今年になってからクラッチペダルを踏んでもクラッチの入りが固いと感じる様になった。季節的な事もあり日中の最高気温が氷点下に留まる毎日が続いているので、おそらく固いのはこの気温のせいだと言う事にして2日程使っていたのだが、やがて固いから、入らないに変わった。そして直ぐにダブルクラッチならばギアが入る事を知ったのでそのまま2日程ダブルクラッチで使用し続け、時間をとってメカニックの所に駆け込んだ。原因はクラッチマスターシリンダーの寿命でありゴムパッキングからのオイルの漏れであった。考えてみれば僕がこのロクマルに乗り出してからこの部品を交換した記憶が無いので、30年目を迎えたこのランクルロクマルが何時の時点でこの部品が交換されたのかは不明だし、ひょっとしたら製造されてから一度も交換されなかったんじゃないかとも考えたりもした。メカニックにはロクマルを一晩預けて新しい部品への交換を依頼した。
ニューヨークの冬の寒さは厳しく過酷である。特に僕がランクルを動かす時間帯というのは凍て付いた早朝や、雪が積もって交通量が少なくなった夜中とかであり、その時に走る道というのは寂しい森の中であったりする。毎日少しアドベンチックな感覚があるので、古いクルマであるランクルであるとはいえ信頼を置いている。毎日の様に乗っていると、ちょっとした変化や感覚に気付きやすく、そのサインはアテンションが必要だという事を告げているのである。
ランクルと同時に信頼しているのが自分のメカニックだ。普通の修理屋のおじさんなのだけども気軽に依頼や相談が出来る関係にある。例えば部品や修理の手順などで僕と意見との相違があった場合は迷わず経験の深いメカニックの方針に従う様にしている。信頼出来るクルマ、信頼出来るメカニック、そして信頼出来る...。
クラッチマスターシリンダーを交換したのが今年最初の月曜日であった。それから3週間してまた再びクラッチが重くなり、今度はダブルクラッチさえも利かずギヤは駐車した時の1速のまま全く動く気配が無い。当然思考的に、最近クラッチマスターシリンダーを交換したばかりなのだから、この症状の原因は他に有るはずだと思いながら1速のまま2マイル(3キロ程)をエンジンを吹かしながらメカニックの所まで自走した。クルマを診たメカニックが、これは前回と同じクラッチマスターシリンダーの問題だと言うではないか、とりあえず再び一晩預ける事になった。
原因はやはりクラッチマスターシリンダーのオイル漏れであった。交換してから3週間しか過ぎていないのだがもうダメになってしまったようだ。メカニック曰く、安物はダメだね!(安物を付けとったんかい、知らんかったぞ!)今度は高いけど日本製の物だから大丈夫だと思うと。同じ部品の単品でも倍以上の値段の開きが有ることが分かった。3週間で壊れた部品は店の方で返品の手続きをし、部品交換にかかった時間に対するレーバーフィー(労賃)は思いっきり安くして頂いた。安いから変な部品であるとは全ての部品には当てはまらないだろうが、信頼出来ない部品を装置した結果として、僕は時間やストレスや1速で走ると言う苦労を経験した。また、ショップにおいても手間や時間的なロスが伴った。したがって、信頼出来ない部品というのはお客も店も損するという結果を招くという事がお互いに分かった。結果、部品代は安いが総合的に高く付く事を教えられた。
このようにロクマルを媒介体(車)として僕とメカニックの信頼も一歩前進したと理解していいのかも知れない。信頼出来るクルマ、信頼関係を築くメカニック、そして信頼出来る部品(パーツ)、全ては信頼というコーナーストーンに支えられているようだ。製造されてから30年を過ぎたランクルロクマルを普通の足として使い続けるという事は機械的(外的)な信頼と人と人との(内的)信頼があっての事なのだろうと感じている。ランクルの影に信頼性という言葉が重なっている事を日頃のメインテナンスや修理事から忘れないでいたいと思った。ランクルを維持すると言う事は少し大げさかも知れないが、信頼性の維持という課題ではないかと思った機会であった。