ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

Prince Philip Defender TD5 130 Chassis Cab

2021年04月18日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 生前に遺書を残すという話はよく聞くが、自身の主張や意思を文章で残すという手法ではなくて形で残す。それが英国のエディンバラ公爵フィリップ王配のやり方であった。4月17日に行われた葬儀に使用された霊柩車が話題となっている。2003年より、ランドローバーディフェンダーTD5のロングホィール車である130をベース車として、自分が亡くなった時の柩を運ぶ為にフィリップ王配自らの指示で製作された特別仕様車である。リアはピックアップトラックの様にオープントップ。柩を固定する為のゴムと金属のストッパー。深緑のボディーカラーも Belize Greeen から Dark Bronze Green となって、よりミリタリー車両に近い色となっている。彼は若き頃からランドローバーを愛しており、社との関係も深かった。自身の柩を運送する為の霊柩車の製作を当時83歳の公爵が始めたのは、何時か訪れるデあろう自らの死を意識しての事である。近代的なレンジローバーを選ばないで、シンプル構造でディーゼルエンジンのディフェンダーをベースにしたのには意図が感じられる。このディフェンダーに運ばれて黄泉の世界に行く事を願い、自身の死は国民に注目される、自信の面影とディフェンダーを重ねて将来末永く国民に思って欲しい。そんな意図を感じる。彼とランドローバーとの写真を見ると、若き頃にエリザベス女王と一緒にランドローバーのシリーズのステアリングを握って駆った頃が一番輝いている様に感じる。誰も言わないがエディンバラ公爵フィリップ王配は実は、こちら側の人間であったのだと思う。

 

 英国はヨーロッパから離れて(ブリジット)再びグレートブリテンの方向に舵を切った。前トランプ大統領が政策として掲げていた Make America Great Again (アメリカ合衆国を再び偉大な国に)に重なる国策である様に感じている。ランドローバーのシリーズと前期ディフェンダーの露骨的な存在は大英帝国を感じさせるものがある。遺書ではなくて遺車であるデイフェンダー130には、英国を再び偉大な国に、と願うフィリップ王配の隠れた意図と願いが込められていると感じている。

 

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ロング トレイルラン

2021年04月12日 | 日記

 天候の良かった先週のある夕方。トレイルランニングを終えて道の路肩に停めていた4ランナーに戻って車のドアを開けようとした時、いつも隠して置いている箇所に車の鍵が無い事が判明。窓から車内を覗き込むとバックシートの上にちゃと置いてあるではないか、鍵は目の前にあるのにドアも窓もしっかりと閉まっている為にその鍵を掴む事が出来ない。周りを見渡すと2台ほど車が停まってはいるが人の気配は全くない、ヤバイ!どないしょ?一瞬焦った。車の中には、口にしょうとしていた水、財布、携帯電話、そしてマスクもある。陽は西に傾いてはいるが闇に包まれるまでには2時間程時間が有りそうであった。そこで即決し、自宅まで10マイル(15キロ)程あるがこのまま走ってスペアキーを取りにいく決意をして、藪の中に飛び込み再び起伏の続くトレイルコースを南下した。自分の中から発する声と格闘しながら足を進める、走れメロス。家に着く頃には陽が落ちてしまい辺りは暗くなったのだが、幸い街の明かりに助けられた。走りきれると思い上がっていたが、最後はスタミナが切れそうな状態でとぼとぼと歩くしかなかった、思考も停止状態であった。

 家族の助けを得て暗闇で待つ4ランナーに辿りつく事が出来た。この場所を離れてから4時間以上が経過していた。静かな暗闇の中で持参したスペアキーをドアに差し込んで、鍵の開く手ごたえを感じた。その後に直ぐにイグニッションを回し、ライトを照らす。車に乗り込んでエンジンを掛けるだけの行程に感動した。今日は自分が試された日であった様だ。一年に一回やるかどうかだが、2年に一回はやっている。災いは忘れた頃にやって来る、という教訓を認識して、対策に対する行動が必要なようだ。忘れられない一日となった。

 

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ロクマルと近年の車との相性

2021年04月11日 | ロクマル日記

 修理に出していたランクルが戻ってきた。2週間程前の夜中にボンネット開けてバッテリーケーブルを繋ぎ知人のクルマを助けて以来、電圧計が12V以下の低電圧を示し充電機能に支障をもたらした。メカニックに預け、なぜバッテリーケーブルを繋ぐ事により電気系統に不具合が生じたのかの解明を試みた。結論から言うと、発電機であるオルタネーターを組み替えた事で正常に戻った事から、オルタネーターが故障したという事になる。オルタネーターは決して古いものではなく、まだ僕の記憶の中では新しいので納得いきずらい内容であった。旧車を日常の足としている限り、バッテリーとオルタネーターには常に注視していたからである。

 今後は外部車両との接続には気をつけたいと思っている。故障の原因が明確でない事で考えられる一つの要因は、接続する車両によって自身のランクルの電気系統にダメージを受ける可能性を否定出来ないという事である。善意の人助け(クルマ助け)でボンネットを開けて繋いであげると自身が代価を払う可能性があるという事だ。30年以上前のランクルと近年の電装車は(全てではないだろうが)相性が悪いのではないかという理解。困った人を見て直ぐに助けてあげられない事は辛いが、今後は容易にボンネットを開けて接続する事はしないで、別の解決方法を模索する様に努めてみたいと思っている。

 

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4ランナーと向き合う

2021年04月05日 | 4RUNNER

 2代目4ランナーを活用している。4ランナーにはランドクルーザーとは全く異なる持ち味と存在感がある。ランクルと比べてどちらが良いとか悪いの比較はそれ自体が無意味である。4ランナーに乗っていると年齢が若くなるような感覚があるのは、自身が歳をとったせいなのであろうか?それとも、乗る時に感じる、若者になった感、こそが4ランナーの持つ魅力なのであろうか? 2代目4ランナーは外見がぼろく見える事も手伝ってか、運転する度に貧乏学生になった様な気分になる。それは、対面を気にしない事で得られる自由を感じる存在で、気が楽である。

 2代目4ランナーの立ち位置は見た目は古いが旧車ではなく、古くなった最近の車であると位置付けたいと思う。1995年に製造されてから26年の歳月が経っているので旧車と呼んでもいいのではないかと思うが、パワーウィンドウ等の電装品が装備されている事が旧車と呼ぶ事に異議を唱える心理的要因となる。この4ランナーの存在を現在のクルマと重ねて考えると、現在巷を走っている多数のクルマが古くなったとしても、未来においては旧車と呼ばれるカテゴリーに入れないのではないかと感じている。

 クルマの美しさとは発売当初のショーウインドゥに並んでいる美しさもあるが、使い込む事による劣化や消耗をヒストリーとして美しさに変える技も存在する。それはロサンゼルスにあるTLCのジョナサンワードが日本語のワビ、サビという負であり静なる感覚を旧車の持つ美しさとして、サビやヤレ具合を隠すのではなくて積極的に表に出して表現するという思考で取り組んだ結果、功を成す評価を受けた。古い四駆の維持にはこういった思考を混ぜるのがいいのであろう。古い4ランナーは見た目はボロいがそれをポジティブに受け入れる事によって、古い4ランナーの隠れている魅力を引き出だす可能性の示唆を感じている。

 

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ハンソン氏のフィクション物語

2021年03月26日 | LANDCRUISER

 Jonathan Hanson (ジョナサン ハンソン) 氏の新しいフィクション小説が誕生し早速手元に届いた。プリオーダーであった事もあり、嬉しい事にハンソン氏のサイン入りである。彼の英語は僕にとっては難しいと感じる。それは学者的な要素も感じる側面もあるが、物事を突き詰める観察を上手く表現する為の手法なのである。小説に込めた彼の磁気に触れる為にこれからこの本と向かい合ってみたいと思っている。

 ハンソン氏に対して僕が彼を尊敬しているのは一つの共通点が共鳴するからである。その共通点とは、砂漠ラバー(愛)であるという事。しかし、同じ砂漠ラバーであったとしてもスタンスは全く異なっている。彼はアリゾナ州の南部の砂漠の街 Tucson で生まれ育ち、現在もそこで暮らし活動している筋金入りの砂漠ラバーである。この小説の舞台もアメリカ中西部とメキシコの北西部の砂漠地帯が舞台になっているが、彼でなければ書けない領域なのではないかと感じている。彼のこの本 TRAIL OF THE JAGUAR を手にし、その表紙にあるランドクルーザー78ピックアップを見て、ジョナサン氏は彼の持っている砂漠に対する愛と、そこに飛び込み砂漠の懐で感じる地球の母性をなんとか表現し伝える方法として、小説という手法を活用したのだと感じた。そして、砂漠という舞台にランドクルーザーという媒介が存在する事の意味は深いのではないだろうか。

 砂漠という舞台でランドクルーザーを活用するという事で得られる静かで激しい感動。これらを良しとする価値観の共鳴は同じ世界の住人の先輩あるという事の証明に他ならない。今までは彼の数ページのコラムと付き合ってきたが、380ページの小説となるとボリュームが異なる。読破するのは僕にとっては一つのチャレンジであり、読み終える頃には本の角は丸くなるであろう。

 

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ASAP & AFAS は運転の根底

2021年03月15日 | 日記

 

 最近、10台の若者達にクルマの運転を教える機会がある。アメリカでは多くの州が16歳から自動車免許証が取得可能、運転免許所有者が助手席に同乗する事によって公道での練習を兼ねた運転が可能となる。運転のノウハウの指導はオフロードドライビンではなくてあくまでも公道での安全運転である。技術的なノウハウと同時に運転に対する心構えなども含めて伝えている。落ち着け! 安全のダブルチェック! 状況の想定をしてみろ!  同乗者の気分を害するのでいちいち怒るな! 先行車に対してどれ位の車間距離で走ったらストレスを与えないか体感してみろ! 迷ったら譲れ! 相手の目をしっかり見て意思を示せ! エンジンブレーキの使用実感、フットブレーキが故障した時にいかにして車を制止させるのか、四駆のローレンジを使って深雪の路肩から脱出する、などである。そうやって車の運転という多様な行動を指導していると、自身の斜め上から一つのフレーズが聞こえてくる。そのフレーズとはこのブログの副題となっている、As slow as possible and As first as nessessary. である。このフレーズは本来、ランドローバーのオフロードドライビングテクニックのマントラとして伝授されてきた。正直、10台の若者にこのフレーズを唱えさせたとしても、意味は分るが体感が出来ない。それは中性的なフレーズであるからであるが、不思議な事にレース以外の車の運転に対しての行動分母になっている根底的なフレーズであると実感している。即ちこのフレーズは車の安全運転の為のフレーズなのであり、オフロードを運転しない全てのドライバーにとっても必要な根底となるフレーズなのである。

 

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ランクル60のティスト

2021年03月11日 | ロクマル日記

 普段の日常の足として35年落のランドクルーザーを活用していると、最近の新しい新車を運転した時にその乗り味を比較してしまう。近年アメリカで売られている新車は、安全性と快適性を小さなエコカーに至るまで充実させている。自分自身の車癖を冷静に尚且つ客観的に見てみると、新しい車に乗れば乗る程1985年のランドクルーザーの乗り味に対する良さが深まるという現象である。それは純粋な感情であり、機能うんぬん、価値がうんぬん、等では比較しがたい。快適性も安全性も比較にならないが、今の車が持っていない野性的な感覚がある。この感覚を表現すると、魂が宿っていると言える。駆る度に魂の鼓動を感じるのだ。

 クルマを駆る時の居心地の良さの正体とはなんなのであろうか?僕はそれはフリーダム(自由で開放的な気持ちを感じる幸福感)だと思っている。そして、このフリーダムな感覚を感じ得る為には、クルマに対して野生的な乗り味が求められる。つまり、設計思想。これこそが、車を駆る者達が求めているティストであり、車を楽しむ事の本質的な要素なのだと思う。歳を得たランドクルーザーは意図せずに、劣化や老朽化という使い込む事による自然現象によりこのティストを持ちえる様になったのである。これは工場では創出出来ないティストなのである。

 

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冬のトレィルバイク その2

2021年02月22日 | 日記

 ランドクルーザーを駆って自宅から北に40分程走った所に Tallman マウンテンというニューヨーク洲にある州立公園に向かった。乾燥した冬の空気は冷たくも澄み切っており、寒いのを承知で窓を開けて走ってみたが、寒さゆえに長くは持たなかった。ランクルの後部にはトレィルバイクが立った状態で乗っており、時々バックミラーで振動で微震するバイクを確認しながらステアリングを握る。Tallman マウンテンは名称こそマウンテンではあるが、山というよりも丘の様ななだらかな地形である。そこには決して長くはないが、自動車が立ち入る事が出来ない未舗装のグラベルロードが森の中を横切っている。天候の良い週末であった事もあり、公園内の駐車場は埋まっていた。

 

 二日前に増雪した親雪は既にハイカー達によって踏み固められており、その踏み固められたコースがバイクの進めるコースであった。この日の最高気温は氷点下であるので、漕げど踏めど寒さで汗が出ない。運動しに来たのであるが寒中訓練の有様である。タイヤのブロックが雪面に食いつく様に空気圧を下げたのは正解であった。多くのハイカーを追い越したりすれ違ったりしたが、中にはクロスカントリースキーに興じる人々もいた。人々は積雪のある季節の冬を楽しんでいる様子であった。これは山にスキー等に出かける冬雪好き人間が、冬の寒さを苦痛なく消化してしまう姿勢に冬を乗り切る秘訣がある事を示している。寒さの中で受ける眩しい日差しの中に春の気の粒子が混ざっているのを感じた。

 

 TLCA が発行する季刊誌である最新のTOYOTA TRAILS が届いた。表紙には雪道を走るブルーのランドクルーザー60。冬の寒さから逃げようとしないで、冬を楽しもうという姿勢が冬を乗り切る秘訣である。

 

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冬のトレィルバイク

2021年02月17日 | 日記

 4年前に友達から貰ったマウンテンバイクを改造して自称トレイルバイクを作った。今年のニューヨークの大雪の期間はこのトレイルバイクを活用している。森の中に出かけ雪と氷と格闘し恐怖を味わう。低ギアで上り坂に挑む、ダンシング(立ちこぎ)をすると後輪は空回りするので、後ろ乗りで体重を後輪に乗せて雪道に対するタイヤのグリップを得て上って行く、それでも時々後輪は空回りし押さえている前輪が横にスライドしバランスを失ってこける。何度転んだかは覚えていないが、地面に大きく叩き付けられたのは2回だった。路面の状況に合わせてサドルの高さを調整する。氷上ではサドルを低く下げて人が歩く様なスピードでバランスをとり、こけそうになったら足を使うのだが、それでもこける。下り坂のスピードは恐怖である。タイヤが食いつかなければコントロールが利かない。恐怖から肩に力が入ってしまい硬直になると制御不能状態となる。一方、タイヤが雪に接触する時の抵抗はかなりのもので、下り坂の途中でも自転車が止まってしまう事もあった。雪道での自転車による前進は難儀なものだ。

 

 それでも、慣れてくると雪をタイヤで踏む音に心地良さを感じる。鹿の家族が道の前方に立って興味深げに僕を眺めている。僕の前にも後ろにも人はいない。長い孤独な雪道を夢中になって前進する。途中ハイキングのカップルとすれ違う、前進するには歩いた方が効率がよい。急な登りの坂道では自転車を降りて押した。雪道での自転車走行は効率の悪いアクティビティなのだが、だからこそアドベンチャーサイクリングなのである。

 

 冬季の森の景色を心に仕舞った。今度は小型の携帯コンロとコーヒーを持参して寛ぎの時間をも楽しみたいと企んでいる。今週は体のあちらこちらが痛む。痛みにも苦痛な痛みと楽しい痛みがある。日常の普通の動作に痛みが伴う時に、生きている、という感覚が伴うのは有り難い事である。この痛みが消える頃には更なる次の痛みを求めたがる、まさに中毒者だ。

 

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真夜中のポルシェ911

2021年02月09日 | VINTAGE CARS

 

 ニューヨーク郊外の夜の寂しい道を一台の80年代の空冷ポルシェ911が流して行く。氷点下の冬の夜中の路面は凍て付いているが、解氷剤が厚く散布されており時々路肩の雪解け水に遭遇する。その上を911が走り抜けるとタイヤが蹴散らしたしぶきがランクルのフロントガラスを汚し曇らせる。時々街頭があり、その下を911が走り抜ける時にダークな色調のボディの光沢を確認できるが、残念ながらボディカラーの把握は出来ない。ランクルのスピードメーターは時速40マイルを示している。道路脇のスピード警告の表示が40マイルなので、警告を遵守しての走りである。安全な十分な車間距離を置いて追跡し、暫くの間ポルシェの走りを愉しんだ。

 冬季の湿った道は車を激しく汚す。車体は白と黒が混ざった灰色に染まる。ノスタルジックな車にとって冬季の走行は避けるべき期間、特に溶雪剤が撒かれた路上は避けるべきなのだと勝手に思ってしまう。ノスタルジックであってもランクルは汚れを全く気にしないが、磨かれたポルシェだと汚すのに勇気がいる事である。911のテールライトを見ながら、以前、北京ーパリをクラッシックカーで走破するラリーをユーチューブで見たのを思い出した。クラッシック、ノスタルジックカーの醍醐味というのはそれを十分に使い込む事にある。旧車を大切にすると言う事の一面は、時々愛情を持って思い切り汚し使い込む事が必要な維持の過程なのだと感じた時間であった。

 911はやがて右折し、道から外れて静かな闇に消えていったが、テールライトの明かりは凍った冬の道の闇と融合して記憶に焼き付いた。

 

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