ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

ニューヨークの鼓動

2021年01月28日 | NEW YORK

 公共交通機関を利用してマンハッタンを訪れた。平日の晴天の朝であるが通勤ラッシュはなく活気の無い空気が漂っている。それは、日中最高気温が氷点下のニューヨークの真冬の気温が影響しているのであろう。そして、病の長期的な流行に対する恐怖心。更にアメリカ新政権の白けた発足等がからみ合っている様だ。街の繁華街であるタイムズスクエァー周辺の御店も閉店が目立つ。ABC 放送がモーニングニュースの公開中継を行っていたが、立ち止まって観ていたのは僕一人だけという有様。約束の時間まで余裕があったので、どこぞでコーヒーを頼んで時間を調整しようと思い、凍て付く通りを暫く歩いてみたが、暖かい店内で寛げる場所や店は一つも無かった。また、トイレも無い。街は人を拒んでいるかの様相である。少し遠回りではあったが街の中心にあるグランドセントラルステーション(駅)に立ち寄って寒さをしのぎ時間を調整する事にした。建物の中の広いホールには複数の警察と武装した軍人が立ち並び警戒態勢中であり、居辛い雰囲気であった。

 マンハッタンを歩くと首を揚げてビルを眺める機会が多いので首が疲れる。路上の角に一台の使い込んだBMWのGSが停められていた。街を歩いていて時々自分の波動に合う対象があると気持ちがホットする。凍える外気の中でこういった一台のバイクを目にする事によって、閉塞感を感じるこの時代だからこそ夢のある事を考えよう、準備しよう。そんな声援を感じるのである。

 マンハッタンでの帰り道、あちらこちらからビル工事のノイズが聞こえてくる。高層ビルがリノベートされたり新築されている。このノイズを確認しながら、今朝に感じた、街は死んでいるんじゃないのか。という感情を否定した。時代の進行とは複数の事が同時進行でからみ合うが、街はアフターコロナを見据えている。街は冬眠状態の様に停滞している様に感じるが、同時に真冬の極寒の中で春に開く蕾が準備されているというニューヨークの鼓動を感じた機会であった。

 

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ブレーキ マスター シリンダー

2021年01月18日 | ロクマル日記

 青いランドクルーザーFJ60の ブレーキマスターシリンダー を交換した。今年になってブレーキを踏む感触に違和感を感じていたのでメカニックに預け修理を依頼した。原因はブレーキマスターシリンダーの内部の弁の劣化であった。外したシリンダーを見るとオリジナルパーツである。このFJと付き合ってから13万マイル(20万キロ)を走破しており、今までこのシリンダーを交換した事はなかったので、随分と耐久性のあるパーツだと思った。まさか、工場から出てから一度も交換されていないという事はないと思うので、前オーナーによってオーバーホールされていたとは思うが、記録は存在しない。

 依頼したメカニック達の作業の効率性の選択もあっての事であろうが、パーツ自体を交換するか、或いはオーバーホールするかの選択は無く、即、シリンダーは新しい社外品(アフターマーケット)に交換されてしまった。以前にクラッチマスターシリンダーを交換した時に、社外品を使用する事のリスクを学んだので、本当は多少高くてもOEM製品を組み込みたかったのが本音ではあるが、今回は試みとして受け入れる事にした。クルマは部品の集合体である。特に目に見えないパーツにこそ拘りたいのである。今回は社外品のブレーキマスターシリンダーが付いているという事を、とりあえず知っているという事が今後の対応に適応出来るのだと思っている。

 知識として、車はブレーキを踏む事によってどうやって止まるのだろうか? 運動のエネルギーを摩擦によって熱エネルギーに変換する事によって減速し、止まるのである。パットの摩擦で止まるのではなくて、エネルギーの変換によって止まるのである。そういった知識も含めて、クルマを使用する事によって経験し体積される縦的な知識、そしてクルマの機能やパーツの素材や性質に対する横的な知識の蓄積はクルマを楽しむという事の一つの要であろう。古いランクルは調子が悪くなる事も度々だが、それは楽しませてくれているんだ。として理解し、修理費は、学習の為の投資だ。として捕らえておく事は、ランクル維持の為のもっともらしからぬ強気な言い訳なのである。

 

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アラモの砂地に引かれた剣のライン

2021年01月16日 | 日記

 2019年の冬至の季節にテキサス州を廻り、サンアントニオの街を徘徊した時の光景をよく覚えている。サンアントニオの街は冬休みという事もあり、街の観光スポットであるアラモの砦の周辺は活気があり賑わっていた。砦の周辺で駐車場を探したのであるが、路上の駐車場はスペースが見つからず、有料駐車上へとハンドルを切った。砦の近くの駐車場は値段が高かったので、結局砦から離れた場所にそれ程高くない有料駐車場を見つけてそこに落ち着いた。昼食を取って駐車場に戻る時に砦の前を横切った。これからメキシコとの国境の街デルリオまでの4時間程のドライビングが控えていたので、残念ながらアラモの砦で時間を過ごす事が出来なかった。今ではそれが悔いになっている。だからだろうか?アラモ、と聞くとハッ!と感じる感覚が起こる。

 今週、トランプ大統領がテキサス州の国境に近いアラモという小さな町で演説を行った。米国人はアラモと聞くと必ずアラモの砦を思い浮かべる。おそらくそういった意図でアラモの町が選ばれたのだと思う。そして、アラモという名称の持つ言霊(メッセージ)は ”戦いに対して命を捧げる決意” なのである。

 1835年の当時、現在のテキサスはメキシコ領であった。当時のメキシコのサンタ アナ将軍の中央集権的な独裁政権に反旗を翻したのがアメリカからの移民達であった。彼らの抵抗の一つがアラモ伝道所での立てこもりで200人に満たない義勇な男達であった。1836年3月6日の早朝にメキシコ軍の複数の連帯が襲撃を開始し、朝日が昇る頃には砦の義勇兵は全滅となる。1836年4月21日、アメリカ軍の司令官サムエル ヒューストンは800人の軍を率いて1500人のメキシコ軍に奇襲攻撃を仕掛けメキシコ軍を壊滅させ、翌日にはサンタ アナ将軍を捕らえるに至った。結果、サンタ アナ将軍の命と引き換えにテキサスの領地の主権を手に入れ、後にサムエル ヒューストンは独立したテキサス共和国の大統領となった。その時のアメリカ軍の合言葉が、"REMEMBER THE ALAMO" である。

 アラモの伝道所で当時メキシコの政権の軍隊と戦う前に一つの儀式が行われたと言われている。

 3月3日或は3月4日にトラヴィス中佐が砂に彼の刀で線を引き、アラモに残留し、死んでも構わないと望む全ての者に線を越えるよう招き入れたとの伝説が残されている(wiki より)

 予感ではあるが、トランプ大統領がアラモの町に現れたのはこのトラヴィス中佐が砂の上に刀で線を引いて、勇気のある奴はこの線を越えてこちらに来い!と言葉ではなくて象徴とテレパシーで世界に伝えたのではないかと感じている。この線を越えた奴は激しい攻撃に遭い蜂の巣の様になって死ぬ(殉教する)覚悟が必要である。しかし、聖書の教えの中にもある様に、生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる、である。

 テキサスは1845年に条約によってアメリカ合衆国に併合し加盟した。テキサスは合衆国の一つの州となる時に他の州とは異なって、ある状況下に置かれた時には離州するという条件の下で条約の署名を行っている唯一の州である。その、ある状況下が新政権と共に目の前に訪れようとしている。アメリカでは既に分断が始まっている。アメリカの国旗が変わるかも知れない。同盟国である日本も必ず大きな影響を受けるのは免れない。その激動は世界を巻き込む事になる。近い将来アメリカというのはテキサス共和国の事を示す事になるのかも知れない。

 

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冬晴れ

2021年01月10日 | 日記

 今日は快晴の冬晴れの日、氷点下の気温の中を自転車トレーニングで走ってきた。外気が冷たいが故に運動してもあまり汗は出ないのだが、それに代わって涙と鼻水がぽたぽた落ちてくる。集中して走り終えると仕事等でズレが生じた精神と肉体がキチンと噛み合った様で、それが一つの達成感となり、また今週も頑張れるという気持ちになれる事が嬉しい。

 先週、一つの話題を耳にした。1999年の夏に小型飛行機事故で亡くなったJFKジュニアが、あの世から戻ってくるらしい。トランプが大統領になる前から今日に至り終始守護霊としてあの世からトランプを助けて来たが、今のアメリカが遭遇している危機に対していてもたってもいられない気持ちになり、黄泉の支配者の一人、大天使のガブリエルに相談し懇願した所、いってQ(来い!)という許可が降りた。という事です。マジかよ?と言う様な話題ですが、本当ならばまた会える日を楽しみにしています。この話題で今週は元気が維持出そうです。

 

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新 4X4 世界秩序 その2

2021年01月03日 | OVERLAND VEHICLE

 

 4x4ドライビングというジェネラルな領域から、エクスペデッションという絞られた領域に焦点を合わせると四駆に対する理解が整理出来る。英国人の自動車冒険家であるトムシェパード氏と米国人のジョナサンハンソン氏の共同著書であるVEHICLE-DEPENDENT EXPEDITION GUIDE は、自動車冒険旅行における一つの教科書である。1998年に初版が世に出てから最新の2017年のエディション4.1まで6回に及んで改定され、現在に至っている。トムシェパード氏は主に北アフリカのサハラ砂漠での多数のエクスペデッションの経験を元に著書をまとめており、内容は車両の運搬から写真の収録まで多様な範囲に及んでいる。

 この書籍は英国を主とした英語圏の四駆におけるエクスペデッションの教書であるが、この教書の中に出て来ないものがある。それは、近年のレンジローバーです。最終バージョンは2017年出版なのだが、当時のレンジローバーの車両も登場していません。初代ディフェンダー、ラダーフレームのクラッシックレンジとディスカバリーは登場します。この姿勢から分る様に、近年の電子制御を搭載したレンジローバーの様なラグジャリーなSUVは、過酷なエクスペデッションの環境下では用いられないのです。今後このエクスペデッションの領域に新型ディフェンダーが用いられるかどうかは不明ですが、もしも、スポンサー等が付かない個人使用の領域で用いられる様になったとしたら、新4x4世界秩序は現実のものとなり、往来の価値観を書き換える必要性に迫られる事になります。

 今日4x4における有り方が混乱し、四駆の有るべき姿が分りにくくなっている。そういった中にあって、エクスペデッションガイドは四駆の聖域を示し、その聖域を守り、ガイドラインを示しています。3センチ以上ある本の内容を容易に書く事は出来ませんが、今後機会が有る事に紹介して行きたいと思っています。この本を一言で表現するならば、エクスペデッションガイドとは、別名、こっち側の本(笑)という事になります。

 

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2021年元旦

2021年01月01日 | 日記

 

2021年、明けましておめでとう御座います。

 昨晩の年越しの時間は家族でテレビの前で迎えました。カップヌードのそばを食べてカーボンローディングをし、ニューヨークのタイムズスクェアでのカウントダウンの中継が終わると、早々とベッドで意識を失ってしまいました。今朝は晴れ。陽が昇る前にジョギングシューズを履いて家を飛び出し、氷点下の森の中を駆け抜け、初日の出を拝み体内にビタミンDをしっかり蓄え帰ってきました。

 ニューヨークのマンハッタンから昇ってきた真っ赤な日の出の太陽と視線を合わせ、元旦の挨拶をしました。太陽は魂のある生命体で我々人間の行いを宇宙の彼方から静観しています。その太陽は物理的には遥か遠い場所に位置しますが、自分の心を胸の中心に置くとその真横にも存在し、空の陽と同じように光を放ったり曇ったり沈んだりします。昔から、おてんとう様が見ていると言われているのはこういう理解なのだと認識しました。今年2021からは特に、おてんとう様を味方にして生きる。という指針を意識して生きたいと思いました。

 今週は次期アメリカ大統領選出という歴史的なイベントが水曜日にワシントンDCの議会で行われます。おてんとう様もこの日を楽しみにしている様です。この日のDCの天候は晴れであって欲しいと思います。

 

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