ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

氷漬けのランクル60

2022年02月27日 | ロクマル日記

 自動車を製造した人々にとって手掛けた車が好評でよく売れるという事は嬉しい事だと思う。また、別の観点で37年前に販売した自動車が極寒のニューヨークで現在も使用されているという事も誇らしい実績の一つだとも思う。条件的には趣味の旧車ではなくて路上駐車の実用車で日曜日を除いて毎日使用し続けている。発売当時は耐久性とは走行テストによって得られたものだったとは思う。そして今日、その耐久性に耐久年数という実数が刻まれ続けているが、それは未知の領域で想定外な事である。流石に発売当初からランクル60は30年は使えますよ!とは思っていても言えない。なぜなら30年以上使用した人は誰もいなかったからである。今日、ランクル60の様な車を造れば30年は実用で使える。という一つの実績の伴った提示が存在する事となった。

 

 夜更けにみぞれが降り、それが朝の寒波で凍結し街は氷で覆われた。凍て付いた路上をおそるおそる歩きランクルのドアを開けようと鍵を差し込んで回そうとするのだが、氷付いてドア鍵が回らない。後ろのハッチを空けて中にもぐり込みドアロックをひいてドアを開けようとするのだが凍り付いてあかん!。チョークを引いてイグニッションを回す、エンジンは一発で始動!チョークを引いたまま暫く暖機を行う。後ろのハッチから這い出しアイスシェーバーを手に窓に張り付いた氷をガシガシと削り落とす作業を行う。ドアの端をげんこつでトントン叩き続けドアノブを引くとバキッ!という音を立ててドアが開いた。シートに座ってチョークを戻す。エンジンが安定し携帯で時間を確認すると、やばい遅刻や!それがどうした。凍て付いた路上での運転に焦りは禁物。走り出すと路上は空いていた、今日は学校も仕事も2時間遅れだったそうです。

 

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記録

2022年02月22日 | OVERLAND EXPO EAST 2019

 レクサスLX450のオイルチェンジを行った行き付けのメカニックより作業の終了時に領収書を頂いた。そこにはパーツ代やレイバー代の詳細と共にリコメンディーションとして幾つかの項目が記されていた。それらは近い将来に手を付けた方がよいメインテナンス作業の項目である。その中でクーラントのフィルターとラジエターキャップというのがあって、メカニックはメインテナンスヒストリーを見ながらその項目をペンで丸く囲んだ。早い内にやったほうがいい。という事でレクサスをそのまま置いて作業を依頼した。次の日にメカニックから連絡がありガレージに行ってみると、レクサスのフロントバンパーの下にプラスチック容器に入ったオレンジ色の液体が置いてあった。ラジエターから抜き出したラジエター水、本来は緑色の液体であるが不気味なオレンジ色である。抜き出したらあまりにも汚かったので見せようと思って直ぐに捨てないでおいておいてくれた様子。オレンジはラジエター内及びクーラント液循環機内の錆であろう。あまりの汚さにショックであった。ラジエター内部の水の色は普段気にする事はない、メカニックが指摘してくれなければずっーと気が付かないままで過ごす事になる。

 作業が終了した時にメカニックといろいろ話を交わし、いろいろと教えてもらう。領収書を貰って自宅に帰った後に、その日の内容とメカニックと話をした内容を領収書の空白に書き込む様にしている。メカニックのコンピューター内にある修理と整備の記録、そして、自分の手元にある領収書の記録。

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ゲレンデワーゲンW460シリーズ

2022年02月11日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 四駆をカテゴリーに分類する捉え方の一つとして、ブッシュメカニックの見地に立って四駆を理解してみる。つまり、ブッシュメカニック達にとって手におえるのか、手におえないのか。分類においては環境や技量が同一では無く更に想像の領域もあるが、近代的な整備が行き届いていないジャングルや砂漠地帯の修理場で、修理屋のたくましいおやじの知識と経験、そして、そこにある工具とパーツを駆使して車両を修理する事が出来る。そんな捉え方と見地である。

 前方を走っている車両が気になったので追いついてみた。メルセデスのゲレンデワーゲンのW460シリーズだと思われるが正確な正体は不明。ミリタリーグリーンカラーに珍しいソフトトップである。アメリカには正式に入って来ていないモデルなので25年以上前のモデルであろう、おそらくディーゼルエンジン。四駆らしい立ち振る舞いがあり、四輪駆動車のオーラが漂っている。北アフリカのサハラ砂漠を縦横無尽に走破していた自動車冒険家のトムシェパードが活用していたモデルである。このゲレンデワーゲンを追走しながら上記の内容が頭に浮かんできた。

 オーバーランドビークルに対して自身の駆る車を知る、というテーマがあるがこのテーマは深い。車を知るという事はその車両を征服する様な感じである。シンプルな四駆が好まれるのはその知るというテーマに対してより近付きやすい感覚があるからだと思う。シンプルな四駆に対しては知る、学ぶという意欲が湧きやすい。知る、学ぶは向上的であり、即ち飽きない特質がある。よって、シンプルな四駆を得た人々はその物に満足しているのでなく、それが持つ機会の刺激に魅力を感じているのかも知れない。ゲレンデワーゲンを駆るドライバーの気持ちを探りながらしばし妄想にふけった極寒の2月の晴れた寒い日の午後であった。

 

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汚れたランクルに自由を感じる

2022年02月04日 | ロクマル日記

 雪と氷に覆われている今年のニューヨークの厳冬期。ランドクルーザー60を駆っていると沢山の人から声を掛けられる。何年型だ?ステックシフトか?いつ売る予定なんだ?声を掛けられる事は嬉しい事だしポジティブに捉えられている事が分る。しかし、こういった周囲の反応からランクル60はけっこう目立っている存在なのだと理解する。先週は吹雪の中を数時間運転した。道に撒かれた凍結防止剤を大量に巻き上げてブルーの車体は白く染まり汚れが芸術的であり、そこに惹かれる世界がある。

 

 車の汚れを愉しむ事が出来るというのは、即ち余裕である。冬はこうやって走る度に激しく汚れてくれるのが嬉しい。生活環境と自身のあまり細かく無い性格から過去10年間程一度もランクルを洗車した事がない。冬に激しく汚れた車体もやがてやって来る春先の長雨で自然洗車となるのを待っている。路上には綺麗な車が圧倒的に多い中で10年以上洗車した事がない80年代のランクルが放つ独特の雰囲気は工場のラインで仕上がるものではなく、自然界の万物を司る神の御協力あっての賜物となる。路上を走る高級SUVがどす黒く汚れていると、汚ったねぇな、と思う。自身のランクルがそれ以上に汚れていても汚いを超えてかっこいいと思うのは、ランクルに声を掛けてくる人々の視線から正当化されるのある。

 

 車の汚れを気にしないで使うっていう姿勢は楽だ、そこに自由を感じている。ここ2年間程の世界の情勢の中で自身が心底から求めているものは自由であると自覚している。自由感と汚く汚れた古いランクルと何の関係があるのか?と思うかもしれないが、それは自由のシンボルとしての存在だと思う。暖かい季節に窓を全開して風を感じて走る時自由を感じる。そして、寒い厳冬期に思いきり汚して走り回る時、そこに自由を感じる。人々が古いランクルを見て声を掛けてくる本質は自由に対する心の渇望があるからじゃないのかと最近思う。冬は厳しく冷えるがランクルを乗り回す事で自由を表現する機会だと思えば、冬のランクルドライブは芸術活動となるのである。

 

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