ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

FJ 25 Hell's Revenge, Moab UT

2016年11月23日 | ASAP and AFAN

1959 FJ25 on Hell's Revenge - Moab, Utah  

 ユタ州のモアブがオフロード天国であると言う事がこのビデオを観ると理解出来る。しかもそのコースの名前は Hell's Revenge 。希少なコロラドナンバーのランドクルーザーFJ25が広大なモアブの光景を魅せてくれる。伴走するのはウインチを装備したランドクルーザー80。共にオフロードでの走行は走行ラインの執り方などから慣れている様に見受けられる。

 

"As Slow As Possible and As First As Necessary"

 熟練されたオフロードドライビングのマントラ

 

 この一句を最初に語ったのはランドローバーのオフロードドライビングテクニックだったと理解している。このマントラは英語の意味が頭で分っても意味が無い。これを説明するのはオフロードドライブという実践や体感でしかないのだがこういった走行ビデオを見る事によって言わんとする感覚を理解する事が出来る。その為には常にこのASAP and AFAN のマントラをぶつぶつと唱えながら観賞するのが良い。

 

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レンジのコイルが4x4の流れを変えた

2016年11月20日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 この11月号の英国Classic Land Rover 誌にMr. Land Rover と呼ばれているRoger Crathone氏のランドローバー社現役時代の回顧が載っている。5ページに及ぶその写真と記事に目を通じてみるとCrathone氏はとことんマニュアル指向(思考、嗜好、試行)者であったのだという理解に至る。あったという過去形だけではなく今も現役のマニュアル指向者である。それは現在も日常にランドローバーシリーズⅠを活用している事から伺う事が出来る。

 1966年に Range Rover 開発の企画が始まった。レンジローバーの開発の為にアメリカからジープラングラーフォードブロンコ、そして日本からランドクルーザーFJ55が取り寄せられた。Crathone氏のお気に入りのテスト用車はランドクルーザーであった様子。まず最初に手を付けたのはロングベースのワゴンに対応するヘビーデューティなアクスルの開発でアクスル自体の構造は同じだがランドクルーザーの物よりも30%強度が高い物を開発した。しかし、走行テストでそれを装着したランドローバーは恐ろしく遅かった。4x4の開発においては丈夫で強度の強い物を造る事が出来ても、それが動きに対しての適応性を兼ねていなければならない。そこが開発の課題の一つであるという事なども学んだ様子。

 4x4の存在を大きく変えたのはレンジローバーである。当時ランドローバーの開発デザインにかかわる人々と Spen King 氏はフォードブロンコに装着されていたコイルスプリングに注目しておりレンジローバーの足元はコイルスプリングで固める方針を進めていた。しかし、Crathone 氏はリーフを推していた。ランドローバーの中南米のセールスマネージャーに Tom Barton という人物がいて彼もリーフスプリング以外に4x4は考えられないという持論者であった。彼は昔鉄道関係のエンジニアでリーフの特質を良く理解しており、なぜリーフが4x4に良いのかを理論的に説明出来る存在であった。Crathone氏はベネズエラの工場から Tom Barton を呼んでコイルスプリングではランジローバーは絶対に成功しないと主張してSpen King 氏達の説得に挑んだ。

 そういった物語の後にコイルスプリングのレンジローバーは生まれた。コイルスプリングを備えたレンジローバーはリーフよりもしっかりと地面をとらえ尚且つ快適であった。このコイルスプリングがレンジローバーにに採用される事が決まってから、この足回りに相応しいエンジンという事で Buick 製のアルミニウムV8エンジンを取り寄せた。この頃からSpen King 氏と若いエンジニア達はレンジローバーの開発にコンピューターを活用する事を始めていた。1969年の当時2台のプロトタイプのレンジローバーが製作され2台がテストの為にアメリカに運ばれた。そして1970年にワークホースとして存在してきた4x4に乗用車の様な快適さを持ったレンジローバーが世に出てきたのであった。(ブロンコもコイルであったが高級という概念はまだ持ちえていなかった。)

 

1970年レンジローバー誕生、

 1970年、当時ブリティッシュ・レイランド(British Leyland Motor Corporation : 略称BL)の1ブランドであったランドローバーから、フルタイム4WDのオールパーパスヴィークルとして発表された。BLの技術者、チャールズ・スペンサー・キング、(Charles Spencer King 通称スペン・キング:Spen Kingとも)などが中心となり、ランドローバー以上のオフロード性能を持ち、普段は高級乗用車と変わらぬ快適性を持つことを目標に開発されたまったく新しい概念の革新的車であった。はじめから海外でのノックダウン生産も考慮して設計が進められ、耐久性、メンテナンス性も考慮されていた。「ラグジュアリーカー、エステートカー、パフォーマンスカー、クロスカントリーカーの4つの車の役割を1台の車で可能にする」と謳われた。当初は2ドアモデルのみであったが、後に4ドアモデルが追加された(経緯は後述)。現在では初代モデル全てを、レンジローバー クラシック(Range Rover Classic)と呼ぶようになっている。(wikiより)

 エンジン:GMから製造権を買い取ってローバー・3500(Rover 3500)に使われていた、シリンダーヘッド、シリンダーブロック共にアルミ製の軽量なV型8気筒OHVの3528ccローバー・V8エンジンを採用し、発表当時としては優れた静粛性と 155km/hのクルージングを可能にしていた。このトルクフルで頑強なエンジンは、当初、ゼニスストロンバーグキャブレター装備であったが、後には電子制御燃料噴射式となり、排気量も3.9リッターから、最終型では4.2リッターにまで拡大された。また8気筒ながら、当時のランドローバー(Land Rover (Series/Defender))シリーズII Aに使われていた鋳鉄ブロックの4気筒よりも軽いことにより前後の重量配分が50:50となっており、結果としてオンロードでの旋回性能やオフロードでの走破性を良好にしている。またエンジンが短いことが前述のように広い車室の獲得にもつながっている。wikiより)

 サスペンション:耐久性とオフロード性能を第一に追い求めたため前後輪ともコイルスプリングによるリジッドアクスル式サスペンションを採用。柔らかく長いコイルバネにより大きなホイールストロークを確保し、良好な乗り心地と卓越した悪路走破性を実現している。フロントはリーディングアームとパナールロッドによる3リンク式サスペンションで、自由な上下動と抗ロール性を両立しており、後のフロントリジッドアクスル4X4(SUV)に大きな影響を与えた。またリアは重い荷物を積んだときにも車を水平に保つボーゲ(BOGE)製ダンパーを用いた機械式セルフレベリングユニットを組み込んだセンターAアームと、2本のトレーリングアームにより長大なストロークを確保している。これは現在に至っても優れた地形追従性を持ったサスペンションと知られるが、ダンパーや大きな力が加わるAアームのピボットの寿命が短いなどの難点がある。(wikiより)

 

 コイルサスペンションの採用が4x4を快適にした最初の一歩であった。

 トヨタの4x4フラッグシップであるランドクルーザーは1991年のランドクルーザー62の時代まで4輪リーフを履いた。それは Roger Crathorne 氏の影のアドバイスがあったのかも知れない(笑)。レンジローバーは開発の初期設定が砂漠のロールスロイスであり現在もその方針を貫いて進んでいる事が理解出来る。

 

ランドローバーの原点はレンジローバーではなくて、シリーズにある。

  どの様な物や組織にも改革推進派と保守派が存在する。4x4改革推進派をレンジローバーとするならは保守派はMr.Land Rover となる。昨年末にディフェンダーの生産が終了した時にランドローバー(シリーズの流れを持つディフェンダー)は死んだという声がランドローバー愛好家(特にディフェンダー愛好家)達からあった。それは聖書の福音書の節『生きているというのは名だけで、実は死んでいる。』という表現が該当するのかも知れない。Mr. Land Rover は自らがリーフを愛する姿勢を見せる事によって長年愛したランドローバー社に対してバランスの有り方を示している様に感じる。ランドローバーというブランドの中でレンジローバーの原点は60年代の後半から70年に存在するが、ランドローバーの原点は更に古い1948年から1958年のシリーズに有ると言う事を忘れてはいけない、そのポイントを忘れるとランドローバーはランドローバーで無くなってしまうんだと Mr.Land Rover は伝えている様に感じた。

 

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大東亜共栄圏

2016年11月18日 | NEW YORK

2017年11月17日のマンハッタン、ニューヨーク

 昨日のニューヨークは良く晴れた暖かい一日であった。日本の安部首相と次期アメリカ大統領ドナルドトランプとの会談がトランプ氏が所有する市内のトランプタワーで行われた。昨日の街の渋滞は激しかった。いつも交通渋滞に捲かれるマンハッタンにおいてはは特別な会談があるから特に渋滞しているという訳ではなさそうだが...。

 次期トランプ政権の外交方針は日本人にとって特に気になる観点であるが安部首相とトランプ氏の会談の内容は報道されてはいない。僕はアメリカは現在の中華でありその立場を将来も維持する為にアメリカ合衆国の脳裏(奥の院)には一つの譲れない意思があると思っている。それが大東亜共栄の畏怖である。つまり極東アジアの国々が仲良くなってしまうと合衆国よりも強いリージョンが地球上に誕生してしまうという事だ。現実には課題が多く歩み寄りは困難とされている極東アジアの国々であるが、もしもアメリカがアジア太平洋から手を引く事があればその理想は浮上してくる可能性がある。アメリカはトップの座をアジアに譲る方針を執るのであろうか。

 近い将来のトランプ政権がどの様な方針を示すかは分らない。しかし、僕は自分の周りにいる日本人の人々を観て日本という国はどんな事が起こっても大丈夫だと確信している。それは仕事に対する個人個人の姿勢から素直にそう思う。日本は素晴らしい人材資源国家なのである。アメリカがどう出るかは気になる所だが、それ以上に、日本がどう出るかはもっと気になる所だ。

 

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嘗て南米で観た景色はその後の南米の景色を変えた

2016年11月13日 | OVERLANDERS

CHE GUEVARA

 エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna、1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。

「チェ・ゲバラ」の呼び名で知られるが、「チェ」は主にアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語で「やぁ」「おい」「お前(親しみを込めた)」「ダチ」といった砕けた呼び掛けの言葉であり、ゲバラが初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していた事から、キューバ人達が「チェ」の発音を面白がり付けたあだ名である。(wikiより)

 彼の魂は現在も中南米の政治的なアイコンとして君臨。若くしてボリビアの地で亡くなったがボリビアのゲリラ基地に入る際トヨタ製のジープ型4輪駆動車に乗っていたと伝えられている事から彼はランドクルーザー40系を活用していたのだと思われる。チェゲバラについて語るのは彼を崇拝しているからではないが、アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ医学生で医師を目指していた一人の青年がなぜ革命家という道を選んだのであろうかという感心からだ。その原因となったのがオートバイによる南米旅行であった。

  • 1950年 北部アルゼンチンをモペッドで単独走破。
  • 1951年 アルベルト・グラナードとともに、オートバイで南アメリカをまわる旅に出てラテンアメリカをつぶさに見聞。(wikiより)

 

Diarios de Motocicleta (スペイン語)

The Motorcycle Diaries (英語名)

 ゲバラはオートバイによる南米旅行で格差というものを観た。搾取する者と搾取され続けられる人々の存在を知った。彼のその後の人生は医者という職業に付かず武器を持って戦う道を選んだのである。彼が革命に参加したのは貧しい人々を解放する為という動機が根底にある。そういう動機、大儀の持ち主であるが故に彼は現在も尊敬され続けボリビアにおいては聖人となっている。以下は彼の理念、思想の一部である。

 

  • バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家など想像出来ない。(国連総会出席のためにニューヨーク滞在中、インタビューでの質問“革命家にとって重要なことは?”に応えて)

 

  • 私のことを冒険家というのなら、たしかにそうだ。しかし、私は違うタイプの冒険家だ。自分の真理を証明するためなら、命も賭ける冒険家だ。

 

  • 祖国か、死か!(これは7月26日運動のスローガン、また合言葉でもある)

 

  • 我々にとって社会主義の確かな定義は、“人間の人間による搾取の撤廃”以外にない。

 

  • 一人の人間の命は、地球上で一番豊かな人間の全財産の百万倍の価値がある。隣人の為に尽くす誇りは、高所得を得るより遥かに大切だ。蓄財出来る全ての黄金よりも遥かに決定的でいつまでも続くのは、人民達の感謝の念だ。

 

  • 人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことが出来るのはダイヤモンドしかない。人間を磨くにも、人間とコミュニケーションを取るしかないんだよ。

 

  • 国民の英雄たるもの、国民から遠く離れていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところに収まるべきでない。

 

  • 指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ。ただ言葉で強いるのでなく、後ろにいる人たちを力づけて、自分のレベルまで引き上げようとするのだ。(wikiより)

 

The Motorcycle Diaries

 

Let the world change you,

and

You can change the world.

 

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PRESIDENT TRUMP

2016年11月12日 | 日記

 Donald J. Trump が時期アメリカ大統領に当選したのは先週であったがそれから随分と時間が過ぎている様な気がしてならない。正直、驚いた結果であった。また同時にこれから何か新しい事が起こるかもしれないとする期待感もある。トランプは所属政党である共和党本流との乖離、マスコミの不支持やスキャンダルでの不評など非優勢的な立場からの当選であった事もあり、彼の大統領への道のりはアメリカンドリームの実現そのものでもある様にも感じる。今回の選挙結果を見て感じだのはアメリカ大衆の本音の表れである。アメリカ人は再び強いアメリカを期待しているのだ。東京で最後にシボレーを見たのは何時だったのであろうか、と彼が語った様に現在のアメリカはアジアの諸国に負けているという自負感の表れでもある様だ。

 クリントンかトランプかという選挙に関する話題は日常生活の中では気さくには語りにくい内容であったし今もそうだ。それは価値観や展望というものが互いに異なり摩擦を生む事もあるが、今ある現実を否定してまだ見ぬ将来に逃避する姿勢を夢とか希望とかビジョンと言って候補者の言葉や有り方で論争する事は生産的な事では無いからだ。 トランプの発言はストレートで時に暴言として捉えられている事も多いが、それは彼の中に強い理念や戦略が有っての事なのだ。トランプは アメリカ アズ ナンバーワン と謳って国益強化の舵を取るであろう。そしてそれが具体的にどういう事なのかはまだ分らない。過去の大統領がチェンジとかチャレンジとか言っていたが、それらの言葉はこのトランプ時期大統領の存在にあるような気がしてならない。

 

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隣のこんにゃく問答

2016年11月07日 | VINTAGE CARS

落語に『こんにゃく問答』というのがありましてな、

旅の優秀な学僧と住職に化けた無学なこんにゃく屋の六兵衛との無言の問答ですわ、

学僧が手で印を作っての問いかけに対してですな、

六兵衛は即ゼスチャーで応じましてな、

最後に学僧は御住職は大変な学者だと驚嘆して去って行ったという話ですわ。

 

 お隣のK君が2台目の空冷ポルシェ911を手に入れた。自身でカリフォルニアまでクルマを取りに行って3日間走り続けて自宅まで運転して帰ってきた。塗装の一部がヤレていたので磨き込んでオリジナルカラーのダークブルーの全塗装をし外観は新車の様な輝きを放っている。

 

おう、

また、ポルシェ買ったんか!

 

おう、

おまえに学んで2台体制にしたぞ。

おまえのランクルと一緒で西部から持ってきたぞ!

...汗

 

 K君はクルマに対する何かの影響を僕から受けたらしい。僕は趣味のクルマは2台体制がいいとか、古い車を手に入れるならば車体の錆が少ない中西部から探せ、などとは一度も彼にアドバイスした事はない。人というのは面白いもので他人がどの様に自学しているかは分らないものなのだ。つまり人は他人に対してどの様に理解されているかはナゾなのである。ちなみに僕はK君が年に3~4回程しか乗らないポルシェに金と時間を注ぎ込んで大丈夫かい?と心配しており、ポルシェが2台になって年に8回乗るかって言ったら2台で3~4回乗る事になるんだろうと思っている。古いランドクルーザーを乗り回すおっさんを観て誰かが何処かで何かを感じ学んでいるんかな?と勝手に思うのは面白い事だ。多くの場合、路上のドライバーが遭遇する古いランドクルーザーは『あっ、俺のクルマよりボロいクルマが走っているぞ!』と理解し、大抵の人は自身の優位感を感じてくれているんだろうなと思う。そういった意味ではロクマルに乗るっていう事は社会にちょっと影響を与えているのかも知れないと思ったりもする。

 

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BENDIEX DINER

2016年11月05日 | OVERLAND CAFE

 BENDIEX DINER

 このDINER(食堂)は以前からその存在と場所は知っていたが訪れる機会が無かった。場所はニュージャジー州のHasbrouch Heights、ルート46と17号線の交差地点です。このダイナーは24時間営業で駐車場の敷地も広くクルマでの出入りがやり易い場所にあります。特別なメニューがある訳ではありませんがカジュアルにコーヒーや軽食を摂るには好い場所です。この場所を紹介したのはここで2015年にToyota Mirai の紹介ビデオがToyota Tacoma Back to the Future 使用車を用いて製作されたからです。

 

Michael J. Fox and Christopher Lloyd

settle in at the Bendix Diner in Hasbrouck Heights as part of a Toyota commercial.

 

2015年、今ファックスは存在してる?

あるよ、私はまだ持ってるよ。

誰に送るんだい?

ファックスを持っている人にだ。

いるのかい、そんな奴が...?

...

 

 

Fueled by the Fututre

 

コーヒーを飲みながらたわいのない話を楽しむ。

 

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Toyota Land Speed Cruiser SEMA 2016

2016年11月03日 | LANDCRUISER

 

Toyota Land Speed Cruiser

 今年2016のSEMAのトヨタのブースに姿を現した Land Speed Cruiser が注目を集めている。ランクル200を用いてトヨタが目指したのは世界最速のSUVの製作である。フレームの強化、車体の軽量化、そして強力なターボエンジンを搭載し2000馬力という恐ろしいパワーを備えている。最高スピードは220マイル(350キロ)。SUVと呼ばれる車種の中では頑丈なラダーフレームを備えており重い分類に入るランドクルーザーをここまでチューニングするその意図にはTOYOTAという会社のクルマに対する姿勢を多くの人々にアピールする容姿となっている。それは技術的なものであり、遊び心や競技に勝つための意気込みであったりもするであろう。ランドクルーザー200はオンでもオフでも高性能で快適だがそれは見方を変えると長所でもあり短所でもあるのだ。行くとこまで行っちゃってどちらも譲れない、ラグジャリーな快適さも手放せない。ならば、全てを捨ててしまえ、全てばらしてスピードで行こう!そういった割り切りが感じられて気持ちいい気がする。近い将来、ランドクルーザーがインディを走る日が来るのかも知れない...。

 

This low-riding, custom-built beast started life as a 2016 Land Cruiser, but now is capable of pushing out more than 2000 hp, and hitting a top speed of 220 mph, courtesy of Motorsports Technical Center, and a pair of volleyball-sized Garrett turbochargers. Check it out in the Toyota booth at SEMA 2016.

 

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