ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

トヨタ最後のV8ランドクルーザー

2020年01月27日 | LANDCRUISER

 Outside のトヨタランドクルーザー200についての記事の中に2022年を最後にアメリカにおいてランドクルーザーの販売が終了するという。アメリカ以外の地域においては200の新しいモデルが継続して存在するとの事であるが現行の V8、5.7L エンジンは置き換えられて V6 となり時代の流れに沿ってハイブリッドも搭載される予定。近年においてのランドクルーザー200のアメリカにおける年間販売台数はおおよそ3000台。ライアビリティと走破性能は認められているが、重い、燃費が悪い、高価、等の要因でオーバーランダー達からは距離が置かれる存在である。しかし、近い将来にサイズダウンして新しくなったランドクルーザーは魅力的に感じるが、アメリカの新車市場からランドクルーザーが消えるのは寂しい事である。

According to my my old colleague Jonny Lieberman, Toyota will stop selling the Land Cruiser in the United States in 2022. The rest of the world will see an all-new design that year, and it’s possible that we may get the Lexus version of that vehicle. Other report (and common sense) suggest that Toyota also plans to stop using the 5.7-liter V-8 in those next-generation Land Cruisers and the next Tundra, replacing it instead with a twin-turbo V-6 and probably a hybrid gasoline-electric power train, too. While undoubtedly faster and more fuel efficient, it’s unlikely that those future vehicles will be as simple, durable, and easy to work on as the current truck.

 総じてOutside 誌ではランドクルーザー200の評価は高い。高価なランドクルーザーに対してはトヨタは宣伝費をかけていないが、それでも3000台が売れている。そして、ランドクルーザー200を選んだ人々はランドクルーザーの価値を理解している人々であるという事。オフィシャルに公表されている事かどうかは定かではないが、ランドクルーザーの耐久使用期間は25年間を視野に置いているとの事。25年間の耐久性は使用状況や保管環境によって差があるが、そのコンセプト事体に非視化的な価値が存在している。2020年の今ランドクルーザー200の耐久性はまだ強く語られてはいないが、2030年以降にはこれに対する評価が語られる事になる。現行のランドクルーザー200の耐久性が電装、電動機も含めてどれ程の耐久結果を出すのかは楽しみである。いずれにせよ、ランドクルーザー200は最後のV8ランドクルーザーとしての位置付けが定まりつつある。

 

ランドクルーザー200、テキサス デルリオのダウンタウンにて。

 

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2019年の除夜の鐘

2020年01月25日 | 日記

 日産自動車の元CEOの逃亡劇は今年の年頭の大きな話題となった。逃亡成功のニュースを最初に耳にした時に脳裏に感じたのは、成功した。という黙秘的な感情であった。これは逃亡者の肩を叩く賞賛ではない。もしも、彼の行動と計画を影で密かに知っていながら阻止する事なく無知を通し、自発的な意思と行動で逃亡したという結果をもたらす事が出来たのだとするならば、これは成功の成果であり、実は罠であった。なーんて事を時間が経過した今も思っている。それに対する証拠なんてものは無い。

 上の写真はミシシッピー州の中部にある日産自動車のカントン工場の夜明。嘗てこの光景を目にしていた時は元CEOに対する賞賛の気持ちを持っていた、尚且つカバンの中には彼の著書を数冊持参し愛読していた。それは、そういった時代であったのだ。

 貧しかったアメリカの地方に雇用をもたらし地域を潤す自動車産業の存在は巨大な ”うちでのこづち” の様な存在に見える。うちでのこづちの使い方をご存知でしょうか?こづちを振ると欲しいものがいくらでも出てきますが、途中で鐘が鳴るのが聞こえてくると出した物が全て消えてしまうのです。2019年の除夜の鐘が ”ゴーン” と鳴り始めた時にそれまでに出てきた物は全て消えてしまいました。村人達はいい夢を見せてもらった、と語り続けるのであった。

 

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R E S P E C T

2020年01月21日 | OVERLANDERS

 最近、オーバーランドジャーナルやアウトドアーx4等の情報誌の媒介体、或いは世界各地を廻るオーバーランド旅行の動画記録などを観ながらつくづく感じるのは、それらの背後、いや、中心に存在するのが尊敬心(リスペクト、RESPECT )であるという事だ。結論から言ってしまえば、尊敬心がなければオーバーランダーにはなれない。尊敬心を向ける対象とは何か?まずは途方もない長い期間によって造り出された大自然、そして人の営みによって形成された文化と生活。そして食事、食べ物。それら全てにおいてそれらを敬う気持ちが大切である。旅に活用する乗り物の手段は四駆であってもバイクであっても、或いは自転車であってもいい。それらを駆る人間には旅の先々で遭遇する様々な経験において、必ず尊敬心を持って接する事が前提となる。尊敬心の意識は旅先においてのみ必要な事ではなくて、普段の生活において意識して養っていく事が大切なのである。

 

 以前、アメリカでのレンジローバーのコマーシャルで実際に RESPECT というキーワードが使用されていたのを思い出す。リスペクト、尊敬心という意識は我々の行動に影響を与える。尊敬心を持ってステアリングを握ると、あおり運転とは距離を置く事になる、道を譲る事が喜びになる。気持ちに余裕が生まれ、様々な事に関心が生まれてくる。そんな、めでたい思考がレスペクト、尊敬心なのである。レスペクトを気持ちに置くという意識を持つということで、今日から目の前の風景が違って見えてくるはずである。

 

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雪道運転x0,8

2020年01月18日 | ランクル ドライブ

 寒波が続き、今日のニューヨークは今年最初の雪に見舞われた。雪が降りはじめると辺りはあれよあれよと白く染まり、車の走る路上には圧雪が敷かれ僅か30分程で環境は変わってしまった。雪により舗装道はドライビングテクニックが必要なスリッピーな道となり、雪道に遭遇して胸を躍らすのはランクル乗りの心境である。エンジンを始動させて暖気の後に誰もいない駐車場の真ん中辺りのバージンな雪上で、ハンドルを思いっ切り右に切ってアクセルを強く踏み込み雪煙をたてて後輪を滑らせ180度のターンを決める。この過激な行為が積雪の日の一つの楽しみとなっている(汗)。楽しんだ後は気持ちを落ち着かせて、帰路につく。走行スピードは前後の車間距離も考慮するが、もう少しスピードを上げても自分はこのランクルを上手くコントロール出来るであろう、という感覚に対して、マイナス20%、即ち8分目程の按配で走行する事を心掛ける。逸る気持ちを抑える走行スピードであるが、この辺の感覚を意識する事が大事である。そんな気持ちが雪道運転のコツ、テクニックではないかと感じる。滑って路肩に突っ込んだり事故を起こしている車には四駆も多い。そんな光景を横目で見ながら、ランクルで雪道で滑って突っ込んだりしたらカッコ悪りぃなぁ、と思いながら、雪道での運転は8分目位でいいという正統性を自分に言い聞かせるのであった。

 

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最初も最後も少数派

2020年01月16日 | OVERLANDERS

 オーバーランドというキーワードが拡散して定着し、オーバーランドと聞くと人々がアウトフィッターを施した四輪駆動車やデュアルパーパスのオートバイを容易に思い浮かべる様になった時。その時、時計は正午を回り太陽が西に傾きかけた現象を表している。それまで新鮮な言霊を持って響いていたオーバーランドというキーワードが普及すると、そのキーワードは序序に熱を失ない、やがて賞味期間の終わりがやってくる。そんな寂しい感情を抱く今日である。

 それはちょうど生き物における存在現象に似ている。誕生してから成長期間があり、繁殖期間があり、そして衰退が始まる。つまり、オーバーランドというキーワードは魂が宿った生き物だと考えるのである。オーバーランドというキーワードの生き物はやがて西の彼方に没する運命にあり、その後は薄い月明かりが続く。その様に考えると我々が今生きている時代がオーバーランドの最盛期なのかも知れない、時代という時間に対する理解は時が過ぎ去ってからの全体的なその傾向を知る指針に過ぎない。

 オーバーランドという概念を持ったアクティビティの最初は少数派から始まっている。現在は規模は決して大きくはないのであるがブームの通過中である。将来はこのブームも沈静する時がやって来るであろう。そして、やがて再び最初の少数派に戻る時がやって来るのかも知れない。

 

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1968 Ford Bullitt Mustang

2020年01月14日 | VINTAGE CARS

 映画BullittSteve McQueen が駆った1968年型 Ford Mastang が 市場において$3.4Million (約3.7億円)で落札された。値段が最高値を記録した金額である事はもちろん驚きではあるが、それ以上に、アメリカンアイコンである Bullitt Mustang にスポットが当てられた事によってアメリカ中の車好きな連中の胸が騒いだ事が大きな現象である。多くの車雑誌が競う様にこのオリジナル Highland Green のマスタングを紹介している。現在、エレクトリカルな車で溢れる社会において半世紀前のこのマスタングは力強く硬派で男性的な存在である。あの当時から現在に至って、そして、未来においてもこの渋み、かっこよさを持ったマスタングは存在しない。多くの男達がかっこよく成りたい、生きたいと思う、それには抽象的な事ではなくて具体的なイメージが必要である。そのイメージを植えたのがスティーブマックィーンとブリッツマスタングであった。2020年の幕開けはネガティブなニュースで胸が騒いだが、このブリッツマスタングの存在でサンフランシスコでのカーチェイスの轟きを繰り返し観るに至り、眠っていた野生が目を覚まし、久し振りに胸が騒いだ。

 

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ランクル80がクラッシックランドクルーザーと呼ばれる時代

2020年01月12日 | LANDCRUISER

 

テキサスのデルリオで、中期型ランクル80

 Expedition Potal の最新記事に、Why The Land Cruiser 80 Series Is The Next Classic 4WD、というのがある。僕は雰囲気的にランドクルーザー80の外観は曲線基準を採用しクラッシックというイメージが当てはまらないものだと現在もそう感じてはいる。ランクル80のモデル設定は前期、中期、後期、とあって1989年から1998年に及んでいるので気が付けば既に誕生から30年の歳月が経っている。時間が経てば全ての製造された車は旧車となるが、ランドクルーザー80に対しては Classic という形容を使っている。クラッシックというと日本では古物的な感覚が支配するが、アメリカにおいてのクラッシックの形容では尊敬的な心情の篭った普遍性を意味するものとなり、オールドカーとは一線を引く事となる。クラッシックとは古いものではなくて、何時までも古くならない存在価値を有する名誉な表現なのである。

 

 要点の視点を箇条書きにすると以下である。

 

#1 The 80-Series Land Cruiser can keep up with modern life.

 *現在の使用に十分対応出来る

#2 They were built for a time of Japanese excess.

 *日本の繁栄期(バブル経済時代)に製造されている(弾けたのも同期である)

#3 The aftermarket has embraced them, and parts are easier to find.

 *アフターマーケットも充実しており、新、古の部品の入手が容易

#4 Low mileage Japanese models with turbo-diesel engines are arriving.

 *低走行距離のディーゼルモデルも市場に存在するようになってきた

#5 They’re more future proof than any other classic Land Cruiser.

 *ランクル80以前、以後のランクルよりも今後最も活用される

 

 現在2020年から観たクラッシックの要件、概念的なクラッシックのイメージが覆される視点である。本文の中にはランクル80の中古価格が紹介されているが、その値段は右肩上がりの途上。コカコーラはオリジナルなコークにクラッシックの名称を付けている。レンジローバーは初期型レンジローバーをクラッシックと表現している。アメリカにおけるランドクルーザーにおいては40、50、60系はビンテージと形容するのが良いのかも知れない。ランドクルーザー80系は今後100や200の流れの中にあって、クラッシックランドクルーザーと位置され称される事になる可能性が謳われている。

 

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年初めの長時間運転

2020年01月05日 | 日記

 昨日は一人で夜明け前から夜中までの16時間、距離にして800マイル(1300キロ)超えのドライブを経験した。ニューヨーク州の東南の端から北西の端までルートは異なるが往復の行程であった。天候は一日中曇り空。山間部には濃い霧が立ち込め、カナダに近い北西部の一部では吹雪に見舞われたが、今年の冬は例年に比べて暖かい様子である。車を運転している状態というのは常に神経が緊張状態にある。それは体力的な持久力ではなくて長時間に渡って意識の中で自分自身を持ち続ける持久力である。運転の疲労は無自覚にやって来るから怖い。最初は3時間置きに、陽が暮れてからは意識して2時間以内事に車を停めて神経を休めた。無理は禁物であり常に疲労の度合いを自分自身で認識する事が大切である。

 また、こういった長距離ドライブの機会には訓練の要素もある。それは疲れる自分の脳神経や目を主管する行程、そして、走り終わって疲れた状態からの感情の主管。これは昔、僕が10代の頃に日本での山岳登山で経験していた事であるが、くたくたに疲れた時にはその人間の本性がベールを脱いで現れます。そこでリーダーと呼ばれる人々はそこから余裕を見せるのです、そして、そこから誰よりも動きます。それこそが訓練の主要点でした。時々こうやってちょっとした無理(主管出来る)をやって疲れ、刺激を持つ事は長い目を持ってみると悪くないんじゃないかと思う。

 昨晩は神経が長時間緊張した為にがなかなか眠りのモードにならなくて苦しみました、カフェインの撮り過ぎでしょうか?

 

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生活の中のアナログ

2020年01月01日 | ロクマル日記

 日本に遅れる事半日、昨夜2020年の新しい年が始まった。昨夜は(も)眠気に襲われ、年明けの10分程前に起こされ、テレビの前に座ってニューヨークのタイムズスクエアーのカウントダウンの中継を観、マンハッタンから聞こえてくる花火の爆音を聞きながら再度意識を失ってしまった。2020年、明けましておめでとう御座います。

 昨年年末に、僕がランドクルーザー60を日常で使用しているのを観て、This guy knows car very well. と言ってくれた人がいた。こいつは車の事がよく分っているという最高の褒め言葉である。なぜ?車の事をよく知っているって言ってくれたのか、Because, you are driving old landcruiser. つまり、今という時代に古いランドクルーザーを日常の足として使う事は本当に車を知っている奴しか出来ない行為である...らしい。正直、僕は車の事はそれ程詳しくはなく更に自分の乗っているランドクルーザーの事でさえ未知の部分が多いままなのである。

 振り返ってみると、実は僕も同じ事を感じた事があった。空冷の911ポルシェを追いかけている時とか、1960年代のピックアップトラックを実用で使っているおっさんと話した時等であった。確かにそのドライバーに対して、車の事が分ってるなぁ。という感嘆な感情を抱いた事がある、その自然な気持ちは古い車を大切に乗っている人を観た時に衝動的に湧き上がる一蹴の連鎖的な感情表現なのかもしれないが、何か共通の価値観を保持している仲間的な質を持ち得ていると感じるのである。

 豊かさを感じる生活には必ずアナログ性が必要である。テクノロジーが発展し人々が結ばれ緻密に管理された社会や職場環境は誰でも閉塞感や比較競争を感じたり、常に懐具合に縛られたりもする。それを人生は修行だと自分を納得させる心の要素は要にはなるであろう。気が付けば僕はアナログLOVERである。時間が有れば包丁(ナイフ)と火(コンロ)に触れ嗅覚と舌感覚を愉しむ、読み物は紙、テキストよりも会話、汗と泥、そして手を油や埃で汚し切り傷や擦り傷と向き合う等、それらがアナログ性だとは言えないが僕は勝手にそう思っている。

 ランドクルーザー60のドア穴に鍵を入れてねじり、取っ手を掴んでドアを開ける。シートに座ってクラッチを切ってシフトレバーをニュートラルに戻しチョークレバーを引く。鍵をイグニッションに入れて一瞬息を止めて、頼むよ!って思いながらエンジンキーを回す。スターターが始動し軽い振動と共にエンジンが力強く始動する。アクセルを数回吹かして回転を安定させる。前世紀のガスの臭いが漂う。氷点下の朝等はこのまま数分待つ。そこからチョークを戻して更に数分エンジンを温める。やがて、そろそろいいよっ!てランクルの声が聴こえてくるとハンドブレーキを戻す。こうやって毎朝出かけて行く。めんどくさい負担になる行為だと思うかも知れないが、この行為を愉しんでいる。ランドクルーザーのドアを開ける度に感じるこのアナログ性こそが実生活の中での気分の緩和に大いに役立っている感じがする。そういった事を緻密に言う人はいないであろうが、他人から観るとそういう行為を愉しめる人間は車を知っている者と見なされるのであろう。

 現在とこれからの社会は更にテクノロジーが支配する傾向にある。ならば、生活姿勢はアナログ重視で行った方がいい。バランス感覚が保たれ、生活の中にも豊かさを感じやすくなるんじゃないかと思う。という事で、今年もロクマル君達にはがんばってほしい。

 

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