ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

タイヤに対するは保守的思想

2020年08月29日 | ロクマル日記

 オンラインでランクルの新しいタイヤを注文購入してから一週間以上の時間が過ぎている。発送先に地元の自動車修理工場を指定して配達を待っていた。今週も終わり、発送地は隣接した州からなので待ち時間はおおよそ一週間程であろうと期待していたが見事に期待外れであった。以前同じサービスを利用した時は一週間待つ事はなかったのだ。車両を修理屋持ち込む計画を立てる必要性に駆られるので、カスタマーサービスに予定発送日について問い合わせてみた。現在、在庫が切れている為に発送と受け取りには更に2週間程掛かるとの事であった。サイズが無いのか?人気で生産が間に合っていないのか?は知る故は無いがこれには驚いた。新しいタイヤの装着は来月9月の半ばになりそうである。

 一台のクルマにとって新しいタイヤの入れ替え装着は一つの節目の様な気がする。特にランドクルーザー60の場合はクルマの持つ存在イメージに大きく影響を及ぼし、所有者の精神にも影響を及ぼしそうだ。僕にとってメンターである JONATHAN HANSON 氏は、オーバーランドビークルのタイヤはコンサバティブ(保守的)でいいんだ。と述べている。この意味する所は、タイヤに対してあまり関心を持たなくてもいいとする思考とは間逆である。タイヤや足回りに対して保守的存在思考を持つという事はオーバーランドビークルに対する大切な存在思想の一つである。こんな事を考えながら新しいタイヤの装着を楽しみに待っている。

 

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使い続けるランクルの錆対策

2020年08月24日 | ロクマル日記

 ランドクルーザー60を日常の足としてラフに長く使用していると、錆との継続的お付き合いが必ず伴ってくる。もう何年経つのか正確には覚えていないが、錆に対する理解が寛容的になってから(そうでなければ維持は難しい)錆が発生していても気にならなくなってしまった。自身のランクルの錆とその対策はあまり参考になる事例ではないが、一つの利点はズバリ、お金と時間が殆ど掛かっていない事にある。ランクルのタイヤハウスの周りやリアの下部には錆の侵食によって多数の穴があるのだが、ぱっと見では分りにくいというのが憎いというか、上手く隠している、上手く騙している、匠の技かも。

 

 ランクル60に対する錆対策は数年前から変わらない。定期的に発生した錆をなるべく削り落とし、そのままペイントするだけだ。ボディには穴が開き見苦しくなったとしても通気性を確保し、湿気を溜め込まない意図がある。年に二回、少なくとも年に一度は天候の良い日を選び、金槌でボディを軽く叩き錆を剥離する。ワイヤーブラシで錆をしごき、同色に近い色のスプレーを吹き付ける。時間は一回一時間未満、作業に伴うコストはスプレー缶とワイヤーブラシとサンドペーパーの切れ端なので、約1000円程ではないだろうか。自己満足に過ぎないのだがまあまあの成果である。他人が行わない施行なのでランクルは独特の雰囲気を漂わせている。道具は使い込む事によって進化するというが、まさにそんな風ではある。今後もこの調子で行けるとこまで行くつもりでいる。

 

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パンクというババを引く

2020年08月22日 | Cafe Racer

 今朝も自転車でのトレーニング中にパンクしました。常時パンク修理キットは携帯し、修理であるチューブ交換は手馴れてはいる。路肩でタイヤを外して修理を始めると横を通り過ぎるバイカー達が通り過ぎる瞬間に声を掛けてくれる。Are you OK?  Need Help?  Need pump? とかである。その都度、I'm fine, Thank you! と返答を繰り返していた。その数が多くて覚えていない程である。他人に気に掛けてくれるという人々の姿勢を感じて有り難い気持ちを感じていた。今後同じ状況下の他人と遭遇した時には僕も声を掛けるであろうし、場合によっては修理を手伝う事を躊躇せずに行える気持ちの段取りが整った機会であったと思う。

 今月は2回目のパンクで、ランクルも含めると3回目のパンクである。二度ある事は三度あると言われる様に災い?が続く時勢というのが有るみたいだ。今朝は筋肉の締まったグレィヘアーのおっさんに追いかけられ、暗黙の熱きデットヒートの最中であった。パンクという状況は強制的に停まらざるを得ないので、熱を冷ませ、ゆっくり行けや、とするなんぞの意思であったのかも知れない。通常、僕らはパンクが起こる事を特別な事として理解している様に思うが、その事態をひっくり返して理解すると、パンクが起こる事が普通の事であたりまえ、むしろ、パンクしないで走りきるという事が特別な事で奇跡的な事である、という理解となる。こういった理解は日常生活の営みの多様な分野に応用出来る思考でもあろう。

 週末となると同じ道を何百人ものバイカーが駆けてゆくが、その中でパンクというババを引くのは千人に一人いるかいないかであると思われる。自分にババが廻ってきたら、こいつを戦略的に使ってゲームの流れを変える事も出来るのだと理解する。人生自体がカードゲームで、配られたカードを使って勝負を展開している状態なのだ。誰にも必ずババが廻ってくるが、それは現状離脱のチャンスなのかも知れない。パンク修理を終えて走り出しながら、またいずれババが廻ってくるであろうが、どうか今日帰宅するまではババを廻してこないでね。と祈願している自分であった。

 

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2020年の夏 

2020年08月21日 | 日記

  

 盆が過ぎても暑い夏の日々が続いている。今年の夏はコロナの影響で仕事の遠征が出来ない。他州や他国に遠征に行くと帰宅時に2週間の自主隔離期間を設けなくてはならない事情がある。幸いな事にコロナの状況下においても仕事は忙しく、トライスティッと呼ばれる地元の、ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット州テリトリーでの徘徊を繰り返している。

 上の今週の写真はニューヨーク洲を東西に横断するフリーウェイ90号線上で、ローチェスターという街に近づいている所である。右手側の空の下はカナダとの国境にある五大湖の一つである長いオンタリオ湖であり、その南西部にはナイアガラの滝が展開している。昨年の夏季には多くの観光客がこのフリーウェイを利用しナイアガラの滝を訪れていた。当地のホテルの宿泊料金も強気な値段であったのだが、今年はカナダとの国境も閉じたまま、中国からの観光客も来ないので、ナイアガラの観光地等は閑古鳥が鳴いている状態である。暑い夏は続いているが、観光産業にとっては今年は夏が無く長い冬が続いているだけだ。こうして、ニューヨーク洲北部の短くとも美しい2020年の夏は過ぎ去って行くのである。人間社会においてはコロナ対策であたふたした状況が続いているが、空を見上げれば大地は眩しく美しく輝いている。

 

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オーバーランダー達の服装

2020年08月13日 | ロクマル日記

 

 今週は自転車に続いてランドクルーザーもパンクした。少し長い下り坂の途中で突然車体の下に異音を感じた。後続車もあり忙しい道であったので、安全に安全な場所に交通妨害にならない様に停車場所には気を使った。タイヤ交換は常時ハイリフトジャッキを携帯しているので、鉄バンパーにジャッキを掛けて行うと容易ではある。しかし、今回は(も)苦戦した。車体の下にチェーンで吊るされ収納されているスペアタイヤの回転式レバーが錆び付いて回らない。錆びて固まっている場所に油を注しスペアータイヤを外す行為を路肩で行うのだが、何しろ気温は30度を超える真夏日の夕方なのである。レバーを回す為に全身に力を込めるとそれだけで汗が噴出す。タイヤ交換だが状況はアドベンチャー的で過酷であった。

 外したタイヤをショップに持ち込み御手洗いを借りた。そこで鏡に映った自分に遭遇する。その姿は汗と埃、そして車に触れる時に付く黒い油汚れが肘の下とか肩に付いて予想を超える汚さであった。腕をまくりあげて石鹸で手を洗い顔も洗ってペーパータオルで体を拭きながら、オーバーランダー達が着用する服装というのはズバリ一言で、作業服であるべきだ。という実感を確信する。黒く汚れてしまった自分の服装を見てトイレの鏡の前で一人で笑った。

 

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朝飯前

2020年08月09日 | 日記

 朝の7時に自転車トレーニングに出発した。最初は曇っていた空模様も途中で雲が晴れて、今日も暑い真夏の一日が始まった。走り出して一時間が経つ頃、いつもの折り返し地点に差し掛かったが、今日はちょっと冒険をする事にした。ハドソン河北部に最近リニューアルされたクモオブリッジという全長8キロ程の橋があって、最近歩道と自転車道が開通した。とりあえず、その橋を渡って今週の話題にしてやろうと企んだ。 

 橋の手前に差し掛かった時、空腹と渇きを感じた。このまま進むと途中でハンガーノックを食らうと感じたので寄り道をしてグロッサリーに飛び込み、スポーツ飲料のゲータレードを買って流し込む。このスポーツ飲料はこの橋を渡って戻ってきた頃には汗として流れ蒸発し、空の雲の一部になっているのであろう。

 

 クモオブリッジの往復は疲れた。それは歩く人、走る人、自転車で走行するが多く、スピードの制限は15マイル(25キロ)に制限されいる。自分のペースで走る事は出来ないばかりか人々に気を使うからである。今度は人の少ない季節と時間をねらってみる事にする。

 

 橋を往復して帰宅する途中に本日2本目のゲータレードを飲み干す。本日の走行距離は50マイル(80キロ)になりそうだ、朝飯前の運動にしてはちと重く、そろそろ時間はお昼前になりそうだ。

 

 駐車場には先程僕を追い越していったモーターサイクル(カフェレーサー)が停まっていた。ワンオフのカスタムで、HONDA のロゴがある。周りの人々が同じ様に携帯のカメラに収めている行動から、注目度が高い作品である事は間違いない。何これ、チョーカッコエエー。

 

 休憩を終えてラストスパートをかけている時。右に曲がるヘアピンカーブで車体をリーンウィズで傾けたときに滑ってぶざまに落車しました。体がアスファルトの上を激しくスライドしました。右側の膝下、ケツ下、腕の上部にすり傷を負い、手袋の甲とジャージの肩が破れてしまいました。自動車が前からも後ろからも来なかったのが幸いでした。派手に転んで擦り傷で済んだのは、コントロールを失った瞬間、握ったハンドルを絶対放さない事を実践した結果でした。転んだ原因は、なんとコーナーに入る直前に前輪がパンクしタイヤのグリップを失ったからです。予期しない恐ろしい事が起こるものです、なんぞの罰が当たったのでしょう。またこけましたね。

 

  

 ドライバーでありサイクリストでもある自身は両者の走行中の気持ちが分る。互いに譲り合う事が大切なのは勿論だ。自転車を追い越す時には走者と大きく距離を置く様にしている。自転車においては Single File (ワンラインで)と表示されている道路では並んで走るのは危険である。横に並んで走っていても後ろから車の気配を感じたら、サッとシングルファイルに戻る気配りを身に付けたい。どける。というのは負のイメージがあるが、譲る。というのは余裕の事。余裕、即ちそれはカッコ良さの根底にあるものなのだ。どけるのではなくて譲るのである。

 結局、帰宅したのはお昼の12時過ぎ。純白なジャージに鮮血がにじみ不気味な様相。シャワーを浴びて傷口を洗う時痛みが走るが、充実感を感じる事が出来た。これで今週もがんばれるな。

 

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Echad Mi Yodea

2020年08月08日 | NEW YORK

 今週の火曜日にニューヨーク市一帯においてトロピカルストーム ISAIAM の到来で大きな被害が発生した。雨量はたいした事は無かったのであるが、暴風が数時間に渡って吹き荒れた。こうしてパソコンの前に座ってブログを更新しているのは、3日振りに電気が回復したからである。

 

 当日、僕は訪れていたニューヨークの郊外の住宅の窓から暴風が吹き荒れる光景を恐怖心と共に眺めていた。その光景は巨大な怪物が街で暴れ、容易に木の太い枝をへし折り飛ばし、高木を根元から間引き倒す。瞬時に辺りは停電となった。家の壁が強い風圧に耐えている事を室内で感じる恐怖の時間であった。自然界の驚異は神の怒りの様にも感じ、これも生命の営みの展開である事を見せつけられる。一時間程時間が経って暴風のピークを超えたのであろうか、風がやや収まった。外に飛び出して、乗ってきた車の上に落ちた木の枝の塊をどかした。2箇所程ボディがへこみ、バックミラーのプラスチックは割れフロントウィンドーには小さなヒビが発生してしまった。

 風の風圧に押し倒され枝を折られ吹き飛ばされる自然の畏怖な光景を見ながら、頭に浮かんできたのは、映画 7Days in Entebbe の中で知らされたイスラエルのチェアーダンスであった。Echad Mi Yodea というユダヤ教の教示に沿った歌に上手くチェアーダンスを組み合わせている。暴風が吹き荒れ木の枝をへし折ってゆく展開が描写されている様に思った。ヘブライ語で、1を知っているか、2を知っているか、と展開するユダヤ教の教えにちなんだ歌詞とリズム、それに加えられたパフォーマンスが嵐が過ぎ去った穏やかな今日も頭の中に響いている。生きている上で人間は決して災いを忘れてはいけないのだ。今年もハリケーンシーズンに入っている。Echad Mi Yodea が頭に響きだす時、神は自然界に対する容赦ない対処の側面(摂理)を見せ付ける。我々は覚悟が出来ているのであろうか。

 

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