ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

光は自分では見えないんだね

2014年09月28日 | NOTES

 

 先週から仕事のプロジェクトに追われてブログの更新も滞ってしまっている。以前は何でもよいから毎日ブログ日記を書いていたが、最近は多少気持ちが欲張り少しでも意味のある内容を書いておきたいとは思うようにもなってきた。自分の中にそういった気持ちが重なっている事、それはまた臆病な気配でもあるのだが...。

 以前、矢沢永吉がこんな事を言った。『俺のライブを聞いて、明日からまた頑張ろうって気持ちになってくれたら、もう、それでいいと思うんだよね。』つまり、頑張ろうとする刺激。それは一年とかそれ以上の長いスパムではなくて、2-3日とか一週間でもいい。歌は人を励ます力を持っているが、じゃあブログは?最近こんな問いが頭に響く。

 先週、私よりも年配の日系アメリカ人のFさんとお話をする機会があった。Fさんの年齢は定年を考える歳です。リーマンショック以前は事業に成功した実業家であったが、近年の不況によって悪く言えば転落してしまった状態。もう一度這い上がる事を視野に置いて、底辺の仕事をやりながら必死に頑張って何とか生活を維持している状態です。そのFさんが私にこうおっしゃった。『今が最高に幸せです。』と。その時、私は思った。具体的に出来る事は限られるが、何とか力になりたいという気持ち。そして、どん底でも必死に生きている姿勢は他人に力を与えるものだな、という事。

 他人に力を与えようとしたり、励ます、という事の正体は文章や音楽で出来る事ではないのだ。それは必死に生きている姿勢からしか生じないんじゃないだろうか、と感じている。ふと僕の周りを見回せば多くの人々が必死に生きている。僕もその中の一人でありたい。ランドクルーザーの日記の奥にあるのは、人生を必死にもがきながら生きる姿勢そのものでありたいと願っている。

 

仕事のプロジェクトは今週の半ばまで続きます。

 Have a good week!

 

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OLD IRON

2014年09月22日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 OLD IRON(オールドアイロン)とはいったい何?

 そのままの日本語だと古鉄。アメリカでは時々古いオートバイに対してのこの名称で呼ぶ事がある。それを車に当てはめると、それは一つの車のカテゴリー(種類)を示す。旧車をクラッシックとかウィンテージ、時にはレトロなどと口にして形容するが、それは大方オリジナルかそれに近い状態の旧車を示す。オールドアイロンと呼ぶ旧車、特に4x4はそういった往来のクラッシックやウィンテージと呼ぶに相応しいオリジナル性を保った固体もあれば、外観は艶も無く色が褪せて古さを見せているが、エンジンや足回りの機能は走破性を向上させるために別物が付いていたりする。羊の皮を被った狼ではないが、それに近い感覚で、旧車の皮を被った機能的な4x4をOLD IRON と括る。

 

 

 2014年10月号のFOUR WHEELER誌の表紙はユタ州モアブを走るV8を積んだ1960年のランドローバーシリーズⅡ。エンジンとタイヤ以外はほぼオリジナル。

 

...

 古いランドローバーを巡る課題。現在アメリカにはランドローバーディフェンダー90、110、130、等は正式に入って来ないが、マニアの需要の声は強い。ディフェンダーは過去において1993-1997年の間に限定数輸入されたが、それでも数は少ない。同時にアメリカの陸運局には別の法律があり、製造されてから25年が過ぎた車ならば書類の手続き等をしっかり行えば合法的にアメリカでの非販売車を輸入し登録して乗ることが出来る。

 そこで25年を経過したランドローバーがアメリカに入って来ているのである。しかし、その中には、製造されてから25年を経過した車体ではあるが、フレームやエンジンが当時のものではなく2000年以降の物である物も少なくなく、それらは全て弾かれ没収されます。古いランドローバーの需要の影にある溝です。これは当然ランドクルーザーにも適応されます。

 そういった課題もあり、過去において正式に輸入されたランドローバーやランドクルーザーはOLD IRON として今後もその位置を固めていくのではないだろうかと感じている。

 

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P r o j e c t T I T A N

2014年09月19日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 

 NISSAN PROJECT TITAN

 Project Titan (プロジェクト タイタン) とは、北米ニッサンが主体となって北米で販売されているニッサン大型ピックアップ トラック タイタン を中心としたソーシャルコミュニティの活動の一環である。2014年製のタイタンをアラスカの地で冒険的に走らす為に、人気投票によってパーツ、アクセサリー等のアウトフィッターを選択し各部のモディフィケーションが施された。

 

 モディフィケーションを完成させたタイタンは、今月の9日にアラスカに空輸され現在は既にアラスカの大地を走っている。モデイフィケーションからアラスカの旅まで、ソーシャルコミュニティで繋がり、その経過はコミュニティを通じて常時紹介され、そのコミュニティに参加する事によって、一緒にタイタンでアラスカの大地を走ろうとする試みでもある。 

 

 この企画はWounded Warrior Project (WWP)を支援している。WWPは負傷戦士支援プロジェクトの事です。特に911の後に戦場で傷付いた兵士達の社会復帰を含めた多様の支援活動です。

 

 モディフィケーションの投票では現在のアクセサリーの嗜好なども見えてくる。例えばLEDのライトバーなどは今後のエクスペデッションビークルの主流になるのではないかとみている。

 北米の大型ピップアップトラック市場にはビッグ3とトヨタという強靭なライバルが君臨する。タイタンの挑戦とはアラスカを超えてこの商域に食い込み領域を拡大する事。新しい事に挑戦するタイタンの企画はピックアップトラック業界において、どよんだ部屋の窓を開けて新鮮な空気を流し込むような感覚を感じる。

 

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Range Rover 製造番号#001

2014年09月18日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 製造番号#001(1番)のレンジローバーが英国の Silverstone Auctions において競売され$213,000(約2300万円)で落札された。このレンジローバーは1969年の終わりに製造され1970年の最初に登録された。

 

Range Rover #001

 こちらには沢山の写真があります。

 #001レンジローバーはフルレストレーションを受けている。製造番号が一番だからと言って展示物であった訳ではなかった。

 

 最初の#001オーナーはランドローバーのプロモーションフィルムを手掛けるマイケルフォーロング氏であった。1975年に別のオーナーの手に渡った後にはボディーの色はバハマイエローに変えられた。そして、その後この#001はオリジナル性を失い、その消息はかすれていった。

 

 1990年代になって現在のオーナーがこの#001を見つけ出した。#001の価値を知っていたオーナーは6年の歳月をかけて、全てをばらして組み直すレストレーションを施し、外装の色もオリジナルであったオリーブグリーンに戻された。

 

 

 当時のレンジローバーの後ろに付けられたランドローバーのロゴ。

 

このシンプルで美しいレンジローバーには魅力を感じる。

#001は実に勿体ないクルマだから、出来れば毎日乗って使い込みたい。

 

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TLC ICON Shop Tour

2014年09月13日 | 北米ランクルビジネス

  ICON を製作するカリフォルニアの TLC は以前の北ロサンゼルスの Van Nuys から SOR(スペクターオフロード) と同じ街 Chatsworth にそのビジネスの拠点を移した。工場はより広くなったが雰囲気はアトリエ的で、4x4だけではなく米欧の旧車も ICON のブランドで復活させている。ICON というブランドは FJ40 から始まったが、今日 ICON は TLC が手掛けた車両を示し、これはブランドとしては特殊な位置付けであると感じる。

 以下は Chatsworth にある新しい TLC の工場内の様子です。

 

 

 ビジネスが発展し需要が増えたという事は、それだけ既存の車に満足していない人が増えたのだろうか?ICON ブランドが定着し信頼が増えた結果でもある。しかし、今後も ICON は少量生産という形を維持する方針。そこには ICON は工業製品というカテゴリーではなく作品でありたいとする意思を感じる。

 TLC の ICON の人気の秘密はオーナーのジョナサンのカリスマ性を表現した所にもある。一流の芸術家は他人から盗んで自分の物にするが、二流の芸術家はただ借りてくるだけと言います。多くの人は意外とその所を分っていて、ICON にそれを感じているのかもしれない。

 

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Freedom is Not Free

2014年09月11日 | 日記

 今日は9月11日。

 ニューヨークのマンハッタンの上空に浮かんだ昨夜の月は目玉焼きの大きな黄身のようであった。都会のビルの夜景は平和で、数多くあるビルの窓から明かりがこぼれ街は明るく賑やかに輝いていた。一本の水色がかった光の光線が雲を突き抜けて真っ直ぐに伸びて、夜空の遠方の闇に吸い込まれている。光線は追悼の光で、光の源は嘗てのツインタワーが聳えていたその場所である。 

 2001年9月11日の衝撃的な惨事の直後に悲しみを戦意に置くことによって、報復と言う形でテロに対する戦争が始まった。アメリカはアフガニスタンへの進行を正当なものとし、世界の国々から同意を得るに至った。この時に僕は本当に恐ろしいものを感じた。その恐怖は衝撃的なビルの崩壊映像や中東の荒野で訓練にはげむビンラディンの部隊では無く、戦争というものがこうやって(計画され)執行されるのかを生活の中で見たからである。

 

 自由を得る為には犠牲が伴う、という意味合いがあるこの文句はワシントンDCのコリアンワーメモリアルに隣接した大理石に刻まれている。アメリカは数多くの戦いを経験してきた。1776年の独立宣言は英国統治からの離脱の為の独立戦争(1775-1783)の中で宣布され、建国当時からアメリカでは戦争であったのだ。そういった経緯は FREEDOM IS NOT FREE そのものであった事を感じる。

 しかし、いつの時代からだろうか?おそらく僕が生まれた後の時代のアメリカの戦争は FREEDOM IS NOT FREE の権威が落ちてしまった気がする。それに変わるものは国益やビジネスではないかとも思う。

 911に元を発したテロとの戦いとはグローバリズムのピークではないだろうか?中を開けて見ると混乱しか存在しない。FREEDOM IS NOT FREE はアメリカを離れた。むしろアメリカが進行する貧しい小国や部族の手に渡ってしまったのかも知れない。

 9月11日は、FREEDOM IS NOT FREE を考える、そんな追悼の日でもある。

 

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良い作品は思考をめぐらす (結論)

2014年09月10日 | 日記

 

 旧約聖書の初頭の創世記には天地創造の過程が記されている。それは誰が書いたのかは分らないし、旧約聖書を編集した人々の意図も含まれていよう。神は『光あれ』と言われた。その時から遥かな時間を経過して人間の男と女がこの地球という惑星に姿を現し、人は善悪を知るものとなった、...と。

 

 この天地創造の過程を文章によって説明するならば、その記を読む事が出来る人はその内容を理解する事が出来る。

 あるいは、もし、この天地創造の過程を音楽という音で表現して下さいといわれると、その課題はより難しくなり、作曲家は頭を悩ます事であろう。更に、その曲を披露する時に作品のタイトルに ” 天地創造 ”と記されていなかったら、聴者達は左脳の助けがないので、曲を聴いた後のとらえ方はバラバラになる、ある人は、これは人の人生だ、ある人は四季、ある人は世紀の展開などを感じるであろう。

 

 ワシントンDCに築かれたその都市には作品のタイトルが無い。この街を歩くと感じるものは多くあるが、それは百人百様であろう。太陽光を浴びて木陰で寝そべってそよかぜにあたりながら時間を愉しんだ後に、なぜか?天地創造というタイトルが浮かんできた。ワシントンDCという都市の設計は計画当時、天地創造(の過程)を地上に作品として表現しようとした都市ではなかったのだろうか?

 面白いのは、このワシントンDCという都市と旧約聖書の創世記を記した人々との関係である。この街(作品)を計画した人々は創世記の天地創造に習って街を造ろうとしたのではなくて、旧約聖書の創世記を記した人々でもある。(勿論、時間的に大差があるので同人物である訳ではない)と感じた事だ。

 

 

 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、廻る災のつるぎとを置いて、命の木の道を守られた。

 創世記3章24節

...ワシントンモニュメントは災の剣。

 

アブラハムよ、...わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。

 創世記17章4節

...リンカーンのラストネームはアブラハム。

 

 ワシントンDCの都市というのは作品である。そして、その作品は物、物質だけではない。いにしえの太古から今日までの歴史の流れ、その歴史こそが作品だという事を表現している。

 

街をめぐり、歴史をめぐる。

良い作品とは思考をめぐらせさせられるものなのだな。

 

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良い作品は思考をめぐらす (中編)

2014年09月09日 | 日記

 

 ワシントンDCの中心、アメリカの政治の中心、アメリカ国民の広場(The National Mall) 周辺は名画に秘められた幾何学を探し求めるような楽しみがある。この都市を築いた人々はこの街に多くの仕掛けを隠したに違いない。その仕掛けを個人的レベルで探し出す事がこの街を歩く刺激となる。

 

 

 The National Mall は東西に長方形に近い形をしており、端から端までは4キロ弱。東側にはUS Capitol (国会議事堂)、その背後には最高裁判所、議会図書館が控えている。この議事堂から中央のオベリスクの間には左右に文化、芸術、技術の博物館が並ぶ。これらは世界最大の博物館、美術館、そしてそれらにまつわる研究機関を持つスミソニアン協会が人類の知識の向上と普及を目的に運営している。

 

 太陽が昇ってくる東の方向からオベリスクを眺める。そこまでは緑の芝生で埋まっている。オベリスクの色は太陽が塔を照らす午前中は白く、午後になると影になるので東側から眺めると黒く見えるはずである。

...

 

 

 しかし、オベリスクの西側に廻ると空気は一転。西側半分には、戦争のメモリアルが展開する。それはアメリカの国璽の白頭鷲がその足にオリーブの枝と弓矢をそれぞれ掴んでいるのと同じ構図であるのかも知れない。

 

茂みの中の兵士の視線の向うにあるのは、

 

ベトナム戦争メモリアルの石壁。

 磨かれた黒い大理石に死んで逝った兵士の名が刻まれている。近くに大きな電話帳程の厚さのディレクトリーが置いてあり、個人の名を検索する事が出来る。

 ここで感じたのは戦没兵の刻まれている磨かれた大理石の壁に自分の姿が鏡の様に映る事。それは、貴方が今日こうやって生きているのは国の為に死んで逝った兵士のお陰です。というメッセージが強く伝わってくる。

 

 そして、その反対側の南側には、

 

朝鮮戦争(動乱)のメモリアルの石壁。

 こちらのメモリアルには磨かれた大理石に兵士、武器、戦闘、逃げ彷徨う人々などの戦争の場景(絵)が繊細に刻まれている。ここを歩くと、大理石に刻まれた戦時の熾烈な風景に背後の兵士のステチューが写しだされ、そしてその中に重なる(写る)自分の姿を観る。ここに立つと自分という存在をベクトルにして戦争の状況下に巻き込まれてしまう様な不思議な感覚になる。

 これらのメモリアルを考案設計した人々は天才的であると感じた。

 メモリアルには鏡(反写)を応用した高度な技がある。

 

 モールの西の端、

ポトマック河の近くにあるこの巨大な石造の建物はリンカーン記念館(Lincolin Memorial) である。

 

この白亜な建物は古代ギリシャ、ローマの神殿を思わせられる。

 

その神殿の真ん中の奥で椅子に沈んでいるのは、アブラハムリンカーン。

 この記念館が完成したのは、1922年の5月30日、アメリカではメモリアルディ。以後、自由と平和のシンボル的存在となっている。じっと前方のオベリスクを見つめている。

 

時刻は午前、大理石は白と黒(光と闇)でその調和が美しい。

 

 

 左右の壁にはリンカーンが残した有名なスピーチが刻まれている。北の壁には大統領就任演説。そして南の壁にはゲディスバーグでの演説、有名な That government of the people, by the people, for the people. (人民の人民による、人民の為の政治)の文字を見つける事が出来る。

 そして、南北の天井近くにある壁画の中心には豊かな胸をした女性の古い絵が描かれている。この女性はイシスかスフィンクスか?それは何らかの儀式を行っている光景に見える。この絵から伝わってくるのは女神、母性という感覚である。

 

背後の献辞の意味を考えた。

Nation、Country、ではなく Union とある。

...

 

そして、リンカーンの体の部分の動きに注目した。

右手、

親指を突き出しているが、手は握っている。何かを掴んでいる?

 

左手、

手をやや開いて乗せている。

 

そして、足。

左足を前に出している。

この姿勢には驚いた! 

...

 

この動きは、まさに

あの、

あの、

...

 

...

 

マニュアルランドクルーザーを駆っている姿、

そのものではないか!!  

...(汗)

 

思ったのは事実だからしょうがない。

 

...

また、ある説によると、

この右手はアルファベットの " L " を示す。

ラストネーム、リンカーンのLです。

 

そして、

左手はアルファベットの " A " を示す。

ファーストネーム、アブラハムのAです。

という理解もされているようです。

 

LA, AL,

 

僕は更に妄想を加速させて、

これは古代エジプトの太陽神ラーを示唆しているのではないかと感じた。

...ラーは  " Ra " と表示されますが、まあ似たようなものだ。

...

 

さて、

リンカーンの視線からオベリスクをご覧下さい。

 先ほど指摘した鏡の技が上手く活用されていますね。

 

 リンカーンの位置から見るオベリスクは前方に掘られた池の水面に見事に美しく写し出されています。おそらくこの人口の池はこれが目的で掘られたものではないでしょうか?

 

さあ、これをどう理解するかです。

 

今までのキーワードを並べてみます。

太陽、東西、光と影、白と黒、陽と陰、生と死、戦争と墓...等。

 

オベリスクは別名、男性器とも呼ばれています。

生殖器は生命の源でもあります。

 

その、そそり立つ男性器を迎え入れているのが、

 

この水面です。

こうして男と女が一つになります、空と大地が一つになります。

リンカーンが見つめているのはセクシャルインターコースだったのですね。

死を意味する周囲のメモリアル(墓)に、生(性)を意味するオベリスク。

これは天と地が融合する事を意味しているように感じました。

 

...

さあ、最後は結論です。

 

最後は以上の雑感を払拭してこの作品(都市)に宿る意図に迫ります。

 

...つづく、

 

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良い作品は思考をめぐらす (前編)

2014年09月07日 | 日記

 

 ワシントンDCでは街の至る所、フリーウェイでの車の運転中、ビルとビルとの隙間、街に茂った木陰の影からその姿を観る事が出来るのがワシントンモニュメントと呼ばれる169.3メートルのオベリスクである。

 

 オベリスクは時間により、あるいは背後の空の色、太陽光線などにより常に変化し、見上げる度に異なる様相を楽しませてくれる。遠くから、近くから、真下からと常に眺めてみた。

 

 オベリスクは1848年の7月4日のアメリカ独立記念日に建築工事が始まったが、途中資金不足や南北戦争などの事情があり着工から36年後の1884年の12月6日に完成に至った。(最後の石が積まれた)

 

 オベリスクをはじめDCには多くの自然石を材料に用いた建築物が存在している。そういった石造物に囲まれていると少し不思議な感覚になる。その不思議な感覚というのは、異文化に触れた違和感というよりも、ひょっとしたらこれは日本人にとって懐かしい遥か遠い昔の憧憬かも知れないと思ったりした事であった。

 

 アメリカで生活をしているとオベリスクを観る機会は多い。ニューメキシコ州サンタフェなどの美しい街の中心など、誰でも目にする事が出来る主要場所に堂々と存在している。そして墓地、ここにもひっそりと多くのオベリスクが並んでいる。オベリスクの存在には主要場所と死というテーマが僕の中では重複する。巨大なワシントンモニュメントのオベリスクの本当の正体はアメリカ建国の父ジョージワシントンの墓じゃーないのか、なんて真剣に思ったりもした。

 

 オベリスクはエジプト起源であるならば、死を根底にして生をとらえる、魂は生と死を行き来する、そんなメッセージがこのアメリカ首都DCの象徴に込められている様に感じた。

 

 時代は遥か大昔、ナイルの河口やチグリス、ユフラテス河で文明が起こった5~6千年前よりも遥かに昔、今では忘れられた先史文明の時代に地球的な規模で人々は石造建造物を築いていた。

 

 エジプトに残されているピラミッドは先史文明の遺跡であり、このエジプトの遺跡についての研究は今日も継続されている。ツタンカーメンの姿や顔の造りはアフリカ人ではない、地中海周辺のヨーロッパ人でもない。それはアジア系の顔である。

 

 古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)は日本の古代文字(神代文字)と非常に似ており、日本の古代文字の研究者はエジプトのヒエログリフを読む事が出来るという。

 

 このように考えると、太古には地球規模の石造文化があり、その文化の中で使っていた言葉は同じか、似通っていた事も考えられる。

 

 

 そういった意味で、石造物は日本人にとって懐かしい記憶を懐古させるのかも知れない。決して異国の遠方の異質文化ではなく、ただ我々が資料不足により考える事を否定されてきた、人は昔原始人だったのだで終わってしまう。

 

 

花崗岩は微妙に振動する生き物。肌をくっつけて声を訊く。

 

良い作品は思考をめぐらす、

 

そういう声を感じた。

 

” し こ う ” というのは、石造物建築の施工の事でもあり、

 

人間の死をまじめに考える、死考でもある。

 

その石造物を見上げると、空の純白の雲の様に白い。

 

しかし同時に、暗い闇の様に黒い。

 

それは即ち生と死が同時に存在している事を示している。

 陰陽、表と裏。

 善と悪、天使と悪魔とかとも言いたいが、考えてみると善悪や悪魔サタンという理解はキリスト教的な概念である。アメリカはキリスト教国家、ヨーロッパから信仰の自由を求めて大西洋を渡ったピューリタンによって建国された新しい国と多くの人々は理解しているが、ここ合衆国の中心地域においてはキリスト教の象徴物は無。

 

先端のピラミッドは合衆国の国璽の象徴である。

  合衆国はキリスト教国家ではない。

 

正方形のオベリスクは変化(四季)の色を表現する。

 

しかし、

DCのオベリスクの見方はこれでは部分的である。

 

...???

  

遠方から僕をじっと見つめる視線を感じた。

 

 

 どうやらヒントは水にありそうだな。

 

...つづく

 

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自転車はやがて空を飛んだ

2014年09月04日 | 日記

 1903年に世界で初めて有人動力飛行を成功させたのはアメリカのライト兄弟である事は、今日多くの人々が既に知っている事である。しかし、その兄弟が発足させたライト社は今日ロッキードマーティン社として別物に姿を変えて存在している事はあまり知られていない。当時、ライト兄弟は Wright Cycle Co.(ライト自転車商会)を営みながらその自転車製作の技術を応用し有人動力飛行機、ライトフライヤー号での飛行をノースカロライナの海岸で成功させた。初飛行の影に自転車技術の蓄積と応用が存在した。

 

これがライトフライヤー号です。

場所はスミソニアン航空博物館(National Air and Space Museum )内の一角です。

飛行機の素材は、ほとんど木とキャンバスですね。

 

1903 WRIGHT FLYER

 

機体の左側に操縦士が這いつくばって操縦の棒を握ります。

そして、左側にエンジンが座り、

左右の重量バランスを考慮している事が分ります。

 

 機体の左側に搭載された12HP4気筒のエンジンのクランクから左右のプロペラにチェーンが伸びており、エンジンの動力が後方の2つのプロペラを回して機体を押進める構造である。

人間を乗せて動力で空を飛んだという事は、当時としては画期的な出来事だった。

 

人々は空を見上げて、まだ観ない未来を見たのだ。

 

...

 

しかし、僕はその未来という時間場所から当時を観る。

注目したのはこれ、

ライト兄弟が製作した自転車。

By WRIGHT CYCLE COMPANY

 今回のDC滞在目的の一つは、この自転車を眺める事であった。

 

彼らのブランドはVAN CLEVE という名称だった...らしい。

 

実物、ライト兄弟のライトサイクルカンパニーが製作した自転車。 

当時のロードレーサーです。

 

早く走る為に空気抵抗を考慮したドロップハンドル。

今では、セミドロップと呼ぶのかな。

脇を広げて腕を曲げての前乗り姿勢ですね。

 

100年以上昔に製作されたとは思えないです。

リムはおそらく木製です。

 

ケースから出して、またがってペダルを踏むと、

おそらく今でも問題なく使える事でしょう。

自転車の基本的なダイヤモンドフレーム構造は今日まで変わっていない。

 

 自転車は密封された厚いガラスケース内に展示してあり、周りの鑑賞者達の気配と気分を考慮しながら写真撮影しましたので、写真のクオリティは悪いですが、(腕も)お許し下さい。この自転車を観て、当時のアメリカの物作りの渋さを感じさせられます、一日中眺めていても飽きませんよ。それ程味のある造りです。

 

 歴史が残した一台の自転車。この一台の自転車をアメリカ人が観ると、彼ら彼女らは自信と誇りを取り戻すであろう。日本人の僕が観るとアメリカという国の脅威を感じるのだ。アメリカの匠の技は今日も静かにその存在を示している。物造りで日本はアメリカに勝ったなどとは言うな、思いもするな。謙遜でいい。そう言うのは学者や経済者の書いたベストセラー本ではなくて、たった一台の自転車の存在なのだ。

 

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美しい都市は秘密を宿している

2014年09月03日 | 日記

 

 久しぶりに聞く蝉の鳴き声。

 以前はニューメキシコ州で聴いたのを覚えている。太陽が容赦なく照り付ける緑の芝生の中にある木の木陰。昨晩降った夕立の雨のせいで、地面はやや湿っぽいが吹き抜ける穏やかな風が気持ちいい。大地に背中をくっつけて薄目で青い空を意識しないで観ていると虚ろな感覚となって、眠りの中に吸い込まれる。浅い眠りの甘いまどろかさを楽しんでいると...

 

 ドッ  ドッ  ドッ  ドッ  ...。

 

低音の力強い音が目の前の青空から聞こえてくる。

2機の大きなヘリコプターが低空飛行しながら真上を通り過ぎていく。

 

一機のヘリコプターはそのまま前進し、僕の視界から消えた。

もう一つのヘリはまどろむ視界の中で目の前にある白い大きなお屋敷の庭に着陸し、

そのプロペラを止めた。

 

 辺りには再び静けさが戻った。

 

...

 

 30分程経っただろうか?

先程離れたヘリがまた戻って来て建物の周りを周回する。

白い家の前に止まったヘリのプロペラが回り出した。

 

 やがてそのヘリは上空に高く舞い上がり、上空で待っていたヘリと合流する。

 

 ドッ  ドッ  ドッ  ドッ  ...

 

2機のヘリコプターは再び僕の上空を通り過ぎた。

 ヘリコプターの下に描かれた五つ星の印からあれは軍関係の...

マリーン ワン だ、大統領専用ヘリコプターだ。

と、横にいた息子が言った。

 

...1000億円だっけ?$が頭上を飛ぶ!

 

大統領のお出かけだったのでしょうか?

 

再度、静けさが戻った。

 

ホワイトハウスに足を向けて寝ている、

...のではなく、ゴロンとしているだけ。

 

再び頭上を眺める。

もうしばらく、ここで時を過ごそう...

 

ポトマック川から吹いてくる夏風。

照り続ける眩しい太陽と湿気と汗。

この感覚はこの夏の思い出としてしっかりと収めている。

 

 この夏のある期間ワシントンDCに滞在しました。ニューヨークからDCまでは約250マイル(400キロ)、車の運転で4-5時間です。風水都市ワシントンDCは訪れる者を拒まない。何度訪れても何か違うものを感じるのでとても刺激的だ。古代においてピラミッドを築いた神秘の技と知識はヨーロッパのフリーメーソンを介してアメリカ合衆国にその理想都市を築いた。この都市には多くの秘密が宿っている。ワシントンDCを歩くということは、その秘密に出会う機会を得る事なのだろう。

 ... しかし、秘密どうのこうのよりも、歩きがいのある街です。

 

...汗だく でした。

 

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再販 ランドクルーザー70 2

2014年09月02日 | LANDCRUISER

トヨタ、ヘビーデューティな「ランドクルーザー "70"」を10年ぶりに再発売!

by Hirokazu Kusakabe, 2014年08By  月28日 21時30分

AUTOBLOG より、

 

 トヨタの広告宣伝活動を行うトヨタマーケティングジャパンは25日、オフロードSUV「ランドクルーザー」の歴代モデルやオーナー所有のカスタム・モデルを展示する「ランドクルーザー モーターショー 2014」を東京・お台場のMEGA WEBにて開催。会場では10年ぶりに国内販売される「ランドクルーザー "70"」も発表された。

 1951年に試作車が完成した4輪駆動のオフロード車「トヨタ ジープ BJ型」を祖とするランドクルーザーは、1954年に改名して以来、トヨタで最も長い歴史を持つモデルだ。世界中で愛され続けているその理由は、トヨタ自動車製品企画本部チーフエンジニアの小鑓貞嘉氏によれば、高い「信頼性」「耐久性」「走破性」にあり、「世界各地の生活を支えているものと自負しております」とのこと。あらゆる場所を走り切り、途中で止まってしまったら生命の危機に瀕するような場所でも信頼できるクルマとして現在も新興国を中心に人気が高く、中でも紛争地域においては「支援物資を載せてくるランドクルーザーは希望の象徴」とまで言われているそうだ

 小鑓チーフエンジニアによると、日本では「ランクル」という愛称で呼ばれるこのクルマの設計思想は初代から60年間ずっと変わらず、ひとことで言えば「行きたいところへ、行きたいときに、必ず行けること」。また、今でもマニアから人気が高い「40」系モデルは1960年から1984年まで24年間、そしてその後継となった「70」系は1984年からなんと現在まで生産が続けられているほど寿命が長いことも特徴で、これはモデルチェンジせずに長く作り続ければ、世界中で部品の調達が容易になるという利点があるからだという。「例えば新品の補修部品がなかなか入手できないような地域でも、工場の裏に眠っている廃車になったクルマから部品を取って直すことができる」と小鑓氏は話す。世界には走行距離が250万km、300万kmを超えてなお走り続けているランクルも少なくないそうで、日本のオーナーに向けて、ランクルをそれだけ長く乗り続けるコツは「定期交換部品をちゃんと替えること。特にオイルは重要な部品の1つです」と仰っていた。

 そんなタフなクルマとして評価と人気が高いランドクルーザーだが、日本では70シリーズの販売が2004年に終了しており、現在ではラグジュアリィ色の強いステーションワゴン型の「200」系と、トヨタが「ライトデューティの系譜」と呼ぶ「ランドクルーザー プラド」の2車種のみが販売されているという状況だった。だがやはり、ヘビーデューティな道具に徹したモデルが欲しいという声は多かったようで、今年がちょうど70の誕生から30周年ということもあり、2015年6月30日生産分までの期間限定だが、再び70シリーズが日本でも発売されることになった。

 2004年モデルに比べると、フロント・フェイスやインテリアが現代的なデザインとなっているが、これは2007年にマイナーチェンジした海外向けモデルをそのまま日本に導入するから。日本仕様として新たに加えた変更は、フロント左側に装着された二面鏡式の補助確認装置と呼ばれるミラーのみだそうだ(あと、30周年記念エンブレムも)。ボディ・タイプのバリエーションは、2,730mmのセミロング・ホイールベースにランドクルーザーらしいフォルムのリアゲート付き4ドアのボディを載せたな「バン」と、日本初導入となる3,180mmのスーパーロング・ホイールベースに堅牢な荷台と"ダブルキャブ"と呼ばれる4人乗り2列シートのキャビンを持つ「ピックアップ」の2タイプを設定。車体サイズはバンが全長4,830mm × 全幅1,870mm × 全高1,920mmで、ピックアップは全長5,270mm × 全幅1,770mm × 全高1,950mmとなっている。

 エンジンは「ランドクルーザー プラド」や「FJクルーザー」と同じく、排気量3,955ccのV型6気筒ガソリン「1GR-FE」型を採用。ただしチューニングは異なり、最高出力231ps/5,200rpm、最大トルク36.7kgm/3,800rpmと若干抑えられ、指定燃料も無鉛プレミアム(ハイオク)となっている。組み合わされるトランスミッションは、2速と3速にトリプルコーンシンクロを採用した5速マニュアルのみ。もちろん2輪駆動と4輪駆動ハイモードおよび4輪駆動ローモードを切り替えられるトランスファーレバーを備えたパートタイム4WDだ。車両重量が2トンを超えるため(バン:2,120kg・ピックアップ:2,220kg)か、JC08モード燃費は6.6km/リッターと最近のスーパーカーより劣る。だが、命の掛かっている走破性・実用性には代えられない。ディーゼル・エンジン搭載モデルを求める声も多そうだが、残念ながら「国内で販売できるモデルがない」そうだ(現在、世界で売れているランクルの8割から9割は、この4.0リッターV6ガソリン・エンジン搭載車だとか)。同様に「本当は出したかった」と小鑓氏が言うショート・ホイールベースの2ドア・モデルも「国内では復活できない規制があった」という。

 ボディ・カラーは全7色を用意。素敵な本革キーボックスと本革車検証入れという専用アイテムが付いて、価格はバンが360万円。ピックアップは350万円(いずれも消費税込み)。これから数十年、300万kmも乗れると思えば決して高くはないだろう。台数は限定ではないが受注期間は1年足らずと限られているので、欲しい方、必要な方はこの機会に是非。詳しい情報は以下のリンクから公式サイトをどうぞ。


トヨタ公式サイト:ランドクルーザー "70" シリーズ



  Best! オーバーランドビークルでもあるランクル70

 

Me and My Landcruiser,

人生のよきシーンを共に。

...((

 

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