ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

Mt. Mansfield

2022年09月01日 | EXPEDITION

 バーモント州の最高峰マンスフィールド山(4395ft)の登頂に立つ事が出来た。ここが今回の旅の地理的ゴールポイントである。標高約1400メートルなので山国日本人の感覚からすると決して高い山ではない。緯度が高いせなのか、山頂付近の岩場の光景は日本の中央アルプスを思い出す。山頂に立つと、東にニューハンプシャー州のホワイトマウンテンズ、西にニューヨーク洲のアディロンダック山脈郡、北にはカナダとの国境が展開しその先にはモントリオール。南は同州バーモントのグリーンマウンテンの山脈が続き(写真)マサチューセッツ州、コネチカット州、そして大都市ニューヨークが存在する。山頂付近は風も強く雲が通過ししばらく視界が閉ざされたりの変化もあったが、おおかた晴れて空気は澄み切っていた。山頂でペンシルバニアから来た年配の夫婦が、昨日もここに立ったが雲っていて景色が全く見えなかった、悔いが残るから今日も頑張ってやってきた、最高だ!と語っておられた。ピークを制した事でエネルギーがー充填され心に残るいい思い出が出来た。ニューヨークに帰ろう、という気持ちにスイッチが入れ変わった時間であった。

 

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未舗装道が評価される時代

2022年08月27日 | EXPEDITION

 未舗装な道の評価が時代と共に変わってきている。僕が住んでいるニューヨークの郊外の公道は、プライベートな道を除いてほとんどアスファルトで覆われている。人々の価値観の中に舗装された道の方が未舗装な道よりも清潔で近代的な道であるという固定的な価値観があるのは事実。ところが、人々は未舗装道を求めてわざわざ遠地に出かける。その様な人々が増えると未舗装道の存在価値が高くなると感じている。写真はマウント マンスフィールドの未舗装道(有料)。オーバーランド旅行と称するならば、オフロードも走行が必然みたいな気持ちがある。オフロードを走るのに多少お金を払ってもいい、オフロードを求めて遠地に出かける。そういう需要を満たしてくれるのがここグリーンマウンテンスティツなのである。

 

 未舗装道に対する価値観は既に変わっているのである。

 

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曇り、あそこだけ晴れ

2022年08月24日 | EXPEDITION

 州道22Aを北上している途中、前方に怪しい雲空が展開していた。あの青空の下は我々が今目指しているバーモント州最大の街バーリントンである。この現象は我々が街を訪れる事を歓迎している神からの御印に違いない、今日はきっと好い事がある。という予感。予想は当たり、バーリントンは晴れて爽やかであった。バーリントンは南北に長いシャンプレーン湖に隣した街で、その西にはニューヨーク洲最大で巨大な ADIRONDACK 山脈が座している。景気と天気は西側からと言うが、その山脈郡の天候が空模様に大きく影響している。長い牧草地帯の左右に展開する蒼い山々の喉かな光景が続く。バーリントンの街に近づくと名物であるメープルシロップの直売店が点在し気分を甘くしてくれる。街に入ると久々に観るファーストフードに歓喜の声。バーリントンは人口4万人の静かな街。この街の最大の魅力とは高層ビルという建物が存在しない事である。その代わり、ボートヨットは沢山停泊している。

 

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もう一つのバーモント健康法

2022年08月21日 | EXPEDITION

 バーモント州の州民はアメリカ合衆国の中でも長寿であると言われている。その理由がこの地域に住む人々がりんご酢やはちみつを多く摂取する食生活にあると言われている。バーモント州の最大都市バーリントンと州都であるモントぺリアを繋ぐ89号線の中間辺りに観光名所として有名な BEN & JERRY'S のアイスクリーム工場があり、その工場の敷地で出来たてのアイスクリームが販売されている。我々がそのアイスクリームを求めてラインに並んだ所、平日の3時過ぎであったが我々の前におおよそ200人の人々が列を成していた。アイスクリームを手にパラソルの下にあるベンチで寛いでいると更にその行列は長く伸び、更に伸びようとしている。アイスクリームは皆大好きなのだ、という事実。そして、多くの年配のおじいさんおばあさん方も、でかいアイスクリームをペロッと平らげている光景を見ながら、ここにバーモント健康法の裏事実があるんじゃないのか?と思ったりした。バーモントでの滞在期間は、豊かさとは何か?を再考させられる時間であった。ニューヨークの街は猛暑であるが、ここはパラダイスである。

 

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バーモントでバーモントカレー

2022年08月18日 | EXPEDITION

 日本ではバーモントと聞くとバーモントカレーが浮かんでくる人が多いのではないだろうか?バーモントカレーの名前の由来は:開発当時の日本では「バーモント健康法」と呼ばれる、アメリカ合衆国バーモント州に伝わるりんご酢とはちみつを使った民間療法が流行しており、これが商品名の由来となっている。(ウィキより)

 

 昔から一度やってみたかった事の一つが、アメリカ合衆国のバーモント州でバーモントカレーを食べる事であった。今回は当地のスーパーマーケットで購入した食材と、当地の薪を燃やした炭でじっくりと煮込んだビーフスープに、持参したバーモントカレーのルーを入れて他では決して食る事が出来ない本場?バーモントで食する、バーモントカレーを楽しんだ。これで長年放置していた夢の実現を得たのである。カレーは文句無しにおいしく幸せな気分であったが、これは料理の手法や腕ではなくて市販のカレールーのお蔭だと思う。ちなみにバーモント州では、印象に残る様なりんご畑など、自分が走った道の周辺には存在しなかった。隣のニューヨーク洲にはりんご農園が沢山存在する。バーモント州はメープルシロップの産地で有名である、そして、はちみつは無った。この辺りは突込みが必要な今後の課題となっている。

 

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焚き火と縄文料理

2022年08月16日 | EXPEDITION

 バーモント州の西の真ん中辺りに位置するBomoseen State Park で3日間キャンプをしながら非日常的な時間を過ごす。キャンプの醍醐味は焚き火であると位置付けているのでキャンプ地に到着すると何をさておき火の準備。早朝に目覚めると焚き火を始め、夜中に就寝するまで火と戯れる。焚き火でコーヒーを楽しみ、鉄鍋で飯を炊き肉を炙る。普段の家庭料理では味わう事が出来ないアウトドア料理は、味を賞賛する以上にその過程とその場を楽しむ快楽である。それにしても炎は危険だ、楽しさゆえに虜になるからだ。自身の奥に潜んでいる縄文のDNAが当時を思い出すのであろうか?薪と肉、そこに天然の塩があればそれで十分。髪の毛と衣類に染み込む煙の臭い。煙には随分と泣かされたがその涙こそが非日常的な涙であった。

 

 大きなトラッシャルーバックは薪の運搬に大活躍。薪は路上で無人販売されていたり、ステートパークの中でも売られている。値段は一抱え5ドル位である。今回はトラッシャルーバック2杯分+αの薪を燃やしきった。

 

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旅先での予期せぬメカニカルトラブル

2022年08月14日 | EXPEDITION

 ニューヨーク洲のフリーウェイ87を北に向かって走っていると、かすかにラジエター水の不凍液の臭いを感じた。水温系に目をやると通常のレベルよりもやや高く、レベルが更に上昇しようとする気配を確認したので、至急安全な所に停車してボンネットの中を確認する必要があった。ボンネットを開けると臭いは湿気と同時に確実なものとなった。ボンネットの奥に位置する短いホースの継ぎ目からラジエター水が噴出している。これはよくあるトラブルの一つでホースの劣化、或いはクリップの締め付けの不具合から起こる。エンジンを冷ましてホースを確認するとクリップの付け根に小さな亀裂を見つけた。外気の暑さと水圧が劣化したホースに亀裂を生じさせたのが原因である。同乗者達の顔には不安と落胆が観える。早速、プライヤーを取り出してホースを可能な限り奥に押し込み、気休め的ではあるが布の切れ端を巻いて水の噴出を抑える処置をする。ラジエターキャップを開けてペットボトルの水を注入、7本のボトルを一気に飲み込んだ。GPSで次の出口までの距離を確認し、その近くにあるガソリンスタンドまで走る事にする。

 ガソリンスタンドで水とラジエター水を購入した。エンジンを冷やして再度ラジエターに水を入れる。修理屋を探そうと検索していると300メートルほど先にCARという赤い字で書かれたサインがかすかに見えたので、あれはクルマ関係の何ぞらしい?と思い、とりあえずそこに行って訊いてみる事にしてランクルに乗り込む。近くに行くとそのサインは CAR HAND WASH で見事に裏切られた。が、その敷地の横の道を入った所にクルマの修理屋のサインを見つけた。

 時間は朝の10時過ぎ、飛び込みの修理の依頼である。今日は忙しく詰んでいるから修理は午後まで待って欲しい、そのパーツも今から注文を入れるので届くのが午後になるとの事。しょーがないので今日は少し早いが昼寝の時間にしょうとして鍵を預けて隣の洗車屋のピクニックベンチで転がる事になる。しばらくすると修理を依頼した若者がクルマで出かけていった、11時半近くになって我々を呼ぶ声がするので行ってみると、修理が完了した!との事。頼んでもいないのに、旅の途中の我々に同情し作業を優先してくれた。パーツも配達を待たずに買い付けに行ってくれたという手配の有り難さに感動し、深く御礼の気持ちをしっかりと言葉で伝えた。

 ランクルLX450は再び北を目指して走り出した。ほんの数ミリというゴムの亀裂が旅の流れを左右し人の気持ちを沈める。しかし、我々は運が良かった。トラブルに気付くのが早かった、安全な所に停車が出来て応急処置が出来た、容易に修理屋に廻り会った、修理屋の方達が機敏に便宜を図って下さった。ハラハラ、ドキドキではあったが、おかげさまで初日からよい経験、思い出が皆の胸に刻まれたのであった。

 

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Overlanding in Vermont

2022年08月13日 | EXPEDITION

 今週はアメリカの北東部ニューイングランド地方に位置するバーモント州をランドクルーザーLX450で旅をしてきた。今までは何処何処横断とか一周とか気合の入った走りが多かったが、今回の旅は少し質が異なっている。全走行距離は763マイル(約1200キロ)であるがその内の半分はバーモント州の西の中部に位置し、出発とゴール地点となったFair Hayvenという小さな町までの往復の高速道路の距離が含まれている。バーモント州は別名グリーンマウンテンスティッと呼ばれ領土は南北に長く伸び、その中央には広大な山脈が続いている。今回の旅は州の中央から北に伸びるグリーンマウンテンナショナルフォーリストを一回りする形でバーモント州の最大都市Burlington、そしてステイトキャピタルであるMontpelier、更にリゾート地で有名なStowe。バーモント一のベストドライビングルートと言われる、ルート108とルート100を含んでいる。ハイウェイ、ワインディング、グラベルオフロード、キャンピング、登山、リゾートスティ。これら全てを楽しむ時、その背後に常にグリーンマウンテンズの存在があり、常に山が観ているという土地。ニューヨークからコロラド以西(ルックウエスト)をいつも観ていた僕にとって今回の旅は刺激的であり、ルックノースという新しい関心の機会を得る事が出来た旅であった。

 

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未舗装道を楽しむ為にスポーツカー

2018年04月12日 | EXPEDITION

 アラスカ州の中央部に Fairbanks という街が有り、そこから北に向かって The Dalton Highway という Supply Route (Alaska Route -11) と呼ばれる未舗装の道が有る。その道はGateway to the Arctic (北極圏への入り口)とも呼ばれ414マイルの道は北極海に至りその最北端は Deadhorse という小さな町に至る。ガイドによると5月の終わりから9月の初旬までがベストなドライブ期間でありクルマは勿論、オートバイや自転車などで北極圏を目指す人が絶える事無く挑戦を続けている。もしも、あなたに時間と金があって The Delton Highway を走って北極海を目指す機会が有ったとしたら、いったいどの様なクルマで走ってみたいであろうか?

 

  BBC Top Gear が最近発売したアドベンチャー特集号に2015年の夏に Mazda MX-5 (ロードスター)を駆ってこの The Delton Highway を走った男の記録がアーカイブとして紹介されている。BBC Top Gear のページには沢山の写真が有ります。 

 未舗装地、しかも長距離で給油所の間隔が244マイル(394キロ)ある様な道には装備を整えたランドクルーザーが相応しいとは誰もが思う。しかし、夏の期間を走り抜けるならばロードスターは正解であろう。スポーツカーがスポーツカーらしい走りが出来る環境であり、なにより冒険的である。スポーツカーであえて未舗装な道に挑む。そこには四駆では味わえない楽しみ方も有る。Top Gear ではそういった姿勢を広く紹介している。スポーツカーの有り方はもはやアスファルトの上だけで示されるものでは無い。未舗装地を走る為にスポーツカーを手に入れるという考えを持つ人々も静かに増えているのではないであろうか?

 

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Expedicion de las Americas

2017年08月16日 | EXPEDITION

“To enjoy the adventure for its own sake”

 the 1978-1979 Expedicion de las Americas

Hemmings Daily より、

Daniel Strohl on Apr 25th, 2014

By November 1978, Mark Smith already had 25 years of experience leading off-road excursions under his belt, largely with the Jeep Jamboree an annual trek into the Sierra Nevadas from Georgetown, California. But he’d never attempted anything quite like what he had planned that fall, and in fact, neither had anybody else: He and 13 other off-roaders would set off from Tierra del Fuego, Chile – about the southernmost point in the Americas – and drive north to Prudhoe Bay, Alaska – about the northernmost point.

Smith’s Expedicion de las Americas would use six Jeeps – at least three CJ-7s, a Wagoneer, and a J-series pickup among them – all more or less stock, but fitted with a variety of necessities for the 21,000-mile, 122-day trip, including winches, 31-inch tires, and special-built “ladders” that would help them cross certain terrain much easier. And while it appears the Expedicion got some minor assistance here and there, it was all funded out of the pockets of the expedition’s participants, none of whom were professional explorers or guides.

Perhaps the most remarkable part of the trip was the crossing of the Darien Gap, a stretch of undeveloped jungle that had only once before been traversed by motorcade. Though it took about a quarter of the expedition’s total time, Smith and his group made the crossing without any serious losses.

 

 今年もお盆の期間が過ぎ去ろうとしています。お盆の週は特に亡くなった個人を良い思い出と共に思い出してあげるのが良いと聞きました。2014に他界された MARK A, SMITH 氏はルビコンルートを開き、ジープジャンボリーの創始者であり、ジープのゴッドファザーと呼ばれていました。今日でもスミス氏の存在はジープ界ではレジェンドの存在です。その彼が生前において語った内容に一番印象深かったジープ紀行が Expedition de las Americas であったとの事です。この旅は南米のチリの最南端からアラスカの最北端を6台のジープで総勢14人が122日間、2100マイルを走破しました。そして、その旅の中で特に印象的だった場所が南米コロンビアと中米パナマの国境に接する The Darien Gap (ダリエン地峡)でした。アメリカの南北の大陸は国境超えこそあれ道が繋がっていますが、ここダリエン地峡の密林地帯を除いてと言う事になります。ジャングルの藪を切りたたき、特別に製作したはしご(ラダー)を駆使し、いかだを浮かべてジープの一隊はジャングルを超えて行きます。最も苦難と困難に満ちたダリエン地峡越えがスミス氏にとって一番の思い出になっていたのです。困難な時こそチャンス、良い思い出になるということですよね、スミスさん。

 

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トラクターで南極点

2016年05月01日 | EXPEDITION

 

 オランダに住む Manon Ossvoort さんは12年来の夢を叶えて南極大陸に渡り、トラクターによって南極点への到達を果たした。このエクスペデッションは2014年の11月22に執行され往復4638キロを走破し、27日と19時間25分の時間を費やした。使用したトラクターは Massey Ferguson 5610 であった。このエクスペデッションで費やした燃料の量(おそらくディーゼル)は650ガロン(2340リッター)となる。平均気温華氏ー27F(氷点下33度)の環境ではエンジンを停止しないでなるべく稼動し続ける必要がありエンジンの稼動時間は584時間となった。途中にエンジン内のベルトが切れるトラブルが一度あったがサポートクルー(Antartica2)と共に無事にこのエクスペデッションを完遂させた。

 

以下の記載は、エクスペデッションポータルからの引用、

Apparently, no one told Manon Ossevoort this -and she’s better for it. Manon dreams big, much in the way that children dream of being astronauts. Or ninjas. Not only has she turned her dream into a reality, but secured an entry into the pages of the Guinness Book of World Records in the process.

Antartica2 was 12 years in the making. Undoubtedly, much of this time was spent trying to secure the funds to embark on such a journey. Massey Ferguson, AGCO Finance and a plethora of other big ticket sponsors jumped on board to back her adventure. No matter how much one desires to do it on their own, it always helps to have the security of major sponsorship. Arguably the most import of her sponsors, Massey Ferguson, provided the driving force behind the trek, an MF 5610 tractor.
 

 
 計画してから12年の歳月を要した事の大きな要因は資金集めであった。実際の旅の執行はラストスパートに過ぎないと言っても過言ではないと思う。彼女の夢を実現させたのはサポーター達と最終的にスポンサーとなって資金面や装備、そして燃料の供給と使用するトラクターなど多くを協力してくれた企業達である。そういった意味で、このエクスペデッションには南極大陸をトラクターで走破するロマンと個人の夢を企業が支えてそれを実現させたという2つのストーリーが重なっている。
 
 
 余談ではあるが、この南極エクスペデッションのサポーターに使用されたサポートビークルはトヨタハイラックス(改)であった。ハイラックス(改)は南極でのエクスペデッションにおける分母である。
 
 
 
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SANTANA TROPHY

2015年08月16日 | EXPEDITION

 サンタナ モトール(モーター)は1956年から2011年まで存在していたスペインの自動車メーカーです。そのサンタナ モトールが当初の1956年にランドローバー社と提携し1958年から1983年までの25年間に渡ってスペインにてランドローバーをノックダウン生産していました。

 

 

 今年(2015年)の春に開催されたサンタナトロフィーと称されたこのラリーイベントは、スペインで生産された歴代のランドローバーのシリーズ系を駆ってスペインの Linares という街からジブラルタル海峡を渡って北アフリカのモロッコに渡り、サハラの西端を走破して Marrakech の街までの約2000キロを8日間に渡って走破しました。

 

 イベント自体は大きなものではありません。おそらく古いランドローバーの愛好家位しか知らない程の規模でしかありません。古いランドローバーシリーズで広大な砂漠のフラットダートをラリーという項目を置いて走破するという行為ですが、僕はとても未来的なイベントだなぁと思っています。スペインで生産された多くのランドローバーシリーズが地中海を跨いでアフリカ大陸に渡ったのでしょう。

 

  それは自動車の世界の多様性が実現してきたという現象です。

 快適で高性能な四輪駆動車が市場で販売される今日において、そういった四輪駆動車を見て多くの人々はクルマは進化したなぁ、と素直に感じる事と思います。ショールームのピカピカの電子レンジ(レンジローバーの事)を眺めながら、既にやって来た未来を感じます。

 

自動車の未来とは、古い物が消えて新しい物に置き変わるという理解は完全に間違っているのです。

 未来のクルマあるいはクルマ環境というものはハイブリッドやエレクトリックというキーワードでは無いのです。もし未来のキーワードを問われるならば、それは ”多様化の実現” です。豊かなクルマ社会とは古い物が淘汰されて消えて行き新しい物に置き換わる事ではありません。

 

古いものと新しいものが共に共生、共存し合っていく世界が既に始っています。

 旧車に乗ると言う事。そういった価値観は特殊なものでは無く多くの選択の中のひとつに過ぎません。サンタナトロフィーは古いランドローバーで砂漠を走るというイベントではあり、来年も開催されるという保障はありません。しかし、たとえサンタナトロフィーが開催され無くとも世界の多くの場所で似たようなイベントが開催される可能性は高いです。それは自動車が発展してきた経過の結果として多様化が進んでいく現象です。

 

SANTANA TROPHY 2015

 

言い方を変えれば、

この時代に古いランドローバーで砂漠を滑走するという事は、

豊かな車社会が既にやってきている証であるという事です。

 

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NEXT 未来の予感 3

2015年06月14日 | EXPEDITION

キャメルトロフィー(CAMEL TROPHY)

1980 - 2000

 1980年から2000年にかけて開催された過酷なラリーレイド.キャメルトロフィーを2015年の今日においても懐かしみ四駆の原点として心に閉まっている人々は少なくない。オーバーランダージャーナリストの署名人 JONATHAN HANSON 氏もその一人であり、先月米国で創刊になったアドベンチャー誌 WHEELS AFIELD の記載には The quest for the Camel Trophy と題した記載が寄せられ、その原点心を垣間見る事が出来る。

 

WHEELS AFIELD, 創刊

 キャメルトロフィーが開催されていた時代というのは、そのまま四輪駆動車の黄金時代であったのではないだろうかと今の時代になって感じる。それ以前は四駆の模索時代、それ以後は飽和的な時代。そして、その中心的な時代というのは冷戦の終焉期頃(1980年の終わり)にあたる。ランドクルーザーのモデルでいえば、40系から70系への移行、60系と80系の時代であった。また、四駆の黄金時代というのは大衆がたばこを気軽にふかしていた時代でもある。世界中の喫煙者のおかげで四駆の黄金時代が築けたというのが事実である事は否定出来ない。そういった時代的背景のバックボーンは今後は繰り返される事は無いと思われるので、もはや近未来においては四駆の黄金時代というのはやって来ない。今後しばらくは、黄金時代の光を反射した面影が繰り返し登場する事になるのではないだろうかと感じる。

 そういう実態が感じられたならば、今後の目標はクリアーになる。その目標はキャメトロを超える事である。しかし、それは難しい事なのだ。なぜならそれはクラッシック音楽に似た所があるような感覚が存在しているからだ。そして、それは今後もっと明確になってくる。テクノロジーの世界は新しい物が出ると古いものはそれに置き換えられるという運命を持っている。自動車もそういうものだと多くの人々が思っているに違いない。それはいくら食べても満足しない飢餓鬼的なものなのだ。自動車は同時にアナログ性を持っている。そのアナログ性を持ち合わせていたのがキャメトロ時代の自動車だったのではないだろうか? 将来、四駆に求められるのはテクノロジーでは無くてアナログ性を磨き続ける姿勢なのである。

 

 The 20 Best Camel Trophy Images

Expedition Potal より、

 

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Expedition Trophy

2015年05月09日 | EXPEDITION

 現在、世界各地で行われている4x4のイベントの中で最も過酷であると言われているのが、ユーラシアの北部全域(ロシア)を舞台とした(横断する) エクスペデッション  トロフィー (Expedition Trophy) である。

Expedition Trophy (ロシア語)

 

コースと概略(ロシア語)

 このイベントの知名度が知れ渡っていないのは、モータースポーツの盛んな英語圏や仏語圏で主催されたイベントでは無くて、ロシア圏で開催されているイベントであるからではないだろうか。

 

 考えてみれば、ロシアの広大な台地は豊富な地下資源が豊富に眠っているという事は承知されているが、その大地の活用は近い未来において4x4を活用する企画により更に魅力的な地域となる可能性を秘めている。

 

 おそらく、その辺のポイントを西側の人間も感じている様子で、Expedition Trophy のロシア語のホームページの中にはリチャードブランソン(英国バージングループ代表)が出てくる。これは西側に対する影響力拡大の意図がある事を感じる。

 

 2005年に初めてこのイベントが開催された様子だが、毎年開催されている訳ではない。2007年、2009年、11年、そして昨年の2014年は開催されていない。資本や人員、或いは安全性などの課題があるのであろう。

 

 広大なロシアを西から東へ(from: Murmansk to: Vladiostok) へ16日間掛けて9950マイル(15000キロ)の距離を走ります。

 

 出発地点の緯度は北極圏を300キロ北上したMurmansk という村。西はフィンランドとノルウェーが隣接しています。しかも季節は極寒の2月半ばである。出発地点に到着する事さえ一つの課題かも知れない。

 

 真冬のシベリアを横断して極東の軍港の街ウラジオストックを目指します。そこは日本の対岸ですね。

 

 人、四駆、技術、資本、感動、などというキーワードが絡んできます。チームは6人で2台の四駆を駆ります。途中コースが大きく分かれる区間が2つあります。

 

 チームの中には必ず女性が一人参加します。

その女性も男達に混ざって車両を前に進ませます。

 

 

リカバリーテクニックや装備、そして体力、更に精神力も必要です。

 

凍て付いたバイカル湖を横断します。

スケートリンクの上を走っているという感じでしょうか。

 

バイカル湖では流氷が溶けて再び凍るを繰り返しており、

透明な氷の下には美しい氷の模様が敷き詰められています。

 バイカル湖は透明度が高いですね、まるでガラスの様です。

 

 通過する道は各所が傷んでおり、特に小さな橋などは通過する為に時には土方仕事なども必要とします。

 

途中圧雪で凍て付いた線路の上なんかも走ります。

場所によっては道を作って行くという感じか?

過酷なスノーアタックの連続。

 リカバリーには氷を切り裂く為にチェンソーも活用します。

 

途中には車両の整備も必要です。

サポート用の伴走カミオン(トラック)はおそらく無しです。

チームメンバーにはメカに対する経験と知識も要求されます。

 

世の中には困難な事をあえて企画して楽しむ気概があるのですね。

こういったチャレンジ、アドベンチャーが有るという事は、

人は何かを通じて充実感を得たい生き物だからです。

...その為に4x4が存在するのです。

 

シベリア横断鉄道と白い大陸横断を横断するランドクルーザー

...そしてヘリコプター

 

これらの写真は全てExpedition Trpphy のホームページより、

 

考えてみると、このラリーは国境は超えないが、

こういったイベントの意義というのは国境を越えています。

 

 

四駆という媒介体(車)の可能性はまだまだ大きいと感じます。

 

 ロシアはこれからですね...(楽)

 

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ワイルド サハラ

2014年11月02日 | EXPEDITION

 

 今期号 (Fall 2014) のオーバーランドジャーナルに紹介されているのは、ランドローバーを駆ってエジプト深部の東サハラ砂漠地帯 (The Great Sand Sea) を走破した体験談である。この投稿を読むと、現在におけるエジプトでのサハラ砂漠の旅は依然として敷居が高いと感じた。

 

 

  エクスペデッションの旅に使用したのは5台のランドローバーディフェンダー110TDI, と1台の130である。面白い事に彼らが使用するランドローバーには全て ステラ とか レロイ などと愛称が付けられており、彼らはその名前で各自のランドローバーを呼び合っている。これは英国の風習なのだろうか?と思った。ランドローバーは66ガロン(250リットル)の燃料タンクを備えたヘビーローディングで総重量は約3トンに及ぶ。

 

 

  参加者は外国人を含む。エジプトに拠点がありサハラ砂漠の旅をランドローバーを駆って行うサンドローバースのメンバー達である。この2500マイル(4000キロ)に及ぶ数週間のエジプトとリビアとスーダンの一部を含むサハラ砂漠紀行の参加者は全員砂漠での自動車旅行の経験者達であるが、エジプトの行政機関から Desert Pamits (サハラ砂漠走行許可書)を取得する為に警察官とミリタリーエスコート(ガイド)そして10人の武装軍人(用心棒)を、2台のランドクルーザートルーパーと共に雇わなければならない、という負担がある。国の事情もあるが、サハラ砂漠内部地域では無法状態で、国境を跨いでの武器などの非合法な取引行為や人質を得て身代金を要求する窃盗団などが跋扈しているらしい。

 

 

 大砂漠で事故が起こる。夜間走行時に砂に足を捕られて3トンのランドローバーがロールオーバーを起こす。ドライバーは急遽カイロにある病院に送られ手当てを受ける事になった。

 

 途中でハイヤーしたトヨタハイラックスがパーティの最後を走っており、機関銃を後部に乗せた自警団の駆るランクル70系ピックアップの8人組に追跡され、威嚇射撃を受ける。サハラ砂漠の旅では実際に命の危険が伴う様子である。

 

 

  重装備のトルーパーは時に柔らかい砂に行く道を拒まれる。警察やガイドが同伴し、ミリタリーが護衛していたとしても何が起こるかは分からない。まさに東サハラの旅は現在も危険の伴う冒険である。

 

 サハラ砂漠の旅は金銭的にも精神的にも重いものであると感じる。勿論、肉体的にもキツイ事であろう。楽しい旅といったものではなく、何か大儀がなければサハラエクスペデッションは行動に移せない。世の中にいくら性能の好い四駆が存在したとしても、それはサハラを走る事とは無関係である。サハラ砂漠をなめてはいけない、と知らされる投稿であった。サハラの西側、モロッコアルジェリアはもう少しましかも知れない...が、いずれにしろ大砂原(サハラ)の旅は何が起こるかは分からない。

 

ただ、忘れる事が出来ない旅になった事は確かである。

 

 太古のサハラ砂漠は海であった。また8000年程前は緑豊かな土地であった。その時代の化石や人の文化の痕跡を見つける事もサハラ砂漠の旅の大きな魅力であるようだ。

 

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