ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

グラベル通勤

2024年06月30日 | 日記

 とある自転車のパーツのパッケージの箱に、楽しみ (FUN) と自由 (FREEDOM) を追及する人々へ、という走り書きのメッセージが記されていた。いいメッセージだと思った。少しだけ説明を追加するならば、FREEDOM の意味の中に開放感という要素が含まれている。楽しみと自由を追求する手段として今のアメリカではグラベルバイクの需要が増えている。そういう時世に後押しされて、自由を形にし、その味わいを確かめるために、自称グラベルバイクなるものを組み上げた。消耗品のゴムやワイヤー類は別として、パーツ類は、もらいもの、ひろいもの、既にあるものを活用した。とりあえず形になったバイクは金を掛けなかった事と試行錯誤を繰り返した結果により、自由を体得する道具となった。
 
 写真は朝の出勤途中、森の中で出会った鹿に挨拶をし、シカとされているところです。出勤にかかる時間は、朝は70分。最近は野いちごのシーズンを迎えたので自然の恵みにあやかり、それを摘まみながら帰路につく故に帰りは2時間かかる。岩を越えて木の根っこを乗り越える、時々転ぶ。ふとした瞬間に、俺って何にやってんだろ?って思い自問する…。 この夏は週一のペースでグラベル通勤を実行している。
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ウエルカム ツウ カリフォルニア

2023年06月01日 | 日記

 

 ニューヨークのラジオでよく流れる曲に1970年代のイーグルスが歌ったホテルカリフォルニアがある。ラジオからこの曲のイントロが聞こえてくると、乾燥した砂漠の真っ直ぐな道をランドクルーザー60で片腕を外に出して窓から風を巻き込みながら走っている光景のドラマを思い出す。実際にアリゾナ、ネバダ、カリフォルニアの乾燥した砂漠地帯のフリーウェイを走行している時にホテルカリフォルニアがラジオから流れてくると心身共に共鳴する、そんな体験をする。この詩を書いたメンバーのドン フェルダーのインタビューの中で彼が語った当時の情況と心境にこの歌の本質が読み取れる。イーグルスの構成メンバー達はアメリカのあちこちからやって来てカリフォルニアで出会い集った。このシンプルな当時の若者の行動、夢を追ってそれを叶える為にやって来た土地がカリフォルニア(ロサンゼルス)であった。その状況を謳って書いたのがホテルカリフォルニアという曲の本質である。イントロが流れると何処にいたとしても気持ちはカリフォルニアに向い、誰もがそこに夢を見るのだ。

 

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お茶 レーサー

2023年04月02日 | 日記

 初春の穏やかな午後、一台のオートバイが僕の目の前を流してゆく。スピードがゆっくりで、トコトコと走っているのでスーパーカブかな?と最初は思った。しかし、下部の左右のエンジンの突き出しは疑う余地のないBMWのボクサーエンジン. フラットツインである。おそらく1950年代のRシリーズではなかろうか? 後を追いかけて走っているとライダーの気持ちよさそうなフィーリングが伝わってくる。車間距離を保って僕もビンテージBMWの走りの後姿を愉しんだ。5分位走っているとライダーは遅いスピードを更に落とし左手を横に突き出して、左に曲がります、の手信号。BMWはローカルな小道に吸い込まれて行った。ウィンカーも付いていないとは渋い!春の穏やかな景色と空気にはちょうどいいオブジェクトであった。カフェレーサーというと速く走るイメージと重なるので、トコトコとゆっくりと走る形容はカフェではなくオチャ(お茶)レーサーと呼ぼう。慌しい毎日の活動の中で、ボチボチ行きましょう、まあ、一杯のお茶をどうぞ!とする、春の計らいであったのだ。

 

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使えば使うほど増えていくという不思議な道具

2023年01月05日 | 日記

 

 アメリカの多くの州ではスタンドでのセルフサービスを実施しているが、東部のニュージャジー州では有人給油となっている。この国では州を跨げば税金もサービスも異なるのでガソリンの値段も異なっている。アメリカでは、と一括りに出来ないのがアメリカなのである。

 ロクマルの給油口には鍵が掛かっておりエンジンを止めてクルマを廻って給油口に鍵を入れて自分で鍵を開けなければ給油が始まらない。このプロセスが癖になってしまい4RUNNER で乗り付けても反射的に車から降りてしまう。座席に座ったまま窓を開けて、レギュラー満タンプリーズ!と言ってカードを差し出せば全てまかせられて済んでしまう事なのである。給油口の前で担当者がやって来るとカードを差し出して、ごきげんいかが? 今日はくそ寒いなあ、とか何か一言簡単な声を積極的にかける。スタンドはサービス業なので大方いい返事をしてくれる。そして、その時に帰ってくる返事とその後のたわいのないやり取りを楽しむ。暇な奴がいる、また時々寂しい奴もいる。あるいはやたら話したがる奴もいる。昨夜はそんな奴に捕まってしまい90歳を超えた自慢のおばあちゃんの話をしっかりと聞いてあげた。

 こうしてつくづくと思うのは言葉って大事だという事だ。これは英語での表現が大事だという技術的な事ではないので誤解しないでほしい。そして、言葉を使うという行為が更に大切な事だという事。言葉は道具(コミニケーションツール)であるが目に見えるものでは無い。気持ちや意思を伝えるツールである。いい道具を持って大事に保管していてもしょうがない、いい道具とは使い込む使命を持っている。使い込んで消耗していく物質ではなく、むしろその逆で蓄積を感じる。いい感情をもって使う言葉というツールは使えば使うほど何故か増えてゆく(気持ちが豊かになる)という不思議な道具である。

 

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冬至明けの一本

2022年12月25日 | 日記

 

 冬至明けのクリスマスの凍て付いた朝、澄み切った冷たく痛い空気の中で東の正面に真っ赤な太陽が顔を出す。地平線に顔を出した陽を凝視すると鼓動を打つ心臓の様な茜色の強い生命力を内部に観る。地球という星が宇宙の中で生きている強大な生命体であるという事を太陽の活力を目にして知る。今日、我々が生きて生を営んでいる全てのエネルギーの源がこれである。太陽はあれよあれよという間に地平線を離れ独立した存在となり辺りを赤く照らしてゆく。

 今朝ここパリセーズの森の大地に一本の酒を持参した。別に特別な事ではなく日本の正月祝いのアメリカンバージョンである。早朝の麗しい酒の香りで大地に潜む精霊を呼び集め今年の感謝を捧げた。誰でも大切な道具は大切に扱うし、愛車はメインテナンスを必要とする。その日常の道具という範囲が大地や山、河の水や大空といった掴みがたい対象となるわけである。当然、この掴みがたい人智を超えた対象物にもメインテナンスが必要である。古代日本人はその事をよく理解していたように思う。クリスマス(冬至)が終わりもう直ぐ御正月を迎えるこの時節、愛車ランドクルーザーで走れる大地の存在にまず感謝を捧げる。大地へのメインテナンスとは感謝の気持ちを送る行為である。貰って嬉しいよりも捧げて嬉しいと感じるのは、きっと捧げた気持ちが届いたのだと信じている。

 

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感謝祭の休日が終わる

2022年11月27日 | 日記

 今年も感謝祭が終わり、冬至まで一月を切った。今年の感謝祭は4日間連休で、自転車トレーニング以外は何処にも出かけず、自宅にてゆっくりとした(ゴロゴロ)時間を過ごした。毎年、感謝祭の七面鳥料理には腕を振るって労力を使うが、今年は近所のアメリカ人の家庭から感謝祭の夕食の招待を受け、好意に甘えて家族で手厚いもてなしを受けた。この機会は楽しく学び得る機会となり、今後、自身の生活姿勢への一発パンチとなった。作家の開高健が、心に通じる道は胃を通る。と語っていたがそれは事実である。また、誰かが言っていたのは、ご馳走とは高価な食べ物の事ではなく、その時食べたいものを、食べたい人と食べる時間の事だと。アメリカの感謝祭の伝統料理はミリオネアーも庶民も、ほぼ同じ物を食べている。今年の感謝祭の休日の期間はゴロゴロすると腹を決めたおかげで充実しました。時には視点を変えてみる事もいい事だと実感した期間でした。

 ニューヨークでは日々寒さが増してゆきます。写真は路上で冬至が過ぎるのをじっと待つ、我が愛車ランクル80。

 

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黄金の道

2022年11月13日 | 日記

 自転車でのトレーニングを続けてこの秋で7年が過ぎた。秋冬春夏と季節が変わる毎に流れる景色が異なり、その都度その変化を楽しみ刺激を受けてきた。明るい太陽と新鮮な空気と水は求めればいつもそこにあるのは、本当に価値があるものは実は無償で与えられている事を実感してきたのである。

 晴れた晩秋の森の中の一本道は、落ち葉の絨毯がびっしりと敷かれ黄金に輝いている。スピードを出すにはもったいないが、自身と相談して全力で走り切る。ランクルのハンドルを握るとゆっくり走るのに、自転車にまたがるとスピードを求めるキャラはどの様に説明していいのか分らない。同じような感覚をもっている輩も多く黄金の絨毯の上で接戦となり、秋の風光は瞬く間に視界から去ってゆく。これがまたおもしろい。

 自転車を駆る恵みというのは人間と自然の接点になるようであるが、同時に人間を観察するおもしろい機会である。息を切らせて走っている自分がどういう顔をしているのであろうか?辛いときの顔、残念ながら歯は食い縛ってはおらず、その時を耐え、いずれ終わるであろう試練を楽しんでいる。同時に他人がもがいている形相も観察の価値がある。これらの顔は普段は観る事が出来ない人間の顔の持つ一面である。それは喜怒哀楽の枠から外れた忍耐の相、鬼の形相である。おもしろくないのに笑い顔、怒っちゃいないけど怒り顔、たいがい皆、優しい人達である。

 自転車で踏みしめる落ち葉の音と感触は期間限定の贈り物、これはクルマでは味わえないな。

 

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MOAB 危機

2022年10月09日 | 日記

 今秋2022年のWHEELS AFIELD誌にある JONATHAN HANSON氏のコラムの中で、今年2022年に開催された OVERLAND EXPO WEST に参加したブースの中から、彼の目に留まった新しい商品を紹介している。そのコラムの前置きとして、2009年に彼ら夫婦がこのイベントを創めた時の総参加者の数は900人程であった事。この初期の開催時に、イベントが今日これほど大きく展開するとは思わなかった。という創始者の驚きの声が書かれている。実際にコロナ過前の2019年には400を越すブースが並んだのであった。

 先週、トヨタランドクルーザーアソシエーション (TLCA)からのメールで、ユタ州にあるオフロードの聖地モアブで今まで解放されていた4x4トレールルートが、BLM ( BUREAU OF LAND MANAGEMENT, 土地管理局)の方針で多くのルートが閉鎖の対象になる事を伝えてきた。このルートはTLCAが毎年CRUISE MOAB を開催するルートも含まれている。

 これらの内容にはアメリカにおける四駆アクティビティの動向が示唆されている。モアブの状況は客観的に考えると、四駆乗りにとって立ち入りが出来なくなる事は危機である。同時に土地の管理者は、これ以上四駆での走破は自然保護にとって害となるので危機だという判断である。

 エクスポにおいてのブースの数は四駆アクティビティうんぬんではなくて、その正体はビジネスの話なのである。創始者であるHANSON氏が現在は主導権を他人に譲り自らは関わりを持ちながらも静観者の立場にあるのは、自身の四駆思想とビジネスという狭間に乖離を感じているからだと僕は観ている。このへんの所は、将来HANSON氏に出会い、立ち話の機会があれば直接伺ってみたい関心事である。同時にビジネスという観点から観ると、どれ位の商品が生き残るのか?という観点も持続けるべきであろう。実際に現在、我々が良しとする商品は生き残ってきた商品が多いはずだと思っている。ビジネスと自然保護等、四駆アクティビティの理解とは実に立体的なものである。

 

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ガソリン価格

2022年05月27日 | 日記

 昨年からインフラで日用品の値段が上昇し、将来の見通しが付かない事からこの傾向はまだ暫くは続きそうである。移動の足となる自動車のガソリンの値段は昨年から30%は上昇しているので、ガソリンスタンドでの給油後にレシートを見るとその金額に驚く。先週、行きつけのガソリンスタンドでロクマルを満タンにした後にオレとガソリンスタンドのあんちゃんとの間で交した会話。

 

給油後に頂いたレシートを見て、

 

オレ:オーマイガー、いつもより全然高えじゃねーか!

あんちゃん:ちょうど先程30分前に30セント/ガロン値段が上がったんだ。

オレ:なんだとお!俺って運悪ぃぃ...

あんちゃん:いやいや、悪くないぞ!

オレ:なんでや?

あんちゃん:来週はまた上がるから今週入れといて正解だ。

オレ:...

 

 生活費が値上がりするというのは不安要素である。この時代を乗り切る為に思考を変えなければいけない基点に立っていると感じる。インフラはけしからん、何とかしろ、という感情が時代の世相であるが、そもそも平和、安定、安全等があたり前ではなかった。という事に気が付く時世である。ガソリンスタンドに行って金を払えばガソリンが買える、という事があたり前であるという事に疑いを持った時に思考は変わってくる。

 ガソリンタンクの表示を見ると、今週もそろそろ給油しなければならないが、今週はどの様な会話が待っているのであろうか...。

 

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秋の味覚

2021年11月07日 | 日記

 ニューヨーク洲にある秋の自然公園を訪れた。この公園内には未舗装のグラベルロードが展開し、そこを自転車で駆け廻り秋の味覚を愉しむのである。秋真っ最中の落ち葉の積もった山野の森は静かな冷気が漂っていた。秋の味覚というのは肌に受ける冷えた風や、積もった落ち葉の匂いや音、木の隙間から差し込む優しい太陽のぬくもり等の事である。週末に自転車で走り汗を流すという習慣が季節を体感する為の手段となっている。

 

 科学的な根拠等は全くなく証明するには無理があるのであるが、土地には気という目には見えないエネルギーが存在しそれは無限に提供されている。美しい自然の中に居ると爽やかな気持ちになったりする。そういった自然の中には体と心に好い気が充満していると感じている。では、その気というエネルギーを自身の中に取り込むにはどうしたらよいのか? それは呼吸である。なるべく沢山その場の空気を吸い込む事。美しい自然の中での有酸素運動というのは大地の気をより沢山吸収出する事となる。今日は自転車で4時間程走ってきた。体は少し疲れてはいるが気分は充実している。僕にとって近くにある天然の自然はエネルギー増強の場所である。秋の紅葉はピークを越した、森の中の道を走る僕の直ぐ後ろに冬が迫っている事を感じた時間でもあった。

 

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夏の終わり 誰もいない自然公園

2021年09月09日 | 日記

 奈良県の吉野の南に位置する大嶺山を縦走する前日の夜中、林道の端に車を停めて渓谷の河原にテントを張り眠りについた。やがてテントを叩く雨の音で目が覚めた。隣のテントで寝ていた山岳隊長が、急いでテントを畳んで車に戻る様に指示を出した。雨は激しくなり水が増水してきているのが分る。我々が車に避難してまもなく、先程テントを張っていた場所は水が流れ出しやがて激流となった。安全な所へ移動する目的で車を走らせたが、路上を塞いだ土砂崩れで走行不可、Uターンして走り出したが再度土砂崩れに遭遇して脱出不可能となり万事休す展開となる。雨が止んで辺りが明るくなってくる頃に窮屈な車内で深い眠りに落ちた。朝の7時過ぎ重機の音で目が覚めた。土砂を撤去して下さった方々に御礼の挨拶をすると、この辺りはしょっちゅう起こるのでいつも待機しておる。という事であった。

 ニューヨークにアイダと呼ばれた熱帯低気圧が豪雨をもたらしてから一週間が過ぎた。40人以上の死者が出る程の豪雨と洪水で、地下鉄は水に浸かり道路は陥没した。多数の爪跡が残り多数の車が水に浸かった。閉鎖されたパリせードインタースティツパークの中の荒れたトレールを走りながら考えた。もしも、この山道のトレールの途中で豪雨に襲われたら何処に身を守るのか、どうやって逃げるのか?トレールには土砂と激流が流れ込み移動に困難をきたし孤立するであろう。非常に危険な状況を想定し、結論として、森には入ってはいけないと強く感じた。

 今回のドラム缶をひっくり返した様な豪雨で大峰山の麓の河川での一夜を思い出した。あの時のリーダーの適切な判断で事無きを得ることが出来たのであった。リーダーの判断は、逃げろ!であった。逃げて正解であった。逃げるというのは一つの技である。今後も生きていれば何処かで水による災いに遭遇するかもしれない。大雨の警告が出たら絶対に森に入ってはいけない。逃げるという事は避けるという事でもある。これは刺激を求める自分への警告である。最近は携帯を持っていると常に警告が送られてくるので、昔に比べると災いに対する警告を事前に知ることが出来る。ニューヨークでの大きな水害は約10年振りであった。

 

パリせードインタースティッ公園を管理するグリーンの Ford F-250.

 

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木の声を聴く

2021年09月06日 | 日記

 AI(人工知能)の研究開発が進んでいる。AIは便利な様でもあり、同時に脅威でもある。脅威だと感じる理由は人間が開発したコンピューター頭脳(機械)が人間以上の知力を持ち、これを活用して国家や特定の企業が人間社会を支配操作する世の中が出来てしまう事である。そういった懸念を抱きながらも、この現実はもはや後戻りする事はない。

 夏は陽が長いので一日の仕事が一段落するとランニングパンツ一丁とジョギングシューズを履いて森林浴気分で森の中を走る。森のトレールを走りながら常に意識しているのが、木の声を聴く、という姿勢である。森にある木や草木花、そして岩や土、風景と話をするのだが、どうやって話をするのか?というと、とても簡単で、尊敬する穏やかな気持ちを持って接するだけである。万物の霊長である人間の放つ植物に対する尊敬心はとても歓迎され喜ばれ、また来てくれ!という事でトレールラン二ングが継続している。

 テクノロジーが更に発展の展開を見せるこの時代は同時に人間の持っている本来の能力を開花させる必要が求められる。その一つが、木の声を聴く、である。これからの人間にとってAIが踏み込む事が出来ない領域を持つ事は、人間が人間として生きて行く為の必要項目であり、それによってテクノロジーにたよる隷属ではなくて、テクノロジーを凌駕する精神性を保持する事が出来ると観ている。

 木の声を聴くというのは同時に、気の声を聴くでもある。木に対する尊敬心は実際に自身の気の有りかを教えてくれる。森に生えている一本の木に話かける行為は、その背後にある壮大な世界に触れる窓口なのである。

 

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長距離運転に対する体力について

2021年07月25日 | 日記

 先週は仕事の関係で久し振りのロングドライブを味わった。朝の5時半に自宅を出発して帰宅は夜中の11時、途中に休憩を挟み5回ブラックコーヒーを口に運んだ。走行距離は820マイル(1320キロ)を刻んだ。朝に昇る赤い丸い太陽を目視し、夜に丸く赤く不気味に空に浮かぶ月の光景を楽しんだ。帰宅後はややバランス感覚を失い足がふら付く感があり、その夜は昼間に摂取したカフェインの影響で目が冴えて深く眠る事が出来ず、浅い眠りの中で意味浅な夢か妄想を観ていた様である。翌日はその疲れが蓄積していた様で仕事中に一時深い眠りに落ちた。

 昨年の今頃に比べると世は活気が復活しアメリカの独立記念日を境にアフターコロナの雰囲気がある。しかし、フリーウェイの休憩所やお店にはマスクを付けて入店する人々を意外と多く見かける。それらの人々はワクチンの摂取を静観している人々である。ワクチン接種が進んでいると謳われているアメリカであるが、少なくともアメリカの北東部ではそうではなさそうである。

 長距離運転はリスクとのコインサイドであり、常に緊張が伴い気を抜く事は出来ない。その緊張感を長時間維持するという事が長距離運転の秘訣となる。そしてその維持力を別名で体力と呼ぶことがある。自身の経験からいうと、若い頃の長距離運転には常に眠気が伴っていた記憶があるので、それと比較して今の方が体力があるという現実となる。そう考えると、車を運転する為の体力というのは何か?というテーマに対しての糸口が見つかってきそうである。自身の中ではそれを体力だと述べるのか、或いはコーヒーのカフェインの効果なのかは整理の付かない門答のままである。長距離運転を糧としているトレーラードライバーに対しては頭が上がらないが、時々行う長距離運転は自身の体力を知る機会でもあった。

 

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黄色いTOYOTA SUPRA

2021年05月30日 | 日記

 昭和の時代に日本のお茶の間を沸かせた覆面レスラー、ザ.デストロイヤーさんが青春時代を過ごしたニューヨーク洲北部のエリー地区。街と街を繋ぐ中継の長いフリーウェイは平地で緑の森と草原が続いている。ラジオの地上波が拾うのはカントリーミュージックかバイブルのスピーチ、見慣れてしまった近年の自動車群には心を引き付けられるような刺激は感じられないので退屈気味である。時々爆音を響かせ、風に挑戦するハーレーデビソンが走り抜けて行く。

 

 

 カーラジオのシークが捉えたラジオチャンネルの声が流れ出した。切れのある男の声でクリスチャンに向けてのメッセージであった。内容に耳を傾けていると背中がゾクゾクしてきた。プレイ(祈り)とかジーザス(イエスキリスト)というキーワードが出て来なかった事から、このスピーチは牧師が語っているものではないと感じた。ラジオのボリュームをもう少し上げる。

 

 近年の世界と米国の情勢の話、小説家ジョージオーエルの作品1984年が引用され、アメリカの主要メディアの報道方針を語り、今の時代の危機の本質についての解説であった。最後の方になって話の途中であったのだが電波の入りが悪くなり雑音が混入しブリーフィングは消えていってしまった。再びラジオのシークボタンを押してみる。

 

 黄色いオハイオナンバーのトヨタスープラが走り抜けて行った。2時間程走った道の先はにバッファローの街がある。ザ.デストロイヤーさんが晩年においてバッファローの自宅で強く思っていた心の支えが、もう一度日本に行きたい。であったと聞く。

 黄色いスープラは前方に消えていった。情報や話題、そして人間関係も僕の横を通り過ぎて行く黄色いスープラの様だと感じた機会であった。

 

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寿司とスクリーンのランクル

2021年05月13日 | 日記

 ニューヨーク洲の北部、カナダとの国境に近い街で夕食に寿司ボックスをテイクアウトしてホテルにチェックイン。寿司を食べ初めてテレビのリモコンでチャンネルをスキャンすると、画面に白いランドクルーザー60が出てくるではないか、ここに来てランクル60目撃である。これは The Kingdom というハリウッド映画であった。2007年に公開された映画で、1996年のサウジアラビアが時代と場所の設定である。テロリストとの戦いを描いた作品で終始血生臭い展開であった。サウジ警察のパトカーであるランドクルーザー60はチラッと登場するだけではなく、主人公と共にしつこく何度も登場した。1996年が時代の設定であるならばランクル80の時代であるべきなのに、なぜ60なのか?という疑問が生じた。おそらく、主人公が乗るクルマはカッコよくなければならない、作品として楽しんでもらうためには60の方がインパクトがある。そういう理由だったのかも知れない、ランクル60の存在は時代の情勢を表現し、戦う男達の道具としての存在に相応しいと感じた。意図しないランクル60の目撃であった。結果、スクリーンの中の60の光景はよく覚えているのだが、食べた寿司の味を思い出せないでいる。

 

 

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