が下りるという事を意味している。

 一つのモデルを継続し、長い間ランドクルーザーと比べられながら性能面では常に劣っていた。時には時代遅れとか鈍車とか言われてきた。誰も最先端の四駆だとは思っていない。しかし、23年間の歳月を耐えてきた結果、ランドローバーはディフェンダーを通じてグローバルな4x4の文化の構築に貢献したのである。

 

 ディフェンダーが生き延びれば、将来の時間はディフェンダーに有利に動くであろうと感じている。

 それは、こいつは本物だという事の証明となるであろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月5日の早朝にて

2015年07月05日 | ロクマル日記

 昨日7月4日(アメリカ独立記念日)は僕にとって3週間振りの休日であった。今年の独立記念日は曇り空で湿気が少なく過ごし易いと感じる一日であった。日の高い日中は室内でゴロゴロと過ごし、夕方にはベランダに置いているBBQグリルに久しぶりに火を入れて、盛大ではないが少し非日常的な食事を楽しんだ。やはりお肉は台所で調理するよりも墨を熾して炙った方が手間はかかるが格段にティスティであるというのが食事中の会話であった。というのは嘘で、美味しい物を食べている最中というのは意外と無口で黙々と目を輝かせていたりするだけなのだ。

 

 昨晩は日が暮れると遠くから花火の音がドーンドーンと届いてきた。クルマやバイクが大きなエンジン音やステレオを鳴らして行きかう音が明るい闇の中に響いていた。そういった雑音を確かめながらも僕は全てが関心外の気分でそのまま寝込む。

今朝は6時前に目が覚めた。

しっかり食べて、しっかり寝ると気持ちいい!などと目覚め時に思った。

早速、ロクマルのキーを握って外に出かける。

 

ボンネットの角を叩いて。

さあ、いこう!

 

 街の公道にはほとんどクルマが走ってていない。窓を開けて朝の爽やかな空気を浴びる。ラジオは消して、その代わりに2Fエンジンとトランスミッションの鼓動の音を聞く。誰もいない信号が赤に変わるとクラッチを踏み込み3速、2速と減速する。1速で人が歩く程の速さで横断歩道に近づき完全に静止する事はない。信号が緑に変わると再びアクセルを踏み込む。クルマを駆るという感性が興起し人馬一体(ロードスター的表現)ほど洗練されてはいないかも知れないが、馬よりももっと大きなバッファローのような野獣を操っているような感覚がするのは、遠い昔にユーラシアの大陸を手綱を握って移動していた頃のDNAが呼び起こされるのだろうか?などと妄想させられる。

 

クルマは移動の為の道具だけではない。

 

 休日の朝、僕がランドクルージングを楽しんでいるという事を近所の人々は知らない。自分の家族さえ知らない(起きてこないからな)いつも路上の同じような所に駐車されている古いランクルを見てある人はこう言う。『ぜんぜん乗ってないじゃんか。』そういわれても仕方がないかもしれない。それは間違ってはいないと思うし、週末の早朝に走らせているよ。なんていちいち説明はしない。むしろ乗っている、と応えるよりも、楽しんでいるんだよ、という表現が的確であり、更に感性がしびれるんだ! などと表現しても変わり者だと思われるだけであろう。

 

誰も知らない所で楽しんでいるって、

...あやしい、よね。

つーか、やばい?

 

 

 我がロクマルライフというのは人が集まる華やかで賑やかな世界を好むのではなくて、正反対の世界に身(クルマ)を置く事を好む、実に地味な世界なのだなと。でも誰も知らない所でランドクルーザーを駆って英気が高まるのであればこれは間違っていないんじゃないかと感じるだけだ。

 

 今週もがんばっていきます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする