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ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

快適すぎるJEEP WAGONEER

2025年08月16日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

ユタ州のモニュメントバレーにて

 JEEPの大型SUV WAGONEERをレンタルして、アメリカの砂漠地帯であるアリゾナ州とユタ州を廻って来ました。V8 5.7リッター400馬力のエンジンは強力で快適。大人8人とラゲージスペースにパンパンの荷物を積載し、夏の砂漠地帯を寒い程にクーラーを浴びながら、時速75マイル(120キロ)を超える巡航を余裕でこなす。悔しい事に、直6ガソリンエンジンのランクル80よりも燃費がよく、まさに走る砂漠のリビングルームである。長時間の運転(10時間以上/日)でも疲労が少ないといと感じた。大型SUVは広大なアメリカの土地でその様な使用を想定して設計されているのだと実感した。

 しかし、近年の自動車メーカーが提供する高級SUVはトゥーマッチエレクトロニクスである。クルマの運転はその機能に慣れる事が必須となり、それは時代のマジョリティの要望であると見ている。アリゾナ州には80年90年代の古いトヨタのピックアップが今も多数活躍している。それは一つの耐久性を示す事の結果でもある。現在の電子機能を満載したSUVやピックアップトラックが30年後のアリゾナの大地で活躍しているとは考え辛いものがある。それはクルマのメーカーも知っているはず。すなわち、時代は人々に対してクルマに対する価値観を耐及消費財から消費財として受け入れる事を期待している、そして、その条件が快適性(機能)との引き換えだと思っている。

 快適なSUVの機能を楽しむ事が出来たのはよい経験であった。こうやって時々様々なクルマを運転してみるのは正解である。その結果どのような事が起こるのかといえば、欲しいクルマがなくなる。クルマなんてどうでもいい...ん、だけど、やっぱり今ある60や80がいいという結論に導かれるのである。

 

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B M W 2002

2025年06月15日 | LONGISLAND EXPRESS

 BMWのMシリーズを数台所有し実際のサーキットに定期的に足を運んでいる友達がいる。彼はレーシーなドライビングテクニックだけではなく、メカに対する知識もずば抜けている。僕の様な疎い者が発するクルマに対するあらゆる問いに対しても、的確なアドバイスを提示してくれるありがたい存在なのである。クルマでサーキットを走るという事は錆びたランクル乗りから見ると異界での行為そのものだ。ランクル60のタコメーターのレッドゾーンは4000であるが、レーシングカーの領域は8000からの世界。ブレーキパットやディスク、タイヤ等の消耗品はランクルだと数年の耐久期間の単位だが、レーシングカーは数時間、或いは数分の世界。ワビサビとは対極の世界である。そんな彼が日常に足として使っている車はトヨタの小型車bBである。レーシングドライバーの日常の足が庶民的な車なので驚く人が多いとの事。彼曰く四駆もV8もスポーツカーもセダンも更に大型バイクも乗り繋ぎ多くの車に接してきた結果、今では普段乗る車に対する拘りというものが無くなってしまったとの事。クルマを持ってしての体面は卒業し、車道を飛ばすクルマには道をゆずる。そういう境地に至ったらしい。しかし、そうかといって普段乗るクルマは何でもいいわけではなさそうだ。彼はシンプルで乗って楽しいクルマがいいと言う。

 

 我々の前方を走るBMW2002 に追いつき追い越す。

ゆっくり走ってはいるが、運転手はレーシングドライバーかもね?

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自由というテーマ

2025年05月10日 | ロクマル日記

 

  青いロクマルが手元から去り、寂しさと共に何か物足らなさをふとした時に感じる事があった。しかし、それは青いロクマルが手元から離れた事に原因があるのではなかった。なぜならば、物に対する執着がもともと強くはなかったからである。しばらく時間がかかったのであるが、最近やっと心の整理が整い確信に至った事がある。それは、俺が求めていたのは "自由” というテーマだったという事、そしてこれからもこのテーマを常に心の隅に置き続ける事であろう。その自由のカケラを感じた一つの機会が、地平線に続く一本の道を4つの窓を全開したランドクルーザー60を駆り。F2エンジンの鼓動を子守唄としてドアに肘を乗せて禅の境地を味わうその感覚、そこに僕にとっての自由の具現があった。別の表現をすれば、そこに自分の居場所を見つけていたのである。青いロクマルが自分の手元から去ったのは神の計らいであったと思う。それは次のミッションに移行するためであり、自由というテーマを追求するなら他にもまだいろいろあるぞ!という導きであったということにしている。しかし、御安心下さい、そして、御理解下さい、この自由というテーマには答えなどという概念はなく、決して結論に至る事は無い。それでもそれを追求し続けて生きたいというのが男の性なのである。

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アドベンチャー ローカル

2025年02月15日 | ADVENTURE LOCAL

 

 このブログの題目はロクマルであるが、自身の最近の動向は4マル(クルマ)+2マル(自転車)でロクマルとなっている。名称は一同じであるが、内容が変化していると感じている。生を営むという事は常に変わり続けるのが世の常である事から、これも生きている証であるのだ。自転車は面白い道具である。その道具をいかに使って楽しむか?この取り組みは今の僕の隙間時間をより充実させてくれる題目である。

 自転車乗りにとって冬はアウトオブシーズンという認識があるようで、おかげさまで、冬にスピードを出してチャリを漕いでいる奴は少なく、道はすいている。今年のニューヨークの冬は極寒であるばかりか積雪も多い。雪が降り積雪が止むと(積雪量にもよるが)自転車で森の中の道を走りに出かける。他人は僕の事をクレージーガイとして観ているようだが、僕は自身自分を変態だと思っているので大変名誉な事である。

 チャリでの雪上走行は実におもしろい。後輪に掛かる駆動力は滑って失われ前に進み辛い。ハンドルは思う方向に切れない。自転車にはカンティブレーキというリムブレーキが装備され、クールストップというアメリカで評価の高いブレーキシューを装着しているのだがリムが塗れるためにブレーキは全くといっていい程利かない。後輪が多少滑ってもバランスは保てるが前輪が突然グリップを失うところぶ。下り坂では頼れるのは運だけである。寒さが嫌いで苦手な冬だが、自転車に乗って冬を楽しむ術を知ったのである。

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たまに壊れるランクルは人間臭いね

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 昨日、ランクルを使い込むのが楽しい!などという日記を書いた翌日の早朝、ランクルは公道走行中にエンジンが出力を失い停止した。路肩に寄せてハザードを点滅させる。イグニッションは回るのだがエンジンが始動しない。こういう場合は燃料の供給か電気系統か? ガソリン半分、バッテリーオルタネーターではなさそうだ、エンジン熱も適温に保たれ冷却は問題なし。先月はラジエター交換し空気吸口のラバーを交換、鉄が腐ったマフラーの一部も交換している。昨日まで調子が良かったので、突然の全く予期せぬ出来事である。古いランクルを乗り廻す者には公道での故障は覚悟のうえだ。故障の原因が全く分からないので、とりあえずトーイング.レッカートラックを呼ぶ。一時間以上待つことになった。途中ポリスのパトカーが横に付いて窓を開けて何か助けてくれるのかと思ったら、握りこぶしに親指を立ててサムズアップで、大丈夫だろ助けはいらんだろ、という仕草、反射的にサムズアップで返答したら、そのまま走り去ってしまった。1970年や80年の頃のアメ車は路上でよく故障していたのを知っている、今はこうやって路肩で故障している車をほとんど見る事はない。時代はクルマを進化させより壊れ難いクルマによって街は塗り替えられた。トーイングトラックを待つランクルの中で横を通り過ぎてゆく無数の車のノイズとその風圧を感じながら、僕はこのランクルと共に時代に取り残されていっているんじゃないかという感覚に陥った。こういった感覚は古いランクルを愛する男が感じる哀愁の世界なのである。

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ランクルは躊躇して使うクルマではない

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 

 今年のニューヨークの冬は氷点下10度の日々が続いている。早朝、太陽が顔を出す頃は氷点下15度まで下がる。ロクマルで通勤していた頃はチョークを引いてエンジンが温まるまで暫くの暖機時間が必要であった。白い白煙を噴出し続け周囲にガソリンが焼けた排気ガスの香りに包まれるとクラッチを推してハンドブレーキを解除して走り出すのであった。そういった一手間があった事が懐かしい。80のイグニッションを回す度に冬季の60使用を懐かしく思う。同時に、我が80は後期型とはいえ28年目を迎えた。意識して眺めると通勤の過程時間で目に入る車の全てが我が80より若い。確かに60よりも若いが80は自分が生活している社会から観ると古い車、旧車なのである。60のラダーフレームが錆びて崩壊して寿命を終えた事を思えばこの80はまだいけそうだ。極寒の続くニューヨークに大量に撒かれる塩化カルシュウムを遠慮することなく踏み潰し、ランクルを使い込む事の愉しみを自身に刻み込むのだ。

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NEW LANDCRUISER

2025年01月03日 | LANDCRUISER

 

 街で時々新しいランドクルーザーを見かける様になった。北米ではランドクルーザー200以来ランドクルーザーがラインアップから消えてしまい寂しく感じていたが、ここに来て復活した事を嬉しく思っている。自分にとってのランドクルーザーは60と80、車に対する嗜好が前世紀に置き去りになっており新しい物を求めようとしない姿勢がいつかこの新しいランドクルーザーに接する機会を得たときに変化があるかな?という愉しみ感は持ち得ている。性能は遥かに兄モデルを凌駕している、燃費も乗り心地も申し訳ない。最近80(LEXUS LX450)の錆が下回りは勿論ボディにも浸透が進んでいる。家族や友人、自分のメカニックにまで、そろそろ....... と圧をかけられてはいるが、やはり自分は変態なのであろう、古いランクルが好きなのである。理想を言えば乗換えではなくて追加という選択なのであるが、そうなると古いランクルに乗る機会が減ってしまう。新しいランクルに安心し乗り慣れてしまい、やがて古いランクルを躊躇する事無く手放す時がやってきたとき、なんか自分はつまらない人間になってしまうんじゃないかという恐怖に駆られる。街で新しいランドクルーザーが視界に入った時、その瞬間に起こる心の葛藤を記してみた。

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心を可視化させるディフェンダー

2024年10月28日 | 日記

 朝の自転車通勤で、常に敷地にディフェンダーが停まっている住宅を見つけた。このデイフェンダーを見る度に過去にアリゾナ州で開催された、オーバーランドエクスポでのオフロード講習会を思い出す。実技に使用されていたデイフェンダーと同色の90である。同じデイフェンダーの存在でも大陸の東西で異なる目的を持って使用されている。実はデイフェンダーの持つ魅力はここにある。西部の荒野での負荷を掛けた使用にも、ニューヨーク郊外の高級住宅外での足としても、その立ち振る舞いは自然で環境にマッチしている、と褒めるのは随分と肩を持った言い方なのかも知れない。人は誰でもアート感覚、芸術性を内に秘めている。各々の秘めた芸術性をビジュアル化し可視出来るとしたら、それは各々がどういったクルマを好むのか?で自身の持つ内的指向を形として掴めるのではないかと思う。その数式を当てはめてみると。朝の自転車通勤の途中で、敷地の中に停められているデイフェンダーを見る度に心が動かされるのは、自分の内面が映し出されている対象を見ているのである。このディフェンダーは常に屋外駐車なんだけど、これも意図された管理方法なのであろうと理解している。
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クラッシックカーショー

2024年10月16日 | VINTAGE CARS


 秋の晴天の休日、地元で毎年開催されるクラシックカーショーに足を運んだ。会場を歩いて廻りながら車のオーナー達とラフに話し込み、楽しい時間を過ごす事が出来た。昨年まで存在した日本から持ち込まれた右ハンドル車が今年は一台も無かった。唯一の右ハンドル車は我々が会場に乗りつけた友人のクラッシックミニのみであった。25年ルールにあやかった右ハンドルのJDM車のブームはピークを超えたのではないか?とも思った。

 オーナー達の車両保有期間が意外と長い事に驚いた。たまたまなのかも知れないが、2、30年はざら。新車の時から所有しており、当時の購入時のインボイスを嬉しそうに見せてくれる。一台の車を長期に渡って保有する事は、そこに歴史が刻まれ熟成されてゆく。家族で保有し、車種にこだわらず家宝に昇進するのである。そうやって年月を重ねた車はやがて家族の一員となる。愛なくしてクラシックカーは保有出来ない。展示されているクラッシックカーが堂々として美しく輝いているのはワックスだけでは無く、愛されているからなのだ。
 
 マッスルカーと呼ばれるアメリカのクラッシックカーはアメリカが強く輝いていた頃の時代の象徴。アメリカ人はそこに誇りを持つのである。なぜならば、それはアメリカのアイデンティティの実体そのものであるからだ。クラッシックカーショウというのは忘れかけている嘗てのアメリカの誇りを再起する為の仕掛であり、アメリカ人の持つアイデンティティを再起する機会なのだと感じた。

 写真はBMW 2002 世界中から部品を集めて細部まで レストレーションされた一台の車の秘めるストリーはネバーエンディングであった。
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週末の開放

2024年10月06日 | 日記

 今年の9月の週日は21日間、その内の14日間はグラベル通勤をこなした。雨天と特別な用事の無い日はいつもより早く起きて暗闇の中を漕ぎ出す。夕方は照明を頼りに誰もいない森の中を抜ける。この生活タームはこれから寒い季節になると継続する事は難しくなる。夏の終わりと秋の初旬は気候的に自転車にいい季節であるのだ。平日に自転車に乗る事で週末が開放された。これは、週末になったら自転車に乗ってトレーニングするパターンとは異なり、週末は何か別の事をしよう!  という試みの気持が湧いてくる。これを週末の開放、あるいは、開放された週末、と自分は呼んでいる。


 週末はランクルにマウンテンバイクを改造して組み上げたトレイルバイクを積みこんで、近くの山へトレイル走行に出かける。トレイル走行はオートバイのトライアルに似ている。普段のオンロードの自転車乗りとは異なる感覚で、バランス、スピードコントロール、スリル、スリップ、転倒、担ぎ、オフロードテクニック等、味わい深いものがある。広い敷地のトレールは複雑で毎回道に迷っている。また、何処をどう走ったのか説明が不可な地形ではあり、冒険心が刺激されて面白い。

結局、週末の開放などとほざいてはいるが、週末がオンからオフに変わっただけである。しかし、堂々と、週末はオフを楽しんでいると言える期間なのである。
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