ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

クラッチマスターシリンダーを巡る思考

2015年01月31日 | ロクマル日記

 今年になってからクラッチペダルを踏んでもクラッチの入りが固いと感じる様になった。季節的な事もあり日中の最高気温が氷点下に留まる毎日が続いているので、おそらく固いのはこの気温のせいだと言う事にして2日程使っていたのだが、やがて固いから、入らないに変わった。そして直ぐにダブルクラッチならばギアが入る事を知ったのでそのまま2日程ダブルクラッチで使用し続け、時間をとってメカニックの所に駆け込んだ。原因はクラッチマスターシリンダーの寿命でありゴムパッキングからのオイルの漏れであった。考えてみれば僕がこのロクマルに乗り出してからこの部品を交換した記憶が無いので、30年目を迎えたこのランクルロクマルが何時の時点でこの部品が交換されたのかは不明だし、ひょっとしたら製造されてから一度も交換されなかったんじゃないかとも考えたりもした。メカニックにはロクマルを一晩預けて新しい部品への交換を依頼した。

 

 ニューヨークの冬の寒さは厳しく過酷である。特に僕がランクルを動かす時間帯というのは凍て付いた早朝や、雪が積もって交通量が少なくなった夜中とかであり、その時に走る道というのは寂しい森の中であったりする。毎日少しアドベンチックな感覚があるので、古いクルマであるランクルであるとはいえ信頼を置いている。毎日の様に乗っていると、ちょっとした変化や感覚に気付きやすく、そのサインはアテンションが必要だという事を告げているのである。 

 ランクルと同時に信頼しているのが自分のメカニックだ。普通の修理屋のおじさんなのだけども気軽に依頼や相談が出来る関係にある。例えば部品や修理の手順などで僕と意見との相違があった場合は迷わず経験の深いメカニックの方針に従う様にしている。信頼出来るクルマ、信頼出来るメカニック、そして信頼出来る...。

 

 クラッチマスターシリンダーを交換したのが今年最初の月曜日であった。それから3週間してまた再びクラッチが重くなり、今度はダブルクラッチさえも利かずギヤは駐車した時の1速のまま全く動く気配が無い。当然思考的に、最近クラッチマスターシリンダーを交換したばかりなのだから、この症状の原因は他に有るはずだと思いながら1速のまま2マイル(3キロ程)をエンジンを吹かしながらメカニックの所まで自走した。クルマを診たメカニックが、これは前回と同じクラッチマスターシリンダーの問題だと言うではないか、とりあえず再び一晩預ける事になった。

 

 原因はやはりクラッチマスターシリンダーのオイル漏れであった。交換してから3週間しか過ぎていないのだがもうダメになってしまったようだ。メカニック曰く、安物はダメだね!(安物を付けとったんかい、知らんかったぞ!)今度は高いけど日本製の物だから大丈夫だと思うと。同じ部品の単品でも倍以上の値段の開きが有ることが分かった。3週間で壊れた部品は店の方で返品の手続きをし、部品交換にかかった時間に対するレーバーフィー(労賃)は思いっきり安くして頂いた。安いから変な部品であるとは全ての部品には当てはまらないだろうが、信頼出来ない部品を装置した結果として、僕は時間やストレスや1速で走ると言う苦労を経験した。また、ショップにおいても手間や時間的なロスが伴った。したがって、信頼出来ない部品というのはお客も店も損するという結果を招くという事がお互いに分かった。結果、部品代は安いが総合的に高く付く事を教えられた。

 このようにロクマルを媒介体(車)として僕とメカニックの信頼も一歩前進したと理解していいのかも知れない。信頼出来るクルマ、信頼関係を築くメカニック、そして信頼出来る部品(パーツ)、全ては信頼というコーナーストーンに支えられているようだ。製造されてから30年を過ぎたランクルロクマルを普通の足として使い続けるという事は機械的(外的)な信頼と人と人との(内的)信頼があっての事なのだろうと感じている。ランクルの影に信頼性という言葉が重なっている事を日頃のメインテナンスや修理事から忘れないでいたいと思った。ランクルを維持すると言う事は少し大げさかも知れないが、信頼性の維持という課題ではないかと思った機会であった。

 

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冬空の下のグランドツーリング(GT)

2015年01月28日 | LONGISLAND EXPRESS

 広大なニューヨーク州の南部に位置するキャツキル山地(Catskill Mountains)はアメリカの北東部に広がるアレゲニー高地(Allegheny Plateau)の一部である。フライフィッシングが好きな友人はこの地域をアメリカにおけるフライフィッシングの聖地と呼んでいる。1000メートル級のなだらかな山脈が続くこの地域を横切るルート17はニューヨークの郊外から内陸の中都市 Binghamton をつないでいる。そのルートは片道2時間の信号無しハイウェイであり、そのワインディングルートは山の中腹を横切り上流の水がせせらぐ渓谷を超えて小さな町が展開する光景を連続して見せてくれる。時々路上から見えるぽつんぽつんと存在する小さなロッジの煙突からは暖炉で焚き木を燃やしているのであろう白い煙が優しくたち昇っている。夏の深緑に満ちた光景や秋の紅葉の季節とはまた違った乾燥した冬のシンプルな光景も切れのある晴れた空のブルーと調和して光っており、それは神秘性を秘めた美しさであった。空の美しさをドライブという手段で場所と角度を徐々に変えながら堪能する事が出来た。

 今回使用したクルマはランドクルーザーではなく、V6 . 260馬力のパワーを持つ2012年型のGTカーです。朝の7時に出発した今回のツーリング(フォーリングかな?)は片道3時間、往復で6時間、距離は350マイル(550キロ)の走行です。ハイウェイの制限スピードは55マイル(約90キロ/H)。いくら高性能なGTカーでもやはり制限スピードは意識するべきである。それは、ネズミ捕り(警察)に捕まるかどうかの視点ではなくて、ドライブを楽しむ為に、そして他の車両に迷惑を掛けない為にハイウェイの上でも紳士でいたいと感じているからだ。

 

 週末のグランドツーリング。キャッツキル山地の山々のほとんどは広葉樹で覆われている。葉を全て落とした冬の広葉樹の樹海は美しい。その美しさは空に反映しており空と一体である。澄み切った冬空の青色が一年の内で一番美しい。

 クルマが快適だと手持ちぶたさを感じるのか、音楽(サウンド)を求める様になる。静かな室内で音楽に身を包む事は悪くない。それは静かで快適な走りが前提となっている。走りながら音楽を楽しむ世界とクルマの走りそのものを楽しむ世界は異なっているが重なっている。音の世界は走りに付属した付加価値である。

 

 我に返ってステレオのスイッチを切ってみる(サウンドオブサイレンス)。クルマの振動や風切り音、そしてカーブでは体にかかるGを感じる。オートマチックのGTカーは坂道の登りでもアクセルを踏み込めばいくらでも加速する。時々スピードメーターに目をやってスピードを調整しないとやばい。自制力が必要だな。平行して走る走行車を軽々ぶち抜く事は容易だが、緊張感が増えるし優越感を感じてもしょうがない。景色を楽しみながら車間距離を保って他車に干渉しない、受けない、走りが楽しむ走りのコツじゃーないかと思う。

 

  

 ルート17を走り終えて、ローカルな道を更に西に向かって走ります。ハイウェイを降りた後はスピード感が高速に慣れているのでスピードを出してしまいやすいものです。ランクル60ならほっとするが、GTカーだと手持ちぶたさを感じます。積雪の後の田舎道を走ります。窓を開けると外は氷点下です。厳しい冬の寒さにはやはり新しい車が快適です。悔しいですがその点は旧車は新車に勝てません。

 

 最高のGTカーとは何か?などとステアリングを握りながら思ってみる。それを詰めるには枠が必要だと思った。その枠はよく晴れた週末の朝の空いた道を2-4時間気持ち良く走る事の出来るクルマであるという事だ。長くても片道2時間15分を超えない方がいい。それは矢沢永吉がコンサートは2時間15分を超えたらダメだ、それを超えると聴衆が飽きてくるからね。っと言っていたので、ドライブにもその名言を応用するのがいいんじゃないかと勝手に思った。気分転換と充実感を味わって来週の活力に繋げるドライブには時間とコース(信号の少ない好い景色)がいい。

 

 速度制限55マイルの枠組みを考えると、高性能なクルマは不要ではないかと思われる。100キロ/Hのスピードで2時間気持ち良く走る為のエンジンは大きすぎても小さ過ぎても良くない。エンジンの音も静かな方がいいという訳ではない。焦点はステレオを楽しむ事ではなくて走りを楽しむ事なのだから。いろんな場所や角度から空を眺める事が出来るのもドライブの醍醐味です。青い空はいつも視界にあるがそれを見る舞台は瞬時に異なります。ドライブに駆るクルマというのは分母の様なものです。ですからどんなクルマで走るのかという結果はその印象が思い出として残ります。

 

 運転にはストレスが付きまといます。古いランクルで走る事のストレス、高性能なGTカーで性能を抑えて走る事のストレス。本当はGTRで走りたいけど予算的に無理だというストレス等、しかし、自分にとって好いとするクルマというのは2-4時間運転してみてその感動がストレスに勝るかどうかという事が一つの目安じゃないかとも思う。

 

 外は氷点下でも冬の太陽の日差しを窓から受けると暖かさを感じる。クルマが快適だと眠気も誘う。そんな時は窓を開けてみる。窓を開けて暖房の送風を浴びなら走る行為は、それも冬のドライブのテクニックの一つだと言ったら怪訝な顔をされるかな。

 

 太陽が西に傾く時間というのは不思議なもので頭の中が停滞しあまり考えたり感じたりする事が停滞する。無心で走っているといったら分かりやすいだろうか、よって景色などもあまり覚えてはいない。おそらくそれは、早く帰ろっ、という気持が浮き上がってくるからかも知れない。 

 

 夕方の5時を過ぎると空は青さを失ってくる。ヘッドライトを照らす程の時間になると頭の中は晩御飯のおかずの事などを考えたりする。車が楽しみの為の媒介的な存在から実用的な存在に変わるのもこの時間である。と、同時にラジオから流れる快適な音楽が吸収されやすい時間なのかも知れない。

 ランドクルーザーを置いて快適な車で走り込んだ一日であった。こうやって時々性能が良く新しいクルマを走らせる事によって、更に古いランクルの良さを認識させられ、その存在に確信出来るのであった。冬の青空を何とか自分のものにしたい。その為の一つの方法がドライブである事は間違いない。ドライブにシーズンオフっていう概念は存在しないんだね。

 

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State of Emergency 2

2015年01月26日 | 日記

 今夜は猛吹雪(ブリザード)である。ニュースでは警戒を呼びかけ、地元の警察からは外出を控える様にとの電話を受ける。商店街の店の多くは夕方にはシャッターを降ろし非常事態に備えている。ガソリンスタンドではガソリンの供給が止まるのではないかとの事で列が出来る。陽が落ちると皆帰宅を果たしたのか街は静かであった。帰宅の為にランドクルーザーに乗り込む。積雪は10センチ程だが気温が氷点下なので車上の雪は軽く払うだけで吹き飛んでしまう程にサラサラだ。クラッチを切って今年初めての4WDに入れ込む。アクセルを踏むとランクルはいつもと変わらず力強く雪上を駆けていく、コーナーではハンドルを切り込んだ後に少しアクセルを踏み込んで上手に車輪を滑らしてみる。これぞ雪道の醍醐味、調子に乗らず安全運転で行きたい。自宅近くの細道では車一台分の轍が続いている、前方からオレンジ色のラングラーJKがやってきた、随分近づいてどちらかが轍を外れて道を譲らないといけないという距離になった時に互いに轍を譲った。すれ違う瞬間は互いに微笑んでいた。雪道で四駆を操るという行為は他人に優しくなれるひと時かも知れないなと感じた。

 

ニューヨーク時事】米気象当局は25日、北東部で26日から28日にかけ、強い風雪を伴う悪天候が予想されると発表した。ニューヨーク市とその周辺は観測史上最大級の暴風雪に見舞われる可能性があるとして警報が出された。

 デブラシオ市長は記者会見で「市の歴史上、最大の吹雪になる恐れがある。これまで目にしたことのないひどい事態に備えるように」と市民や関係機関に厳重な警戒を呼び掛けた。

 国立気象局によると、ニューヨーク市やコネティカット州南部などでは26日午前から雪が降り始め、午後から27日にかけて暴風雪が予想される。最大瞬間風速は約30メートルで、積雪は多い所で75センチを超える見込み。

 ロイター通信によると、ユナイテッド航空は27日、ニューヨークとボストン、フィラデルフィア発着の全便の運航を取りやめる。他の各社も欠航が予想される。

JP 時事通信より、

 

 

 明日はどうなる事やら...、

 

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State of Emergency

2015年01月22日 | 日記

 

 いつもは平和な我が街(Edgewater)に緊急事態宣言(State of Emergency)が発動された。昨日の夕方に発生した火災は冬篭りの大衆を脅かせ、火の持つ恐怖や力を市民に見せつけた結果となった。継続する消火活動は無力であり、火を消すという事よりも火の繁殖を防ぐのが精一杯であった。火は一晩中燃え続け、出火から24時間以上が経過した現在も依然として大きな煙を上げている。その煙はハドソン河を越えてマンハッタンを覆い、ニューヨークの街中にも焼き焦げた匂いを巻き散らかしている。昨晩はニューヨークに架かるジョージワシントンブリッジからその炎を目撃した。遠くから見る炎は暗闇の中でうだっており、その光景は地獄の底から闇の生き物が叫びうごめいている様で恐怖以外の何物でもなかった。思い起こせば火や煙で恐怖を感じた事が人生の中でいくつかある。まずは子供の時(小学校の頃)に見た真っ赤な夢。そしてニューヨークで経験した911、そして昨晩見た炎である。

 ヘリコプターが上空を迂回する音を聞きながらこの大火事のニュースを追った。一晩。いや、夕方の数時間という時間に所有物の全てを失った人達が沢山写し出されその衝動を語っていた。その中には知った顔もいくつかあった。不幸中の幸い事に、400人以上の人々が住む家を失ったが、煙を吸って病院に運ばれた人はいても大怪我をしたり行方不明者や死人はいなかったのだ。火事の規模からみてもこれは奇跡ではないかと感じている。また、この大火事は何かの示唆を教えてくれている。それは個人個人によって捕らえ方は異なるであろうが、僕はまず火の恐ろしさを感じた。また、火災という状況下で不動産や自動車などのアセット(資産)が数時間で灰になってしまう現象をみて、所有物というものを人生の中でどう位置付けるのか、という課題を感じたのであった。

 街の混沌状態は暫くは続くであろう。

 昨日は火事の為に帰宅が随分と遅くなったので今日はもう寝る事にする。

 体を横にして安心して眠れる場所があるって、それだけで本当に有難い事(幸せ)なんだなと改めて感じさせられた。

 

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狼煙は上がっているぞ

2015年01月18日 | NEW CARS

 2014年6月の100ドルを最後にその後下落を演じた原油価格は半値である50ドルよりも更に値を下げ、今日では40ドル台で移行している。原油の先物取引にはあまり関心はないが、スタンドのガソリンの値段には敏感になるものだ。どのような理由があるのかは知らないが半年間で原油の価格が半額になったという事は何かが起こっているサインだと理解した方がよいのではないかと思う。

 すなわち、

 

そのサインは戦の狼煙(のろし)である。

今日もまだ狼煙は上がっているのである。

 

と、理解するのがよろしい。

 

 現在の戦(いくさ)とは前世紀の戦とは随分と異なっていると思っていい。そこには価値観、エネルギー(資源)、水や食物、技術、情報、そして金融や企業なども国という単位を超えて複合的に絡む。そしてその戦には必ず大儀があるものなのだ。その大儀がまだ見えてはこないが、それはサスペンスドラマの様に犯人が誰であるかが分った時点というのは番組の結末(最後の頃)である。

 アメリカはシェール石油ガスの開発(自国生産)に力を入れている。原油価格が低迷するとその生産性(利益)に暗い影がかかる。しかし、見方を変えれば強い者が弱い者を吸収するなどの業界の統合が進む事も考えられる。

 

Toyota FCV Mirai

Toyota Gloval site

 どちらが狼煙でどちらが戦いの火蓋かは分らないが、原油価格の低下とFCVの実用生産計画は実は大きな関連があるのではないかと感じている。今世紀の初頭はこのエネルギーを巡る戦いだろう。そしてそれはもう後に引く事は出来ない。トヨタ及び日本の技術は時代を変える期待でもある。しかし、同時に石油で潤っていた産油国等にとっては試練の時代がやってくるであろう。そしてそれはテロの遠因になるかも知れないし、国境のラインが変わる事変になるかもしれない。しかし、それでも後に引く事は出来ない。

 

良い未来というのは必ずやってくる。そしてそれはもう始まっている。

 

さあ、狼煙は上がったぞ!

兜の緒を締める時だ!

 

...が、

ガソリン代が安くなると、財布の紐はゆるむよなぁ。(汗)

 

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The FAT 40

2015年01月17日 | LANDCRUISER
 
With over 1240 hours of work invested, this BJ40 was hand built by Pilgrim's Restorations San Jose Costa Rica and completed in February of 2011. Their primary business was manufacturing reproduction sheet metal for the vintage Land Cruiser market. Every panel used on this truck either original OEM or was manufactured new and stamped out of 18 gauge steel. There was no cutting and welding to achieve the end result. The truck was built up from a 1978 BJ40 and features elements of earlier Land Cruiser styling like the FJ25 style grill and "extra wide" chrome hood ornament. The frame is solid and the hand crafted body is rust free and exceptional. Every spot welds is visible from front to back. The paint is excellent and the truck features the earlier lift gate with one lower custom swing out door in the rear.
 
 中米のコスタリカにおいて1200時間以上という途方も無い時間を費やして1978年のBJ40はレストレーションされた。その際に横幅を6インチ(約16センチ)広げている。
 
 
 
 
 
 フレームもボディパネルもその幅に合わせてワンオフで製作。ニューヨークだと人件費は1時間80ドル位~だから、アメリカでこれを製作するとなると、人件費だけで一千万円もかかる事になるから驚きだ。
 
 
 
 
 こうして並べて見ると違いが分る。今まで、あったらいいなと思っていたカスタムではある。現行のジープラングラーJKの幅が187センチ、FJクルーザーが190センチ。そこまでは及ばないが、時代はワイド(FAT) な4x4に慣れてしまっているかのようだ。40は車幅の変更だけで時代に対応出来るという事か?
 
 
 
 2006年にSEMAで公開されたロッドミレンのレトロクルーザーを思い出した。
 
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英国女王とランドローバー

2015年01月12日 | 日記

 

 昨年の10月の終わりに 英国のWest Midland に新設された、ジャガーランドローバーのエンジン組み立て工場を訪れられたエリザベス女王。この工場は今年2015年よりジャガーXEに搭載する4気筒2L エンジンの組み立てから始まり、やがてディスカバリー等のエンジンの組み立ても行われる予定。この新設工場の存在で1400人が雇用され地域経済の活性化に貢献する見通しである。ランドローバーはインドの資本が入っているとはいえユニオンジャックを背負った英国の誇りでもある。そういった意味で、女王が工場を訪れられた事は地元地域だけではなくて英国を応援する姿勢そのものである事を感じる。そして女王はランドローバーに対して思い入れが深い。

 

 1955年。シリーズⅠの助手席に座る若き日の女王様。

 

1986年?。ディフェンダーのステアリングを握る姿がなんとも嬉しそう。

 

そして現在、ランドローバーL405。

 

 女王はランドローバーの歴史と共にその時代を生きられたお方である。昨年の工場見学時には昔ランドローバーに乗った時の感覚と感動が蘇ったのではないだろうか。それはまた、あの頃は良かったという様な部分的な思い出でだけではなくて、多くの困難に遭遇しながらも今日までランドローバーという存在が継続している事への賞賛が古いと新しいを問わずにランドローバーという存在自体に向けられている様にも感じる。

 ランドローバーは英国の文化である。文化と言うのは表現である。それは説得力のある伝達性を秘めており、それに触れると何かしら伝わってくるものがある。ランドローバーも変わりつつあるが、そいつは説得力を持っているだろうか? 世界中のセレブが好むというのはやはり説得力を持っているのであろう。それはきっと女王様の影響なのかも知れない。

 

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フロントウィンドーを巡る理解

2015年01月11日 | ロクマル日記

 自分の身の回りに起こる全ての出来事には意味がある。と言われると、良い事は確かにそうだな。と思い、自分にとって悪い出来事に対しては懐疑的になるんじゃないだろうか? しかし、物事には良いも悪いもあるという二つの方向性の理解から、実は良い事しかない!とする一方向性的な理解に徹するならば、一見すると不幸や不運に思う出来事でさえもその先にあるより大きなラッキー(幸運)に続く一つの道の風景なのだとする理解は、新時代の幸福論なのか? あるいはただ単なるアホなのかもしれない。

 

 

人通りは少ないが、車の通過はそれ程少なくない路上駐車場。

最近はいつもこの辺に止めているんだよねぇ。

 

やっ!

...

空のくすんだ色と、ボディのくすんだ色、そして周りの景色のくすんだ冬景色で写真だと分かりにくいのですが。

 

やられました。

石か何かを投げられた様子です。

誰かの悪戯ですね。

 

 エンジンを掛けて暖機をしていると、呼んでもいないのに地元の親しいポリスがやってきた。

レポートするか?

 って聞くから、

...じゃーする。

 

このランクル、そしてこのオヤジは変わり者という事で地元の警察に目を付けられている事がよく分かった。

 

おい、しっかりパトロールするんだぞ!

 

 こういった事が起こると考えるんだよね。こういう現象をどう捉えようか? あるいはどう消化しょうか? などと。もしこの車が愛情の無いただ走りゃーいい的な日常の足ならば、警察を呼んで、声のトーンを上げて、『ヒデー事をやられた、犯人を捕まえてくれっ。』て頼むのであろうが、ランクルの場合は違う。これはひょっとしたら、という声が僕を慎重にさせる。パートナーである愛するランドクルーザーが打たれたのは身代わりだったのかも知れない、などと。家族や知人の誰かが怪我をするはずだったが、ランクルが身代わりになってくれた。かなり妄想的ではあるが、そういう感じがしたのだ。愛する相棒であるランドクルーザーは主人が受ける大難を小難にする。傍から見るとアホ臭い解釈ではある。

 

 そう考えたお陰で心が壊れる事は無かった。

早速ガラスを交換する。(いやー、60のフロントウインドーってまだ市場にあるもんですねぇ)

 

消えたものは修理代の数百ドルのお金です。

しばらく、食卓のおかずは減りますな、

壊れたのが物で良かったという気持ちはあります。

 

もしも、この出来事に意味があるとすれば、それはこうやってここに所感を書いて置けた事であろうか、

或いは、こうやって泣き寝入りしちゃーいかん、というマイナス的な例を示したという事なのだろう。

 

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Brute Double Cab

2015年01月07日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 

 JEEP が製作しないのでAEV (American Expedition Vehicles) が製作したのがこのAEV Wrangler JK Pick Up Truck Brute DC350。このトラックはただ単にアンリミテッドのボディパネルを外して荷台を乗せただけではなくホイールベースもしっかりと延長してある。この車体の構想はランドローバーディフェンダー130(ピックアップ)を意識したものだ。ホイールベースはディフェンダーよりも長く139インチある。この長さはトヨタタコマのロングベッド140インチに次ぐ長さである。

 

 

  AEVはこの4ドアピックアップをオーバーランドビークルとしている。ワゴンを選ぶかピックアップを選ぶかは目的と嗜好によるものかも知れないが、これらのキットの値段は3-4万ドル~と決して安くはない。完成車となると新車のラングラーアンリミテッド2台分以上の値段となり、ピックアップは結局憧れの対象として留まる事になる。ラングラーとピックアップトラックが好きなアメリカ人にとっては、ワゴンかピックアップかの車種の選択ではなくて、このブルートを一台手に入れるか、あるいはラングラーとタコマの2台を手に入れるかという選択になるのかも知れない。

 

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1978 LANDCRUISER FJ55 IRON PIG

2015年01月03日 | LANDCRUISER

 ロサンゼルスの東方、ラスベガスの西方、そこにはモハベ砂漠を含む広大な乾燥地帯が展開している。このランドクルザーは内外共にその地域でオリジナルのまま今日まで使用され続けた一台。現在この車体は売り(For Sale)に出されている。マイル数は提示されていないが、使用され続けられて来たとなると20万マイルは超えている事であろう。

 

 

1978 Landcruiser FJ55 IH8MUD より、

 

  この地方の旧車の特徴は3つ。まずは東海岸の車に比べて走行距離が長い、誇りっぽい。そして太陽の光と熱による内装の劣化。これはダッシュパネルのひび割れ、内装のマテリアルの変色も含む。しかし、嬉しいのは、この車体がオリジナルの容姿を保っており、乾燥地帯で使用されてきた車体である故にサフェースラスト(浅い錆び)は有ろうが、深い錆が無いという事だ。このメリットは大きいと感じる、なぜならばフレームとボディは車の骨格でもある体(からだ)。

 古いランドクルーザーをオリジナルで使い続けるという事は簡単ではない、特にアメリカにおいて、また特に四駆好きにとって。だからこういうオリジナル車を見つけるのは嬉しい事なのだ。しかし、あれだな。こういう写真を見るだけでエンジンの音とか車体の振動とかが伝わってくる。ドアの開閉、走り出した時のクラッチの感触とか不安感なんかも想像出来る。更に、古いランドクルーザーの独特の室内の香りも伝わってくる。それを臭い!と捕らえるか、匂い!と捕らえるかで人種(大衆か、少数民族か、)というものが分けられるのではないだろうか?

 

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夢は見るものではなく持つもの

2015年01月01日 | 日記

 2015年が始まった。考えてみれば僕が少年だった頃には想定外の人生時間を経験しているのが今である。それは、少年時代に描いた夢には中年以降という時間帯は含まれていなかったからだ。半世紀近く人生を生き延びてくると、内心の価値観は多くの経験と現実の生活環境で変化し形成されてくる。人々はそれを、大人になったんだね。と言って、人生とはそんなもんだよ。と設定し、自身や他人を納得させる。僕もそういった大衆の一人であるのだろうか。

 

Happy New Year 2015

 

今年の初夢はもう忘れてしまった。

...が、

今年の元旦の朝一番に眠りから覚めて直ぐに思った事。

 

神様が人間をこの世に送り出す時に一言声を掛けたとすると、

いったい何と言って人間を送り出したのだろうか?

 

おそらくその一言は、

 

楽しんで来いや!

だったのではないだろうか?

その一言には、楽しい事も辛い事も全て含まれている。

 

 自身の経験から感じる事だが、男女老若を問わず、貧富の差も問わず、幸せな人(エネルギーのある人)というのがいる。そいつの特徴は、何かやりたい事がある人である。あるいは、やりたい事を見つけようとしている人。半世紀近く生きてみて、将来の夢は?とか、今年の抱負は?と聞かれるとウザイ事聞くなよ!と思ってしまう。それは、少年の頃は夢があったが今は消えたと理解されるのかも知れない。しかし、実はそれ夢が消えたのではなくて、心の姿勢が変わっただけではないだろうか? ならば、心の姿勢を正していこう!とするのが今年の出発点(お正月の気持ち)である。今年も宜しく。

 

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