ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

四月の冷たい雨

2020年04月27日 | 日記

 4月の冷たい雨が降る少し霧のかかった森の中の朝の道を2台のロードレーザーが息を切らせながら進んでゆく。時には2列で、時にはインラインで。路面に溜まった水しぶきも浴びて、体の上も下も、前も後ろもびしょびしょである。コロナによる外出制限と雨の予報故に道を走る車も少なく、まして、すれ違ったり追い付いたり追い越したりする自転車もいない。走っている二人の会話は、『ケツが冷てぇー』とか、『前が見えねぇー』等であり、次元の高い会話は一つもなく、遭遇した状況を叫んでいるだけであった。

 二人が走り出してから雨が降り出したのではない。日曜日の朝にしか時間が取れない僕は、天候に関係なく自転車のトレーニングに出かける。そこに息子が参列したのだ。寒いし、雨が降っているから今日は止めとけと言ったのだが、説得力は無かった。

 

 中継点をユーターンして自宅まであと5マイル(8キロ)という地点でアクシデントに見舞われた。後輪が振動し見るとフラットタイヤ(パンク)である。雨は依然としてしとしと降り続けている。ここで止まると体が冷えてしまうので、息子には来た道を辿ってそのまま自宅に帰るように指示し、僕は簡易屋根のある近くのバス停に寄り雨をしのいだ。予備のスペアチューブもパンク修理キットも持参しているのだが、濡れた体に冷たい風が舞い続け、体が冷えて震え指に力が全く入らない。やばい!このままでは遭難する、SOS SOS... で家内を呼んだ。家内は息子が雨の中でパンクしたと思って急いでやってきてくれた(汗)。

 自宅に帰って、体が温まって正気を取り戻してからパンク修理に取り掛かった。タイヤの中に食い込んだ1.5x1ミリ程のエメラルドに輝くガラスの破片を見つけた。この小さなゴマ粒程のガラスの破片が事態を招いたのである、ガラスの破片は物としては微小なものだが、事としては大きかった。雨の日の自転車走行にも、登り坂、下り坂、そして、ま坂(まさか!)がある。パンクに対する対応も、普段は出来ていても、条件が変ると出来る事も出来なくなるという事。自分を過信しないで、時には人の力を借りる、お世話になる。そういった姿勢もオーバーランダーとして理解して持っておくべき大事な事なのだと感じた機会であった。

 

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SELF RELIANT

2020年04月19日 | OVERLANDERS

 Overland Expo の主催者からのアンケートがメールで届いた。メールを開いてその質問に対しての返答を書き込んで返信した。質問内容は結構細かく長く、全ての質問に答えるのに20分程費やした。オーバーランドに対する知識について、そして、商業的なアウトフィッターに対しての購入計画等である。アンケートにおける最初の質問が印象的であった。質問の内容はオーバーランディングというアクティビティに対して、自分の言葉でこれを説明する事を求められた。これは、オーバーランディングというテーマに対して人々の理解がどれ程のものなのかを知る為であろう。更に、オーバーランディングというアクティビティを支える2つの言葉の知識に対する理解の問い。2つの言葉とは、SELF RELIANT (自立)REMOTE DESTINATION (遠隔地)である。これらの語を、聞いた事があるか、知っているか、説明できるか、という問いである。特に最初の語、SELF RELIANT においてはオーバーランダーの内心、つまり、求められている心のあり方が凝縮されたワード(語)であると感じている。そして、それはオーバーランダーとしての条件と基本の要素も含んだ真髄なのである。

 もし、誰かからオーバーランディング、オーバーランダーとは何ですか?という問いをあなたが受けたならば、その説明の中には必ず SELF RELIANT のワードが欠けてはならないのである。つまり、SELF RELIANT についての理解と説明力がオーバーランディング、オーバーランダーに対する説明の展開となるのである。

 

* 以下は、オーバーランドジャーナルのホームページにおいて紹介されている、オーバーランディングとは何か?という解説です。理解の参考になります。

Overlanding describes self-reliant adventure travel to remote destinations where the journey is the primary goal. Typically, but not exclusively, accommodated by mechanized off-highway capable transport (from bicycles to trucks) where the principal form of lodging is camping; often lasting for extended lengths of time (months to years) and often spanning international boundaries. While expedition is defined as a journey with a purpose, overlanding sees the journey as the purpose.

 オーバーランディングとは、旅が第一の目標である遠隔地への自立的な冒険旅行の事です。

 宿泊におけるの主な形態はキャンプ(野営)ですが、それにこだわる事はありません。

 旅における移動手段には(自転車からトラックまで)未舗装地も含めての耐久性が要求されます。

 本来なら旅の期間は、長期間(数か月から数年)を費やし、多くの場合、国と国との境界を越えます。

 遠征(Expedition)とは目的のある旅として定義されていますが、オーバーランディングでは旅そのものを目的と見なしています。

 

Overlanding is about exploration, rather than conquering obstacles. While the roads and trails we travel might be rough or technically challenging, they are the means to an end, not the goal itself. The goal is to see and learn about our world, whether on a weekend trip 100 miles from home or a 10,000-mile expedition across another continent. The vehicle and equipment can be simple or extravagant - they, too, are simply means to an end. History, wildlife, culture, scenery, self-sufficiency - these are the rewards of overlanding.

 オーバーランディングは障害物を克服してゆくという点では探査に似ています。

 私たちが旅する道やトレイルは荒れていたり、技術的に走行が困難な場合がありますが、困難な道を走行する事は目的そのものではなく、あくまでも目的を達成するための手段に過ぎません。

 目標は、家から100マイルの週末旅行であろうと、別の大陸を横断する10,000マイルの遠征であろうとかまいませんが、その旅を通じて私たちの住む世界を見て学ぶ事が大切です。

 車両と設備はシンプルなものでも贅沢なものでもかまいません。これらは、単に目的を達成するための手段にすぎないのです。

 歴史、野生生物、文化、風景、自給自足などの学習や経験こそがオーバーランディングにおける報酬となります。

 

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LOCK-DOWN

2020年04月18日 | ロクマル日記

 LOCK-DOWN(都市封鎖)の環境下で、オーバーランダー達はどの様に過ごすのが好いのか?についてネットでは、地図を調べて将来の計画を立てる。とか、オーバーランドサイトであるエクスペデッションポータルを観て過ごす等様々な意見がある。ここ、ニューヨーク、ニュージャージーはニュースを見る限り世界最悪の現場となり、恐怖の空気が沈滞し、不要不急の外出は禁止され、移動と活動が著しく制限されている。こういった環境は強度の差はあれ世界的な現状である。

 

 車の楽しみ方には幾つかある。ドライブ、眺める、いじる、集う。等であるが、その中でも、眺める、いじるは限定的ではあるが可能な行為である。いじる、という行動に出てみた。オイル交換と基本チェックではあるが、結局インフラの課題などもありメカニックに依頼する。作業するメカニックの横に立って終始見守る事で一緒に作業したという事にする(汗)。約30分程で終了してしまった。まだまだ強制休暇は続くというのに...。

 

 一部の冷却ホースに劣化を見つけて交換を依頼する。交換は自分でも出来ない事はないが、やはりプロのメカニックに依頼した。ホースのサイズをきちんと確認したり、ホースをはめ込む時に少し暖めたりと、餅は餅屋です。多くの人が車の修理を依頼し、メカニックがさっと直してしまうと、こんな簡単な仕事なのになんでこんなに金が掛かるんだ。と不快に思う人がいるかも知れない。僕が観ていると、メカニックはその修理をさっとやる為に多くの経験と失敗を既に積み重ねている。自分で修理すると、あーでもない、こーでもない、のトライアンドエラーで、結局金と時間が掛かってしまう。LOCK-DOWN の環境下ではそれもいいんじゃないかと思ったが、止めた。なぜならば、いじる、という楽しみよりも、眺める、という楽しみを選択したからである。ボンネットの下で元気な2Fエンジンの音と匂いと熱風をコーヒーを片手に楽しむためだ。ホースの交換を依頼しただけだが、結果、バッテリー、オルタネーターにも問題が見つかり現在対処中。

 しかし、いじる。という行為(楽しみは)除外された訳ではない。具体的には掃除や錆への対処となる。また、車はハードルが高いが自転車ならば敷居が低いので、自転車をいじりつぶしてやろうと思っている。

 

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自由を感じるランクルドライブ

2020年04月14日 | ランクル ドライブ

 ランクルに乗り込み、直ぐに座席の横のクランクレバーを回して窓を全開にする。少しの間エンジンを温めて走り出す。誰も見ていないのであるが、カッコ付けて左手の肘を窓枠に乗せて指をハンドルに掛けて右手でギアを入れ変える。明るい太陽の下、春の陽気が嬉しい。(サングラスが欲しいな)制限速度気持ちオーバーで街を流す。コロナによって街の道は空いている。こうやって走ると、全く気取りの無い古くややくたびれたランドクルーザーのクルージングには神がかった自由を感じるのである。車は新しくてはいけない、きれいに手入れしすぎていてもいけない、難しい観点だが、普通のトラックがちょうどいい。2車線の道になると高級なベントレーがメルセデスが優雅に追い越して行くが、残念ながらドライブのこの瞬間を楽しんでいるのは誰よりも僕自身であるという優越感を感じているが故に比較する気にもならない。春の明るい陽気、広葉樹の森、そよ風、窓枠に肘を掛けた運転姿勢、そして、錆の回ったランクル。全ては程好く調和している。ランクルのアクセルを踏んでいる時間はコロナという現実を忘れさせてくれる。もうちょっと乗っていたい!という按配で自宅に到着する。エンジンを止めて、ドアをカシャンと閉めると気持ちの区切りが付く。囚われない自由な感覚。ランクルに囚われているのは囚われない自由を体感する為なのだと思うと納得がいくね。

 

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目を開いて廻りを見渡すと、そこは崖下である

2020年04月12日 | 日記

 お気に入りの自転車トレーニングコースが外出自制の強化で閉まってしまった。約10マイル(16キロ)続く起伏のあるハドソン河に沿った崖下の森の中の道は、体力の維持増強だけではなくて、瞑想コースでもあったので残念...、仕方のない処置である。

 英国のある学者がまじめにウィルスは地球外生命体だと言っている。この発言は大衆から不支持なので真実かも知れないと思った。宇宙から成層圏に到達したウィルスは成層圏の薄いヒマラヤ山脈から地球の大気圏に流れ込み、そこを流れる気流に乗って最初はヒマラヤ山脈の東部に落ちてくる。しかし、こういった話を強調する事は、発生地の中国にとっては都合のいい責任転換となる話題だという事も理解しておく必要がある。

 思えば、ソ連の共産主義が崩壊してからアメリカの一人勝、中共の新興、米中覇権争い、などグローバル化という言い訳の元に、世界は資本経済をめぐる先の見えないカオス的な状況であった。自由、共産共に資本主義のもとで金(ゼニ)が物を言う世界、意識している していない の違いこそはあるが、ゼニ信仰が蔓延している現実であった。そういった社会の世界に降ってきたのが新型コロナである。コロナは強制的に社会の運営を停め人間の活動を著しく制限した。

 長い目、大きな視点から見ると、コロナの存在は地球の悲鳴を聞いた宇宙からの地球星救命行為なのかもしれない。コロナは国境を閉じ経済を止めた。人類は今、嘗てない程の試練に遭遇している。ライオンが子供を崖下に突き落とす様に、我々も崖下に落とされたのである。

 

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街は暗いが地球は眩しく輝いている

2020年04月06日 | NEW YORK

 ニュージャージー州のプリンストンという街の郊外にあるマクドナルドの駐車場で咲き誇る桜の花。薄紅色の小さな甘い花を見る時と少年時代の記憶の中にある学校の校庭に咲いていた満開の桜の花を思い出す。桜の花の甘い香りに癒される。

 

 春雨の後、森に隣接した駐車場に停めていたランドクルーザーのボディの上には大量の樫の木の花が雨によってばら撒かれていた。一つ一つの花を見ると愛くるしく感じる。これも春の嬉しい光景の一つなのだ。

 

 コロナの感染防止の為に自宅での自制が求められている。週末、そういった中で外の空気を吸いにいつもの自転車トレーニングコースを走ってきた。皆、同じ事を考えているのか道は凄い賑わいであった。追い越しても追い越してもまだまだ先に人がいる。道端に咲くレンギョウや庭先に咲くモクレン短い春の日々はあっという間に過ぎ去ってしまう、楽しまなければもったいない。終始そんな気持ちで走った。

 

 再び先週のニューヨークマンハッタンの5番街、平日の午後の光景。先方の右手側に見えるのがエンパイアースティトビル。街はコロナの蔓延で暗く静まりかえっているのに、なぜか?空だけは青く明るい。不気味なコントラストである。コロナの蔓延の記憶は自分が生きている限り頭の中にこれからも残るであろう。そして、将来コロナが蔓延した2020年の春のニューヨークを思い出す時に、暗い街の光景よりも明るい春の花や澄んだ青空の記憶の方が強く残る気がするのは、空や花は正直であり自分の心とつながっているからではないかと思う。

 

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ランドクルーザーの耐久期間25年は本当か?

2020年04月04日 | LANDCRUISER

 ランドクルーザーの耐久期間は25年を目安に造られている。という話題を最近耳にするが、どうなのであろうか?メーカーであるトヨタがそう言って購買者に対する説得力を保持しているのか、或いは販売店によるアピールなのか、それとも評論家のランドクルーザーの耐久性に対する形容かは不明である。なぜならば、現行のランドクルーザー200を誰一人として25年以上使用した人は存在しないのである。

 しかし、抽象的なこの話題を現実的なテーブルに載せる事は出来る。それは今から25年前のモデルであるランドクルーザー80をまな板に載せて腹を開けばその現実を知る事が出来るのである。幸いな事に僕は80のオーナーであり60のオーナーでもあり両モデルを比較し評価する機会を得ている。冬季の気温は氷点下15度を下廻り夏季は30度を超えるニューヨークという生活環境の中で主に実用で使用し続け、過保護な待遇の無い路上駐車である。ただし、定期的なオイルチェンジは欠かす事なく行い、その都度メカニックによる点検と指摘された整備は行い消耗品は交換し続けている。(最近はそそろそ買い換えろと言われていますが...汗)そういった条件でオーナーの癖とかは取りえず置いといてさーっと観てみる。

 我がランドクルーザー80は1997年型であり25年間にはまだ2年足らないが結論は出ている。分り易く25年を8年毎に3段階に分けると、最初の8年の一期には殆ど問題が起こらない。問題が起こり始めるのは2期目の後半から3期の期間であり、問題の多くは電装品に集中している。サイドミラーの調整、電動調整シート、電動ウィンドウ、音響システム、自動ロックシステム、パネルランプの不点火、等である。電装以外では、皮シートの劣化と破れ、フロントシート裏のバスケットネットの劣化、錆びによるマフラーの劣化、下回りの錆と塗装のヤレ等である。結論から述べるとエンジン、ミッション、足回り等の駆動機関は25年期間の耐久性がある。しかし、電装品は20年は持たない。という自身の結論である。

 ランドクルーザー60は幸いな事に電装装備が少ない。よって25年のタームで考えると80の様に電装品の故障で手こずる事は無い。現在35年を超えた60の課題は錆であるが、駆動関係は一度トランスミッションを交換しているがしっかりと機能している。60は35年間30万マイル(50万キロ以上)の実用使用に応え続けているので、25年の使用に耐える事にはパスしている。

 もしも、密室のガレージと共にランドクルーザーを保有する事が出来たならば電装品の寿命はもっと伸びるに違いない。しかし、ランドクルーザーという車は世界中の過酷な環境の中で使用される事を考慮されているはずである。25年の耐久期間というのは、良い条件下(過保護な環境)のみでは話にならない。ランドクルーザーといえど結局は機械と電装品の塊りであるので絶対に壊れます。そこで、25年間の使用に耐える為には一つの大きな条件が必要となります。それはガレージでの保管?それも有るに越した事はありませんが、それ以上に大切な条件があります。それはランドクルーザーに対して持つ信頼と愛情です。ランドクルーザーという車は信頼と愛情を持って使用し続ければ25年間使用出来ます。また、その精神があればこそ25年以上の使用にも応える事が可能になる。よって、結論はランドクルーザーに対する愛情があれは25年、それ以上の耐久期間があるという事です。

 

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