ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ルーフラックに対する理解 その2 ルーフ上許容重量

2018年02月27日 | OVERLAND VEHICLE

 2012年の春から2014年の夏にかけて世界の大陸を走破した EXPEDITION 7 のアドベンチャードライブ紀行においてトヨタランドクルーザー78トゥルーピーが使用された。その78のルーフには南アフリカ製のローポジションの薄型ルーフラックが装備されていた。

 ルーフの基本常識として多くのSUVはルーフ上の最高許容重量が165ポンド(75キログラム)として設計されている。と伝えているのはこちらのサイトです。ルーフラックの大きさや重量はその素材や大きさ構造によって異なります。ランドクルーザーに取り付ける様なルーフラック(ルーフバーは別)の重量は軽い物で40ポンド(17.5キログラム)重い物だと100ポンド(45キログラム)の重量が有ります。そして更にそれらのラックには300ポンド(135キログラム)までの積載が可能だと説明してあったりします。すると最高制限重量の数が頭に無い人々は取り付けたルーフラックの上に最高300ポンドの荷物やリカバリーギアが搭載可能だと理解してしまいます。以前、あるアメリカの有名なアウトドア誌のコラムに最高制限重量を理解していないであろう記者が書いた記事が載った事があり驚いた事がありました。ルーフ上の重量はルーフラックの積載許容重量ではなくて車体ルーフの最高許容重量で理解するというのが基本です。自分の愛車のルーフ上許容重量を知る事がまず大切です。

 

 EXPEDITION 7 の執行者と車両製作者にはルーフ上最高許容重量に対する理解が有った。ルーフラックこそ取り付けてはいるがルーフ上に荷物を搭載している写真は殆んど無い。その代わりに停車中に人がルーフラックに座ったり立って写真を録ったりの写真はある。ルーフラック上に物を積まないとする思考はEXPEDITION 7 に参加した OVERLAND JOURNAL 誌の編集長 Scott Brady 氏の頭上軽量指向の意向も大きいと捉えている。

 

 走りを重視し車体の重心を低く抑える為にルーフにルーフテントを取り付けないで宿泊は車内泊でした。ルーフラックは主に日除けのAWNING と LED ランプのステイです。こういう重心を低く製作したスタイルが今後のアドベンチャービークルの一つの手本である。

 実際にルーフテント等の重さは90から160ポンド(40から70キロ)の重さがある。そして二人の大人がそこで休むとしたらその重さがルーフにかかってくる。それを想定するとルーフラックは大人3人分の体重にも十分耐えられる強度が想定されている。しかし、それは停止状態での事。そこに移動という加速が加わる事によってルーフラック自体がどれ程の重さに耐えられるかどうかという観点は議論の中心から反れてしまうのである。

 

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ルーフラックに対する理解 その1 キャメルトロフィー

2018年02月26日 | OVERLAND VEHICLE

 イギリス住在の自動車冒険家 Overlanders Handbook の著者である Chris Scott 氏は自身が製作した Desert Driving のDVD の中でルーフラックに荷物を満載した Land Rover Defender が砂漠の砂丘(デューン)の下りでバランスを崩して転倒する場面がある。強靭な構造を持つ Defender といえどルーフに荷物を満載して走行にタイヤへの抵抗がかかる砂の上を走破する事にはリスクが高い。しかし、Scott 氏がルーフに荷物を搭載したディフェンダーをあえてひっくり返したとするなら彼はルーフ上への過剰搭載を警告する策士に満ちた知者である。合理的に考えたらラフなオフロードを走るのに荷物を高い所に積むという事が愚かな間違いであるにも関わらずルーフラックに荷物を搭載するスタイルへの信仰が冒険的な印象を与えるのは嘗てのキャメルトロフィーがそうであった。というのが今日まで大きな影響になっていると思えて仕方がない。

 

 アリゾナ州住在の自動車冒険家で Overland Expo の主催者の一人でありコラムニストの Jonathan Hanson 氏はそのコラムの中でルーフラックの上に多くの荷物を積む事を戒めている。それは自らが過去に経験してきた結果からくる結論である。そして 、Hanson 氏はなぜキャメルトロフィーが200ポンド(90キロ)の荷物を車上のルールラックに搭載する必要があったのかを述べている。

The CT vehicles were navigating remote areas of the planet and overgrown tracks in stunningly bad conditions, and required huge amounts of recovery and survival equipment. Inside the vehicle were always two team members plus at least one journalist, so much kit simply had to go on the roof. And, two, those Land Rovers ended up on their sides very, very frequently in the midst of Special Tasks requiring greater than prudent speeds.

 キャメルトロフィーでは想像を絶する程の悪い悪路の境地を走破する為にあらゆる状況を想定したリカバリーギアとサバイバル用具を搭載する事が求められた。一台のクルマに二人のチームメンバー、そして後部座席には最低一人のジャーナリストが同乗した。よって車体の後のカーゴスペースだけではスペースが充分ではなくルーフ上への搭載が余儀なくなされた。(ジャーナリストのカメラの器具などの入ったペリカンケースは車体が水に浸かる事を事前に想定してルーフへ搭載)キャメルトロフィーの車両はルーフ上に多くの物を載せて不安定な事は皆知っていたがあえてその状態で悪路を走破する挑戦を冒険的義務としていた競技であったのである。

 不安定な車体であるからこそ面白かったのである。面白く過酷であった故にキャメルトロフィーのスタイルはオフロードの伝説となりアイコン的な存在となって定着した。安全性や機敏性、走破性やブレーキ性能うんぬんを押し沈める程にアドベンチャーオフロードビークルというのはこうあるべきだのイメージがキャメルトロフィーによって確立されたのである。

 

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おっ、パブロの車じゃーねぇーか! 2

2018年02月24日 | ロクマル日記

 AMERICAN MADE(日本名、バリーシール/アメリカをはめた男)というトムクルーズ主演のハリウッド映画がこの冬に流行った。実話に基づいたこの映画の舞台は1970年の後半から90年代の初頭にかけてのアメリカと中南米である。そしてこの映画の中南米の光景のシーンで時々出て来るのが60系ランドクルーザーなのである。

 

 今週のある日の夕方、国籍の異なる南米生まれの4人の男をランドクルーザー60に乗せた。車に乗り込むなり最初に発した皆の言葉が、『おっ、パブロの車じゃーねーか!』であった。南米の男達はランドクルーザーに関心を持って色々聞いて来た。バリーシールの映画を見たか? 映画の影響もあって忘れかけていたランドクルーザー60の存在が再びリマインドされている様にも感じた。ランクルに対していろいろと褒めてくれるので、最後に売ってやろうか? と聞いてみた。幾らで売るつもりなんだ? と聞くから正直に5桁の値段を告げると皆黙った。パブロの車と言われる機会は決して少なくない。中南米の車好きな人々はよくその様に発言する。中南米の人々にとってランドクルーザー60という名前は曖昧にしか知られていなくても"Pablo's car"(パブロの車)と言えばピンと来る様だ。中南米ではランドクルーザー60は"パブロの車"として大衆に知られているのである。

 

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春の到来を告げるランドクルーザーFJ40

2018年02月22日 | NEW YORK

 ニューヨークマンハッタンの忙しい路上に車を停めてパーキングメーターにコインを入れて駐車代を払い、近くのデリーでサンドイッチを購入して、さあ腹ごしらえをしようか!と思った瞬間バックミラーを見ると、眩しいオーラに包まれた水色のランドクルーザーFJ40が近付いて来て我が車の横を抜けて前方に走って消えて行った。後期形のFJ40はとても美しくレストレーションが施されたオリジナル車体で車高を上げ少し太めのタイヤを装着していた。前方にFJ40が消えて行くと同時に、ああ...今年は春が近いな!という印象が残った。ここニューヨークでは冬の期間は路上に塩が捲かれるので特に大切なクラッシックカーは雪が解けて暖かくなるまで路上に姿を見せる機会は少ない。即ち、春になったら路上にクラッシックカーが現れだすという事である。本日目にした美しいランドクルーザーFJ40は僕に春の到来を告げる使車であったように思えてならなかった。

 

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トラクションコントロール

2018年02月19日 | 日記

 

 週末の土曜日の午後から日曜の朝に掛けて雪が降り積もり10センチ程の積雪となった。幸いな事に当日は陽の出と共に気温は上昇し雪はゆっくりと解け始めた。午後になって青空が広がっていたので自転車トレーニングに出かける事にした。

 

 路上には水分を含んだ重い雪が広がっているが自転車は地面の雪を切り裂きながら前進する。しかし、長い上り坂に差し掛かると自転車は上手く前に進まない。強く踏むとリアタイヤは雪で滑って空回りしバランスを崩す、逆にゆっくり走ると雪で前輪がとられてふら付く。最初はフラフラした走りであったが、やがてギヤを軽くしてトラクション掴むコツを習得した。優しくバランス良く走る事であった。パワーにまかしては推進力を失ってしまう、車の運転においても雪道でタイヤが滑るのはこういった状況なのだと体験しながら動力とグリップの力加減を体で感じ自転車ではあるがトラクションをコントロール(制御)し前進する事の楽しさを感じた。しかし、下り坂は怖い、油断すると滑るので緊張を維持する必要があった。ブレーキも利かない。体は濡れて赤い自転車と共に激しく白く汚れた。走り終わった後の午後の紅茶がとても美味しかった日曜日であった。

 

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Desert Intake

2018年02月17日 | NEW CARS

 現在開催されているシカゴオートショーにおいて北米市場を牽引するトヨタトラックの3種 TACOMA, TUNDRA, 4RUNNER の頂点に位置するモデル2019年型 TRD-PRO(FOURWHEELER参照) が公表され4X4愛好家達の間で話題となっている。特に関心が集中するのがToyota Tacoma TRD-Pro に装着されている Snorkel (スノーケル) と呼ばれる Air Intake の存在である。恥ずかしながら獏は今までスノーケルの存在機能に関心が薄く、あれは深い水場で役に立つ存在という程度の理解が頭の中を占めていた。乾燥した濃厚な砂埃の中を前進するビークルのボディの表面をフロントからバックへなでる様に空気は切り裂かれて行き、舞い上がった砂埃もその流れに巻き込まれボディの表面を流れて行く。その流れから独立した位置に座するのがスノーケルの存在なのだ。スノーケルの空入口はA ピラーとフロントウィンドウの上部に存在し、埃の純度の少ない空気をエンジンに送る事が出来るのである。用途を考えたら実に機能美的な装備だと理解する。実際にアメリカ南西部のダートコースを普通に走っても恐ろしい程の砂埃が起ちます。砂漠でのダートコースに必要なのは Desert Intake を備えたパワーの有るクローズドボディの四駆なのです。

 

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64度

2018年02月14日 | LANDCRUISER

 トヨタランドクルーザーは64度の坂道を登りますよ!と宣伝を謳っているのは当時、アメリカ、ユタ州のザイオンモータースという会社のローカルな広告である。現在もユタ州にはザイオンモータースという会社は存在しているがそれは自動車販売会社ではなくて修理工場なのでおそらくこのポスターの流れを引く会社ではないであろう。しかし、そのホームページにはランドクルーザー100を修理してしている写真が搭載してあるので、もしかして!と思わせる疑いの要素がある。この初期型40(25?)のイラストの宣伝は1965年頃のものではないだろうか?1966年以降はランドクルーザーに続いてコロナ、カローラが大量に米国に投入されたからだ。そうでなければ下記の1992年のデザートニュースの記事にランドクルーザーという一つの車種のみを扱っていると書かないで、トヨタ車を扱っていると書かれたであろう。さて、ザイオンモータースであるが、当時扱っていた車種がクライスラー、インターナショナルハーベスタ、アメリカモータース(AMC)、と米国製の4X4トラックが軒を並べている。その中でもランドクルーザーはオフロードでの走破性能が優越していたのであろう?そうでなければ64度という大胆な広告を刷る事はしなかった。

The corporation was founded in 1934 as Wilkinson Motors and was later named Zion Motors by O.J. Wilkinson. Zion Motors later sold Chrysler and Plymouth products and then International Harvester, America Motors and Toyota Land Cruisers in Murray-Salt Lake County area.The Honda line was acquired in 1973. Heritage has become the largest Honda dealer in the state and one of the few dealerships in the nation operated by the original family.

 ザイオンは1973年にホンダの販売権を得て後にユタ州で一番大きなホンダのデイラーになった。1992年当時、その中の幾つかがオリジナルのオーナー一族によって営まれていると書かれている。当時、ザイオンモータースはユタ州のソルトレイクシティを中心とした自動車販売会社。そこを南に下るとロッククローラーの聖地モアブである。よって、このイラストを見てモアブの赤岩地帯をクロールするランドクルーザーをイメージさせられるのは自然な事なのである。ランドクルーザーは最初から優れた四駆であったという事だ。

 

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ヘッドライト テールライト

2018年02月12日 | ロクマル日記

 2月半ばの晴れたニューヨークの郊外の夜中、時間はもう少しで夜の10時に届くところ。仕事を終えてランドクルーザーに乗り込みイグニッションを回して暫く暖機の為に待つ。今日はラジオを消してかすかな月明かりを楽しもう。街の郊外ではすれ違うクルマもまばらである。信号で止まってギアをニュートラルにした時に純粋な2Fエンジンの音色が響く。それはのこぎりの歯を丸くした様なリズム感がある。周りには対向車も無ければ追続車もない。信号が変わるとギアをシフトして走り始める。2Fのサウンドにはギアボックスのサウンドや振動音が混ざりアクセルの踏み加減に合わせて波長を変える。周りは森。5百メートル事に外灯が設置してある郊外の道を一人で飛ばす。ランドクルーザーが相棒だが、一人ぼっちのドライブに過ぎない。前方から一台の車が迫ってきてヘッドライトから瞬時にテールライトに姿を変えて闇の中へ溶けていく。時々除雪車によって掘られたのであろう冬の道の落とし穴が路上ある。多くの場合穴を避けるが時々穴の脇を踏んでランドクルーザーに硬い振動が走ったりする。30分程走るとニューヨークマンハッタンの摩天楼の夜景が視界に飛び込んでくる。やがて、ヘッドライトの連鎖、テールライトの連鎖に僕は迎え入れられる。そして車内がやっと暖まった頃に自宅に到着。一人になる時間、孤独を愉しむ時間、運転以外何もしない空白?な時間、殆んど何も考えないけれど何かを感じる時間を持つ。ランドクーザーは何時も男の孤独を飾ってくれる。

 

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Ferrari 412

2018年02月10日 | VINTAGE CARS

 先週のWSJ新聞に1986年型の Ferrari 412 が紹介されている。39歳のオーナー夫婦はサウスカロライナ州でイタリアから輸入したエスプレッソマシーンを販売する事業を営んでいる。夫婦は仕事で扱っているそのイタリア製コーヒーマシンに心底惚れてしまい、その延長としてイタリアの頂点に位置する機械製品であるフェラーリの購入を模索した。3人家族の夫婦は子供も乗れる事を考慮して Ferrari 412 (4.9L.V-12)を選んで車を探した。製造台数が576台の412は市場に2台しか存在しておらず、夫婦は走行距離25000マイル(4万キロ)の1986年型の Ferrari 412 を41600ドルでアリゾナ州から購入するに至った。夫婦にとっては大きな投資であった。ハンドルを握る度にその強力なエンジンサウンドと座り心地の好いシートのフィット感等、エキサイティングなフィーリングを感じるフェラーリはオーナー夫婦にとってはイタリア製エスプレッソマシーンの延長のトップに位置している。クルマの好みや選択というのはこの様に個人の嗜好の延長に有る。別の表現をすれば所有する車が所有者の嗜好を表現しているという事だ。人生においてフェラーリに乗れる人とは限られた人なのかも知れないが、本人の心の有り方が整えばフェラーリは所有するに相応しい人の所にやって来るのかも知れないと思わされた記事であった。

 

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古いランドクルーザーは心の憑代

2018年02月05日 | LANDCRUISER

 今週は仕事でフロリダ州のオーランドという街に滞在しています。オーランドはフロリダ州の真ん中辺りに位置する街で、ネズミーワールドなどの娯楽施設が広大な湿地地帯に展開しています。地元に住んでいる人と話をすると娯楽施設等しか無いけど一年を通じて暖かい気候が有り難い、と口を揃えた様に言います。この2月初旬の日中気温は25度を超えてとても快適な滞在となっています。上の40の写真は今回持参しているノートブックコンピューターのバックスクリーンに現在貼っているFJ40の写真です。一日外での仕事を終えてホテルの部屋に着いてコンピューターを開くと画面一面にこのFJ40の写真が出て来ます。一枚の写真というのは大事な存在だと思います。一日を終えるとその日の経験事から気持ちは散乱しています。しかし、そこで一枚の写真をちらっと見るとそこに気持ちの憑代(よりしろ)を得る事が出来ます。我に還る、失った自分を取り戻す様な感覚です。ニューヨークに居る時はいつも仕事の帰りはランドクルーザー60ですからそこに自身の憑代があります。しかし、こうやって旅に出るとコンピューターのバックに貼った一枚の写真が自身の一日の散乱な気持ちをまとめてくれると感じるのは古いランドクルーザーが自身の心の形そのものなのかも知れないと思ったりしている。

 

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25年ルールと渡来ランドクルーザー

2018年02月03日 | VINTAGE CARS

 当地で販売されてから25年が過ぎたランドクルーザーがアメリカの市場を賑いさせている。1960年代に米国内の自動車製造業を保護する目的で設定されたのが"25年ルール"と呼ばれる規制である。アメリカ市場に正式に輸入されていない他国で生産された車は製造後25年が過ぎたらクラッシックカーとみなされて規制が下がり輸入登録が可能で一般使用が出来る。現在は2018年なので1993年までに他国で生産販売された中古車が合法的にアメリカ市場に流れてくる。60年代の基準で設定された25年ルールが現在も適用されている所にアメリカのおおらかさを感じている。

 

 上の写真は現在ニューヨークとその周辺で販売されている渡来のランドクルザーである。ハンドルも左右のものがあるが左ハンドルが人気である。25年以上前に海外で販売された中古ランドクルーザーが注目されるのは幾つかの理由がある。まずは、米国仕様に無いディーゼルエンジンを搭載している。そして海外から来る中古車は使用走行距離が短く25年使用されて10万マイル(16万キロ)以下の車両が多い事。そして値段。決して安い買い物ではなく新車の中型セダンが買える値段に匹敵する。しかし、新車は時間の経過と共にその価値は下がってゆくがランドクルーザーの旧車は値段が下がらない。更にランドクルーザーが好きな人達はシンプルな仕様を良しとする人たちが多い事。そうは言ってもデメリットもある。それは部品の供給や整備の規格や案内が無いという事だ。よって、それを理解している人のみが渡来ランドクルーザーを手にする事が出来る。昨年の暮れに地元で黒い70を観た。そして、今年ニューヨークのブルックリン地区で右ハンドルのHJ62とすれ違った。渡来ランドクルーザーは静かに浸透しつつあり、錆びて屁たった地元の40や60を凌駕してゆく事になるのかも知れない。

 

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基本的オフロードドライビングテクニックを習得する者が世界のオフロードを制する

2018年02月01日 | TOYOTA TRAIL

 先月書いた日記 FJ Cruiser Final and Next? の結論を持論で締めくくりたいと思う。そう思ったのは TLCA 2013年の冬号のToyota Trails の記事 A Dusty Trail of Memories by David Lee を再読して思う事があったからである。この記事が書かれた時にアメリカにおいては FJ Cruiser の販売が2014年を最後に終了する事が発表された時である。FJ Cruiser はハマーの雰囲気こそ持っているがジープラングラーに対抗する本格的なオフロード車であり、キュートとかレトロという車体の形状を形容する表現は本当は似合わないクルマである。発売当初 Trail Teams Program が結成され約3年間に渡ってその活動が話題となった。トレィルチームの指導には4x4 GOD (四駆の神)と称されている Bill Burke の様な優秀なオフロードドライバー達が集っていた。今という時はFJ が販売されていた時代を客観性を持って観ることが出来る。振り返って観ると結果、 FJ Cruiser Trail Team の存在はFJ Cruiser の販売促進の為の揮発材(広告)にすぎなかったのである。

 もしも、TOYOTA が本気で 次期 FJ Cruiser を世に出す時が来るとするとマーケッテングにおける展望に育てるという概念を強く置いて欲しいと思う。育てるという内容は安全と環境を分母にして基本的オフロードドライビングテクニックを習得してもらうというメーカー主体の取り組み姿勢である。そこには乗る、から乗りこなす、という四駆に対する意識の違いが生じてくる。良いクルマを造るだけで売れる時代は終了している。オフロード車と基本的オフロードドライビングテクニックはセットであるという本来ランドクルーザーが持っていた価値観を再認識する事が付加価値となる。そういう時代が将来やって来るのではなくて、既に今がそういう時代なのだと理解している。

 

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