今週の月曜日(10月12日)はアメリカの祝日コロンバスデイであった。穏やかに晴れ渡った休日は家の中で過ごすには勿体ないと思い、いつもジョギングで走りぬける一つのコース、ジョージワシントンブリッジ(GWB)周辺の道を今日はカメラを持って歩いてみる事にした。僕が定めたこのコースの特徴は重いもの(戦争の歴史)を感じ、軽いもの(美しい自然)を実感出来る濃縮されたコースである。季節は日を重ねる毎に秋の色彩に染まっていく。この地の持つ波動に自らも染まっていくと、季節の変化というダイナミックな地球の活動を肌で体感する事が出来る。
今日は走りぬけるのではなくて、
私と一緒に歩きましょう。
僕は舗装された道を走るよりも土の道を走るのが好きです。
ハドソン河、対岸はマンハッタンです。
マンハッタンは水の上に浮く水上都市です。
大都会の摩天楼は水上の蜃気楼。
ニューヨークという大都市の周辺にも数々の美しい自然が存在します。
以前は自然に恵まれた大きな入り江だったのです。
秋の色に染まりかける広葉樹。
夏はブロッコリーの様にもこもこと茂っていたのだが...
青々しさ、若さとは有限なものなのだなぁ。
コロンバスディとは?
1492年に、北アメリカ大陸に、クリストファー・コロンブスが到着したことを祝う。この日は、ネバダ州、ハワイ州、カリフォルニア州、テキサス州、フロリダ州、サウスダコタ州を除くアメリカ合衆国のほとんどの州で休日となる。(但し、一部の州または市では、同じ10月第2月曜を別の祝日として休日にしている場合もある)。Wikiより、
この土地には巨石(堆積岩)が多い。
巨石は無言で過去を記憶している。
この岩の元に腰掛けて思いをめぐらしてきた、ネイティブアメリカンやヨーロッパからの殖民達の声を覚えている。
ジョージワシントンブリッジの真下にやって来ました。
世界最大の交通量を誇る橋です。
橋には大きな星条旗が掲げてあります。
これは祝日の様相です。
この橋を見上げると、凱旋門のようにも思われます。
2007年10月7日、AIMスポークスマンであるスー族のラッセル・ミーンズは、コロラド州デンバーの「コロンブス・デー」に、デンバー市庁前で以下のようにスピーチを行っている。
- 「コロンブス・デーを祝うことは、インディアンに対して過去に行われた圧迫と残忍な暴力による恐ろしい征服を許容することに他なりません。もちろん、マヤ族やアステカ族などのさまざまのインディアンの中には、恐ろしい人身御供と食人を行っていたとの批判もあるでしょう。シオニストは、大統領予備選挙や中学校などで共感を生むために、第二次世界大戦でのホロコートがより重要であり、プロパガンダとして機能しなければならないと主張しますが、それはインディアンに対する大量殺戮が 今まで人類史で見られた中で、最大のものであるという事実を汲んでいません。Wiki より、
ジョージワシントンブリッジを下から見つめるピラミッドの頭。
引き潮時には3メートル程姿を現します。
ハドソン川(Hudson River)は、アメリカ合衆国の主にニューヨーク州を流れ、大西洋に注ぐ川である。河口付近ではニューヨーク州とニュージャージー州との境界になっている。ヨーロッパ人で最初にこの川を発見したのはイタリア人のジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーで、1524年のことである。名前は1609年にこの川の探検を行ったヘンリー・ハドソンに由来する。Wikiより、
ヨーロッパ人が発見する以前は、この川はイロコイ族によってMuh-he-kun-ne-tuk (Great Mohegan) 、レナペ族によってMuhheakantuck(二又に流れる川)と呼ばれていた。Wikiより、
僕はジョギングコースに登り坂、階段を組み込んでいます。
100m程の標高差を駆け上がるとロッキーバルボアの気分になります。
道は石段、まるで日本の神社の様な感じです。
石段の周りはジャングルのように植物が特に密集しています。
このコースの中でもこの辺りは特別な雰囲気。
植物の密度から強い生命力を感じます。
日本ではパワースポットなどと呼ぶのでしょうね。
階段の途中には石を引き締めたトンネルがあります。
このトンネルは黄泉の国(死)へ続くトンネルです。
暗いトンネルの向こうにも石段は続きます。
トンネルを抜けると、更にもう一つのトンネルをくぐります。
こちらのトンネルは黄泉の世界(死の世界)から光の世界(生の世界)に続きます。
死から再生へ、母親の子宮を抜けるようです。
ピラミッドを築いた先史時代の人間達もこうやって騒いでいたのかも知れません。
トンネルを抜けると青白いお化けがいます。
アメリカのお化けは分かり易いですね。
このトンネルのマスター(守護神)でしょうか?
Engle(イングル)君と名付けましょう。
畏怖を感じながら、いつもの挨拶をする。
うっーす!
...そろそろハローウィンですなぁ、君も忙しくなるねぇ。
石の階段は更に続きます。
生まれた人間は階段を登っていくのです。
時々躓きながら...
息を切らせ、石を踏みしめます。
目の前の木々を眺め、季節の変化を楽しみながら進みます。
体はきついが気持ちいいものです。
そういえば、こんな花火があるよね...
頂上付近では登頂を花火で祝福してくれます。
登り切るとこんな景色が展開します。
橋の向こう側はワシントンハイツという地域です。
ハドソン河という名前は1609年東インド会社によってこの地方に送られたヘンリーハドソンから来ている。
当時、アメリカ大陸の全容は未知であり、アジアに通じる北西航路があると信じられていたため、東インド会社が探検隊を送ったものである。ハドソンはハドソン川をさかのぼり、流域一帯をオランダ領ニューネーデルラント(ニーウネーデルラント)と宣言した。ハドソン川の名はハドソンの名にちなむものである。その後、オランダ西インド会社の管轄に移され、ビーバーなどの毛皮が取れるハドソン川流域の植民が行われた。 ハドソン川の探検で、彼はモヒカン族やワッピンガー族など多くのアメリカ先住民と交易を行い、貝殻、ビーズ、そしてビーバーやカワウソの良質の毛皮を得た。オランダはこの航海をきっかけに毛皮交易を始め、この地域への権利を主張するようになる。こうしてニューネーデルラントが誕生し、1625年、ハドソン川河口の島マンハッタンに首都ニューアムステルダム(後のニューヨーク)が建設される。Wikiより、
植物がおおい茂る森の道を進みます。
気持ちがいいです。
時々、野生の鹿や七面鳥と遭遇します。
星条旗を見ると戦いを感じるのは自分だけなのだろうか?
この地を占領する戦いを、嘗て北米植民地戦争と呼んだ。
17世紀から18世紀にかけて北米大陸における欧州国家間抗争、戦争が繰り広げられた。
1664年、英軍が侵攻してきたためオランダ総督ストイフェサントは無抵抗で降伏した。第二次英蘭戦争(1665年 - 1667年)を終結させたブレダの和約でニューアムステルダムを含むニューネーデルラントはイングランドに割譲され、チャールズ2世はこれを弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたので、ニューアムステルダムはニューヨークと改称された。これがニューヨークの起源である。その後、第三次英蘭戦争(英語版)(1672年 - 1674年)中の1673年にオランダが一時奪回し、ニューオラニエと改称されたが、1674年のウェストミンスター和約でイギリスに再度引き渡され、ニューヨークに再改称された。Wikiより、
燃える様に赤く染まった葉。
色は人間の心に影響を与える。
季節と気温の変化は強制的に人の情緒に影響を与える。
森を抜けると高層ビルに遭遇します。
Fort Lee (リー将軍の要塞)という町です。
実際に要塞の後があります。それは南北戦争という戦いです。
天空の城ラピュタを思わせる様な人口物。
豚の鼻か?
森に散らばる自然のものとも、
人工物ともいえない怪しい石達が、
あちこちに散らばっています。
こうして巨石の声を聴いてみると、この地が栄えたのは交易による港としてだけではなく。太古の巨石文明からの遺産で、栄えるべきして栄えた土地なのかも知れない。と、する証拠もない仮説が浮かび上がってきた。この地の歴史は白人が入植した以後の歴史のみが語られるのみで、遥かに長いネイティブアメリカンの歴史は封印されたままだ。
さて、ジョージワシントンブリッジ(GWB)を渡ります。
鉄の凱旋門の様ですね。
嘗て、この橋の両サイドを巡って戦争が繰り広げられました。
ワシントン砦の戦い(英: Battle of Fort Washington)は、アメリカ独立戦争のニューヨーク・ニュージャージー方面作戦中に行われた戦闘である。1776年11月16日に、現在ではニューヨーク市マンハッタン島のワシントンハイツにあったワシントン砦に対し、イギリス軍が総攻撃をかけて砦の大陸軍守備隊全軍を降伏させた。Wikiより、
ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦(英: New York and New Jersey campaign)は、アメリカ独立戦争中の1776年から1777年の冬にかけて、ニューヨーク市とニュージャージーの支配を巡って、ウィリアム・ハウ将軍指揮するイギリス軍とジョージ・ワシントン将軍指揮する大陸軍の間で行われた一連の戦闘である。ハウはワシントン軍をニューヨーク市から追い出すことに成功したが、ニュージャージーまで手を伸ばし過ぎたがために、1777年1月にはニューヨーク市近くに幾つかの前進基地を保持するだけで、活動できる作戦シーズンを終わらせることになった。イギリス軍は戦争の残り期間ニューヨーク市を保持し、他の標的に対する遠征軍の基地として使い続けた。Wikiより、
交通量が多く、よく揺れます。
橋の途中にかかげられた自殺防止のサイン。
手すりに手を掛けて下を覗くと背筋がぞっとします。
橋の錆が気になります。
それはランクルのラダーフレームの錆びに似ています。
橋の端は右側通行です。
GWBは80号線の終焉、95号線が始まります。
この橋を西にずーっと行くとカリフォルニアのサンフランシスコです。
東にずーっと行くとマサチューセッツのボストンに続きます。
丘の上から橋を眺めます。
今日はGWB橋を、縦と横に廻って来ました。
この橋の上を走って往復すると3キロ程の距離になります。
さて、今日はここまでです。
GWBの横のヒストリックパークで少し休憩中。
思いを巡らすのは楽しい事だと思った。この地の歴史を振り返り、足を踏み込むその場所から見える光景に昔の光景を重ねてみる。アメリカの文明は多くの人はヨーロッパの国々から人々が渡来して発展して来たと理解している。しかし、太古において自然豊かなこの地は幻のアトランティス文明圏に属していたのではないかと妄想したりもした。
レクサスが迎えにやって来ました。
一緒にくっついてきたお化けのイングル君達に別れを告げて 、
妄想の世界から現実の世界に戻って行きます。
ニューヨークの秋は更に深まっていきます。