ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

耐久ドライブ

2015年04月28日 | 日記

 

 本日は日帰りの仕事の出張。ニューヨーク州の北西、カナダに近いオンタリオ湖に面した街まで車で出かけて来た。片道約400マイル(640キロ)所要時間は6時間程掛かる予定、途中で休憩を入れると7時間程掛かると思っていた。今回僕は助手席に深く腰を沈めて、半起半寝の状態で珈琲をすすりながら、流れ行く遅い春の樹木を眺めていた。2~3時間程すればトイレ休憩か珈琲を買いたいなどと言って運転交代要求の待機を気持ちの中ではしていたのだが、この運転手はそういった気配を全く見せない。

 

おい、大丈夫か!運転替わろうか?

トイレ行くか?珈琲はいらんかえ?

 

ノー プロブレム!

俺はOKだ!

......

 

ポリスカーも平気でぶち抜いてゆく!

 

おい!

チケット(スピード違反)もらうんじゃねーぞ!

 

ノー プロブレム!

...

  

5時間以上ぶっ通しで走り続けて予想到着時間よりも早く目的地に着いてしまった。

時間は午後。仕事が終わって帰路に、昼食の後という事もあり眠くなる時間帯。

 

 いつでも運転変わってやるから、疲れたら止まれよな!

 

ノー プロブレム!

......

 

 結局、帰りも無休運転で5時間代で帰ってきた。今日の帰宅は夜中だと思っていただけに、陽がまだ沈んでいない内にスケジュールをこなした事は驚きであった。眠気に襲れない、トイレを主管出来る。珈琲もガムもビーフジャーキーも要らない。水もタバコも...。

 

おまえ本当にタフだなぁ、

どうして?

 

どうしてって、これが普通だよ!

 

普通な訳ねーだろ!

 

実は彼、元レーサー(自称)です。

昔はレーシングカーでサーキットを走っていました。

 

レーサーの走りというのはこういうものなのだ。

ということを教えてもらいました。

 

そして、分った事があります。

それは、

 

僕はレーサーには向かない、という事です。

 

...精神力弱すぎ

 

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ジョンレノンと共に歩く午後のセントラルパーク

2015年04月26日 | NEW YORK

 4月も後半だというのに朝の最低気温は5度を下回る。今年のニューヨークの春はゆっくりと通り過ぎていく感じかな。うららかな春の昼下がりではなく、まだ肌寒い春の昼下がりではあるが、活気のあるニューヨークセントラルパークを散歩してみた。

公園には沢山の淡い花が咲き人々を惹きつけている。

 

 

 街の中の公園といってもマンハッタンの都市の面積から見ると広く、公園を一廻りすると10キロの距離があるので、散歩にはある程度目標を持った方が良い。今回は街の中心の5番街から公園を横切る形でランダムに歩いてみた。

 

 公園内に足を引き寄せる一因はこの満開の桜。

 桜の木の下に来ると甘い臭いがする事を期待したのだが、この日は肌寒いせいか?臭いは感じなかった。そういえばミツバチは見なかったな。

 

 公園内には色々なアート作品や記念碑があるが、この丸いめがねを掛けた無名の造形物を見て、久々にメモリアル広場(ストロベリーフィールズ)に足を伸ばして見る事にする。

 

この曲を聴きながら散歩を続けましょう。

 

 

Imagine   by: John Lennon

 

御一緒にどうぞ!

 

 公園のあちこちにはこういった自然の岩石がむき出しになっている。マンハッタンという場所は巨大な岩石の上に載った人口都市なのである。まさにニューヨークという街はタートルアイランドだなと感じる。

 

 5番街に面した場所にある第一次大戦のメモリアル。世界にはまだまだ多くの戦争や紛争が存在するが、こういったメモリアルを観ると当時を生きた人々の情景が浮かんでくる。平和というものは時代の一つの光景なのかも知れない。

 

 道端に燃える様に咲いているレンギョウ。咲き誇る花は歴史を超えて色の原色を人々に提供してきた。明るい黄色のこの花がニューヨークのタクシー(イエローキャブ)の元になったのだ。と、誰も言わないが自分で勝手に思ったりした。

 

ストロベリーフィールズにやって来ました。

この公園の一角はビートルズの名曲、ストロベリーフールズフォーエバーからきています。

確かに一角の形が苺に似ていない事もない。

つーか、苺のつぶつぶの種か?

 

 永遠の苺畑という場所ですが、苺などは何処にもありません。

...

 

おや!

どこからかビートルズの歌が実際に聞こえてきます。

 

曲は、Let it be です。

名物おじさんなのでしょうか?

...

 

幾人かの若者達が一緒に口ずさんでいます。

 

ジョンレノンのメモリアルには今日も訪れる人が途切れる事はありません。

ここはセントラルパークの名所となっています。

 

なぜ、この場所に人々は惹き付けられるのであろうか?

 

I M A G I N E

 それは、ここに物語(歴史)と理想があるからだと思います。

 このイマジンの白と黒のモザイク模様を見ると頭の中に IMAGINE の曲が聞こえてきます。ジョンレノンの肉体は消滅しましたが、彼の残した曲とその曲に込めらた理想というか理念はメロディと共に生きているからです。

 

  この場所から西側(向う)に見えるあの建物がダコタハウスです。

 セントラルパークのこの辺りはジョンレノンが生前に散歩をしながら新曲のインスピレーションを受けていた場所かも知れません。

 

そのダコタハウスですが、現在は外装修繕工事中でした。

 130年前(1884年)に立てられたマンションですがメインテナンスを経緯しながらも現在も住居として存在しています。

 

建物の周りに多数施された髭のおじさんとドラゴンの装飾。

装飾に使われている蛇に叡智を感じます。

 

この玄関が1980年の12月8日に、

ジョンレノンが次世界に旅立った場所です。

 

...祈、

 

彼は IMAGINE の詩の中に彼の思想を残して旅立ちました。

 

1981年の春のニューヨークのセントラルパークにも多くの花が咲き乱れた事でしょう。

彼は81年の春を迎える事は出来ませんでした。

 

 2015年の春。ニューヨークのセントラルパークに咲いたモクレンの花を見上げながら、ジョンレノンが IMAGINE の中に込めたメッセージに触れた。それは一本の木の姿そのものではないかと思った。彼もきっと美しく咲いた春の風にゆれるモクレンを見上げながら心に浮かんだ心像を掴んで歌にしたのであろう。

 

...などと、勝手に思ったりした。

 

ある、寒春の午後の妄想。

 

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HAPPY HAPPY HAPPY HAPPY HAPPY

2015年04月20日 | ランクル ドライブ

 

 ニューヨーク周辺の郊外にはカエデの木の森が続いている。春の到来と共に木の枝から噴出すのは紅色の小さな花である。この花を遠方から眺めると森全体が薄っすらと赤くなっているのが分かる。緑葉が始まるまでの薄く淡い光景が春の暖かい日差しと混ざって心に一時の平和感を与えてくれる。何処からともなく耳に届く鳥の活気ある泣き声を聞く時に、しばし足を止めて耳を澄ましてみると森の生命の喝采を感じる。

 

休日の朝7時前、快晴。

さあ、ドライブに行こう!

 

新しい風を感じながら、街をクルージング。

街の樹木は沢山の花で溢れている。

レンギョウ、モクレン、桜、梨、

春の花の色というのは活気があって賑やか、

それでいて優しい。

 

先週、あるメキシコ人の仕事仲間がこんな事を言っていた。

 

人生は難しくないよ、

人生はハッピーなものなのだ。

が、

人は人生を難しくしてしまうんだ、

考え方によってね...。

 

ところで、そういうお前はハッピーなのか?

 

と聞くと、

 

挑戦中だ。と、

 

...正直でよろしい。

 

 

 そういう会話を思い出したのも、

ラジオからこの曲が聞こえてきたからである。

窓を開けて、ボリュームを上げる。

 

HAPPY- HAPPY- HAPPY-...

 

ステアリングから手を離して手を叩く、

 

春が来ただけでも結構HAPPYです。

今週も生活の中でHAPPYを探したいです。

それらを見つける事がHAPPYな事なんだと思うね。

 

今週もがんばろ!

 

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十字架と蛇 2

2015年04月16日 | 日記

 

 アルファロメオのロゴには大いなる秘密が隠されている。

 

 それは背筋がゾクゾクとする様な興奮でもある。ただ、僕がそう感じただけであって真実は全く意図しない所にあるのかも知れない。そしてこのロゴマークはクルマ造りやスポーツカー、レーシングカー、とは無縁である様にも感じる。アルファロメオのロゴマークは創設以来一世紀(100年)以上の時間、このロゴを保守してきたが、それは神の意思であるのではないだろうか。

 

ところで、なぜ、

十字架と蛇なのであろう?

 

白地に赤の十字架は、

ミラノの街のシンボルです。

 

そして、蛇はイタリアの貴族VISCONTI 家の家紋です。

王冠を被った大蛇が人を食っています。

現在のロゴでは蛇が火を吐いている様に見えますね。

 西洋圏の人々のこのロゴに対する見解はキリスト圏とアラブ圏の対立で、蛇に食べられているのはサラセン人(アラブ人)だという説もありますが、それは歴史的に十字軍の遠征などで対立してきたヨーロッパとアラブの感情が篭った理解であります。

 

これが実際のウィスコンティ家の家紋です。

蛇はちょっとグロテスク、怖!

 

1910年

 

ところで、家紋の蛇はなんなのだろうか?

 

蛇の意味は2つあります。

それは森の守護者、アミニズムの象徴

そして、冥界のシンボルです。

 

1915年

 

古代地中海周辺には蛇信仰が多く有りました。エジプトも蛇を信仰していました。

太陽、自然崇拝だったのですね。

中国や日本のユーラシアの東方においても龍や蛇は信仰の対象でもありました。

その本質は大自然(森)に対する畏怖です。

 

1925年

 

 蛇が冥界のシンボルという身近な話は、

 日本の太平洋側(陽が昇る東側)にある伊勢神宮は太陽の誕生を象徴します。日本海側(陽が沈む西側)にある出雲大社は黄泉の世界を象徴します。その出雲大社に大きなしめ縄が掛かっているのは冥界(死後の世界)を支配する蛇を象徴しているからです。

 

1946年

 

 今から3千年と少し前の時代に人々の意識の中に変化が起こりました。それまで、太陽や森、自然を崇拝していた人々が、森を捨てて自然を征服する方向性。そして、神々という多神教から一神教への変化が起こりました。一神教の人々にとって森のシンボルであった蛇は悪魔のシンボルとして置き換えられて行ったのです。

 

1971年

 

 ウィスコンティ家の家紋が蛇だという事でウィスコンティ家は悪魔の血統だと思ってしまった方もおられるかも知れません。この蛇が人を食らっている象徴は森を象徴する蛇と、自然を克服しようとする人間との対立を現しています。それはアミニズムの自然に従って生きていこうとする古代の価値観と、自然は人間の為にあるのだとして、自然を破壊し、利用して人間世界を繁栄させて行こうとする聖書的な価値観の対立を象徴しています。しかし、人間は意外とか弱い存在で、人は自然の力には勝てません、飲み込まれてしまうのです。

 

1982年

 

 ウィスコンティ家はキリスト教(一神教)が起こる以前から存在した血統であり、ヨーロッパにおけるローマからルネッサンスそして近代における時代を静観し、同時に干渉し続けて来た事でしょう、彼らの中核はここで挙げたキリスト以前の歴史観を保持している事は間違いありません。

 

2012年

 

 赤い十字架は一神教。蛇は自然崇拝。人は自然を克服して自然を消費し傲慢になったが、結果自然に生かされている存在でもある。そして地中海の海と空を感じさせるブルー。アルファロメオのロゴは地中海の歴史の縮小体そのものなのである。

 

 ではなぜアルファロメオはこのロゴを使用し続けるのであろうか?

 

十字架と蛇は全く融合しない存在であるにもかかわらず...

 それはアルファロメオという自動車会社の意図ではなくて、その背後にある血筋の意図である。それは具体的には十字架の民も自然崇拝の民も、聖書以前も以後も、全て統括したこのロゴは地中海の支配者の象徴なのである。つまりアルファのロゴは最強のシンボルなのです。

 将来何時の日か(今)このアルファのロゴの意図に気付くだろうとする一種のゲームみたいなものも感じる。

 

神は一神にて多神、多神にて一神

アルファのロゴは有史歴史の縮小体。

 力のシンボルです。

 

 そんなメッセージが聞こえてくる。

 

ロゴって面白いね、

 

...僕も創っちゃおうかな?

 

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十字架と蛇

2015年04月15日 | 日記

 イタリアはミラノを拠点としたアルファロメオがフィアットグループの傘下の元で再びアメリカ市場に姿を現す。市場に投入されるのは2シーターミッドシップスポーツカーの4Cシリーズ。4Cとは4気筒の意味。見た目はちょっとぽっちゃりしたロータスの様な雰囲気ではある。

 

 最大の特徴はこの軽量カーボンモノコックフレームにある。モノコック単体の重量は僅か65キロ。車体の重量は日本の軽自動車よりも重いが新型マツダロードスターよりも100kg軽い895kgである。車体は軽いが財布の負担は重いかも、と思ったりもする。

 

アルファロメオにはライトウェイトスポーツカーに対する歴史的な拘りがある。

 

1933年 8C 2300 MONZA

 

8気筒エンジンの当時のスポーツカーです。

1930年代のライトウェイト?

重量は不明

 

C4のフロントデザインの元になったであろう1965年TZ2

1.6Lフロントエンジンリアドライブです。ちなみに車体重量は620kg。

陽気なちょびひげおやじといった感じか...

 

 1968年 33 STRADALE

1967年から1971までに18台のみ生産された希少車です。

2LのV8で車体重量は700kg

 

 時代はスポーツカーの軽さの考察についてあまり焦点が向けられなくなってしまった。近年のクルマは安全性の完備や燃費重視、そして多くのコンピューター制御が搭載される故にクルマの排気量とパワーは大きくなった。クルマそのものの容積も一昔の車に比べると大きくなった。それは1980年代のランクル60は大きなクルマとして認識していたが、今日ではその大きさをミニバンなどの他車と比べて感じなくなってしまった事からも感じる。

 昔のクルマは運転して楽しかったという声を聞く時にそれは車体が軽かったから事からくる操作性の良さがあったのかも知れない。実際、Toyota AE86などは1000キロ未満の重量でロードスターと同じ程の重さであった。現在は軽さを手に入れる為には随分とお金が掛かる時代になったものだ。現在のクルマに有って昔のクルマには無い装備は多い、しかし、多くの物を得ている現在のクルマは軽さを失った。アルファロメオのライトウェイトスポーツカーはそれに対する挑戦なのであろう。

 

 そして、アルファロメオのライトウェイトスポーツカーに対する拘り以上に、アルファは創設以来拘っているものがある。それがこのアルファロメオのロゴである。

 

 ほほう...、

 

これは面白い意味が封印されているな、と思った。

 

 ...つづく

 

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ポルシェな休日

2015年04月13日 | VINTAGE CARS

 日中の気温が20度を超えるのは何ヶ月ぶりであろうか?空は快晴で肌に当たる風は柔らかく温かい。春の陽気が始った日曜日の朝、スニーカーを履いて外に出ると...。

 

 隣人のK君がガレージでなにやらごそごそしているではないか、

よおっ!

ポルシェは元気か?

 

 愛車の92年ポルシェカレラがボディの修正を終えて帰ってきたらしく、その光沢を角度と場所を変えて眺めながら一人で快悦感を楽しんでいる様に見受けられた。

 

なにっ、

ボディの目に見えない程の小傷の修正に一万ドル(100万円)払っただと。

すげーな、おまえ。

 

...だいじょうぶかよ?

とも思ったりするが、本人を前にしては言えない。

 

 彼はただ単なるクルマ好きではなく、ポルシェにたいしてクレージーな程恋をしており、物事を冷静に尚且つ客観的に考える事が難しい状態なのだ。これは、その対象が恋人であるか真紅のポルシェであるかの違いだけで誰もが通過する過程なのかも知れない。しかし、人生の中で何か夢中になる対象があるって事は実は し あ わ せ な事なのです。

 

 同じクルマ好きでも僕と彼は嗜好(思考)が異なる。

僕は、クルマにはそれ程金を掛けないで、美味しいメシでも食いにいこうぜ!派。

彼は、美味しいものなどは食べなくてもいい、とにかくクルマにはとことん拘りたい!派

お互いクルマに大しては異なる嗜好だが、クルマの話は尽きる事はない。

そうこうしている内に、

 

僕のポルシェに乗ってみるかい?

...

いいのか?

いいとも、

 

じゃー今直ぐに免許証を持ってくるね。

と、家に戻ろうとすると。

 

横に(パッセンジャーシート)にどうぞ!と、

...なんか怖いな、お手やわらく頼むよ。

 

レカロのシートに体を埋めて、背後から響く太いサウンドに心を打たれる。

 

...おいおい、そんなに噴かすなよ。

めだつじゃねーか!

 

俺って、低所恐怖性なんだよ。

スピード恐怖性でもあるんだぜ!

 

真っ赤なレーシーなポルシェが太いサウンドと共に静かな街の日曜日の朝の空気をかき回す。

K君の鼓動が20%程高くなっているのが分る

 

おい、これって憑依現象だよな、

自分をわすれるなよ!

おいおい、そんなに踏込むなよ。

コーフンすんなって、

 

路上の小さな障害を全て避けて走ろうとするので執拗にハンドルをこちょこちょと切る。

 落ち着け、落ち着け、

 

怖ええー、

と思った。

 

英語で怖いはスケアーと言います。

K君はポルシェの運転が

めっちゃ、好きゃねん!

 

でも、僕にとってポルシェの乗り心地は、

めっちゃ、スケァーねん!

...

 

赤いポルシェのステアリングを握ると人格が変わります。

ポルシェは人を冷静に摺るための訓練にはもってこいです。

 

ポルシェこそは優雅に乗りたいスポーツカーです。

あの、栄光のルマンの中に観る、スティーブマックイーンの様に。

 

 K君有り難う、

楽しかったとは言えないが...

怖かったよ!

 

そうか、今度はベアマウンテンに走りにいこうか?

...いい、いい、一人で行け。

Thank you!

 

 でも、スポーツカーのパッセンジャーシートに乗って色々と感じた事があった。スポーツカーを操ると言う事はハンドル捌きやペダルのフットワークの事ではないのだ。コクピットに座ってイグニッションを回すとタコメーターの吹き上がりとエンジンの太いサウンドによって心が高ぶる。一瞬息が止まり、まばたきが止まる。そういう高ぶる自分をいかにコントロールするか、自己を主管出来るかが詰まる所スポーツカーを操る、あるいは乗りこなすという事なのだろう。

 そういった意味でスポーツカーは自己鍛錬に良いのだ。

頑張れ、K君。

 

俺も他人の事はあまり言えない...

 

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ERNEST HEMMINGS

2015年04月12日 | 日記

ERNEST HEMMING 1926-2015

 Hemmings Motor News (へミングス モーターニュース)はアメリカの旧車エンタープライズでありその規模は世界最大である。毎月発行されるへミングス モーターニュース(印刷物)は旧車にまつわるニュース、市場価格、オークション情報、そして旧車パーツ、レストレーション、そしてクラシファイドと550ページ(2015年5月号)に及び旧車情報が満載され、それは情報誌というよりも電話帳の様な存在感が特徴的だ。

 今年の2月にヘミング モーターニュースの創始者アーネスト ヘミング氏が次世界へ旅立たれた。ヘミング氏は1945年に主にフォードT型、A型の部品販売を営んでいた父親の後継者として自動車パーツ販売に携わってきたが、もともとカーキチであったらしく、それだけでは物足らん!という動機(おそらく)で、1954年に4ページのモーターニュース(新聞)を創刊した。その後、読者(サブブスクライバー)は増加し、12ページ、24ページとページ数が増え続けて1960年代になると200ページを超えた。更にアメリカにおけるモータリゼーションと共に読者と広告主は増加し1960年代の終わりには経営件をWaterring Inc.に譲った。今日の運営はノースカロライナ州のシャーロットを拠点としたAmerican City Business Journals Inc.によって創刊から60年に及びこの自動車ニュースは衰える事無く継続されています。

 ヘミングスモーターニュースは雑誌の様な形態ですが本質は新聞なのです。アメリカという国がその広大な国土を持ちそこに住む人々にとっての(特に男達)にとっての楽しみとはなんでしょうか?間違いなく乗り物(クルマ.バイク)です。それを証明しているのがこのヘミングニュースでもあります。このモーターニュースの存在はもともと旧車を扱う内容ではなかったのだが、結果的にアメリカにおける車好きな連中の関心は2015年の今でも旧車である事も証明されています。

 

 2015年の5月号のヘミングモーターニュースにはヘミング氏の他界を機にモーターニュースの歴史を回顧する記事が書かれています。そしてこの誌のBuyer's Guide で取り上げられているのが スカイブルーのDATSUN 280Zです。Mr. Z (Zカーの父)と呼ばれる片山豊氏は今年の2月に他界されました。へミングス氏と片山氏が同時に乗っているこの5月号の表紙は偶然では無いような気がするのは僕だけであろうか?

 

 車文化の発展に偉大な功績を残された二方の冥福を御祈り致します。

 

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マンハッタンというオフロードコース 2

2015年04月08日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 気温は決して暖かくはないが、ジーンズにTシャツ、そしてスニーカー、ポケットに小型カメラを突っ込んでニューヨーク国際オートショウに出かけてきた。新車の乗用車には興味を抱かないが、ピックアップやデモカーには興味がある。会場のデスプレイや集客状態を客観的に見る事によって自動車市場のトレンドなどを感じる事も出来るが、それはビジネス的な視点というよりもお祭り的な視点であり、クルマを見る事が好きな自分にとっては好都合な機会なのである。

 

 JEEP。今回ジープに見たものは性能や機能ではなくて、その商売の上手さである。ジープはクルマを売ってはいるが、同時にカルチャーを広めている。それはジープを手に入れる事によって人生が更に楽しくなるという感覚である。それはオフロードビークルというのは大自然と人間とを繋ぐ媒介体であり、目の前に広がる大自然をいかに自分に取り込む事が出来るのかと問う時に、ジープに乗って大自然の中を走る事によってその自然を味わった気持ちになれるのである。英語では CONQUER (征服) DOMINATE (支配)という表現がよく使われる。つまり大自然をジープで走る事によってその自然を自分の物にしたぞ!という感覚が得られるのである。

 

 ジープはSUVではあるが、やはりジープである。その辺の差別化はきっちりとしておりオフロードをきちんと走る事が出来るという事がまず前提となっている。

 

 ラングラーの最高位に君臨する新型のルビコンはユタのモアブやシェラネバダの岩場を走る事が出来る仕様であるが、そのルビコンという名はそのままステイタスとなってしまった。

 

35度の傾斜を楽々と登るラングラーアンリミ

背後はコンクリートのジャングルです。

 

これは新型チェロキーの中から撮った35度の傾斜。

 ジープを運転しているおっさんの話題の焦点が、ジープに装備されている電子機能を使えばいかに楽々オフロードを走破する事が出来るかについてであった。ジープに装備された電子機能を使って起伏に満ちた路面を走破して、それがどうしたんだよ。という冷めた気持ちで話を聞いていたが、世の大衆にとっては『やっぱ ジープって凄い!』と感動する人が多いのだろうな、と思った。

 

 アプローチアングル、デパーチャーアングルなどジープ各種というクルマに合わせて整備されているのは分るが、それでも乗客は5分に満たないこのコースをジープに乗せられて走って感動する。

 

それは、このコースが非日常的であるからだ。

 このコースをジープに乗せられて廻る経験をする為には個人情報を入力しなければなりません。ジープにとって我々は将来の見込み客という事ですね。しつこい電話は疲れるが、ラングラーのカタログ郵送ならウェルカムです。

 

 100Mx100M程の広さがあれはニューヨークの都会のど真ん中でもスリリングな走行が安全に楽しめるという可能性をも示してくれている。ガードレールもちゃんとありますからね。

 

それにしてもよく出来ていますねこの起伏コースというのは...。

 

 ジープのターゲットは少年達でもある。子供の時に親子で乗ったジープは長く心の中に思い出と共に残るであろう。そこでヒャッと感じた驚きや車内の揺れなどは、おそらく一生忘れることはないであろう。そう思うとジープのマーケッテングというのは戦略的でよく考慮されたものだと思う。アメリカでジープが売れ続けている理由が分るというものだ。僕もジープ(ラングラー)が欲しいと思う時がある。しかし、手に入れようと決意出来ない大きな理由がある。それはその数(街を走るラングラーの数)が多過ぎると感じているからなのだ。

 

大自然を征服する為にジープがある。

...

しかし、ジープが征服したのは大自然(だけ)ではなくて。

その実態は大衆である。

 

つまり、ジープは大衆を征服したと言う事です。

 

...そこがジープの凄いとこなんスね。

 

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マンハッタンというオフロードコース

2015年04月06日 | ランクル ドライブ

 日中の気温が10度を超える様になった。今年の長い冬が終わっていよいよ春がやって来ようとしている。昨年に比べるとニューヨークでは春の到来は3週間程遅れている様に感じている。毎年この頃は街の中で多くの花を意識しなくとも感じるが、今年は何故か関心が薄い様な気がする。

 

 ニューヨーク(マンハッタン)の街をゆっくりとランドクルーザーで流す。平日は渋滞で切迫感があるマンハッタンも休日となれば穏やかである。マンハッタンのアスファルトやコンクリート或いは石畳の道は補修を繰り返しボロボロの生地に継を当て続けたような起伏が多くありオフロード車で走るのがちょうどいいと感じる。

 

 休日とはいえマンハッタンには人が溢れている。時々信号で止まったり、群衆が横切る横断歩道を抜ける時は歩行者の視線を感じる。それはカッコイイクルマに乗っているからではなくて時代のズレからくる旧車の新鮮さというか、現在の静かで流線型の車にクルマを見慣れている人々にとってFJ60は珍しい存在でもあるからだ。窓を開けてゆっくりと信号を左折する時に信号を横切る歩行者が立ち止まってGOOD! と言って(サインを送ってくれる。照れるから止めてくれ!と思ってしまう。目立ちたい気持ちなどは全く無いんだよ。

 

 マンハッタンのぼこぼこ道をリジッドをきしませながらゆっくりと走リ抜ける。ランドクルーザーは左右に揺れる。ニューヨーク、マンハッタンと言う場所はおそらくアメリカで最も起伏の激しい舗装道路なのだ。

...マンハッタンを運転する人々の気性もそれに劣る事なく激しいです。

 

ニューヨーク マンハッタン、そこは街全体がオフロードコースなのだ。

 

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1958 Landcruiser FJ28

2015年04月05日 | LANDCRUISER

 

 1958年製のランドクルーザーFJ28が市場に出てきた。FJ28はその存在自体が殆んど知られておらず、希少な存在という枠を超えて幻のFJ28と表現した方がよいのかも知れない。このFJ28は欠品部品などはあるが、幸いな事にオリジナルな原型を保ちエンジンは現在も可動する。

 ebay motors FJ28

Toyota FJ28
Chassis number "8-FJ28-2061". Check it on 'mud', it's the oldest FJ28 on there, possibly the oldest remaining in the world.
This was imported before Thiess Brothers imported a few FJ25's into Australia to work on the Snowy Hydro Scheme, which started the Thiess Brothers to take on the dealership of Toyota in Australia.
The chassis on this is stamped FJ28 (see pic) and the year is "8" meaning 1958.
There is no more of these around... Very desirable car.
It still goes, it can be driven around the yard, even though it's not in a road worthy condition at all. Don't think you can put a tag on this and go driving around!!!  IT NEEDS WORK if you wanted to do this..
It's been fitted with rebuild springs and shockies a few years ago, the brakes were overhauled a few years ago, however don't work well now.  It does however start and drive. Ideal to move around the property or onto a truck, or into a shipping container only..
There is a few parts missing, like front passenger seat, glove box lid (a later one is provided). Comes with some spare parts in the back, the original springs, shocks and some spare bumpers.
We believe this is a Japanese build body, even though most of the others imported into Australia at that time were just a cab chassis and the ute back was manufactured in Australia. We're not sure if the back on this car was made here in Australia or in Japan.

 このFJ28はThiess Brothers がオーストラリアにおいてトヨタの販売権を取得する以前に日本から持ち込まれた。20系ランドクルーザーは当初ショート(FJ25)とミドルでスタートしたが、このFJ28はミドルのサイズである。オリジナルカラーはおそらくライトなブルーであった様子。1950年代のこのFJ28はおそらく日本で製造され組み立てられたのだという憶測があるが、当時の事情は明確ではなく最終組み立てはオーストラリアで行ったという説もある。そういった事も含めてFJ28は秘密を秘めた存在なのである。

 

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