ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ランドクルーザーにはアフリカ大陸を制する資格があった

2016年06月20日 | LANDCRUISER

 この写真は1987年のアフリカサファリにて、ランドクルーザーFJ45の上部に立っているのは Original Wheels Afield 誌の発行者であるRobert E. Petersen 夫婦。

 今日の話題は昨日のクーガン氏の文章の後半をまとめたもの。その話題の中心はアフリカサファリにおけるToyota Landcruiserを実際に酷使してみての所感である。9ヶ月間の間一度もアスファルトを踏む事がなかった我がサファリビークルであるFJ45は常に4x4の機能が要求され続けた。そこはブッシュ(茂み)、草原、そして水場のOkavango Delta地帯や、暑く乾燥した Kalahari Desert などである。車体の前方の下部にある前輪のディフレンシャルやタイロッドなどはシャーシーブラックが擦れ落ちてポリッシュを施した様に鉄が肌を見せて銀色に照っていた。

 雨季になるとあちこちで洪水が発生、その度に何度も深い水の中を走行した。ランドクルーザーで水の中を走る行為を我々は “Puddle Jumpers” と呼んでいた。ランドクルーザーのイグニッション、電気システムはとても水に強い。時にボンネットの上まで水に浸かる事が何度かあったがそれでもエンジンは停止する事無く回り続け難所を超える事が出来た。

 草原や草地を走破するとその草の大量の種がエンジンのフロントにあるラジエターの小さな目を詰まらせてしまう。時に我々はナイロンメッシュをラジエターの前に装置するのだが、それでもそのカバーは完全ではなく、隙間から進入した草の種は容赦なくラジエターの隙間を詰まらせてしまう。しかし、ランドクルーザーに装置されていたトヨタのラジエターはコンプレッサーでエアを吹き付けたりホースで水を叩き付ける事で容易にその種を取り除く事が出来た。トヨタはそういう詳細な事まで考慮してランドクルーザーを設計していたのであろうか?

 アフリカサファリで使用し続ける車両においては修理とメインテナンスには終わりが無い。ランドクルーザーは非常にメインテナンスがやり易い。足回りのスプリングやブッシングなどの修理や交換、オイルチェンジ、ラジエター周辺のメインテナンスなどは常時我々自身の手で施す事が出来た。ランドクルーザーとしての条件として修理や整備、そして点検が容易でなければならない

 燃料のガソリンは主に44ガロン(160リッター)のドラム缶からの補給であるが、ドラム缶が錆びていたりしてガソリンの中には水なども含めて色んな不純物が混ざっている。給油時は必ずフィルターを使ってガソリンを濾す。ここサファリで使用する車両は、その給油時のフィルターとキャブレターに繋がるフィルターは常に不純物をチェックする必要性がある。そういう質の燃料でもランドクルーザーはよく働いてくれた。

 

修理や整備(メインテナンス)の容易さや点検のやり易さは、

ランドクルーザーがランドクルーザーであるべ き事の条件なのである。

 

 1970年代にボツワナ、南アフリカ、ザンビア、そしてタンザニアとケニアにおいて4x4市場をドミネート(抑えた)したトヨタランドクルーザーには上記の説明のような選ばれる理由が存在していたのだ。しかし、同時に忘れてはいけない。ランドクルーザーがアフリカでその位置を確かなものとしたのはランドローバーという比較対象が既に存在していたから(おかげ)である。

 

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冒険の世界に導いてくれるタイムレスマシーン

2016年06月19日 | LANDCRUISER

Joe Coogan

In 2006, Joe Coogan was named Benelli USA's brand marketing manager. That same year he helped Benelli develop a persuasive concept for a new TV show, "Benelli On Assignment" (BOA)—now in its fourth season, and premiering on Outdoor Channel in 2010. Coogan was also selected to host the new show, drawing on his background and experience as an outdoor journalist.

 ジョークーガン。嘗てアメリカのアウトドアチャンネル Benelli on assignment のホストであり、アウトドアジャーナリストでもある。得意とする分野はハンティングとフィッシング。その彼は幼年期をサファリを中心としたアフリカで過ごした。彼の父が所有していたショートホィールの帆のランドローバーシリーズ2でガソリンと水を満載したトレーラーを牽引してサファリの奥地まで出かけて行った経験の記憶を秘めている。

 

 Spring 2016 の Wheels Afield 誌では Safari Rides と題してクーガン氏のアフリカの少年時代の記憶の紹介がランドローバーシリーズ2と共に紹介されている。その記事の後半は Safari Work Rover or Cruiser? という小題が付けられて、1950年代の後半から60年代にかけてアフリカ大陸を巡るランドローバーとランドクルーザーの市場の競争を巡る非常に興味深い解説が記してある。彼は父親が所有するランドローバーシリーズ2に乗り影響されながら育った。そして彼が大人になった時に彼が所有した4x4はランドクルーザーFJ45であった。そういった過去があるが故に、彼は当時のランドローバーとランドクルーザーという車に対して特別な感情を抱いている。

 その記事の中にアフリカ大陸におけるランドクルーザー上陸の歴史が紹介されている。ランドクルーザーが最初にアフリカ大陸の土を踏んだのは1958年の2月、当時はまだポルトガル領であったアフリカ大陸の西南に位置するアンゴーラに8台のFJ25が輸入されたのが始まりである。

  それに引き続いてナイジェリア、カメルーン、ケニア、モザンビーク、そして南アフリカ共和国と続いた。1960年代になって40系のFJが続き、わずか2年程でアフリカ大陸の東側と南側ではランドローバーの存在を脅かした。サファリのブッシュで最も活用されたFJはロングホィールベースのFJ45であった。FJ45は後部の荷台を人と荷物が上手く乗せる様に手が加えられた。1950年から1960年においてナイロビのボディショップでランドローバーとランドクルーザーに対してサファリボディコンバージョン、或いはケニアスタイルと呼ばれる仕様が確立された。それは車体の後部の高い位置にある視界やゲームビューイングルーフと呼ばれるハッチ等である。同時にサファリ仕様にはブッシュバンパーに予備のスペアタイヤとジャッキ等のリカバリー用具の装備、そして重量の嵩む予備のガソリンと水を多めに常備する必要があった。

 

 1972年にクーガン氏は南アフリカで暮らす事になった。それまでボツワナやケニアにおいてはランドローバーを足として使いこなしランドローバーに対して信頼を置いていたので、当然南アフリカにおいてもランドローバーを手に入れるはずであった。そして、ランドローバーのディラーに赴いてランドローバーを注文しようとしたのであった。...所が、当時ランドローバーは南アフリカの陸軍と車両提供契約を交わしており、その為に車両の納品に半年待たされる事が告げられた。当時のクーガン氏にとって半年という期間は待つことは出来なかった。結果、ランドローバーの変わりに新車のランドクルーザーFJ45を手に入れて自ら手を加えて Safari-ready 仕様とし当時のアフリカ大陸で活用した。

 当時のアフリカでランドクルーザーの活用が広まったのは値段がランドローバーに比べて安かった事。車両だけではなくパーツにおいても手が届き易かった事が挙げられている。また文章の中には見られなかったがアフリカの荒野において機械的な信頼性がランドクルーザーが優位にあったのではないだろうか。アフリカの荒野では命を乗せる車両だけに値段の安さだけでは選択の理由にはならないだろう。クーガン氏にとってランドローバーが手に入らなかったので次の選択としてランドクルーザーを手に入れて活用する結果となったのがランドクルーザーとの出会いであった。彼は現在当時のランドローバーとランドクルーザーを高く評価している。それは彼がこう言い切っているからだ。

 

In the 1960s' Land Rovers and Land Cruisers

 were more than just a means of transpotation.

They were timeless machines transpoting us to a world adventure.

 

1960年代のランドローバーとランドクルーザーはただ単なる交通機関の乗り物なんかじゃない。

それらは時を越えて我々を冒険の世界に導いてくれるマシーンなんだよ。

 

時代を超えて、今でも1960年代のランドローバー、ランドクルーザーに乗ると

 WORLD OF ADVENTURE の世界を垣間見る事が出来る。

 

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日の入り前のインタースティツ90号線

2016年06月17日 | 日記

 カナダの国境に近いニューヨーク州の北部地帯。時計は夜の八時半を廻る頃、陽の入り前の薄暗いフリーウェイ90号線を仕事のパートナーが運転するフレイトライナーに乗って東に向かって走っていた。時速は80マイル(120キロ/h)。交通量は多くはなく車間距離は我々の前後500メートル程の間隔があった。パッセンジャーシートに深く座っていた僕はラジオから流れてくる音楽を聞きながら飛び去って行く外の景色を追っていた。辺りは広葉樹の森林地帯であった。その時ふと、“鹿が飛び出して来たらあぶねぇなあぁ...” という思いが頭をよぎった。そしたら直ぐ次の瞬間、フリーウェイの横の森の茂みから大きな雌鹿が元気よく飛び出してきた。Slow Down!!! と言って我々はアクセルから足を離した。鹿は我々の前を飛び去りフリーウェイを横切って反対車線に飛び出した。あああっーー!と思ったが、間一髪でトレーラーの前をすり抜け反対側の茂みに姿を消した。我々は100メートル程の距離があったので急ブレーキを踏んだりする事は無かったが、後1-2秒遅く鹿が反対側車線に飛び出していたら完全にアウトであったと思うと恐ろしい気持ちになった。...しかし、おもしろい事があるものだなと思った。事前に鹿が飛び出すから気を付けろという警告があったのだ。確かに意識はスタバのブラックコーヒーを飲んで覚醒していたかも知れない。あるいは数秒先の光景を見た自分が数秒後の自分に情報を伝えた時間の歪の悪戯だったのかも知れない。運転していたパートナーは鹿が突然道に飛び出した事に驚いていたが、僕は鹿が道に飛び出す数秒前にそういった予感があった事に驚いていた。あれはいったいなんだったんだ、偶然か、予知夢か、それとも疲れか?

 

今月末まであちらこちらを飛び回っています。

安全運転に努めましよう。

 

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ヨンマルに再会

2016年06月05日 | LANDCRUISER

 隣街で見つけたトヨタランドクルーザーFJ40。ヨンマルを見るのは久しぶりであった。レストレーションされグリーンに塗装された40はかなりお金が掛かっている様にも感じた。外に駐車しておくのは勿体無い程に細部まで綺麗に仕上がっている。

 実はこの40に出会ったのは2回目であった。昨年の秋に赤信号で停まっていた僕のロクマルに後ろから接近して来て追い抜いていったそのクルマがこの40であった。僕はその時信号を左折して行ったのだが40が僕のロクマルを抜いて行く時互いに手を挙げて挨拶を交わしたのを鮮明に覚えていた。その時は普段は見かける事がない40なので何処か遠くから来たのだろうと思っていたが、まさかこんな近くでまた目撃するとは思いもしなかった。路上でランクル40、60系、に出会うと必ず互いに挨拶を交わす。自分が自分のランドクルーザーを愛している故に、互いにその姿勢を尊重し合うような気持ちが、片手を挙げてすれ違うその瞬間に伝わる。だからこそ路上でランドクルーザーを目撃する事は嬉しい事なのだと思う。

 

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自由を伝えるCJ-6

2016年06月02日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 この6月のHemmings Motor News の記事によるとレーガン元アメリカ大統領がカリフォルニアのランチで実際に使用していた 1962年型のJeep CJ-6が National Register of Historic Vehicle (NRHV、合衆国の歴史的な車で国家によって永久保存される)に選ばれた。現在CJ-6はワシントンDCに運ばれ4月にはガラスケースに入れられて一般公開もされた。NRHVに選ばれた車はタフト大統領の1909年の Model M に続いて2台目である。

 

Reagan’s CJ-6 one of two presidential vehicles going on the National Register of Historic Vehicles

Daniel Strohl on Mar 28th, 2016

Photo courtesy Ronald Reagan Library, Historic Vehicle Association.

It’s got dings and dents. It’s been rolled. It’s neither the first nor the last of its breed, has no particularly special equipment, and is one of thousands like it to roll off an assembly line. But the Historic Vehicle Association saw fit to choose President Ronald Reagan’s 1962 Jeep CJ-6 – even over the pristine CJ-8 that the president also owned – as one of a pair of presidential vehicles to go on the National Register of Historic Vehicles.

 

“It’s the one he loved the most,” said HVA President Mark Gessler. “He used it all the time; it was his ranch hand.”

Indeed, as Marilyn Fisher of the Reagan Ranch Center noted, the Jeep that Reagan bought new essentially defined Reagan the man, as opposed to Reagan the president. “He could’ve afforded an expensive vehicle, but this Jeep represented his freedom, the freedom he felt when he was on his ranch.”

In his lifetime, Reagan owned two California ranches. The first, Malibu Creek Ranch in the Santa Monica Mountains, he bought in 1951. To tend it, he eventually bought the extended-wheelbase CJ-6 (serial number 21156), originally painted green and fitted with the 134-cu.in. F-head four-cylinder, T90 three-speed manual, Spicer Model 18 transfer case, Dana 25/44 front/rear axles, and factory optional Ramsey 8,000-pound PTO winch. Though he sold the ranch in 1966, he kept the Jeep and moved it to his second ranch, the 688-acre Rancho del Cielo in the Santa Ynez Mountains.

The purchase of the second ranch, in 1974, came during a time of transition for Reagan. He was on his way out as governor, and to mark his time in office, members of the California National Guard repainted the CJ-6 for him in red with white pinstripes. However, according to Fisher, patches of green paint remain visible and the California National Guard left the original green seats as well as the various dents Reagan had inflicted on the Jeep.

According to Gessler, Nancy Reagan disliked the red Jeep and later bought the president a blue 1981 Jeep CJ-8 Golden Eagle. Yet the president insisted on driving the CJ-6 whenever he made it back to the ranch, including during an interview with Barbara Walters, who shared the First Lady’s feelings toward the red Jeep. “This is the scroungiest Jeep I’ve ever…” she told him during their interview. “I know we have an austerity program, but this is ridiculous.”

The Jeep remained with Reagan through his presidency, though as his health declined in the mid-1990s, Nancy Reagan decided to sell the ranch intact (“down to the toothpaste, china, and furniture,” Fisher said), minus the three vehicles on the ranch: the CJ-6, the CJ-8, and a 1978 Subaru Brat, all of which she gave away to friends. The organization to which Nancy Reagan sold the ranch, Young America’s Foundation, eventually tracked down and repurchased all three, though it didn’t have to go far for the CJ-6: Nancy Reagan had gifted it to Courtney Trisler, the ranch’s manager, and the Jeep had remained on the ranch the entire time.

According to Fisher, the CJ-6 remains in the exact condition the Reagans left it, though the foundation has drained its fluids and kept it in dry storage to preserve it.

 

“The fact that it’s now going to Washington is really amazing,” she said. “It’s never made a journey anywhere except just out of the vehicle bay.”

The Jeep’s journey to Washington, D.C., will take place as part of the HVA’s second Cars at the Capital event, which Gessler noted will take on a different format than its predecessor. Instead of featuring several cars in a tent on the National Mall over a weekend, the second Cars at the Capital will include just two vehicles: the Reagan CJ-6 and the 1909 White Model M 40-hp steamer that William Howard Taft ordered and that comprised one-third of the first presidential automobile fleet.

 

ABC 20/20

 レーガン元大統領は大統領という位に有りながらクルマに対しては非常に質素であった。1980年代に20年前のジープを愛用してた。当時ファーストレィディである妻のナンシーさんにとっては赤いCJ-6は乗り心地が悪かったらしく、仕方ない気持ちもあってCJ-8を手に入れた。CJ-8を手に入れた後もCJ-6を手放す事なく愛用した。もう一台の愛用車はSUBARU BART であった。

 

 ところで、

なぜレーガン大統領はCJ-6を愛したのだろうか?

 

 その答えはこの一節にある。

 

this Jeep represented his freedom,

the freedom he felt when he was on his ranch.”

 

このジープに、自由を感じる。

ジープは自由の象徴だ!

 

 そういった意味でこのジープがNRHVに選ばれた事の意味は大きい。将来において人々がこのジープCJ-6を観て感じる事はなんであろうか? それは文章や解説の直接的な説明が無ったとしても、大統領が愛用していた質素なジープからからは自由という磁気が発せられているはずだ。僕ももし将来機会があったならばこのCJ-6を観てみたいと思う。きっと、青くて広くて大きなカリフォルニアの空の様な自由という世界をこの古びたジープを通じて感じる事であろう。

 

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