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ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

B M W 2002

2025年06月15日 | LONGISLAND EXPRESS

 BMWのMシリーズを数台所有し実際のサーキットに定期的に足を運んでいる友達がいる。彼はレーシーなドライビングテクニックだけではなく、メカに対する知識もずば抜けている。僕の様な疎い者が発するクルマに対するあらゆる問いに対しても、的確なアドバイスを提示してくれるありがたい存在なのである。クルマでサーキットを走るという事は錆びたランクル乗りから見ると異界での行為そのものだ。ランクル60のタコメーターのレッドゾーンは4000であるが、レーシングカーの領域は8000からの世界。ブレーキパットやディスク、タイヤ等の消耗品はランクルだと数年の耐久期間の単位だが、レーシングカーは数時間、或いは数分の世界。ワビサビとは対極の世界である。そんな彼が日常に足として使っている車はトヨタの小型車bBである。レーシングドライバーの日常の足が庶民的な車なので驚く人が多いとの事。彼曰く四駆もV8もスポーツカーもセダンも更に大型バイクも乗り繋ぎ多くの車に接してきた結果、今では普段乗る車に対する拘りというものが無くなってしまったとの事。クルマを持ってしての体面は卒業し、車道を飛ばすクルマには道をゆずる。そういう境地に至ったらしい。しかし、そうかといって普段乗るクルマは何でもいいわけではなさそうだ。彼はシンプルで乗って楽しいクルマがいいと言う。

 

 我々の前方を走るBMW2002 に追いつき追い越す。

ゆっくり走ってはいるが、運転手はレーシングドライバーかもね?


自由というテーマ

2025年05月10日 | ロクマル日記

 

  青いロクマルが手元から去り、寂しさと共に何か物足らなさをふとした時に感じる事があった。しかし、それは青いロクマルが手元から離れた事に原因があるのではなかった。なぜならば、物に対する執着がもともと強くはなかったからである。しばらく時間がかかったのであるが、最近やっと心の整理が整い確信に至った事がある。それは、俺が求めていたのは "自由” というテーマだったという事、そしてこれからもこのテーマを常に心の隅に置き続ける事であろう。その自由のカケラを感じた一つの機会が、地平線に続く一本の道を4つの窓を全開したランドクルーザー60を駆り。F2エンジンの鼓動を子守唄としてドアに肘を乗せて禅の境地を味わうその感覚、そこに僕にとっての自由の具現があった。別の表現をすれば、そこに自分の居場所を見つけていたのである。青いロクマルが自分の手元から去ったのは神の計らいであったと思う。それは次のミッションに移行するためであり、自由というテーマを追求するなら他にもまだいろいろあるぞ!という導きであったということにしている。しかし、御安心下さい、そして、御理解下さい、この自由というテーマには答えなどという概念はなく、決して結論に至る事は無い。それでもそれを追求し続けて生きたいというのが男の性なのである。


アドベンチャー ローカル

2025年02月15日 | ADVENTURE LOCAL

 

 このブログの題目はロクマルであるが、自身の最近の動向は4マル(クルマ)+2マル(自転車)でロクマルとなっている。名称は一同じであるが、内容が変化していると感じている。生を営むという事は常に変わり続けるのが世の常である事から、これも生きている証であるのだ。自転車は面白い道具である。その道具をいかに使って楽しむか?この取り組みは今の僕の隙間時間をより充実させてくれる題目である。

 自転車乗りにとって冬はアウトオブシーズンという認識があるようで、おかげさまで、冬にスピードを出してチャリを漕いでいる奴は少なく、道はすいている。今年のニューヨークの冬は極寒であるばかりか積雪も多い。雪が降り積雪が止むと(積雪量にもよるが)自転車で森の中の道を走りに出かける。他人は僕の事をクレージーガイとして観ているようだが、僕は自身自分を変態だと思っているので大変名誉な事である。

 チャリでの雪上走行は実におもしろい。後輪に掛かる駆動力は滑って失われ前に進み辛い。ハンドルは思う方向に切れない。自転車にはカンティブレーキというリムブレーキが装備され、クールストップというアメリカで評価の高いブレーキシューを装着しているのだがリムが塗れるためにブレーキは全くといっていい程利かない。後輪が多少滑ってもバランスは保てるが前輪が突然グリップを失うところぶ。下り坂では頼れるのは運だけである。寒さが嫌いで苦手な冬だが、自転車に乗って冬を楽しむ術を知ったのである。


たまに壊れるランクルは人間臭いね

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 昨日、ランクルを使い込むのが楽しい!などという日記を書いた翌日の早朝、ランクルは公道走行中にエンジンが出力を失い停止した。路肩に寄せてハザードを点滅させる。イグニッションは回るのだがエンジンが始動しない。こういう場合は燃料の供給か電気系統か? ガソリン半分、バッテリーオルタネーターではなさそうだ、エンジン熱も適温に保たれ冷却は問題なし。先月はラジエター交換し空気吸口のラバーを交換、鉄が腐ったマフラーの一部も交換している。昨日まで調子が良かったので、突然の全く予期せぬ出来事である。古いランクルを乗り廻す者には公道での故障は覚悟のうえだ。故障の原因が全く分からないので、とりあえずトーイング.レッカートラックを呼ぶ。一時間以上待つことになった。途中ポリスのパトカーが横に付いて窓を開けて何か助けてくれるのかと思ったら、握りこぶしに親指を立ててサムズアップで、大丈夫だろ助けはいらんだろ、という仕草、反射的にサムズアップで返答したら、そのまま走り去ってしまった。1970年や80年の頃のアメ車は路上でよく故障していたのを知っている、今はこうやって路肩で故障している車をほとんど見る事はない。時代はクルマを進化させより壊れ難いクルマによって街は塗り替えられた。トーイングトラックを待つランクルの中で横を通り過ぎてゆく無数の車のノイズとその風圧を感じながら、僕はこのランクルと共に時代に取り残されていっているんじゃないかという感覚に陥った。こういった感覚は古いランクルを愛する男が感じる哀愁の世界なのである。


ランクルは躊躇して使うクルマではない

2025年02月04日 | ランクル ドライブ

 

 今年のニューヨークの冬は氷点下10度の日々が続いている。早朝、太陽が顔を出す頃は氷点下15度まで下がる。ロクマルで通勤していた頃はチョークを引いてエンジンが温まるまで暫くの暖機時間が必要であった。白い白煙を噴出し続け周囲にガソリンが焼けた排気ガスの香りに包まれるとクラッチを推してハンドブレーキを解除して走り出すのであった。そういった一手間があった事が懐かしい。80のイグニッションを回す度に冬季の60使用を懐かしく思う。同時に、我が80は後期型とはいえ28年目を迎えた。意識して眺めると通勤の過程時間で目に入る車の全てが我が80より若い。確かに60よりも若いが80は自分が生活している社会から観ると古い車、旧車なのである。60のラダーフレームが錆びて崩壊して寿命を終えた事を思えばこの80はまだいけそうだ。極寒の続くニューヨークに大量に撒かれる塩化カルシュウムを遠慮することなく踏み潰し、ランクルを使い込む事の愉しみを自身に刻み込むのだ。


NEW LANDCRUISER

2025年01月03日 | LANDCRUISER

 

 街で時々新しいランドクルーザーを見かける様になった。北米ではランドクルーザー200以来ランドクルーザーがラインアップから消えてしまい寂しく感じていたが、ここに来て復活した事を嬉しく思っている。自分にとってのランドクルーザーは60と80、車に対する嗜好が前世紀に置き去りになっており新しい物を求めようとしない姿勢がいつかこの新しいランドクルーザーに接する機会を得たときに変化があるかな?という愉しみ感は持ち得ている。性能は遥かに兄モデルを凌駕している、燃費も乗り心地も申し訳ない。最近80(LEXUS LX450)の錆が下回りは勿論ボディにも浸透が進んでいる。家族や友人、自分のメカニックにまで、そろそろ....... と圧をかけられてはいるが、やはり自分は変態なのであろう、古いランクルが好きなのである。理想を言えば乗換えではなくて追加という選択なのであるが、そうなると古いランクルに乗る機会が減ってしまう。新しいランクルに安心し乗り慣れてしまい、やがて古いランクルを躊躇する事無く手放す時がやってきたとき、なんか自分はつまらない人間になってしまうんじゃないかという恐怖に駆られる。街で新しいランドクルーザーが視界に入った時、その瞬間に起こる心の葛藤を記してみた。


心を可視化させるディフェンダー

2024年10月28日 | 日記

 朝の自転車通勤で、常に敷地にディフェンダーが停まっている住宅を見つけた。このデイフェンダーを見る度に過去にアリゾナ州で開催された、オーバーランドエクスポでのオフロード講習会を思い出す。実技に使用されていたデイフェンダーと同色の90である。同じデイフェンダーの存在でも大陸の東西で異なる目的を持って使用されている。実はデイフェンダーの持つ魅力はここにある。西部の荒野での負荷を掛けた使用にも、ニューヨーク郊外の高級住宅外での足としても、その立ち振る舞いは自然で環境にマッチしている、と褒めるのは随分と肩を持った言い方なのかも知れない。人は誰でもアート感覚、芸術性を内に秘めている。各々の秘めた芸術性をビジュアル化し可視出来るとしたら、それは各々がどういったクルマを好むのか?で自身の持つ内的指向を形として掴めるのではないかと思う。その数式を当てはめてみると。朝の自転車通勤の途中で、敷地の中に停められているデイフェンダーを見る度に心が動かされるのは、自分の内面が映し出されている対象を見ているのである。このディフェンダーは常に屋外駐車なんだけど、これも意図された管理方法なのであろうと理解している。

クラッシックカーショー

2024年10月16日 | VINTAGE CARS


 秋の晴天の休日、地元で毎年開催されるクラシックカーショーに足を運んだ。会場を歩いて廻りながら車のオーナー達とラフに話し込み、楽しい時間を過ごす事が出来た。昨年まで存在した日本から持ち込まれた右ハンドル車が今年は一台も無かった。唯一の右ハンドル車は我々が会場に乗りつけた友人のクラッシックミニのみであった。25年ルールにあやかった右ハンドルのJDM車のブームはピークを超えたのではないか?とも思った。

 オーナー達の車両保有期間が意外と長い事に驚いた。たまたまなのかも知れないが、2、30年はざら。新車の時から所有しており、当時の購入時のインボイスを嬉しそうに見せてくれる。一台の車を長期に渡って保有する事は、そこに歴史が刻まれ熟成されてゆく。家族で保有し、車種にこだわらず家宝に昇進するのである。そうやって年月を重ねた車はやがて家族の一員となる。愛なくしてクラシックカーは保有出来ない。展示されているクラッシックカーが堂々として美しく輝いているのはワックスだけでは無く、愛されているからなのだ。
 
 マッスルカーと呼ばれるアメリカのクラッシックカーはアメリカが強く輝いていた頃の時代の象徴。アメリカ人はそこに誇りを持つのである。なぜならば、それはアメリカのアイデンティティの実体そのものであるからだ。クラッシックカーショウというのは忘れかけている嘗てのアメリカの誇りを再起する為の仕掛であり、アメリカ人の持つアイデンティティを再起する機会なのだと感じた。

 写真はBMW 2002 世界中から部品を集めて細部まで レストレーションされた一台の車の秘めるストリーはネバーエンディングであった。

週末の開放

2024年10月06日 | 日記

 今年の9月の週日は21日間、その内の14日間はグラベル通勤をこなした。雨天と特別な用事の無い日はいつもより早く起きて暗闇の中を漕ぎ出す。夕方は照明を頼りに誰もいない森の中を抜ける。この生活タームはこれから寒い季節になると継続する事は難しくなる。夏の終わりと秋の初旬は気候的に自転車にいい季節であるのだ。平日に自転車に乗る事で週末が開放された。これは、週末になったら自転車に乗ってトレーニングするパターンとは異なり、週末は何か別の事をしよう!  という試みの気持が湧いてくる。これを週末の開放、あるいは、開放された週末、と自分は呼んでいる。


 週末はランクルにマウンテンバイクを改造して組み上げたトレイルバイクを積みこんで、近くの山へトレイル走行に出かける。トレイル走行はオートバイのトライアルに似ている。普段のオンロードの自転車乗りとは異なる感覚で、バランス、スピードコントロール、スリル、スリップ、転倒、担ぎ、オフロードテクニック等、味わい深いものがある。広い敷地のトレールは複雑で毎回道に迷っている。また、何処をどう走ったのか説明が不可な地形ではあり、冒険心が刺激されて面白い。

結局、週末の開放などとほざいてはいるが、週末がオンからオフに変わっただけである。しかし、堂々と、週末はオフを楽しんでいると言える期間なのである。

Route-29( 国道29号線)

2024年09月09日 | 日記

 今年の夏は猛暑の日本に滞在していました。名古屋からレンタカーを使って山陰地方の島根県にある出雲大社参拝の往復ドライブを試みました。名古屋、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫の各県では主に高速道路を活用。移動の為のレンタカーはトヨタハイエースのエクステンションバンの10人乗り、ホィールベースが長く長距離や高速道路では快適でしたが狭い路地や街の駐車場、特に街中の立体駐車場は高さ2.2Mの制限があり2.3Mのハイエースは扱い難さを感じた。

 中国地方の中心を東西に走る中国自動車道のインターチェンジ分岐地点は山陰地方へ抜けるルートが幾つかあるのだが、今回はあえてローカルな道を選ぶ事にした。兵庫県の山崎インターチェンジで降りて鳥取砂丘に繋がる国道29号線を北上する。給油のためにガソリンスタンドに入るとお絞りを渡された。初めての出来事なので、これは顔を拭くものですか、車内を掃除するものですか?などと聞いてみる。流石日本、おもてなしの心が行き届いていると思った。ガソリンを満タンにしてスタンドのおじさんと喋り情報収集、国道29号線、兵庫県と鳥取県の境にある戸倉峠までは一時間以上の道のり。走り出してまもなく山郷の光景が始まる、ツーリングのオートバイ達と沢山すれちがう。この峠の向こう側に隼駅というのがあり、スズキ隼に乗るライダーが多いのかな?などと思った。コーナーは続くが道は綺麗でよく整備されていた。
 
 戸倉峠、兵庫県の山崎から鳥取市へ繋がる国道29号線、曲線半径が150メートル以下のカーブが132箇所存在する約85キロの道。日本全国、何処にでも存在しそうな山郷と青い山並みが続く道だが、今日、こういったローカルロードが面白い。自動車交通網の発展により都市と都市は高速網で結ばれ、移動時間の短縮とより安全な運送経路が存在する。その影響で旧輸送道路であった国道29号線は一見寂れている様にも感じる。輸送トラックはなくなり、おそらく観光バスも通らない?1970、80年代に生産された昭和時代のマニュアル車や現在の86なんかにとっては特に面白いコースかも知れない。日本全国にこういった道は沢山存在するのであろう。起伏があり季節がある、山も海も美しい、食べ物もおいしくバラエティに営んでいる。日本は間違いなくドライビング天国である。
 
*写真は戸倉峠の麓に位置する鳥取県若桜町にある道の駅