ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

SALEM の魔女に会いに

2018年06月27日 | 日記
 
 
 
 6月も後半となると気温は上昇し日照時間は長い。時計は夕方の7時半を回りレストランでの夕食を済ませて一人でハンドルを握って宿泊しているホテルに戻る途中に道を間違える。辺りはまだ明るく空は澄んで町は眩しく輝いている様に感じた。先週から仕事でマサチューセッツ州の学問の街ボストンに滞在しています。宿泊は街の渋滞を避けた街の北部にある町です。道に多少迷ったからと言って時間に追われている訳ではないので前方を走る車の群れに誘導されて走っていると SALEM という街の標識を目にした。暫く住宅街の景色が続いたが、やがて繁華街が展開してきた。繁華街は観光客の風貌をした人々が歩いている。多くの商店街のショーウインドウにはホウキにまたがった魔女 (Witch)の絵を目にする。Salem,ここはアメリカで最も有名な魔女の町である。好奇心が先立ち夕食後の散策と言う事で車を停めて一人で町の散歩を始めた。仕事をしている人々なのであろうか?奇妙な黒魔術師の様な格好をした男女に時々すれ違う。ここは一年中ハローウィン的な空気に包まれている様だ。他にも水晶占い、霊媒師、降霊会、魔術師、博物館、ナイトツアー等の紹介やイベント案内が存在している。実にオカルト集結、大集合である。矢印に従い街の中央のメインストリーを外れて古代樹メタセコイヤが青々と茂る公園を抜けると雰囲気は変貌した。そこにある光景は静かな墓であった。その墓の入り口にある解説によると1692年にこの町で魔女狩り裁判が行われ19人の女性が吊首執行された事実があり、その19人の墓(メモリアル)が墓に隣接している。それは当時の大衆の偏見的な圧力が時勢を縛りあげた事実。現在の視点ではアメリカにおける歴史の汚点として教訓的に理解され、19人の死は人権と言う価値観の尊さを後代に伝える為の象徴となっている。Salemの魔女の正体(招待)は魔女と言う存在を捉える時にオカルト的やハロウィーンの乗りで魔女を捕らえるのではなくて、その奥にある本質は他人から魔女と呼ばれて殺されてきた女性達の生きた声であり、大衆は理性を失い間違った判断をするものだという歴史の教訓を町を揚げて町を訪れる人々に伝えているのであった。
 
 
 
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Narrow Porsche 911 

2018年06月22日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 

 アメリカ人はラリーカーに対して馴染みがある人は少ない。オーバーランドというのはクルマやバイクを駆って行う冒険旅行の事だが、人々はそれに使用するクルマはモディフィケーションを施した四輪駆動車のワゴンやトラックばかりだと思ってしまいがちである。この PORSCHE 911 をキャンプ場で見かけた時は歓声が出た。オフロードラジアルタイヤにアンダーガードとラリーカーの要素を取り入れた美しいポルシェである。

 

  Autoweek の Porsche 912E Testarossa to the Sahara の様にスポーツカーであるからこそ道は選ぶがオフロード(主にダート)を楽しむ事は愉しい事であり、しかもそれが近年に生産されたスポーツカーではなくて旧車となると、これは贅沢な行為で有るのかも知れない。しかし、リモートエリアでの故障と、それに対応する事態を考慮すると、より冒険的であると言えよう。車の持っているポテンシャルを殆んど使わない四駆トラックに対比して、その持ち得るポテンシャルをフルに活用しようとするのがスポーツカーでのオフロード走行である。

 

オフロードを意識したラジアルタイヤを使用している事から足回りもラリー設定か?

 

ルーフに一枚の板が積んであるのはリカバリーギアか?

 スポーツカーはその仕様云々以上に、そのスポーツカーをどう使うかという人の有り方が今後の関心事であるというのが、スポーツカーの未来という事なのである。

 

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ランクル錆掃除

2018年06月18日 | ロクマル日記

 今年もランドクルーザーの錆の手入れをする。錆が発生した鉄板はその表と裏共に腐食が進行しているが実際に手を加える事が出来るのはボディの表面のみである。よって、錆の手入れが出来るのは50%、良くて60%。発生した錆は可能な限りほじくり、叩き落す。当然の如くにボディには穴が開くが、その穴が開く事によって通気が良くなり錆は湿気を封じないので錆の進行が遅くなるという考え方に基付いている。ワイヤーブラシで擦りハンマーで振動を与える。近所には不可解な音が暫く響く。

 

 この作業を毎年2回、春と秋に行うのであるが今年は春に雨の多い日が続いたのでなかなか機会に恵まれなかったのである。錆落しと塗装の作業を錆掃除と呼んでいる。所要時間は全てで30分程度で時間を捕われる事はない。荒作業で見た目の評価も左右するので決してお勧め出来る様な作業ではないが、こう観えても時間と金の掛からないメインテナンスはランクル維持を楽しむ過程の一つである。

 

今年は新たにフロントに仲間が(穴)増えました。(笑)

 

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Dance with my father

2018年06月17日 | 日記

 エクスポの片隅に停まっていた一台のウィンテージジープを観て自分の親父の事を思った。親父は自身のジープの思い出を息子(僕)に語った事は一度も無く、孫娘に対して初めて語った。よって、最近になって僕は親父のジープの思い出を初めて自分の娘から聞かされたのである。時代は戦後、GHQが日本を統治していた頃の日本の田舎での小さな出来事である。

 親父が小学校の帰り道に一台のジープが路肩に停まっていた。好奇心でジープに近付き夢中になって中を覘いたりしていると背後に一人の背の高いアメリカ人が現れた。怒られると思ってジープから離れるとそのアメリカ人は優しく日本語で “こんにちわ” と挨拶をして、手まねきをして乗って座ってみろという姿勢を示した。恐る恐るジープに乗り座席に座って感覚を感じた後にお礼を言って降りようとすると、そのアメリカ人はジープのエンジンを掛けてギアを入れジープは動き出した。ジープは短い距離を廻って再び同じ位置に戻って止まった。この小さな出来事が少年(親父)にとっては生涯忘れられない思い出となった。

 僕がアメリカに行くと言ってその準備を始めた時も親父は心配はしていたが反対していなかったのは、どーも少年時代のある日のあのジープの思い出が遠因になっているらしい。そして僕が現在アメリカで暮らしランドクルーザーを生活の足としているのは、あのジープの思い出がDNAを伝って遺伝し形を変え実態となっているのではないかと感じている。

 

 今日は父の日です。

Dance with my firther という曲を贈ります。

 

 

Happy father's day for all of you!

 

 

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うちわ サボテン

2018年06月16日 | 日記

 自分の親父が小学校の時、学校で先生が植物の育成を学ばさせる為に小さなうちわサボテンのピースを生徒達に配った。児童達は各自小さな容器にそのサボテンを植えて教室の中でサボテンが成長するのを観察し続けたそうだ。やがて、そのサボテンは土に根付きミッキーマウスの耳の様に増殖をはじめ、その先に小さな花を咲かせた。その現象にえらく感動した親父の人生はその後植物にはまってしまった。3度の飯よりも植物が好き、仕事よりもそっち、という完全な趣味人、趣味人生が続いた。

 

 セドナの岩場を歩くと足元にはうちわサボテンの群集が幅を利かせ、頭上には Ocotillo と呼ばれる砂漠の植物が美しいオレンジ色の花を咲かせ、その長い茎の揺れを風の気分にまかしている。親父の植物趣味が実際に花を咲かせたのは定年と呼ばれる年を大きく過ぎてからである。人は何か好きになる、夢中になる対象があると活き活きしているものだという事を背中で教えてくれた。時々、野に咲く花を観ると変わり者であった親父の世界が、花に秘められた言葉というものでは表現不可能な宇宙への関心で有った事を感じる。親父のうちわサボテンはその後も繁殖を継続し続け現在ではこのセドナに茂る群集の様になり実家の庭の一角を占領している。

 

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砂漠の歓迎者

2018年06月15日 | FIELD NOTE

 砂漠の中の細道を歩いていると突然小さな乾燥した低木の茂みから小竜が現れ我々の前で停止した。おっ、トカゲ!これは ICON ではないか(笑)、我々は足を止め、にらめっこが始まった。カメラを構えて近付こうとすると実にすばやく1メートル程前進し再び動きが止まった。このトカゲは神の使いではないだろうか?我々がここにやって来た事を歓迎してくれているのだと勝手な解釈をする。暫くかがんだまま、どちらが先に動き出すかの根競べが始まった。頭上では太陽がじりじりと輝いている。全く動きそうにないので、その辺の小石でも拾って落してみようか?と言い出したとたんに足を激しく動かし少し離れた乾いた小木の茂みに消えていった。それはまるで上空に浮かんで静止している UFO が突然動き出して彼方に消えてしまうかの様であった。その動きはとてもかわいい動きで愛おしさを感じた。砂漠は何も無い所ではなくて愛のある所だと思った。

 

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Proffitt’s Resurrection ランドクルーザーFJ45

2018年06月13日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 Proffitt’s Landcruiser は Proffitt’s Resurrection Landcruiser という新しい名前になりました。ちなみに英語の Resurrection とは蘇生という意味です。Proffitt's Landcruiser は2台のランドクルーザーピックアップトラックを持ち込んでいましたが、その内の一台がこの1968年型?(聞いたけど実は正確に覚えていません)のFJ45です。

 

 ワイパーが上から下がっているのは1972年以前のランドクルーザーの特徴である。室内は3速のマニュアルコラムシステムかと思ったが床からのステックシフトでした。車高は少し上がっているがノーマルのバランスの良いFJ45である。

 

 荷台の横のロープフックが時代を語っています。

 

  Proffitt's Resurrection Landcruiser (PRL)は Colorado 州の Austin に拠点を置くランドクルーザーのレストレーション工房である。コロラド州という場所は全米でも指折りの古いランドクルーザーが存在する場所であり同時にランドクルーザーを駆る場所、ロッキー山脈とその周辺の恵まれた環境がある。PRL の工房はオーガナイズドという言葉で運営をしている。レストレーションの依頼を受けた車体が入庫するとその車体事に責任担当者が指名される。過程の作業は分担されるが最後まで責任を持つ担当医が存在するという事だ。彼らは特に40系、60系のパーツの全てを把握している。このFJ45の様にステージ3と呼ばれるレストレーションでは車体を全て分解して新しいボルトで組み立て直している。今後はどのレストアー工房を選択するかが顧客の課題となる。PRLの様にいかに目の届かない所に手を入れるかも顧客の選択の要因となる。忘れてはいけないのは今日のウィンテージランドクルーザーの人気と価値を堅いものにしたのは彼等の様なレストレーション工房であるという事だ。彼らに古いランドクルーザーパーツのアベイラビりィティ(市場中の存在)に付いて聞いてみた。彼らレストアラーでさえ容易にはパーツを入手出来ないとの事だ。彼らはランドクルーザーのレストレーションにおいてはアフターマーケットのパーツは使用しないという拘りを持っていた。

 

 

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FJ Company's ランドクルーザー FJ43 Signature

2018年06月11日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 MIAMI を拠点とした FJ Company が1981年型のFJ43をベースに製作した Signatur と名称されたモデルを観る事が出来た。このモデルは昨年の秋にラスベガスで行われた SEMA で紹介された FJ Company の自信作である。

 

 ボディカラーはオリジナルのタンであるが艶消しで仕上げている。離れて観ると分からないが細部の小さな部品の一つ一つに手が加えられたクラフトである。派手さや主張を否定しシンプルに拘り、ドレスダウンした雰囲気こそがこのランドクルーザーの特徴である。

 

 エンジンはFJクルーザーに搭載されている 4 リッター V6 の 1GR-FE を搭載しており、マニュアルトランスミッションは6速である。ブレーキは全てディスクブレーキ。

 

 ボディのマテリアルを聞き忘れたがアルミの可能性が高い。バックミラーのステム等もアルミ削り出しのオリジナル品である。

 

 内装は手が込んでいるがシンプルに仕上がっている。ステレオコンポーネントを組み込みエンターテーメントを楽しむ快適性を持っている。レザーシートには驚かないが、マニュアルステック、ドアノブ、ペダルなどはアルミニウムから削り出したワンオフの製作品である。

 

 ブルーのFJはオリジナルをベースにフレームオフレストレーションされた車体です。新車以上に輝いています。

 

 こちらの写真は売り物では有りません。ランドクルーザーの製作見本を紹介する写真集です。FJ Company が今までに手掛けた(手掛ける)ランドクルーザーが紹介されています。このShignature はFragstaff の街のレストランの駐車場でも見かけました。FJ Company は最近大きく注目されているビンテージランドクルーザーレストレーション工房です。

 

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Wyld Garage Co 1979 ランドクルーザー

2018年06月11日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 Wyld Garage Co. は主にウィンテージフォルクスワーゲンバスのレストレーション及びカスタムの実績を積んできた工房であるが、彼らはそのVWのレストレーションのノウハウを活かして1979年のランドクルーザーFJ40をレストアと同時に別のクルマに造りあげてしまった。このFJはショーカーであると同時にフォーセールの売り物でもあった。値段は14万ドル(1500万円)と高価である。現在はFJの艶を落したタン塗装は人気なのであろうか? エンジンはノーマル。フロントウィンカーは1960年代のパーツ型である。フレームを延長してブラジルから取り寄せたバンデランテのダブルキャビンを搭載している。

 

 内装も美しく仕上がっている。Vintage Air Company のエアコンを装備し、Garmimin GPS に Apple CarPlay, Bluetooth のハンドフリートークシステムに前方の景色が撮影出来る機能を搭載している。

 

 アメリカではこの型のピップアップトラックは正式に輸入されなかった事もあり目にする機会は殆んど無い。製作には沢山の時間を費やしている。

 

 5人乗りのキャビネットに追加して後部のトラックスペースにもジャンプシートを装備して大人4人が座れる空間となっている。ロールバーも装備されておりサバンナの草原をゆっくり走るのに良げな感じがする。

 

 このWYLD のランドクルーザーを観ながら思ったのは ICON を製作している カリフォルニアのTLC である。TLC は初期の頃はランドクルーザー40系のレストレーションとコンバージョンのみであったが最近は様々な車種をこなす様になった。その中に1967年のVWバスもあった。その様にして捉えてみると近年は単なるレストレーションという枠とは別に古い車(素材)を使って新しい物を築くという思考手法が定着し、現在の技術で古いクルマを楽しむ(コンバージョンとも言われている)形の旧社ブームは既に開花している。新旧、国籍を問わないこの WYLD のランドクルーザーに名前を付けるとすると Landcruiser International がいいんじゃないだろうか。

 

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Jonathan Hanson's ランドクルーザーFJ40

2018年06月09日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 Hanson 夫婦はOverland Expo の主催者である。その主催者の愛車が1973年のランドクルーザーFJ40だという事はオールドスクールのランドクルルーザーを日常の足としている僕にとっては背中を押される気分である。Hanson 氏のコメントや記事は洞察的な視点があり常に何かを学ぶ事が出来るので彼の経験と教示の内容を尊敬している。そういったリスペクトな気持ちがあるのでその Hanson 氏が駆るFJ40は常時興味の対象であった。

 

 Hanson 氏のFJ40は常に我々の行く先に現れた。多忙なスケジュールを考慮して彼を追いかける事などはしないでいたが、それでも握手をして挨拶の言葉を掛けたりする機会には恵まれた。前回御会いした時に比べて少し年をとったかなという印象はあったが握手した時のグリップは強く、頼れる男という実感がその手から感じられた。

 

 1973年のFJ40の走行距離は32万マイルである。ペイントを含む車体はノーマルであるが昨年2017年にエンジンをオーバーホールする行程を得ている。1978年に最初のオーナーから中古でこのFJを手に入れてから今年で所有期間は40年を迎えた。

 

 彼はToyota 4x4 のファンです。以前はカリフォルニアの TLC でフォードのディーゼルエンジンを搭載したタン色のランドクルーザーFJ60も所有していました。

 

  この40は同時にアリゾナカーです。年間を通じて雨の少ないアリゾナにおいては車体の錆は非常に少ないです。オリジナル塗装のかすれなどはありましたが錆は殆んど有りません。オーナーが大切に使用しているという雰囲気が強く感じられました。

 

 装着しているホィールはオリジナルに戻りました。古い事にこだわる事無く前後には機能を優先したアウトフィッターバンパーが装備されています。モディフィケーションは見てくれ的な要素ではなくて機能優先的です。

 

 この角度から観ると良く分かりますが車内にはロールバーが装着してあります。5年程前だったか Mac Mackenney という英国の自動車冒険家がランドローバーディフェンダーのプロテクションアウトフィッターに付いて意見を述べた時に、プロテクションには2種類ある事を述べました。それはクルマを守る為のプロテクションと中の人を守る為のプロテクションの2つです。それで彼の意見としては人を守る為のプロテクションの方が優先的でオフロードを走る人にはロールバーを勧めていました。そういった事をこのFJ40を観ながら思い出しました。

 

 このFJ40から伝わるのは道具とは何かという無言の問いかけなのかも知れない。一台のFJを長きに渡って実用的に使用しているというシンプルな事に過ぎないのであるが、僕にとってその問いかけは大げさかも知れないが価値観や人生観をも刺激される。Hanson 氏のオーラがそこに宿っているからかも知れないがこのFJ40には感じるものがあるのは間違い無い。

 

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ZIMBALIST 家のランドクルーザーFJ55

2018年06月05日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 一台のランドクルーザーFJ55に惹かれるものがあった。古いFJに惹かれるのはランクル好きならば当然の事である。カリフォルニアナンバーのオリジナルペイントでルーフの一部は塗装が剥げて下地のサフェーサーが浮き出している。距離を置いて通り過ぎようとすると車体の後ろのテントからオーナーが丁度出てきたので挨拶をした。

 

 オーナーの名前は聞き忘れたが彼はこのFJ55について色々語ってくれた。このFJを手に入れた時はひどい状態でボディの下部には錆で複数の大きな穴が開いていた。その穴をオーナー自身が修復したのだが穴を塞いで新しく塗装する手段は選ばずオリジナルな雰囲気を保つ事に注意しながら作業の出来が自然で有るようにボディを復元中なのである。そして、彼がこのFJ55のオリジナル維持にこだわっているのには理由があった。

 

 アメリカの俳優 EFREM ZIMBALIST JR. を知っているか?と聞かれた。勿論知らないし、イメージさえ全く沸かなかった。彼の娘 STEPHANIE ZIMBALIST も良く知られた女優であるとの事。このFJ55は ZIBALIST 家で使用されていたランドクルーザーで当時は彼のシンボルであったホースシューの印がボディの横に貼られていた。(写真はその跡です)この意味のあるランドクルーザーをオリジナルで保存したいとする気持ちが現オーナーにはあるのです。外見はオリジナルを保ちつつもエンジンはV8に置き換えられていますが、意味のあるランドクルーザーを使い続けている姿勢は故 ZIMBALIST 氏にとっても嬉しい事なのではないかと思います。

 

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Frank Ledwell ランドクルーザー100を語る

2018年06月04日 | OVERLAND EXPO WEST 2018

 

 Outdoor X4 誌の発行人 Frank Ledwell氏に直接 Landcruiser 100 について語ってもらいました。Ledwell氏は普段の足に、そしてトレイルにおいてランドクルーザー100を活用しています。彼のランドクルーザー100に対する評価はオフロードでの実用に対しても全く問題が無い!と断言するだけではなくて自信を持ってランドクルーザー100をオーバーランドビークルとしてオンやオフロードで使用する事を勧めています。彼はランドクルーザー100に心底惚れており100を一生の愛車として使用し続ける自信を持っていました。    (*写真の100は Ledwell 氏の物ではありません)

 

 ランドクルーザー100は時代の4x4高級指向と高速移動の需要に合わせ独立懸架構造で2,5トンの重量に多くの電子機能を備えています。僕が聞きたかったのはランドクルーザー100に対する実用耐久性の評価でした。果たして多くの電気仕掛けが30年以上の歳月を耐え抜き、30万マイル(50万キロ)を越える使用に耐える事ができるのであろうか?って事です。ランドクルーザー100は生産が始まったのが1998年で終了したのが2007年ですから現在古い車体で20年が経っています。ランドクルーザー100に対する実用耐久評価はこれから始まるのでしようが Ledwell氏は非常にポジティブに100の未来を描いていました。

 

 最後に最新号の Outdoor X4 の表紙に直筆のサインを頂きました。僕のランドクルーザー80は20年という歳月が過ぎて室内のレザーシートが劣化によって破れたり、バックミラーの角度を調整する機能が麻痺したり、電動窓のモーターが弱くなったりと様々な課題が実用使用の過程で出てきます。ランドクルーザー100においても道具(物質)ゆえに、その様な課題は必ず出てくることでしょう。そこで落胆したり、新しい車に買い変えようなんて考えないで、直してメインテナンスして使い続ける自信が持てるのがランドクルーザー100であり、その自信と確信を持ち得ているのが Ledwell氏であった。モディフィケーションも積極的に行いクルマの持つポテンシャルを模索している。ランドクルーザー100は良い意味で我々の期待を裏切る存在なのである。

 

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