ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

懐かしき相棒の面影

2023年09月19日 | ロクマル日記

 自転車トレーニングの休憩中に目の前に現れたのは茶色いロクマル。反射的に立ち上がり手を振ると停まってくれた。愛想のいい年配のおじいさんで車体のヤレ具合と爺さんの雰囲気がマッチしており、まさに人馬一体の装いである。1982年のFJ60でフロリダ州で長く使用していたとの事。茶色で目立ちにくいが各所に錆が発生しており、ボンネットの一部はザラザラの錆が占めている。錆とロクマルは互いに仲良く生存している様子で爺さんは全く気にしていない。手作り釣り仕様車で車内の天井にはフィシングロッドが10本程掛けられている、ロクマルのルーフの長さの強みを活かした配置である。フロントバンパーにはロッドホールダーが備え付けてある、フロリダの海岸の砂場をポイントを求めて移動していたのである。2Fエンジンの回転音や車体の発する匂いに懐かしさと親しみを感じる。爺さんは今フロリダから移住してここニュージャージー州の北部で100歳近い彼の母親と一緒に暮らしている。彼の家族からしてみれば82年型のロクマルは若者である。古いロクマルは親しんだフロリダを離れてハドソン川のほとりで新しい生活を営んでいる様子であった。元気なロクマルを観ると嬉しい気持ちになる、爺さんまた合おうネ!

 

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ロクマルは自由を象徴するクルマでありたい

2023年06月05日 | ロクマル日記

 

 6月が始まった、朝夕は涼しくジャケットが必要な季節が続いている。とはいえ、寒い季節とは異なり早朝のロクマルのエンジンは一発で始動するのは暖かさの恩恵。休日の朝の早朝は交通量の少なさにより、いつもの見慣れた街が最高のドライブコースとなる。あえて四つの窓を開けて風を感じて走る。ハーレーにまたがった男達が2気筒エンジンの低いサウンドと共に追いついて追い越してゆく。この街からクルマで40分程北に走ったピアモントのカフェに毎月最初の日曜日にライダーが集まる場所(整地)があるが、そこでコーヒーをすすった後にそれぞれツーリングに出発するという定番を踏むのだろうと思った。

 映画イージーライダーの様にハーレーに跨って風を感じて走る姿は自由の実体であり象徴であると感じている。映画では腕時計を捨ててハーレーを駆出すシーンがあるが、今の時代その捨てるべきものはスマートフォンとなるのであろう。BORN TO BE WILD. 自由、ロクマルのステアリングを握る時に最も感じていたいフィーリングであり、僕はそれを素直な気持ちで求めている。冬よりも、窓を開けて走る夏の方が自由を感じやすい、いい季節になった。

 

 

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春はあけぼのドライビングエクスペェリアンス

2023年03月07日 | ロクマル日記

 来週からサマータイムが始まり時計の針が一時間進む事になる。このサマータイムの始まりという区切りが、冬の終わりを意識させ様々な活動のスイッチをいれるのである。最後の冬時間の休日の早朝、辺りが明るくなり始めたと同時に2Fエンジンを温めた。維持の為の週末のドライビングであるが、ついつい調子に乗ってニューヨークの摩天楼が眼中に広がるホーボーケンの高台まで足を伸ばした。ロクマルを降りて高台に立つと周りには誰一人おらず、冬の名残を感じる冷たい風が頬に当たる。ポケットに手を突っ込んだまま無心で暫く広大な光景を前に立って酔っていると、目の前の高層ビルの隙間が赤くなりあれよあれよと太陽が昇ってきた。先程まで静かであった光景が急に賑やかになった。沈黙は破られ陰の情景が陽へと変わり陽気によって欠けた心の隙間が満たされるようでもあった。

 

春はあけぼの、マンハッタンミッドタウン

 

春の曙、マンハッタンダウンタウン

 

 マンハッタンを背景に昇る朝日に活力をもらってきた感。自宅に戻ると辺りはすっかりと明るい爽やかな朝となっていた。ロクマルを降りて今朝のエクスピュリアンスのアーカイブを整理してみると、景色が最高だった <  ロクマルの運転楽しかった。である。素晴らしい景色を楽しめたのはロクマルの調子を維持する為に、人の移動の少ない休日の朝にロクマルを駆ったからである。つまり、このロクマルが無ければ今朝の景色も目にする事はなかったという事になる。ロクマルの維持とは時には、なかなかいい経験をさせてもらえるのだ。

 

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ボンネットの隅は御立ち台

2023年02月12日 | ロクマル日記

 

 春が来ると愛車のランドクルーザー60を所有してから17年目の歳月を迎える。実はこのランクル、自慢ではないが本日まで一度も洗車をした事がない、記憶がない。雑巾で拭いて一部の掃除を行った事はある。特に手の届かない屋根の上などは未触地帯である。しかも、正確には覚えていないがもう何年も路上駐車である。要するにほったらかしという事だが、車体には愛情を持って接している。そういうラフな取り扱いをしているにもかかわらずランクル60は乗って楽しく観て癒される存在である。ほったらかしの維持であるのだが、エンジンを回して始動する前には薄いアルコールを使って各窓をハンドペーパーを使って汚れを拭き取り綺麗にする。視界がよくなると気持ちがよいからである。横と後の窓は容易に拭き取る事が出来るが、フロントウインドゥの中央辺りは手が届かない。そこでフロントタイヤに足を乗せて、せーの!でボンネットのサイド、フロントウインドウの横の鉄板の隙間がTの字になる辺りに膝をついてから手を伸ばすとフロントウインドウの中央に手が届く。更に安定を得るためにそこに足を置いて立ち上がる。通りかかった車がププッ!とクラクションを鳴らして通り過ぎて行った。車のボンネットの上に人が立っているというのは異様な光景に見えるに違いないが、ランドクルーザーならば許される。また、何年も洗っていないランクル60ならばそれは様になるのである。

 

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日常に流されそうになったらチョークを引く

2023年02月01日 | ロクマル日記

 日々の忙しさに流されてしまう毎日、週末には時間をつくってチョークを引く。気温が低い冬季の朝に2Fエンジン始動のためにチョークを引いてイグニッションを回す。アクセルペダルでピストンに送るガソリンの具合を感覚で調節する。エンジンが吹き上がると最高に引いたチョークを半チョークにして暖気を継続する。マフラーから吐き出される白煙を気にしながらラジオのボリュームを調節する。チョークを戻して数回エンジンを噴かしてタコメーターを見ながら音を確かめる。電圧系を確認しハンドブレーキを戻す。ギアをローに入れてクラッチとアクセルの繋ぎを意識しガソリンの匂いを残してランクルは始動する。

 

 週末の朝は交通量も少なく動き出して直ぐにトップギアに入れる。周りのクルマを見ながら明らかにこのランドクルーザーFJ60が別次元の乗り物である事を自覚する。一時停止で止まっていた街のポリスカーのポリスが手を挙げて挨拶してくれる。いつもパトロールで廻っているので路肩に停まっているロクマルは街では周知の存在だと思われる。今朝は車両維持の為の気分転換の為のドライブであった。生活の為に毎日乗っていたロクマル生活から気分転換の為に休日に駆るドライビングカーとなったロクマルライフであるがドライビング感覚は常に非日常である。以前は非日常が毎日続き、今の非日常は休日の朝の愉しみとなっている。結果的にロクマルを駆る日数が減った事はそれだけ愉しみが減ったのである。人間は一度知った愉しみは忘れない、それどころか更にそれを求め、それ以上を求める欲の枯れない存在なのだ。少なくとも僕はその部類に属す性質である。それにしても僕は幸せな男だ、なぜならば、日常生活に流されそうになったらチョークを引くという選択をまだ持っているからである。

 

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16年越しの成就

2022年09月28日 | ロクマル日記

 今から16年前、2006年に2台のロクマルを手に入れた本来の目的をついに果たすに至った。広いアメリカは気候も使用環境も地域によって様々である。アメリカの北東部で使用される車両は凍て付く冬に路上に撒かれる凍結防止剤の影響で、年月と共に金属を侵食する錆の影響を受ける。しかし、広大な土地を持つ中西部や南部と比べて同年代でも走行距離が少ないのが特徴である。また、内装も比較すると綺麗な方である。それに比べて中西部の車両は走行距離もかなり行き内部も埃っぽい所があるが、下回りやボディの錆が少ないという強みがある。この二つの特色をマッチ(にこいち)させようというたくらみで2台のロクマルを手に入れるに至ったのがマイロクマルヒストリーである。その後、結合には至らず16年間兄弟としての立場を守ってきたのである。しかし、最後になって当初の計画が実現するに至った。

 

ブルーのロクマルからの唯一の遺品、フロントバンパー。

16年の歳月が経過したが、これが当初の目的であった、他のパーツは使い切った感がある。

 

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ロクマル ルビコン川を越える

2022年09月11日 | ロクマル日記

 ブルーのロクマルのラダーフレームが錆の浸透で朽ち落ちた結末を迎えた今年の夏は気分もブルーであった。そのブルーのロクマルが残してくれたもの、それは錆とのお付き合いである。もはや錆は生活の一部に溶け込んでいるかの様だ。ランクルや4ランナーに乗り込む度に錆の機嫌を伺っている。とはいえ、錆のやりたい放題を放置している訳ではない。愛の反対が無関心ならば錆に対する関心は即ち愛である。よって錆を管理するのは愛情心なのである。そんな錆に愛情を吹き付けている。

 ランクルのラダーフレームを油膜で覆い錆から守る手段を使い始めた。使っているのはWD-40というアメリカでは何処でも手に入る潤滑油である。使い始める時には覚悟が要った。油膜で覆うとなると今後将来はシャーシーブラック等のペイントは不可となるからである。使ってみると思った程べとつきは無い、フレームは黒く保たれている、何しろ安くて簡単なので、様子を観ながら年に2回程吹き付ければフレーム寿命は伸びると現時点では感じている。ただ、注意点もある。ゴムやプラスチックは極力避ける事、手や衣類が触れると黒く汚れるのので注意。実験的手法ではあるが古い実用的な四駆の下回りの管理には悪くないんじゃないかと思っている。こうやってシルバーのロクマルは生き延びる為にルビコン川を越えたのであった。

 

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ドライビングカーとしてのロクマル

2022年09月05日 | ロクマル日記

 ブルーのロクマルの使命が終わってシルバーのロクマルの時代になった。ブルーのロクマルとシルバーのロクマルは同じロクマルでも立ち位置が全く異なっている。ブルーのロクマルは仕事の通勤に買い物に荷物と人の運搬に、そして、旅行に活用した最高のオールランダーであった。ところが、シルバーのロクマルは実用車ではない。その位置付けはドライビングカーである。ドライビングカーは決して通勤や買い物に使用してはいけない。ただ純粋にドライビィングを楽しむ。しかも、休日の早朝の夜明けと共に、人々がまだ眠っている街中や郊外を流す。そして、クルマを眺めて楽しむ、掃除をしたり少しメインテナンスをしてみたりと、クルマに対する意識はエンスー的で贅沢だ。ロクマルは常に路上駐車。ボディの塗装はやれており、鳥の糞が落ちていたり樹のヤニが落ちたりと安楽な環境ではないが全く気にならない、自然な劣化も好としている。僕はなにも最初からこうやってロクマルを使おうと思っていた訳ではない。コンディション維持の為に休日の朝に行っていたルーティンであったのだが、この少しめんどくさい手間こそが、実はクルマの持つ楽しさを体感するという手法であったのである。

 

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ありがとう、ロクマル

2022年08月05日 | ロクマル日記

 いつも自宅の前の路上にあったブルーのロクマルが景色から消えた事はやはり寂しい事である。この心境は人間にも当てはまり、誰か親しい人が身の廻りからいなくなった時に、いなくなったその時よりも少し時間が経過してからの方が心にぽっかりと穴が開いて寂しさに襲われる。ブルーのロクマルは機械であったが愛馬や愛犬の様に捕らえていたので、残念だが代わりの存在はない。将来的には今後の時間の経過がブルーのロクマルとの生活をよき思い出として語ってゆけるのではないかと思う。振り返ると、実用で使用していた旧車であるロクマルは沢山の痛い経験を僕にさせてくれたが、結果としてそれが善かった。おもしろかったと言える。

 今の時代は物で溢れ人々は物に埋もれて生活しているように見える。そういった中で物の価値を決める一つのものさしが存在する。そのものさしとは、その物が愛情を込める対象であるかどうか、同地に、どれだけ愛情を込めたかである。世の常識的な価値観では金銭的な価値が主張されるが、それは一つの目安であり主要ではない。物を得る事や物を活用する事によって幸せになれるとする定義があるとすれば、ブルーのロクマルを駆る時にいつもボディを叩いて声を掛けていたささいな行為こそが最高のよい思い出となっている。

 

 

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ラダーフレームの錆の音 諸行無常の響きなり

2022年07月04日 | ロクマル日記

 今週はいよいよブルーのロクマルにさよならをする事になる。この世に生まれ出る全ての物には必ず寿命が存在するのが宇宙の定め、ロクマルは気持ちの区切りとして寄付する事にしている。路上に停まっていたブルーのロクマルが自分のスティタスであり、近所の住民達からも変わり者のクルマとして愛されて来た。そのステイタスを失う事は寂しい事だがこの機を乗り越える事は精神的に逞しくなれる機会であると思っている。これは愛車を愛した人々が誰でも通過するイニシエーションである。ロクマルライフは引き続き弟の87年型シルバーロクマルが引き継ぐ事になる。

 アメリカでは今日は独立記念日。街で行われた独立記念日を祝う花火大会に出かけてきた。花火が上がって音と共に大きく開いて消えてゆく光景は、一瞬にして開いて消えてゆく人の人生そのものを象徴している。闇に映える火の鮮華を観る時、せつなく有限である命というものを考えさせられる機会であった。独立記念日の花火の音、諸行無常の響きあり、強靭なランクルのラダーフレームも久からず、編に風の前の塵におなじ...良い夏をお過ごし下さい。

 

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ロクマルの寿命を受け入れる

2022年06月22日 | ロクマル日記

 ニューハンプシャー州にあるランドクルーザーレストレーションを手掛ける Cruisersolutions のオーナーであるテッド君にブルーのランクルロクマルのフレームの件で相談した結果、ロクマルはその寿命を全うした。という結論に至った。想定はしていたが、ロクマルフレームの修理はフレームのみに収まらず多額の予算と時間が必要となる。ランクルの持つ強さと信頼性の軸は丈夫なフレームにあり、そのフレームが朽ちる事はその軸を失う事となる。フレームの寿命は即ち四駆トラックの寿命であるとする観方である。アドバイスを受けて、ロクマルのオーナーとしてやるべき事はやり尽くした感があり、むしろスッキリした気持ちでいる。

 

 ロクマルを2台所有してきた経緯を振り返ってみる。アメリカと言う広い国土の中で中西部は乾燥地域である。その乾燥地域で使用されてきた車両は平均的に錆が少ない、但し走行距離は多く埃っぽいところがある。また、東海岸で使用された車両は平均的に走行距離は少なく内装は綺麗であるが車両は錆びる傾向にある。よって、当初のプロジェクトは中西部から入手したロクマルに東部から入手したロクマルのパーツを組み込むという二個一計画であった。ところが、パーツ取り車として入手したブルーのロクマルのコンディションが車体の下は錆びてはいるにも関わらず調子が良かった事から、しばらく使ってみようか、という事になり今日に至っている。その、しばらくとは2006年からの出来事なので今日まで16年が経過した事になる。部品取り車であったブルーのロクマルは結果的に部品取りそこね車となってしまった。ブルーのロクマルの前オーナーはカーペンターであり20年間に渡って仕事でロクマルを活用していた。彼は走行距離が20万マイル(32万キロ)を超え、車体の錆が目に付く様になり、そろそろ寿命だとしてロクマルを手放したのであった。その後、僕の所にやってきたロクマルは、その後更に14万マイル(22万キロ)を走破し、総合計34万マイル(55万キロ)の時点でフレームが朽ちて寿命を迎えるという物語となる。これは、耐久性に関するランドクルーザーの実用使用実験として非公式な記録の一つである。

 

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ラダーフレームの寿命 2

2022年06月18日 | ロクマル日記

 スペクターオフロードのパーツカタログをメカニックに渡す為にショップに立ち寄った。夕方の7時半を廻った時間でショップは閉店前であった。作業場に行くと確認の為という事でランクルはリフトアップされていた。ラダーフレームに手を伸ばし手の肉圧で表面を握り占めると、腐って蓄積した錆くずがめくれてボロボロと下のコンクリートの上に落ちてくる。フレームの錆は車体の中央より後ろに集中している事が確認出来る。初期型タンドラがフレームの錆で車体が折れる現象があるが、この中心より後ろはラダーフレームが錆に犯されやすい場所なのである。フロント部分はオイル漏れ等が影響しているせいであろうか?錆の侵食は少ない。という事は、トラックのラダーフレームにエンジンオイルを吹き付けれれば、黒くべト付くがフレーム寿命は伸びるのではないかと思ったりもした。ランクルの左右に縦に走るラダーフレームの断面は丈夫な口形となっている。コ形のフレーム形状で発生した錆は少し叩くと剥がれて下に落ちるが、口形の状態では表面の錆は落下しても内部の錆はフレーム内に留まる。口形フレームのサイドに指が2本程入る3センチ程の四角形の穴がある。その中に指を入れてフレームの中の状況を確認すると、そこには錆の体積物が沢山溜まっているのが確認出来た。頑丈に造られたトラックの口型ラダーフレームが折れるという致命的な現象が起こる原因は、内部で剥がれ落ちた錆が湿り気を含んだ状態で蓄積する事によって起こるのではないかと推測した。この錆の蓄積物を排除する為にはラダーフレームを執刀修理するかフレーム交換という選択となる。今週も終わろうとしているが、執刀医はまだ見つかってはいない。

 

 

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ラダーフレームの寿命

2022年06月13日 | ロクマル日記

 走行中に振動が加わると車体後部のタイヤの付け根辺りから異音がするので、そろそろリジッドのブッシュがへたってしまいサスペンションの交換時かと思って相談の為にショップへ持ち込んだ。メカニックがリジッドの付け根のブッシュのセンターが明らかにずれているのを見て、足回りのチューニングが必要であるとの結論を得た。翌日メカニックから連絡があり、見せたいものがあるから寄ってくれという案内であった。同日ショップを訪れてメカニックと一緒にランクルの下にLEDの懐中電灯を持ってもぐり込だ。そこで見た現実は衝撃的であり、我が目を疑った。

 

 懐中電灯の光の先に照らされたその現実は、ランクルの左右に走るラダーフレームを繋ぐガスタンクの前を通るフレームパイプが侵食した錆によって両サイド共に切断されており、更にその辺りの部品が解けてしまって完全に分離されショックアブゾーバーは車体のフレームに支えられているのではなく、ボディに当たって持ちこたえている大変危険な状態である。その他にも2箇所の錆によるフレームの亀裂が確認され、このまま乗っていてはいけない、という認定が押されてしまった。ショップのアドバイスではフレームが寿命を迎えている、このランクルはもう諦めろ。であった。丈夫なランクルのフレームも錆の侵食には勝てない、修理が可能かどうかという事で検討と見積もりをお願いしている。

 

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ロクマルがもたらした縁

2022年05月14日 | ロクマル日記

 日照時間が長くなった事が嬉しい。仕事が少し早く終わった夕方、陽はまだ明るく眩しかった。森の脇の路肩にランクルを停めてトレールランニングをする為にジョギングシューズの紐を締めようとしていた所、路肩を走ってきた自転車野朗が急に近づいてきていきなり、ナイストゥミーチュウ!と声を掛けてきた。彼の名前はロブと言って、自分は97年型のフォードレンジャーの白いピックアップトラックに乗っており、時々この青いランクルとすれ違っているが、その都度手を振っているんだが気が付いているかい?...(汗)、手を止めて暫く立ち話が始まった。彼は機械関係の先生であった。機械として車を観た時に現在の車よりもロクマルの様な古い車に対して関心が湧くという事であった。ジョギングシューズは片足に足を突っ込んだままで、片手でランクルにもたれたまま10分以上話し込んだ。彼と別れた後に、自分の知らない所でこのロクマルは随分と観られて関心を持たれているという感覚が残った。車に関心のある輩に対して、古さ、ボロさ、珍しさで刺激を提供している存在だとは思っている。

 翌日の朝、自宅を出て最初の信号を左に曲がった所で信号で停まっていた前から4番目の車の窓から長い手が上に伸びているのが見えた。白いフォードレンジャーである。ライトをパッシングさせ車内で手を振った。彼の笑顔と白い歯が心に残った。出会って翌日にすれ違うというのも何かの縁かなと思った。おそらくロブも同じように感じているのであろう。

 

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Sunday Morning Driving (SMD)

2022年04月02日 | ロクマル日記

 今週の日曜も夜明けと同時にシルバーのランクル60の運転を楽しんだ。シルバーのランクル60は長期に渡ってエンジン内の液体巡回の問題を抱えておりオーバーヒートの問題を起こしやすい。しかし、かといって安静にして何もしないのも健康に悪い。定期的にエンジンを回し、いわゆる散歩をさせる必要がある。そういう課題を抱えているがゆえに選んだのが休日の早朝時間のドライブであった。休日、朝日が昇って直ぐの時間はニューヨークの都会に隣接している我が街でも交通量が圧倒的に少ない故に、30分程の時間でも街中をトップギアで走りぬけそこそこの距離を走る事が出来る。窓を開けエンジンの音色を聞きながらロクマルと対話をする。結果的にシルバーのランクル60は休日の朝の30分を楽しむ為の存在となっている。これは、旧車を所有維持しそのクルマを楽しむ為の一つの形態(旧車のある生活)なのではないかと最近感じる様になってきた。別の表現をするならば、あなたがもし晴れた日の休日のサンライズと同時に30分だけドライビングを楽しむとすれば、その為にどんなクルマを選びますか?そんな問いが生じてくる。これがクルマを所有する事によって得られる非日常を味わう一つの姿なのだと思う。

 

 今年になってからマンハッタンのミッドタウンにあるトヨタディーラーのショールームの中央に美しくレストレーションされたマスタードイエローのFJ40が置かれている。FJ40は近年ニューヨーク周辺のトヨタディーラーで人気の様で、コネチカット州のグリニッチ、ニュージャージー州のイングルウッドのショーウィンドー内でも見る事が出来る。FJ40を前にして、晴れた休日の早朝のマンハッタンをこのFJ40で流したい。SMDの為の一台を選ぶとしたらこいつは選択内となる。旧車を観る度に思うのが、ビークルオブSMDである。

 

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