ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ニューヨークは120年振りの寒さだと

2015年02月28日 | 日記

 2015年の2月が終わった。今年のニューヨーク冬は例年よりも寒さが厳しい。昨年の暮れから氷点下の毎日が続いており、毎朝の気温は氷点下10度を軽く下回る。太ももから下の下半身はしもやけとなり、足首の靴下の上の辺りの皮膚はひび割れてしまった。仕事から帰ってきた後に浴びる熱いシャワーのお湯はしもやけた肌に突き刺さる様に痛いが、その痛みは生きている実感のする快感でもある。

 

凍て付いた70年代のBMW Rシリーズ。

今年のニューヨークの寒さは120年ぶりりの寒さだと言う事。

この冬のこの寒さを耐え忍ぶと言う事は意味のある事かも知れない。

 

 明日から3月です。3月からは更に仕事が忙しくなる事もあり、これは何か新しい事を始めるチャンスである様な気がしてます。街の空がいつも澄み切っていますから極寒のニューヨークもいいものです。明日の予報は大雪(スノーストーム)警報です。暖かい春はまだ先のようですが、日照時間が少し長くなった事もあり気分的には春です。いつも寒さに慣れたな、と感じる頃に冬は終わるものです。そういった意味で春は近いです。

 

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極寒のニューヨーク それでも僕はロクマルに乗る

2015年02月16日 | ロクマル日記

 今日(2月16日)月曜日はプレジデントディの休日であった。報道によると今朝はこの冬一番の冷え込みであり、それは危険的な寒さであるとの事だ。最近は寒さにも慣れてきた感覚はあるが、それでも外気に身を置くと露出した皮膚は痛さを感じる。寒いロクマルの中で冷たいハンドルを握っていると寒さ故に手首から先がしもやけで痒くなる。それは春の訪れを待ちながら寒さと付き合っている現実である。極寒の冬という刺激は人間にとっては厳しい期間であるが、古いランドクルーザーにとってもそれを使い求める人と共に耐え忍ぶ期間でもある。

 

外気は摂氏ー17.6、マイナス18度。ただいま午前7時過ぎです。

今日も仕事が入っていますので、

頼むよ、ロクマル君!

 

 

 冬だからと言う事で、塩が撒かれるからと言う事で過保護に保管する事はない。

旧車なんだからもう少し考えてよ!という声が聞こえなくもないが、

ランクルなんだからもっと輝いてよ!と内心説得し続けている。

 

青いロクマルはまっ塩です。

今朝は寒さの為に始発時にはブレーキが効きませんでした。

こんな事は始めてでした。

動き出してから10分程で機能回復です。(寒)

 

おやっ、

FFFF...と書いてありますね。

フ フ フ フ フ フ ...

やっば、FJだもんね。

 

ボディの下にはツララが沢山出来ています。

このまま行きましょう!

 

フロントのタイヤハウスの下はこんな事になっています。

このまま行きましょう!

 

2時間程走ってコネチカット州へ、

北に向かっています。

 

 ニューヨークの街に流れ込むハドソンリバーも上流に行くと河は凍て付いた氷の平原。

ここはシベリアか?

(行った事無いけど)と不意に問う気持が出てくる。

  

 この冬は雪道での脱出の為に一度だけクラッチを4WDに入れて前輪のマニュアルデフロックをオンに入れた。

  寒い冬を耐え忍ぶには2つの方法がある。それは如何に暖かく過ごすかという観点ではなく独特の観点ではあるが...。まずは氷点下18度を乗り切るにはそれ以上の寒さを経験しておく事。南極観測隊が越冬する世界で最も過酷な観測地帯と呼ばれるドーム基地では平均気温マイナス57度、最低記録気温はマイナス79度。そういう場所を訪れたならばニューヨークの冬季などはちょろいもんだという気になる。そしてもう一つは寒さを楽しむ事だ。冷凍されたランドクルーザーが動いてくれる事だけでも凄い!という事実は毎日の感動でもある。古く機械的にもやや怪しげなロクマルを寒気の中で右往左往させる事、これが寒気に勝る楽しみの一つである。 

結果、

我慢してロクマル乗っているのではなくて、

寒い冬を楽しむ気持で乗っているのだ。

 

...強気ではあるが、内心は春よ早く来てください。お願い!である。(寒)

 

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チューリップ

2015年02月15日 | 日記

 昨夜は仕事が終わった遅い夜に近くのスーパーマーケットに寄った。毎朝飲むコーヒー豆が切れてから3日が過ぎて、明日の休日の朝をゆっくり且つ充実した時間を過ごすためには早朝の朝の一杯のコーヒーは不可欠だと考えていたからだ。そしてもう一つ探し物があった。本日(2月14日)はバレンタインディだという事。昨年はバレンタインの夜に手ぶらで帰宅したら(実はうっかりVTと言う事を忘れていたのだ)愛妻が怒ったり拗ねたりはしないが、何か期待していた様子で物足りなさを感じていた様子だった記憶が鮮明に残っていたので、今年は薔薇の花でも買って帰ろうと決めていたのだ。

 日中の活気がほぼ過ぎ去った後のスーパーマーケットの花コーナーは静かではあった。店の方も世の男共の要望に応えようと花束を普段より多めに揃えている事が分かる。足を止めて形の良い1ダズン(12本)の赤い薔薇の花束を選んで持ち上げてみた。機械的に包装されているのはまあ仕方がないとしても、花に鼻を近づけても匂い(香り)が薄い。脳の真ん中辺りでツーンと感じる薔薇の刺激的な甘い香りが弱い。それだけの理由で薔薇を買う気が失せてしまった。おそらく長期間冷蔵庫に入れられてこの日の為に保管されていたのかな、などと思ったりもした。

 

 

 薔薇を諦めて、選んだのは鉢植えのチューリップ。なぜかこのチューリップだけが数多くある花の中で唯一光っていたので迷わずこれにパッと決めた。おかげで昨晩は平穏に過ごす事が出来た。花を買って驚かせようとする気持などは全く無かったのだが、昨年の事もあり期待していなかっただけに喜んでくれた。(汗) 花っていうのは不思議なものだ、送る人の気持が伝わるからだ。逆に言えばそれは怖い事でもあるのだが...。

 今朝はこの甘くせつないチューリップを眺めながらコーヒーのお伴としている。花を眺めているとそれは特に女性の美しさとも重なる様な気になる。おそらく花はそれを取り巻く人の心に色々と語りかける対象でもある様だ。酷寒のこの季節に一足早い春の小さな象徴が部屋にあると心も憂鬱感から開放される。バレンタインディに贈ったこのチューリップは結果、豊かな気持をもたらしてくれた。これからも妻は変えない。でも、花は変えていこうと思っている。

 

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CUBA

2015年02月08日 | 日記

 寒い毎日が続くこの時期には暖かい南国の話題がいい。フロリダ半島のマイアミ周辺のショッピングモールのコーナーにはクーバンカフェと呼ばれるエクスプレッソコーヒーを提供してくれる小さな店先が沢山点在する。そこは駐車場や歩道に面したアウトドアーでのバーのカウンターの様な形で数個の腰掛用の丸椅子が置いてある所もあるが、基本的には立ち飲みである。仕事や買い物の合間に足を止めてその場でおしゃべりしたり一服する社交場でもある。クーバ(キューバ)は良質な砂糖を生産する国であるので、コーヒーにはブラウンシュガーを最大に入れる。濃いコーヒーに濃厚な甘さが刺激になる。そこで提供されるコーヒーは安く(90年台当時は25セント、約30円)てインパクトがあり、一口でほうばれる程の量しかないがその味は口の中で長く残るのだ。クーバのコーヒーを飲みたいなあ、などと最近ある仕事先で隣に座っているクーバ系アメリカ人と何時も話をする。

 

 

 昔誰かが言っていたが、元巨人の長島監督はクーバの野球が好きだと。その理由は彼らはバントをしないからだ。ピッチャーが思い切り投げたボールは思い切り打ち返す、それが気持いい。点数による勝ち負けは後の結果の話である。これがクーバという国の人々の気質なのである。

 クーバの近代の歴史というのは複雑だ。嘗てアメリカと友好関係を築いていた頃はクーバはアメリカの企業とマフィアに牛耳られたアメリカの植民地でもあった。そこでクーバの未来を憂いて立ち上がったのがフィデルカストロのクーバ革命。アメリカでは悪者にされるカストロの動機は国民の主権を回帰するものであった事から、クーバの社会主義を嫌ってアメリカに亡命した人々でさえカストロを悪く言う人は少ない。当時の時代的背景から考えてみてもアメリカに反する姿勢を見せたならソビエト連邦が肩を叩いて支援してくれるという構造は時代の流れであったと思う。近年クーバはアメリカとの国交を開始する為の歩みよりの姿勢を見せているが、昨年はプーチンが首都ハバナを訪問して過去の借金の多くを(90%)チャラにしてくれたりしてと、アメリカとロシアの狭間で生存する為に苦悶している。

 そういった国の事情を聞いて、それは他人事ではないと感じた。何かの理想を持って生きていても生活の為に時には意向と異なる仕事さえやらなければならない、またそれを継続しけなければならない事情などが個人レベルにはある。人が生きて生活する事の選択はそれ程多くはないのである。一国の国の事情も一人の人間が生きていく環境もよく似たようなものだ。つまりそこには理想と現実などの曖昧さというものがある。そしてその曖昧さは悪いものでは決してないと言う事。世界にある国々は曖昧さの中で泳いでいるようなものだ。それは寒流と暖流、高気圧や低気圧の巡回の中で生命が生きている様にだ。そして国や個人がそういう曖昧な立場の継続だと言う事が分かると(そんなものだと)クーバの人々やラテン民族の様に明るく生きていく事が出来るのではないかと考えている。

 クーバ人は親日派が多いとは聞くが、それにしても隣席のクーバ人は恐ろしい程の親日だ。彼らは日本、日本人の何処に魅力を感じるのだろうか? 隣席のクーバ人は日本人の仕事ぶりだと言った。日本の文化や食事、アニメなどではない。彼らは敗戦国の日本が復興してきた流れを祖国の未来と重ねている様にも感じている。

 上の写真はランドクルーザーのパッセンジャーシートに座る若き日のフィデルカストロ。彼はランドクルーザーに揺られながら何を考えたり、思ったりしたのであろうか? カストロ.クーバが今日親日なのはランドクルーザーに乗って革命の指揮を執ったからだ。と、思ってしまうのは僕の妄想なのだろうか?

 

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冬季の運転は頭上に注意

2015年02月02日 | ランクル ドライブ

 

 日中の最高気温は氷点下のままの毎日が続いている。陽の入りとともに雪が降りだして朝になると20センチの積雪で辺りはまっ白、やがて雪は霙(みぞれ)に変わり雨になった。その雨で降り積もった雪の表面は溶ける。しかし、気温は下がり続け雨は固い氷となって全てを覆いつくした。クルマも凍った。凍て付いた針葉樹を樹氷と呼ぶがクルマの場合は車氷である。クルマが凍て付くとドアは開かない。問題は窓である。窓は大雨の日にワイパーを掛けない状態のまま時間が止まったようなもので外が全く見えない。手にフライ返しのようなアイスムーバーを握って窓をガリガリとこする。氷は細かく削れキラキラと輝き飛び散ってゆく。窓の面積が多いランクルロクマルの窓の氷落としは意外と大変なのである。

 

  

 冬の運転というと雪や氷そしてタイヤや駆動輪の事が話題になる、それは総じてクルマの下半身に注目されているように思う。しかし、冬季の運転は上半身にも多くの危険が潜んでいる。特に視界。氷付いたバックミラーの氷も時間は多少かかるが(コリコリ)擦れば落ちます。(解氷スプレーなどもあるようです)視界は情報の源です。雪の積もったクルマの窓とボンネットの雪はたいていの人が意識して落とすだろう。しかし、ルーフの雪を落とす事には意識は薄いかもしれない。ルーフ上の雪や氷も他車に迷惑が掛かるので落とす事が大切だ。また、車上の氷付いた雪は後ろに落ちてくれるとは限らない。下り坂のブレーキング時などにフロントガラスに雪崩る事もある、僕はそれで2回ほどヒャッ!とした経験がある。視界が突然無くなるのだ、それはとてつもない恐怖であった。

 今日もフリーウェイで氷の欠片をコンテナの高所から撒き散らすトレーラーを沢山見た。それらはブーメランの様に氷の破片が舞い上がりアスファルトに叩きつけられて砕ける。こんな氷の塊を100キロ以上のスピードでフロントウインドウに受けたりしたら大事故になってしまう。そういった危険が隣接しているのが冬季の運転なのだ。

 この様に冬季というのは雪に強いと謳われる四駆に乗っていても危険なのである。足元のリスクは想定しているが上空のリスクは想定外であってはならない。上空のリスクをも想定する事が冬季の運転の安全の為の必要事項なのだ。

 

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スーパーボールとワンタン麺

2015年02月01日 | 日記

 マンハッタンの中華街で一軒の小さな中華料理屋に入った。歩道から店の中を見るとガラス窓に大きく貼られたメニューの後ろには北京ダックがぶら下げてあり、その傍には調理場があり2、3人の中国人の痩せたおっさん達が蒸気の中で忙しく動き回っている。入り口のドアを引いて中に入ると、暖かい湿った空気と共に醤油がかった中華の匂いがつーんとする。調理場の隣にはレジが隣接しており3人程のお客さんがテイクアウトの順番を待って通路を埋めていた。お客の一人は中年の中国人の女性であった。その女性はダウンジャケットをパンパンに着込みマフラーと毛糸の帽子で完全防寒しており、その後ろを通りぬけるのにエクスキューズ、ミス、エクスキューズ、ミーと声をあげながら両手を上に挙げて通り過ぎる。赤いベストを着た支給人のおっさんと目が合ったので2人(Two)といって5歩程歩き相席に案内され支給人はメニューを置いて無言で下がった。

 遅い昼食とはいえ店の中は埋まっていた。メニューには料理がびっしりと書き込まれており、ある程度食べたい物にめぼしを付けておかなくては選択に困るという感じだ。直ぐに支給人のおっさんがまたやってきて熱いウーロン茶を注いでくれた。すかさずペンを取り出して無口で立っている(メニューを告げろ)というサインだ。僕は隣のテーブルで中国人のじーさんがレンゲを使って食べているワンタンが美味しそうだったので、あれが欲しい、と告げた。ワンタン麺。友達はメニューを眺めていたが決まらなかったので口頭であれあれ、とぶら下がっている北京ダックを指差した。ご飯か麺かを聞かれて、スープ麺と答えた。

 

 店に入ってから食べ終わって出るまで30分程であった。シンプルな中華麺(ソバ)は体を温めてくれた。その後は隣接したパン屋に入ってコーヒーとお餅を買って、歩きながら食べた。歩きながらふとビルの壁に描かれた大きなおっさんの絵に目が止まる。SUPER BOWL SUNDAY 、2月1日(日曜日)は寒中のビッグイベントなのだ。チョコレートバーの宣伝絵なのだけど、このビル絵を見ると中華街のワンタン麺と重なる。

 今日はスーパーボールサンディ。ピザやバッファーローウイング(鳥の毛羽先)が最も消費されるこの夕方。やはり、あの中華街のごたごたの中にある質素な食堂で食べるワンタン麺が恋しくなる。今週もまたあの店に顔を見せる事になりそう。

 

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