ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

日本のエクスペデッション、南極観測

2013年11月29日 | EXPEDITION

 日本が行っている南極大陸での極地観測。

もし誰かが、エクスペデッションとは何ですか?

という問いを発したならば、

日本の南極極地観測隊がそれだよ。と答える。

 

JARE (Japanese Antarctic Research Expedition)

車を使用した遠征だけが、エクスペデッションではない。

 

 南極大陸という広大な大陸、その存在はその厚い氷の下に何があろうとも我々の日常生活には全くと言っていいほど縁がない故に無視してもよさそうな存在である。しかしその大陸は第一次南極観測隊の超冬生活での地質の観測結果で、地球最古の大陸だと照明されるきっかけとなったのである。地球の太古においては密林のジャングルであり、複数のピラミッドも存在するこの南極大陸には地球の先史文明の遺産と、気の遠くなるような時間の中で天体と自然の変化を刻んだ地球という惑星のまだ我々が知らない領域が存在している。

...らしい。

 

日本のエクスペデッションは1956年から今日まで継続している。

 

 日本の本来の目標は1957年の国際地球観測年にアメリカ、ソ連、イギリスなど当時の戦勝国と対等な立場に立ちたいとする、日本の意地であった。国力というのは武力や経済だけではなく知においても比較され、また科学界における前向きな姿勢が結果、戦後の新興国として盤古な地位を築いて来た基礎となった。そして南極の大地に基地を設けた事は日本人の自信と誇りに貢献したのである。

 第一次南極地域観測隊(ファーストエクスペデッション)の副隊長を務めた西掘榮三郎氏は超冬隊員のリーダーであった。風速50メートルのブリザードによる基地の破壊、食糧倉庫の破損と食料の紛失、そして観測小屋の火事など実に多くの試練を超えた。

 

 その西堀氏が残した一つの言葉。

人にとって最も恐ろしいのは、

惰性で日を送る事である。

 

 自然の驚異を体験する事や未知の地への進行は恐怖心との葛藤である。しかし、それ以上に恐ろしいものが存在していると伝えている。

 

西堀榮三郎氏は “雪山賛歌”の作詞者でもある。 

 

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ホンダスーパーカブで北極圏に挑む

2013年11月28日 | OVERLANDERS

 英国人の エド マーチ (Ed March)君はホンダC90(スーパーカブ)で世界を走り回っている。最近(期間と期日は不明)、彼はヨーロッパに渡ってスカンジナビアを廻り北極圏を経由して走ってきた旅のビデオを紹介している。

ICY90 ,Ed March のホームページより

 

 彼の旅のスタイルはアドベンチャー的というよりも、お楽しみを提供します。という姿勢でもあるが、冬のスカンジナビアを90ccのホンダカブで一人で走るという事は容易な事ではなく危険な行為でもある。しかしその過酷な旅を楽しげに消化している所がスゴイな、っと思ってしまう。

 

 改めてホンダカブの持つ可能性を認識させらされた。

カブは深い可能性を秘めている。

 

その可能性の一つは、こいつを駆って冒険が出来るぞ!っという事。

 

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1967 Land Rover SeriesⅡ

2013年11月27日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 オリジナルを保ちながら美しく仕上げられた1967年のランドローバー。決して大きくはない車体だが7人乗りである。また僕自身はトロピカルルーフと言うアナロク的な機能にも魅力を感じている。

e-bay Motors より、

This is an immaculate 1967 Series IIA 88" Land Rover with Tropical Roof and only 31,000 miles. My mechanic just went through the entire truck and did the following work:

 

  • New Weber Carburetor
  • New Points, condenser, rotor, distributor cap, plugs and wires
  • Oil change along with transmission, transfer case, overdrive and both axles
  • Resealed the oil pan
  • Entire truck has been detailed 
The mileage appears to be correct judging by the titles going back to the late 80's early 90's. The exterior of the truck is the original paint, this is an unrestored Rover. I have a lengthy history of receipts that will be included, I always feel better when purchasing a vehicle that has a paper trail. If you want a very solid nice driving truck with overdrive and patina this is it. My mechanic mentioned the previous owners had spent a lot of money on this vehicle. New hydraulics, stainless steel exhaust system, swivels, brake lines, shocks, springs and tries. Currently there are 15" wheels on the truck. It runs and drives well, transmission shifts well and does not pop out of gear. This is the typical Series II transmission being non-synchro in first and second. All lights, turn signal etc work. 
 
The interior is immaculate with the original floor mats. There is zero corrosion on the floors or firewall. I have found 2 small spots in the frame that should be cut out and re-weleded. A very simple operation any body shop could perform. Each spot is about and inch wide and 2-3 inches long. 
 
If I were to keep that truck the only items I would address would be the two small spots on the frame and probably new gaskets for the Alpine windows. Thats it. 
 
This world be a perfect Rover for someone who is looking for a vacation home vehicle or for something to run around the vineyard or down to the beach. 
 
Clear California title and registered through next year. 
 
 
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4 x 4 GARAGE

2013年11月26日 | 日記

 今年で3回目を迎えた4x4GARAGE 誌のトヨタ特集。今年のタイトルは DIY TOYOTA TECH である。そして、この誌の編集長は二人おり、その内の一人があのカリスマ的四駆愛好家のFred William (フレッドウイリアム氏)である。彼の四駆に対する保守的な発言の一つは昨年の記事でも紹介した。

 そんなウイリアム氏が中心になって編集する雑誌なので、誌面にはウイリアム氏の目指すトヨタトラックの世界が展開している。話題にしているのは主にランクル80、タコマ、4ランナーだが、どれも年季の入った少し古いトラックばかりで、庶民的というか現実的である。

 

 その4x4 GARAGE の初頭で紹介されているのがこの1994年のランドクルーザーFJZ80(ハチマル)である。今年ウイリアム氏はこのハチマルのオーナーになった。このハチマルは走行距離27万5千マイル(44万キロ)、車両価格$1900.(約20万円)。そのハチマルに更に20万円程のコストをかけて主に足回りの整備を行った。

 これは2013年の Cheap Truk Challenge のプロジェクトの為の一台だが、実際にオフロードを走る為に最低の予算で出来上がったハチマルである。

 

 ウイリアム氏らしいランクルの乗り方。そしてウイリアム氏らしい雑誌の編集。

そんな彼に共感する人々も多いのである。

 

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アメリカの匠

2013年11月24日 | VINTAGE CARS

 アメリカの骨董品は面白いねぇ。

文章で書かれた古い歴史の説明ではなくて当時人々が使っていた物、

それを手に取り眺めながら当時の人々が何を考えていたかを考える。

そういう事が楽しいから僕は骨董品が好きなんだわなぁ。

 と、

 

1914年にアメリカの職人が製作した、

ジュエリーボックスを手にしながら僕に話しかけた方がいた。

 

アメリカ人は日本人より手先が器用ではないから、

物作りには向いていない!?

物作りはアメリカ人より日本人の方が得意である。

と、僕は理解していた。

 

しかし、

この第一次大戦以前に製作された宝箱の上質な出来合いを観ながら、

アメリカでも手先の器用な職人が存在していた事を理解した。

いや、今でも存在しているのではないだろうか?

 

今の物の使い捨ての時代とは異なる価値観の時代。

物には溢れていないが、

道具に対して豊かな価値観を持ち備えた時代だったのではないだろうか?

 

これ、面白いでしょ!

年代はそれ程古くはないけど...。

 

サックスホーン...ですよね。

ランプ(照明)になってんだよ。

こういう発想って、面白いよなぁ!

 

こうやって次々と自らのコレクションを紹介してくれた。

...

 

その中でも特に自慢のコレクションがこれです。

1963 年製 キャデラック

現在進行形で、コツコツと時間を掛けて仕上げられています。

 

この真直ぐな長ーいライン、これが実にいいねぇ!

フロントボンネットとリアのトランクの長さのバランスが同じでしょ!

この時代の車っていうのは今の車には無い物が沢山ある。

...

 

ジュエリーボックスで分かるように、本来アメリカ人は手先が器用であった。

サックスホーンの照明器具で分かるように、

アメリカ人は物造りや道具に対してユニークな遊び心を持ち合わせている。

 

そのアメリカ人が本来持ち合わせていた職人気質が実体となって現れた現象の一つが、

アメシャ、

1950年代から70年初頭の石油ショックの間に製作された、

 MADE IN USA の自動車です。

 

この時代のキャデラックの各部は実に凝った造りである。

 

当時は、大きさもステイタスであった。

豊かさを誇る、その箱がこれです。

人々は富の象徴をキヤデラックに求め、キャデラックはそれに応えた。

 

各部の造りが今となっては新鮮に感じる。

 

外観にプラスチックは使用されていない。

メッキは前部やり直したよ!

 

部品も中々出てこないんだわなぁ。

 

プラスチックが使用された部分というのは、

ウインカーとテールランプです。

 

オーナーはこの車の持つラインを観て、

なんとも言えないねぇ、この美しさは...。

言葉では表現出来ない感を持っておられました。

 

車の大きさに比較すると内部は決して広くはない。

豪華であるがシンプルである。

電動式ミラーや窓など、

高級車が持っていた装備は当時既に持ち合わせている。

 

幅30センチのドアと、それを支えるヒンジ。

ずっしりとしたドアの存在感はたまらない魅力がある。

 

  今もアメリカには自国産の古い車を誇りに思う人々は多い。 

 

これを観た人々によく真剣に聞かれるんですよ、

売ってくれないかっ?てね。

売らないよ、何故だか分かる?

 

コツコツつつく楽しみがあるからだよ。

 

...、現在の匠ですね。

 

ニューヨークはもう冬だな、そろそろこいつは春まで冬眠させるよ。

 

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パレードは続いていた

2013年11月21日 | 日記

 写真は娘のキャロラインをおんぶするケネディ大統領。

大統領という肩書きを外せば、父と娘、おとうさんである。

 ケネディが大統領を勤めた時代は今から振り返ると暗いイメージがある。僕にとってJFKは20世紀の後半を象徴している。それは混沌とした薄明かりであり、太陽の眩しい陽が差し込む前の闇と光を感じる。

 1998年の5月、ニューヨークの56丁目とブロードウェイ通りを歩いていた僕の前に、ある大きなビルから出て来て颯爽と街を歩き出した背の高い男がいた、彼は僕のほんの数メートル先を歩き出した。前から歩いて来る人々の中にその男とすれ違うとチラッと振り向く行為から、この前を歩いている男はただものではないな、と思った。しばらくすると男は通りを曲がった、その時の横顔は覚えている。彼はJFK.Jr (故ジョンFケネディの息子)であった。その後、彼は自ら操作する小型セスナ機で大西洋に消えて逝った。

 1991年に放映されたオリバーストーン監督の “JFK” が公開されJFK暗殺事件の真相というテーマが公のものとなった。1996年、当字の友達と一緒にテキサス州のダラスを訪れた。実際にJFKが暗殺された場所に立ってその横に建っている当時教科書倉庫だったビルや前方の駐車場に立って現場検証みたいな事も行った。

 ケネディ大統領が残したもの?

それは結果として大きなスズメバチの巣を太い棒で叩き割った一撃だ!

...

 

 その事件(1963年11月22日)から50年の時間が流れた。

 

2013年11月19日、東京。

【AFP=時事】米国の故ジョン・F・ケネディ元大統領の長女、キャロライン・ケネディ新駐日米大使(55)が19日、皇居で天皇陛下にバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領からの信任状を手渡す信任状奉呈式に臨んだ。

 

このパレードが50年前のダラスからの延長に感じる。

 

時代は明るい方向に転換したのではないだろうか?

 

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3,000,000

2013年11月20日 | VINTAGE CARS

3 Million Miles!

1966 VOLVO 1800S

 ニューヨークのロングアイランドに住むIrv Gordon 氏の愛車ボルボ1800S1966年製のオドメーター(走行距離)が、今年の9月に 3,000,000マイル(4,800,000キロ)を超えた。3ミリオンの達成の記念場所はアラスカのSeward ハイウェイであった。

 

 今月号のHemmings Motor News ではこの快達を表紙のトップで伝えている。47年前に地元のボルボのディラーから購入したこの1800Sは今日までエンジンのオーバーホールを2回シートの手直しと張替えを1回、前後の下部の塗装直しを数回、その他にも多くの修理や消耗品の交換を得て今日に至っている。

 この快挙は VOLVO 社にとっても嬉しいニュースである。

こちら のボルボ のサイトでもビデオで紹介されています。

 

 古いボルボの耐久性とオーナーが維持を諦めなかった結果である。

一台の車を47年間使用し、3百万マイル走破は驚きである。

更に、この車体の美しさには驚きが加わります。

 

この数字を耳にすると、

ランドクルーザーの走行距離が30万、50万、というのは、

もう、ではなくて、これから、という事なのです。

 

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BANTAM JEEP

2013年11月19日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 アメリカ東部の広大な森林地帯であるペンシルバニア州。この州の西側に1万4千人程の Butler という小さな街がある。この小さな街はアメリカのジープの歴史を語る時には外す事が出来ないジープ史の街なのである。最近、このバトラーという街はアメリカのジープ乗り達から更に注目されるようになってきた。

 

 

 その理由は今年3回目を数え大成功を収めたたジープイベントBANTAM JEEP HERITAGE FESTIVAL の運気と共にあるからである。

 3回目の今年は6月14日から16日までの3日間、登録されたジープの参加だけでも全米31州とカナダから1557台、訪れた人の数は不明だが写真から見ると毎年ユタ州モアブで開催されている EASTER JEEP SAFARI よりもはるかに人の動員数は多いと思われる。

 

 ところで、BANTAM JEEP というのは何?

以下、詳細はwiki の記述から、

1940年、アメリカ陸軍需品科はポーランド侵攻におけるキューベルワーゲンの活躍に注目し、同年7月に135社の自動車製造会社に大まかな設計要件を伝え、4輪駆動の小型偵察車開発計画に応札することを緊急要請した。しかし開発期間と要求スペックは厳しいものでゼネラルモーターズもフォード・モーターも応えられず、アメリカでは主流から外れた小排気量の小型車に関するオーダーでもあったため、オファーに応じたのは中・小型車メーカーのウィリス・オーバーランド社と、元来小型車メーカーで経営不振に喘いでおり、延命手段を必要としていたアメリカン・バンタム社のみ、しかもウィリスは開発時間と条件の厳しさから途中で入札を取りやめるという始末であった。

要求スペックには「地雷を踏んでタイヤ4本のうち2本を失った場合でも、スペアタイヤを含めた残り3本で100kmの走行が可能であること」「車載工具ですべての修理が可能であること」という条件が入っていたという。開発を委ねられたものの十分な設計能力を欠いたバンタムでは、社外の自動車設計者カール・K・プロブストを招聘、彼を中心に突貫作業で開発を開始した。プロブストは、軍の提示した条件から部分的に逸脱することも辞さず、頑丈で悪路に強い4輪駆動小型軍用車の促成設計を目指した。問題は車両重量で、軍の提示した当初のスペックは自重1,275ポンド(≒585kg)という、要求された走行性能や荷重を配慮すると絶対実現不能な値であった。プロブストはこれをあっさりと無視し、自重1トン弱(2000ポンド級)で現実的な車両開発を目論んだが、結果としては賢明であった。

シンプルなはしご型シャーシに、前後とも縦置きリーフ・スプリングで吊られたリジッド・アクスルを備える単純堅牢な構造とし、社外のエンジン専業メーカーであるコンチネンタル製の小型車用サイドバルブ水冷直列4気筒を搭載、簡易なオープンボディを架装した。この基本構成は以後の第二次世界大戦型ジープに踏襲されることになる。エンジンに限らず、小型車用の汎用部品を多用して開発期間短縮が図られた。

 

バンタム最初の試作車はわずか2か月足らずの期間で9月21日に完成、9月23日の納入期限最終日に自走でメリーランド州ボルチモアの陸軍補給基地へ到着、納入された。その後1か月に及ぶ過酷なトライアルによって、基本性能の高さが確認された。

これによって増加試作車の生産が計画されたが、弱小企業であるバンタム社の生産能力を危惧した陸軍は設計図をウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社にも公開し、改良を命じた。2次試作車はバンタム、ウィリス、フォードの競作となった。バンタム社は自社プロト車の改良型を、また、ウィリスは「クァッド」(QUAD)、フォードは「ピグミー」(Pygmy)と称するプロトタイプをそれぞれ11月中に開発、提示。各車ともバンタムの原型に近似していたが、重量超過問題はウィリスもフォードも解決しようがなく、結局は軍が自重制限を2,160ポンド(≒981kg)に大幅緩和して、強度確保を重視した設計に転換できることになった。

3社はそれぞれ1,500台の増加試作車を発注され、バンダム社は40BRC、ウィリス社はウィリスMA、フォード社もフォード・GPと呼ばれるプロトタイプを緊急生産した。なお、従前はフェンダー上に配置されていたヘッドライトをボンネット内にグリルと共に配置した機能的デザインはフォードGPが起源で、以後のジープの独特な容貌を形成する端緒となった。1941年上半期に3社合わせて数千台規模の4輪駆動試作車がヨーロッパ戦線やロシア戦線で実戦投入され、詳細に評価された。7月、3社の試作車中でもっとも強力で性能が優れていると評価されたウィリスMAがトライアルの勝者となり、これに改良を加えたMBが正式採用される。フロントノーズのデザインはフォードGPの流儀が取り入れられた。

1942年から同一仕様のウイリスMB、フォード・GPWの生産が始まる。フォードは絶大な大量生産能力を買われてウィリスと完全互換・同一仕様での製造を委託されたものである。ただし全ての部品に社名の頭文字であるFの字が見られる、1942年型(スクリプトフォード)には車体後部に大きく社名がプレスされている、シャーシのクロスメンバーがMBより一本少ない、最前部クロスメンバーの作りが異なるなど、互換性を残す範囲での独自設計となっていた。バンタムは企業規模が小さいため、ジープ生産からは外され、より生産量の少ない大型の軍用車生産を割り当てられた(戦後、同社は倒産した)

以後、第二次世界大戦終戦までに膨大な台数のMB・GPWが生産されることになる。

 

アメリカンバンダム社という規模の小さな自動車会社が、

Butlerという街に存在していた。

 

WWⅡ時、アメリカ陸軍需品科の呼びかけに応えたのはバンダム社のみであった。

 

1940年9月21日完成、

一番最初のジープの試作車がバンダム社によって納品された。

ブロブスト氏がジープの基本構造を設計。

 

その設計図が基となって、2回目の試作が行われた。

2試作車はバンダム、ウイルス、フォードの競作となった。

3車はそれぞれ、バンダム40BRC、ウイルスMA、フォードGP の名で生産した。

 

結果、採用されたのはウイルスMP とフォードGPW であった。

 

バンタムというのは、

一番最初にアメリカでジープを手掛けた会社なのである。

 

そしてこのバンダムを元にAK10が生まれたとwikiの記述にはある。

同年中に日本陸軍がフィリピン作戦にてバンタムMk II(BRC-60)を鹵獲、内地に持ち帰る。これをコピーするようトヨタ自動車に命じ、1944年8月にトヨタ呼称AK10型として試作車5台が出揃い御殿場で試験された。その結果、陸軍・四式小型貨物車として制式採用されるが極度の資材欠乏と労働力低下から生産が間に合わずジープのような活躍の記録はない。

戦時中、トヨタによって少数が生産された日本陸軍四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際軍部から、敵方との識別のため「外観はジープに似せない事」とする旨の指示があった。機能がそのまま外観に表れるジープでは、それは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、木材なども用いた簡易な外装に一つ目ライトと言う、いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。

「AK10型」はフロントにリーディング・アーム+リジッドアクスルのサスペンションを持ち、AE型乗用車のC型エンジン(初代 4気筒 2585cc)と3速T/M、2速T/Fを組み合わせていることからも判るとおり、BJ型以降のランクルとの直接のつながりは無い。

また、トヨタは、KYC型トラックとそれをベースとした水陸両用トラックの陸軍「スキ」(1943年から198台生産)でも4輪駆動(総輪駆動)車を手がけた経験があり、AK10型とは異なり、トラックであるこれらの構成はBJ型に通ずるものがあるかし、このAK10とランドクルーザーの設計面での繋がりは否定されている。

 

ところで当時、アメリカの陸軍需品科がなぜ、

ジープを開発を始めようとしたのか?

 

それは、ヨーロッパのキューベルワーゲンの存在に脅威を感じたからだ。

 

では、

キューベルワーゲンが無ければジープも生まれなかった?

 

誰がキューベールワーゲンを生み出したのか?

それは、あの

 

 

フェルディナント ポルシェ

ポルシェ設計事務所である。

 

しかし、

RRのワーゲンとFRのジープは使用目的は同じでも車の構造は異なっている。

 

よって、

現在のジープの起源はやはりバンタムであると言える。

 

戦後のジープブランドは複雑な経路をたどって今日に至っている。

ジープという名称を理解するには、

終戦の前と後で整理するのが良いかもしれない。

第二次世界大戦後、ウィリス・オーバーランド(Willys)社が商標を所有していたがウィリス・オーバーランド社を1953年にカイザー(Kaiser)が買収し、社名をウィリス・モーターズ・インコーポレーテッドとして子会社化。1963年にはカイザー自体が社名を「カイザー=ジープ・コーポレーション」とした。カイザー=ジープ社は1970年にはアメリカン・モーター(AMC)に買収される。AMCは1980年にはルノー傘下に入り1987年にはAMCがクライスラー社に吸収され、クライスラー社も1998年にダイムラー・ベンツと合併しダイムラー・クライスラーとなった。2007年にダイムラー・クライスラーはクライスラー部門を米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却、現在はクライスラー(Chrysler LLC)の一部門・ブランドである。

 

Butler は、

JEEP HERITAGE を語るに相応しい場所。

 

Butler そこは、ジープ発祥の地。

 

今後もジープのメモリアル(巡礼地)として、

多くの人(巡礼者)を惹き付けるであろう。

 

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秋の終わり、穏やかな朝

2013年11月18日 | ロクマル日記

今朝は秋の穏やかな朝を迎えた。

こんな日は特別にロクマルを動かしたくなる。

さて、少しその辺を廻ってこようかな。

 

運転席の窓を開けて10分程街をゆっくりと流す。

11月も半ばを過ぎようとしているが、今年は穏やかな日が続いているな。

 

赤信号で停まり、緑に変わって次のコナーを曲がった所で、

なにやら車が数台列になって停まっている。

 

...今朝は渋滞か?

 

その一番背後に車を付けて前に進むのを待っていた。

車が少しずつ前に進む度に辺りはジョジョに暗くなってきた。

 

... 

来るかな?

 

ドアを閉め、窓をしっかり閉めると、

 

来たーっ!

 

フロントボンネットと窓に激しい水しぶきが叩きつけられ、

それはやがて屋根の鉄板を叩く音へと拡大した。

 

雨は上から降るものだが、横からも水が飛んでくる、

これは大雨を超えた現象である。

 

視界は全く利かない!

車は動かす事が出来ずに、

ただこの状況が過ぎ去るのを待つだけの状態である。

...

 

地球温暖化とこの現象は、

何か関係があるのだろうか?

 

...と、思ったりもする。

 

激しい、イナズマが...

車が揺れます、 

車は自分でコントロールする事が出来ない。

ただ、ただ、この状況が過ぎ去るのを待つだけだ。

 

 やっと小降りになり、

次は激しい風が轟音と共に吹き出した。

 

ゴーーーッ!

ブオオオー!

...(

 

 

 と、いう過程をえて、

洗車場(CAR WASH)のブースをくぐって来ました。

 

ボンネットに写る街の光景が眩しいです。

今年最初で、おそらく最後の洗車でしょう。

 

洗車は慣れないものでして...(汗)

 

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ロングアイランド ドライビング 6

2013年11月17日 | LONGISLAND EXPRESS

 紅葉の美しい季節も終わり季節は寒い冬に向って流れてゆく。ニューヨーク周辺の美しい四季の変化を楽しみながら、ステアリングを握る。季節が流れ、車が流れ、そして人生も流れて行く。

 カメラの中の写真を整理しておく事にしょう。

 

多く見かけるタコマ、ロングベッド。

コマッタ事にカッコイイです。

 

タコマ、ショートベッド。

実用されています。

 

鯨の様なタンドラです。

 

ダットラ(ニッサントラック)です。

 

80年代のダッジトラック、

使い込んだトラックには味があります。

シンプルなトラックが好きです。

 

おっ!こいつは!?

 

リフトアップされた、フォードのF-250

デカイ、そして速い!迫力あります。

 

得たいの知れないフォードのバン、

作りかけて断念した感がある。

 

ピックアップといえばトーイング、

大きなエンジンと強靭なシャーシーはその為にあります。

 

横を走るのは、グレィハウンド、

...バスです。

 

コカコーラのトレーラーです。

 

最近のトラックで目に付くのがこのナットキャップ。

威嚇されますが、穴掘り機の様です。

俺に近づくな、というサインか?

  

前を行くのは車だけではありません、貨物列車です。

 

GERSHOW

ハンドルから手を離して、手を合わせたくなります。

合掌、と書いてありますので。(笑)

 

以外と希少ない、LC200

 

サーブ9000、

最近見ないですねぇ。

 

クライスラー系かなぁ?

 

ご存知?FISKER です。

 

アストンマーティンです。

 

コルベット スティングレィ です。

 

 

ランドクルーザーFJ62

大切に使われている様子で、嬉しいです。

 

路上を走る車を観る事は楽しい事です。

安全運転で行きましょう。

 

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LAND CRUISER MAGAZINE

2013年11月15日 | 日記

 日本で発売されているランドクルーザーマガジンが、SUVマガジンとして総合誌となったと聞いた。ランドクルーザーマガジンという名称が市場から消えた事は残念だが、雑誌を継続する為には変化を受け入れなければならないという事も時代の波であるのだと思う。日本での4x4に対する関心の行方は何処に向っているのであろうか?

 

 参考までに...

 ユーロアジア大陸をはさんだ西の端に位置する英国。

そしてその英国での4x4に関する意識は実に明確である。

 

 

 英国で4x4と言えばランドローバーである。その英国ではランドローバーオーナーインターナショナルランドローバーマンスリー、ランドローバーワールド等のランドローバーの専門誌が複数存在している。それらの約250ページに及ぶ記事と写真のほとんどはディフェンダー、シリーズⅠⅡⅢ、ディーゼル デスカバリー、及びクラッシック が占める。そして最新型のレンジやクロスオーバーの占める割合は非常に少ない。更に、それでも英国人は飽き足らず今年の夏には更にクラッシック ランドローバー なる古いランドローバーの専門誌が創刊された。勿論英国にも総合4x4マガジンは幾つか存在しているが、ランドローバーの専門誌に比べると存在感は薄い。

 

 つまり、英国では4x4に対する人々の関心は最新のSUVには無い! という事実。

 しかし、それではまずい!という事でジヤガーランドローバー社は新型のローバーを駆ってエクスペデッション等のイベントを活発に行っている。

 

 現在の現象を整理するには、

現在のSUVと過去の4x4を分けて捉える事が必要である。

なぜなら、

異なる客層であるからだ。

 

現在の快適なSUVを好む人々(多数派)と、

本質的な4x4を求める人々(少数派)。

そして、多数派に属する人々はいちいち雑誌などは購入しない。

雑誌などの媒介を求めるは少数派の人々なのである。

よって雑誌は彼らが願う方向に自然に編集されていくのである。

 

 ランドクルーザーを世界に売っている日本でランドクルーザーマガジンが無くなった事は残念だと思う。僕は継続出来なくなった理由は日本という国境を超える事が出来ない現実の壁があったのではないか?と思っている。そしてもう一つは現在が4x4に対する混沌期である事。少数派と多数派の間を行き来しながらその中間に収まろうとした結果であると感じている。

 もし、未来においてランドクルーザーマガジンが復活するとなると、少数派の為の世界的な視野を取り組んだ内容になるのではないだろうか。そう願いながら僕の中ではランドクルーザーマガジンは廃刊になったのではなく、ただ今休刊中!という事で胸に収めておきたいと思っている。

 

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1971 Land Cruiser FJ55

2013年11月14日 | LANDCRUISER

 美しい旧車の存在には2つの流れがある。一つはレストレーションを施したもの、そしてもう一つはオリジナルを保っているもの、の2つの流れである。

 この1971年の FJ55 はオリジナルを保っている。製造されてから40年の歳月が過ぎており、走行距離も122500マイル(約20万キロ)と決して少なくはない。多少の手直しがされているとは思うが、この車のオーナーが大切に使用してきた経路があるのであろう。旧車探しをトレージャーハンター(宝探し)と言うが、まさに未再生の美しさを保っている車体に出会う事は宝に出会った事に値する。

1971 Toyota Land Cruiser FJ55, by e-bay motors

 

 

I AM SELLING MY 1971 FJ55 ( Build Date 1 / 1971 ), VIN NUMBER: FJ5519787 / 2F ENGINE NUMBER: 2F668416. What your looking at is ALL ORIGINAL PAINT, NEVER PAINTED SINCE FACTORY. The Cruiser has ZERO CANCER and only light surface rust in some areas. The roof gutters were lined with protective coating years ago by PO and show NO signs of cancer rust at all. The UNDERCARRIAGE is also Rust Free. The quick story is that this FJ55 lived in Palm Springs almost its entire life until brought over to San Diego area in 2011. The Original owner's daughter blew up the F engine sometime in the late 70's, early 80's. It then sat in the owners garage for approx. 29 years.

1971年に工場を出た時のオリジナルペイント、錆は全く無し。カリフォル二アのパームスプリングという砂漠のリゾート地で使用されていたFJだが、80年代の初頭から約29年間ガレージで眠っていた。

やっと、今冬眠から覚めました。

 

非常に希少なFJである。

Original(オリジナル)

Original Paint (オリジナルペイント)

 

この響きは実に重いと感じる。

 

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BEATLES CARS

2013年11月13日 | VINTAGE CARS

 英国のCLASSIC AND SPORTS CAR 誌の11月号で ビートルズ カー が紹介されている。ビートルズの四人が現役時代に自らステアリングを握っていた愛車である。メンバーは車を複数所有していた事は事実であるが、その中でも特別な一台である。

車を観ながらメンバーの顔と性格を想像するのも面白いかも知れない。

 

Baby, Drive my car!

24th Oct 2013
 
ビートルズ、再結成!
 
(彼ら4人の愛車が集合した、という事です)
 
 これらの車は英国のランカスター保険会社が主催したクラッシックカーショーで紹介された車である。それを今回クラッシックアンドスポーツ誌が11月号の誌面で取り上げた。

Four cars that once belonged to members of The Beatles will be reunited on the Classic and Sports Car stand at this year’s Lancaster Insurance Classic Motor Show. The Fab Four were originally brought together for an article that appears in the November issue of the magazine. They were photographed at Cliveden House, where some of the filming for ‘Help!’ took place.

John, Paul, George and Ringo each indulged their passion for cars as their fame and wealth grew. Their collections included Jaguar E-types, Mini Coopers and even a Hispano-Suiza limousine, but C&SC will display four fabulous GTs.
 
 
 
ジョン レノン
 
John Lennon’s 1968 Iso Fidia is one of two that he owned, and he bought it for £6150 at the ’67 Earls Court Motor Show. According to his first wife Cynthia, Lennon’s driving skills apparently left much to be desired, which must have made being a passenger interesting in this 5.3-litre Italian-American hybrid.
 
 
 
ポール マッカートニー
 
Paul McCartney’s 1966 DB6 (アストンマーティン)has been the subject of a comprehensive restoration by Aston Martin Works. The car’s reel-to-reel tape recorder was removed and placed in secure storage as part of the rebuild. It was on this device that McCartney began to piece together ‘Hey Jude’ while visiting John and Cynthia at St George’s Hill.
 
 
 
 
ジョージ ハリソン
 
(グループの中で、一番の車好き)
 
George Harrison was without doubt the biggest petrolhead of the four, and he purchased his gorgeous Giallo Fly Dino 246 soon after the group had split up. The ‘quiet Beatle’ kept the car for four years and was often seen driving around Henley in the V6-engined beauty.
 
 
 
リンゴ スター
 
Ringo Starr purchased his Facel Vega Facel IIat the height of Beatlemania in 1964. The UK distributor gave away a gold lighter with each car and, when this example was delivered to his Weybridge home, Ringo’s first question was apparently, “Got my lighter?” Despite having only recently passed his test, Starr used to indulge in high-speed runs up and down the M4.
 
 
ビートルズと言えば勿論音楽だが、彼らの使った車を観るのも楽しい。
 
 
同時にその時代の空気や臭いも感じられる。

 

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トヨタ、ラダーフレームの意地 (維持)

2013年11月12日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 トヨタの生産するラダーフレームSUVの数字の話である。

北米で販売されているトラック構造を持ったトヨタのラダーフレーム入りSUVは、

 

4 RUNNER

 

FJ CRUISER

 

SEQUOIA

 

LAND CRUISER

の4種である。そしてこの4種の2012年における販売台数の合計は、

78,457台である。

この数字だけを見ても良く分からないので比較してみる。

以下はモノコック構造のトヨタSUVである。

 

 

HIGHLANDER

121,055台

 

RAV 4

171,877台

という結果である。

4 RUNNER と RAV4 の合計は292,932台となる。

この数字から見ると、

燃費の良いモノコック構造のクロスオーバーが売れている事が分かる。

 ...

ラダーフレームのSUVは売れない時代になったのだろうか?

 

参考までに、ジープラングラーの2012年の売り上げ数は?

141,669台

近年売り上げの数字は伸びています。

ラダーフレームだから売れないという事は、このアメリカにおいては通用しない。

 

このジープラングラーの売り上げ数に対してFJ CRUISER は、

13,656台と10分の1以下です。

 

しかし、

タコマに注目すると、

タコマの販売台数は141,365台とラングラーに匹敵する売り上げ数となる。

タコマはトヨタのラダーフレームの中で最も人気のあるトラックである。

 

そのタコマであるが、来年はモデルの再編が計画されている。

 

TACOMA X-RUNNER は2014年のカタログから消える。

そして2015年からは,

 

 

TACOMA REGULAR CABS

も、商用を残して消えて行く事になる様子。

 

 変わりつつある?アメリカのラダーフレームの 世界ではあるが、ラダーフレームが人気が無くなったのではない。それはフォードF-150などのトラックの人気の回復を見ても分かるがラダーフレームはの需要は以前として高い。

 

ラダーフレーム車を市場にキープし続けるトヨタの姿勢は挑戦でもある。

 

数字やトレンドから観えてくるもの、

それは、

モデルを継続させる事は容易ではない!

という現実。

 

60年、レジェンド オブ ランドクルーザー

 

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ニューヨーク シティ マラソン

2013年11月11日 | 日記

40を過ぎると男は走り出す。

 と、昔誰かが言っていた。しかし、実際に走り出す男は尊敬に値する。

体力の衰退期に差し掛かりながら体を鍛える事によって若さを保ち気力を維持する。

走る事が生活の余裕となる、体力的にも気持ち的にも。

走り出す事、また、それを続ける事は修行的な事かもしれない。

 

 私の良く知っている年配の方が先週ニューヨークシティマラソンを完走された、タイムは5時間と少しを要した。もう少し真面目に走れば5時間を切ったのにぃ、と悔しがっておられた。

 

 ニューヨークシティマラソンはニューヨーク市の5つの区、スタテンアイランド、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、マンハッタンを走破するマラソンである。昨年はハリケーンの為に中止となったが今年はマラソン史上において記録的な5万人を超す出場者で街はあふれた。

 その方の年齢は50台の後半である。マラソン(ジョギング)を始めたのが40台の後半。フルマラソンに参加される位だから毎日走っているのだろう?と思うが、仕事が忙しい為に練習は、天気の良い週末に限って時に一人で、時にはクラブのメンバーと共に10キロから16キロ程走り込んでいる。

 

 

 続ける為には無理をしない方がいいんですよ、年もありますけどね...。

 あと、楽しくないとダメですね...面白くないと。

 それと、目標がないとダメかな?年に2回のフルマラソン参加、

毎月、5キロとか10キロの大会に出ますよ。

 あっちこっち行ける?しね。ホノルルやパリとかも...走りに、

何時まで走れるか分からないけど、体力が続くまでやりたいなぁ。

 

いやっー、目標があるっていいスねぇ。

やる事があるって幸せ!ですね。

 

...でもね。

 

その代わり、俺ってタバコも酒もやらないだろ、

お昼ごはん(ランチ)だって外食はしないんだ。

コーヒー一杯だって店では買わないよ。

それは、走る為だ。参加費や旅行代だって高いよ。

 

その徹底ぶりに、頭が下がります。

 

ねえ!...所で、君も一緒に走らない?

楽しいよっ!

 

走ってますよ!(汗)

...車で。

 

 中年男のテーマは、

とにかく、一歩踏み出す事、かな。

 

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