ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

良き食材と気分再生

2014年10月31日 | OVERLAND CAFE

 本日、10月31日はハロウィーンです。

今日は賑やかな一日になりそうです。

 

 このハローウィンと共に今年の美しいニューヨークの紅葉もピークを迎えつつあります。ハローウィンとはHello Winter! で、これで秋は終わり冬を迎えますぞっ!という意味かも。

 

 イカ(以下)は先週の日曜日のお話です。

近所のマーケットには地元で収穫された林檎などが安く大量に売られています。

料理の食材を求めて市場に足を運びました。

 

ハローウィン季節の室内の装飾に用いる奇妙でいびつなカボチャも大量に収穫されています。

収穫の秋ですね。休日の市場は季節が感じられて楽しいものです。

 

...実は、先週の土曜日の夜。

 

ある先輩に誘われてイカ釣りに行って来ました。

 そのお方はニューヨークでナンバーワンの釣りキチです。三度の飯よりも釣り、仕事をするのも釣りの為、釣りをする為に生きておられる様なお方です。『先生と呼ばせて下さい』と僕が言うと、『僕は釣り馬鹿です』とおっしやられる。では、愛称を込めてBTB先生 (BOKUWA TURI BAKA) 先生と呼ばせて頂きます。

 BTB先生とはいつも食べ物の話で盛り上がる。釣りたての新鮮なイカを刺身で食べると如何に旨いかという話を何度もされるので、そんなに旨いのならば是非一度、という軽い気持ちで出かけて行った。土曜日は仕事が終わったのが夜の7時過。それから3時間半クルマを飛ばしてアメリカで一番小さな州、ロードアイランド州のニューポートという街の港まで行き、そこでジェネェレーター(発電機)を回して照明を照らしてイカを集めて釣上げるのだ。

 

時間は夜の10時半。

 

辺りは暗く、港に停泊している船の周辺の薄明かりが港の海の水の上に光って揺れている。

 

あああああー

しまったぁぁー

ゴソゴソゴソゴソ...

 

どうかされましたか、先生???

ハロゲン(ライト)忘れたぁー 

 

 という事で、暗闇の中でルアーを振る結果になってしまいました。

 

猿も木から落ちる、か。

釣名人もジェネレーターのライトを忘れる、か。(笑)

 

日曜日の朝の3時過ぎまで。

二人でヤリイカ15匹を釣りました。

 

 ハロゲンを持参していたら一人50匹は超えていただろうとの事です。

残念!

でも、楽しかったので良し。

新鮮な食材を得る事が出来ました。

 

さて、朝帰りです。

BTBさん、有り難う御座いました。

運転もご苦労様でした。

 

まずは、新鮮なイカを刺身で食しました。

新鮮なイカは胴体と足がなかなか丈夫にくっ付いているものなのですね。

 

ううーん、...甘いですねえ、

秋の新鮮なイカサシつーのは。

 

イカサシをつまみながら、市場で購入してきた野菜を直火で炙り焼きにします。

これはズキニです。小さいのでベィビーズキニと呼びます。

 

 ピーマンも炙ります。

野菜は切ってから軽く塩を振り水分をとってあります。

 

きのこ、マッシュルームです。

秋なので、料理にきのこを使って秋を感じさせる事を意識しました。

 

えのき茸、

 

しめじ茸です。

炙りたての茸をそのまま醤油で食しても、なかなかいけますねぇ。

 

炙った野菜。

 

小ぶりのジャガイモを柔らかくゆでます。

 

イカは掃除してから軽くゆであげます。

 

イカと炙った野菜にパセリを混ぜてオリーブ油でマリネります。

塩と胡椒、そしてレモンで味を整えます。

秋を感じさせる地中海風イカ料理。...のつもり。

 

地中海から中東にかけて食されているピタというパンに、

刻んだガーリックとバターを敷いて軽く焼きます。

 ガーリックトーストです。

 

サラダはグリークサラダを用意しました。

 

イカという食材を元にして休日のディナーを準備。

 

時々、無性に自分で作った料理が食べたくなる。

食事を準備する事は、よい気分転換にもなります。

手先と舌、そして臭いの刺激が嬉しいのです。

 

Happy Halloween!

 

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最後の本物のランドクルーザー 4

2014年10月29日 | LANDCRUISER

 アメリカを代表する清涼飲料のコカコーラ。写真のコカコーラはコークボトルと呼ばれる少し薄緑がかった硝子瓶に王冠が使われています。そして外観だけではなく使用されている甘味料は果糖(フルクトス)ではなくて砂糖(リアルシュガー)です。このコカコーラはメキシコで充填されたものですが、アメリカ国内では現在も製造されている本物のコカコーラとして人気があります。アメリカ発祥のコカコーラですが、愛飲者達は他国で製造された物をわざわざ輸入してまで飲みたいのです。その気持ちはやはり『本物がいい』ではないでしょうか。コカコーラの場合はオリジナルがいいとも表現出来ます。そしてその現象は市場に多くの商品が陳列されて消費者の迷いが増えた結果であると感じています。

 

 ランドクルーザー60が発売された当時(1983年)に、一体誰が本物のランドクルーザーとは?などと考えた事でしょうか。おそらく当時は、本物のランドクルーザーとは販売ラインにあるそのランドクルーザーそのものだったのでしょう。しかし、今の時代は違います。

 それは選択が増えた事が原因です。そして、その選択にやや疲れ気味な空気も感じます。選択する事を止めた時に見えてくるもの、それがオリジナルです。それは別の言葉で表現すると『気付き』であるともいえます。本物とはそのように見付けようとするものではなくて、既にある物の中に有る事に気付く事だと思うのです。そして僕はランドクルーザー60はランドクルーザーとしての基本的要素を備えていると理解し、これ以下でもこれ以上でもない存在、つまりランドクルーザーとしてのオリジナル的存在(本物)であると位置付けました。

 

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最後の本物のランドクルーザー 3

2014年10月27日 | LANDCRUISER

 ランドクルーザー60に乗っていると色んな人から声を掛けられる。多くの会話はガソリンステーションで起こる。我が60のガソリン補給口はオールドスクールであり、現在の常識である座席の下部周辺のレバーを引いて補給口を開ける構造にはなっていない。よって、エンジンを止めてイグニッションからキーを抜いて車から降りて廻って補給口の鍵をキーを使って開けなければならない手間がある。その手間のお陰で地元のガソリンステーションは全てフルサービスなのだが、その恩恵を無視せざるをえない。そうやって車の外に出るものだから、周辺の他人との会話の機会も増えるのである。

 

 最近、あるガソリンステーションのおっさんが給油中に60を興味深げに眺めており、ある一言から会話が始まった。

 

It's a real Land Cruiser, NICE!

(いいねぇ、これ本物のランクルじゃねーか!)

 

 彼は南米のベネズエラからやって来た男だった。

...

 

 アメリカでは子供が他の子供の自宅に遊びに行く事を、一般的にプレイディトと呼ぶ。我が息子が同級生の友達の自宅にプレイディトに出かけたので60で迎えに行くと、そこのおやじが挨拶に出てきて、我が60を見るなり、

 

It's a real SUV!

(おっ、こいつぁー本物のSUVだ!)

 

彼の愛車は白いラングラーJKアンリミテッドであった。

...

 

 こういった感じで...、60を転がしていると『おっ!』と思われる様です。乗っている古くボロイ車を褒められる事は嬉しい事です。おそらく、それらの人々は最新の高級SUVも褒めたりしている事でしょう。ただ、60を良く思って下さる人々からはお世辞的で機嫌取り的な雰囲気は感じない。もっとカジュアルで、ただいいものを素直にいいと言ってくれている感である。

 

 そういった何気ない会話の中に出てくる REAL (本物の)という形容詞が心の中に残る。その REAL という概念がしばらく頭の中を廻り続けて留まり場所を探す。

 本物とは何か?或いは咄嗟にそう言わせる動機はなんなのであろうか?それは本物といううつろな概念がそれぞれの意識の中にあるのではないだろうか。ジープアンリミテッドのオーナーは最新のアンリミテッドにその本物を求めた。彼はジープが欲しいと思う以上に本物が欲しかったんじゃないだろうか?また、ガソリンスタンドのおっさんは毎日多くのクルマを見ているが、本物と感じるクルマはマジョリティ(大多数)な最近のクルマには感じていないのではないだろうか?と僕は思っている。

 

 決して多くの人が思うわけではない...

が、ばっ!と見ただけで、

 本物(REAL) と自然的(ストレート)に言わせる存在。それがランドクルーザー60の持つ大きな魅力であると感じている。

 

 本物という言葉は抽象的であるかも知れないが、SUVやランドクルーザー、あるいはジープを求める人々の本質は本物に出会いたい。本物が欲しい、本物を愛用したい、である事は抽象的な事ではなく、本質的な事実であると思っている。世界的に古い40や60を求める人々の本質は本物を求める姿勢そのもである。

 

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最後の本物のランドクルーザー 2

2014年10月19日 | LANDCRUISER

 Third World Countries (発展途上国と我々が呼ぶ国々)においては、ランドクルーザーに求める価値観というものが先進国家とは異なっている。先進国家の環境下では、実際に生活の為に使用する自動車はランドクルーザーである必要はない。高価な新車のランドクルーザーは高性能な機能を持ち合わせてはいるが、実際の機能や実用性よりも、むしろ、ステイタスシンボルとして存在している様に感じる。

 実際にランドクルーザーの必要の需要が高い発展途上国の生活環境の中で生きる人々にとって、ランドクルーザーに求める機能は実用的なものだ。耐久性と走破性、そして信頼性は勿論だが、更にメインテナンスの容易さ、修理部品の存在やその値段。そして、積載荷物の量である。

 クリススコット氏によると、発展途上の国々には The Endemic Overloading (トラックに大量に物を積み込み運ぶのがよいとする価値観)が生活の空気の中に存在している。中央アジアの中国とパキスタンを繋ぐ世界一の高所を走る カラコラムハイウェイ (Karakoram Highway) では現在も荷物を満載したランドクルーザー60が行き来しているとの事。当地の人々にとってのランドクルーザー60の存在は、荷物を大量に積み込んでも(過重量)びくともしない実用的ワゴンなのである。

 

60s body shell is know to be more capable of surviving the endemic overloading

which they suffer in Third World countries.  -Chris Scott-

ランドクルーザー60が持つボディ構造は、

世界の発展途上の国々においての過酷な荷物の過剰積載に耐える事が出来る。

(写真は拾い物です)

 

 四輪共リジッド(板バネ)構造のシンプルな足回り。そして広い室内(カーゴスペース)に丈夫なボディ。現在も生活の為にランドクルーザー60が持っているこの積載の機能を必要としている人々がいる。そういった事から深く考えさせられるのは、ランドクルーザーは本当の意味で60以後、進化、発展してきているのであろうか?それとも、ランドクルーザーとしての存在の価値を遠回りしながら失ってきているのではないだろうか?という事である。

 ランドクルーザー60を、最後の本物のランドクルーザー (Last of the real Land Cruisers) と称したスコット氏は誰よりも世界の過酷な道を冒険的に走ってきた男である。

 

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最後の本物のランドクルーザー

2014年10月18日 | LANDCRUISER

では、質問です。

 

 現在、(と、言っても2011年の事ですが)世界で一番ランドクルーザー60の比率が多い街はどこでしょうーか?

 

 ...そんな街が、この世界のどこかに存在するんですかぁ?

あのーっ、ひょっとしてそれ、

ランドクルーザー70系の間違いじゃないのですか?

 

 い、い、え、ランドクルーザー60です。

 

 あなたの(ぼくも)知らない世界があると思っていいのですね。

 

 Overlanders' Handbook の著者である クリス スコット氏によると、彼の 北アフリカ サハラ砂漠の旅で、そんな街が実際に存在する事を証している。そこはアルジェリアのジャーネット(Djanet)という街である。サハラ砂漠の中にある人口1万5千人のオアシスの街。標高1千メートル、年間を通じて日中気温が30℃を越す乾燥した暑さが続く。そしてその町で走っているクルマの半分はランドクルーザー60(おそらくディーゼル)であり、そして、そのランドクルーザー60のほとんどが走行距離は軽く50万キロを超えている。

 

ジャーネットの街とランドクルーザー

 上記の内容を裏付ける光景のビデオが有りましたので貼って置きます。

 

 スコット氏によると、初期型(60 Series Early Station Wagon) ランドクルーザー60系は Last of the real Land Cruiser(最後の本物のランドクルーザー)と、トヨタトラック支持者達から呼ばれており。その理由は、Uncomplicated toughness (シンプルで非常に丈夫であるからだ)。そして、その60の思想的流れを相続しているのがランドクルーザー70系であると説明している。

 トヨタ自動車が製造したランドクルーザーは全て本物のランドクルーザーである事は間違いありません。同時に、サハラ砂漠の過酷な生活環境の中で生活している当地の人々(トレアグ族)にとって、最後の本物のランドクルーザーとはランドクルーザー60だと、使い続けた結果から述べています。また、実際にはスコット氏やトレアグ達がそう述べているだけではありません。街を走るクルマの半分がランドクルーザー60であるという実態がそう述べているのです。

 

 ロクマルは、最後の、本物のランドクルーザー

 ランドクルーザーとは何か?

 僕の中では、一歩進んだ理解となった。

 

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ハイテック レンジローバー

2014年10月16日 | PICKUP TRUCKS & 4X4

 オフでの走破性は伝統的なものなので妥協する事はしない。尚且つ、オンロードでのレーシーな走りにおいても秀でている。つまり、オンでもオフでも最高の走りを追求したのが、ランドローバースポーツである。

 

RANGE ROVER SPORTS AUTOBIOGRAPHY

 オフロードでの走破性は車体の持つ電子制御システムに頼る所が大きいのかもしれないが、サーキットでのアクセルを踏み込む走りはドライバーの腕に頼るものであろう。オフロードとオンロード共に秀でていようとする試みというのは、どっち付かずの中途半端な存在として捉えられるのであろうか?それとも勉強が出来てスポーツも出来る優等生として尊敬される存在とされるのかは意見の分かれる所である。血統、高級、オン、オフでの走破性を持ち合わせている。四駆というカテゴリーとは別にSUVというカテゴリーを別のものとして認識するならば、ランドローバースポーツはSUVの理想を追求している存在なのであろう。

 

 

 我が家の目の前に停めたレンジローバースポーツ。

 最新型ではないが、決して古くはない。

 ...

 

 実は...、

このレンジローバースポーツ、動かなくなってしまった。

 原因はくバッテリーにあるようだが、問題は、そのバッテリーが半日の間にどうして消耗してしまったのかという事。いずれにせよ、オーナーに不便と不安を与えた事は間違いがない。たとえ問題がバッテリーという消耗品にあったとしても。

 もし、レンジローバーに信頼性という評判が加わったとしたら、それは最高のSUVとなるであろう。

 

 

 最新のレンジローバーよりも30年落ちのランドクルーザーの方が信頼性が高い?かも知れない、などというまじめな冗談も飛び交う。最近のレンジローバーの設計が信頼性を低く置いているとは思えないが...。

 こうやって古いシンプルなランドクルーザーと近年のSUVを比べる事によっていろいろ感じるものがある。対比はアナログとデジタルの様で、比べるべき物ではなく、別物であると理解した方が自然な気もする。

 

 僕はやはり、アナログ的な車が好きだな。

 

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オフロードタイヤの空気圧について

2014年10月13日 | OVERLAND VEHICLE

 オフロードを走破する時のタイヤの適切な空気圧という知識はオフロードタイヤの持つポテンシャルをよりよく発揮し、クルマのオフロードでの走破性を高くする事が可能となる。南アフリカのオフローダー Andrew St. Pierre White (ホワイト氏)によるオフロードを走る時の空気圧についての解説は具体的な数値を示してくれているので参考になる。

 

 タイヤの空気圧の調整によってタイヤの接地面積を増やし、タイヤの変形自由度を高くするという事は基本的なオフロードの知識として、実践するしないは別として頭に置いて置きたい。

 その時に大切な事は、車が履いているタイヤの標準空気圧がいくらであるか。という数値である。この標準空気圧の数値を100という数字で示すと、各路面における数値は以下のものとなる。

 

SEALED SURFACES(舗装道路)100%

GRAVEL / CORRUGATIONS(砂利道、未舗装道)10-15%

ROUKS(岩場)10-15%

MUD(泥道)25%

SAND(砂地)50%

SLIPPERY CLAYMUD(泥濘、濡れた泥道)20%

 

 舗装道路を運転する時のタイヤの空気圧を100として、遭遇する路面に合わせて空気圧を落して調節します。ロックではそれ程空気圧を下げる訳ではないのですね。一番空気圧を下げるのは砂地での走行時となり、空気圧は標準時の半分となります。

 オフロードタイヤはファッションではありません。こういう知識を持っていてこそ、オフロードタイヤと向かい合う事が出来るというものです。

 

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今年もまた秋がやってきた

2014年10月10日 | 日記

 日本人の平均寿命は女性が86歳、男性は80歳である。意識はしてはいないのだけれど、年齢に関わる数字というのは頭に入ってくると流れてしまわないで、しばらく意識の中に留まっている。そしてそれは、後どれくらい生きれるのかと、 年齢を引き算的に考える習慣にもなった。

 

 先月ニューヨークヤンキーズを現役引退したジーター(Derek S. Jeter)内野手。ジーター選手の一つの数字の記録は通産3463安打。選手としての現役の20年間で安定したプレイを継続した。彼は特に、ここぞ、頼むぞ!という時の祈るような期待時に人々を湧かしてきたので、記録と記憶の両方を残した名選手と呼ばれている。彼は今年40歳である。この40歳という数字がジーター選手の引退記事の中で最も意識に残るのは何故だろうか?

 40歳は80歳のちょうど半分である。40歳という歳を野球の現役の選手からの観点では、もう40歳だがら終わり、と捉えるのかも知れない。しかし、終わりは始まり、これからの40年の人生が始まるのである。そして、これからの40年が彼にとっては本当の自分の人生となるのであろう。そういった意味で、彼の今後も応援したいと思っている。

...

 

 先月9月の最後の週。自宅から車で2時間程西方に走ってトウモロコシ畑が続く畑園の光景を楽しんだ。夏は深緑であったトウモロコシ畑はその成長を止めて、褐色と黄土色に姿を変えた。この光景を眺めながら、秋とか、青春の終わりとか、人生の後半、収穫などという事を感じたのである。

 

 森に確実に浸透しつつある秋の気配。少し、寂しさがかった感情もある、それは成長ではなく、その先にある終わりを示唆する景色でもあるからだ。それを秋の心(愁)秋意というんだね。

 

 秋を待ちわびていたのは少年時代だったと思う。青年時代は暑さからの逃避という意味合いが強かった。涼しい秋の風は服装のコーディネートなども増えて嫌いではなかった。

虫があちこちで、ガチャガチャ鳴いている。

 

 最近は秋になると寂しい気配を感じる。これはきっと、自分の年齢と秋という季節が同化した為に起こる現象ではないだろうか?つまり、自分の意思ではどーにもならない天候とか、寿命、宇宙の定め、というものがある、という事を認識させられた結果ではないだろうかとも思う。

 

おっ!山葡萄、めっけ、

すっ!ぱーっ!

 秋の森は色々と刺激もあるものだな。

 秋という気配には終わりを感じさせられるが、まだ終わりではない。それはちょうど、全力で走った後の息継ぎでもある。人は生きていれば誰にでも秋は来る。その秋からの生き方というのが実は本当の自分自身であるんじゃないだろうか?という事を、今年のこの季節に強く感じさせられている。

 

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オーバーランド カフェ

2014年10月08日 | OVERLAND CAFE

 朝のコーヒーを飲む時間というのは、出来ればくつろいで居たいものだ。人は何かを考えたり、或いは思考に行き詰まったと感じる時はまずリラックスする事。新鮮な入れたてのコーヒーの香りは気分をほぐしてくれる。

 

さて今朝は、入れたてのコーヒーを手に持って外へ。

入れたてのコーヒーと、昇りたての朝日を楽しもうっ!て事です。

 

...残念ながら、クルマの中は無臭ではありません。

嫌な臭いではありませんが、何かしら感じる臭いが存在するものです。

まずはドアと窓を開けて、エンジンスタートと共に空気入れ替えです。

 

社外品のセンターコンソールの付属の受けには、

このようにコーヒーカップがぴったりとはまります。

陶磁のカップは、行けや!というお店で購入した物です。

 

では、行きます!

なんか...、

ロクマルのガスと室内の臭い > コーヒーの微々たる香り

ですな...

 

なかなか、頭文字Dの86内の豆腐の様にはいかないものですなぁ。

こぼれ...やがった!

 

さぁーて、ここで一杯やりますかぁ。

 

新鮮な朝日が今日の空に解けていく。

 

...

室内の朝日かぁ...暗いな、

 

リラックス、リラックス、

コーヒーは熱々よりも少し冷めてからが味を感じるね、

もう一杯おかわり ...したい、とも思った。

 

 昔の事だが、日本がバブル経済に浮かれていた時期。東京の丸の内という所で雑居ビルを対象としてコーヒー器具設置の飛び込み販売のアルバイト(押し売り)をやった経験がある。緑茶が浸透している日本の会社事務所で総務部のおっさん相手にコーヒーの味について苦味とか酸味。とりあえずのコーヒーの知識で、おいしいコーヒーの入れ方や飲み方を説明した...。コーヒー器具が売れたとう記憶は全く無いが(汗)楽しかったのは覚えている。しかし、その時から今日までコーヒーに対する知識というものは全く増えてはいない。

 

ところで、

おいしいとするコーヒーは世の中に沢山あるが、

記憶に残るおいしいコーヒーというのは、

自分の中にどれ位あるだろうか?

 

 僕の中の最近の記憶では、今年の春にある方の自宅のペンキ塗りを手伝った時の休憩時間に、そこの奥さんが入れてくれた普通のブラックコーヒーが何故かとってもおいしかったのを覚えている。そこには雑談とスーパーで買ってきた安いクッキーがあった。

 まぁ、いつも口にするコーヒーをいちいち感銘深いものにする必要は無いであろうが...。

 朝日を拝みながら飲んだコーヒーの味はやがて直ぐに忘れてしまう。だからこそ、思うんだよねぇ、おいしいコーヒーが飲みたいなあっ、てね。

 

メモ:今回から食べ物に関する話題はオーバーランドカフェという呼び方(カテゴリー)で括る事にしました。

 

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秋月は静かに愉しんでいる

2014年10月07日 | ロクマル日記

 

 月を眺めるのによい季節となった。という感覚はおそらく日本人独特の感性かもしれないが、ここニューヨークで見る空の月も美しく、そして、神秘的(ミステリアス)です。また、アメリカではこの10月の終わりにハローウィンのイベントがありますが、その化け物達の祭りもどうやらこの秋の月との関係が御有りではないだろうかと感じさせられる。

 

 ランクルを運転しながら交差点で止まった時に、目の前に聳える人工的な高層ビルの角と上空に浮かぶ丸い月が対比的で美しくアートテクチャーだと感じた。この光景に宇宙空間と知的生命体である人間の存在を感じさせられ、魅せられる。

 

 

 月とすっぽんではなくて、月と言えば水(H2O)

 遥か遠い昔、巨大彗星であった月が太陽系を通過中にその熱で表面の膨大な氷が解けて水となり、地球の引力に引かれて地球に降り落ち大洪水をもたらした。地上の先史文明は全て水没し、地球から一部の痕跡を残して消えていった。月は人類を(一部のみを残して)滅ぼしたのだ。

 

おや!

 大きなハドソン河の川辺に立つ僕のちょうど足元に一切れの流木が流れて来て止まった。

これはいったい??? どういう?? こと?

などと思いながら、

 

拾い揚げる。

水を吸っており、ずっしりと重い。そして硬い。

まるで石の生き物の様でもあった。

...

再び水に戻す、よい旅を!

流木は再び静かに流れて行き、僕の手の届かない遠方に去った。

 

こういうのを “縁”と呼ぶのでしょうね。

 

人の出会いとか機会とか、偶然とか、たまたまとかって言うやつです。

今宵(この黄昏時)月が僕に教えてくれたのは、そういった事だったんですね。

 

で、そろそろ帰ろうとすると...

 

あれっ?

我がランクルが2台。

...

 

たまたま、我が愛妻が買い物に寄った...だと。

通り過ぎようとしたけど、急に買い物を思い出した...だと。

地元といえど偶然の出来事でした。

 

いややぁぁー、月の引力とは怖い!

 

もしも、今日、偶然誰かに出会ったら、

外に出て空を見上げてみよう、

そこには大きな月が静かに見つめているはずだ。

 

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トヨタ自動車75年史

2014年10月04日 | DATABASE

サイト:トヨタ自動車75年史、もっといいクルマをつくろうよ 

 2012年にトヨタ自動車は設立75年を迎えた。75年というクルマ造りの期間はそれぞれの時代毎に課題や試練は異なり安易な事態ではなかった。それはこれからも更に多くの試練を受ける事を余儀なくさせられるが、会社組織というのはそれでも前に進もうとする。マーケットの下流で商品となって我々が目にして触れる事が出来る美しい数々の新車、そして新しい技術等からは想像出来ない企業としての苦難の連続が存在している。社史とはそれに挑戦し努力し続けた記録であり、更にこれから訪れるであろう試練の波に対する心構えである。

 

Never give up 精神

 2012年が会社創立75周年、労使宣言50周年、工販合併30周年という区切りの年にあたることから「この節目の年を、なんとしてもトヨタの新しい歴史に向けて一歩を踏み出す年にしたい」と呼びかけた。終わりに豊田社長は、伊勢神宮の参道に茂る木々の枝が曲がりくねって伸びているのは、枝がわずかに洩れる光を求めたからで、そうした木々は伊勢湾台風などの試練も乗り越えてきた、とのエピソードを紹介し、「今のトヨタは厳しい中ではありますが、光の見える方角はわかってきたと思います。今年はぜひ、光の方向に一歩一歩あゆみを進め、私たちのこの手で光を掴み取りたい」と、決意表明した。

2012年の年明け挨拶より、

 

 トヨタ自動車がトヨタが社史を編集したのは設立50周年の時以来の事、実に25年ぶりという事だ。社史を編集するという事はそれ程難しいことなのだろうか?おそらくトヨタ程の大企業になると車種も生産地域も多く、それは簡単ではないと言えるのであろう。事業というのは社会に生きる人々のWANT(したい、欲しい、欲)を汲む事で事業機会の道を得る事が出来る。しかし一部の企業は更にそのWANTを先導し、人々に何が必要で、何が欲しいのかを逆に提示する期待的な存在となる。トヨタは途上地域においては前者、先進地域においては後者の課題をそれぞれ抱えている。

 

 

ランドクルーザーの系図

 いいクルマ、とは答えであり、問いであり、目標でもある。現在のトヨタの企業理念でもあり、関わる人々の期待でもある。それはまた明日にかける虹のようでもある。曲がりくねった木々の枝は秋には紅葉し葉を落す、光は届くが成長の止まる冬をしのぶ。人は歳を取るとやがて死んで行くが企業は継続を願う。しかし、国も企業も永遠に続く事がないのが世の常でもある。光を掴んだと思う時、その先には別の光があると知る。

 次の目標は2037年の創業100年時かな?その未来の時代はクルマに対する価値観も随分と異なっている事だろう。しかし、その未来でもやっぱり、ヨンマルやロクマルがいいと言っている人々がいるのだろうな。それは、それがいいクルマだからではないだろうか?企業としてのいいクルマとは正直、収益性の高いクルマである事は否定出来ない。しかし、僕はいつも思う。いいクルマとは後ろ(過去)を振り返って見る時に出る表現であって、未来これから生産されるクルマに対していい車と生産者が表現するのは ?な気持ちでもある。いいクルマをつくろう、つくった、の評価は企業の存続を前提とする2037年に持ち越される事になりそうだ。

 新車のランドクルーザーもトヨタの株も買わないかも知れないが、トヨタには頑張って欲しいとする勝手な期待を持っています。それは一つの自動車会社を超えて、日の丸の期待を背負っていると感じているからです。

 

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CRUISER FEST 2014

2014年10月03日 | TOYOTA TRAIL

 

 今年もアメリカ最大のランドクルーザーのイベント、CRUISER FEST 2014 が先月の9月5日から7日にかけてユタ州のトーエレで開催された。クルーザーフェストのイベントは今年で6回目である。このイベントが象徴するのは北米のランドクルーザーの中心が北米大陸に南北に伸びる(グランドサークルを含む)ロッキー山脈の周辺と、その裾野に展開する中西部の広大な砂漠地帯であるという事である。

 このイベントには特別な一つの面白い企画がある。それはイベントが開催される9月5日を目指してロッキー山脈周辺の4箇所からそれぞれ10台から15台のランドクルーザー(FJクルーザーとトヨタトラックも含む)が隊列を組んで2泊のトレールコースを越えてトーエレの会場を目指してやって来るというものだ。これは会場に並ぶランドクルーザーがエクスペデッションの実用に十分耐える事を示し、ランドクルーザーと大自然の融合を感じされられる企画である。

 

 

EXPEDITIONS 7

 今年のクルーザーフェストの期間にもう一つの大きなサプライズ(驚き)が準備された。2012年の春に始まった世界の5大陸と両極をランドクルーザー78で走破するエクスペデッションズ 7 が 58,196マイル(約93,000キロ)を走破して出発地でありゴールでもあるこのトーエレの地に帰還を果たした。このエクスペデッションで使用されたランドクルーザーは今後 Miller Motorspors 内にある Landcruiser Heritage Museum に置かれる事になる。

  BEST! エクスペデッションビークルとしてのランドクルーザーが再認識された出来事でもあったと捉えてもいいのではないだろうか。

 

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砂漠に対する憧れと恐怖

2014年10月02日 | LANDCRUISER

 砂漠と聞くと期待感と不安感が交互に混ざる。期待的な要素は山紫水明な土地に住んでいると、時に果てしなく広がる乾燥した砂漠の中をランドクルーザーのステアリングを握ってアクセルを吹かし、タイヤのトレッドで砂を巻き上げながら走行してみたいという願望。広大な砂砂漠の無言の風紋は美しく、走り終えた夕刻には西の彼方に沈み行く太陽にグラスを傾けて酔って砂漠の闇に溶ける。人生の中でそんな一時を過ごしてみたい。

 不安要素とは雨が降らず作物が育つ事の無い土地、つまり砂漠は人が生活する事が出来ない地帯。死んだ土地として人が足を踏み入れないそんな場所、灼熱、気温差、砂嵐、スタック、思考力低下、移動には常に死と隣接した状態となる事。そして、現在も砂漠化と呼ばれ砂漠の面積は拡大し続けているらしい、その現実は悪い現象として世界は捉えらえている。

 砂漠と聞いてラクダやラスベガスなど、何を連想するかは皆異なるであろう。僕の場合はやはりランドクルーザーである。

 

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 砂漠との接点には信頼出来る四輪駆動車が必要だ。ランドクルーザーがあると遠方の砂漠の存在にも関心を持つ。ランドクルーザーとはそういう媒介的な存在でもあるのだ。

 

コメント (1)
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