職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★自民党の高市早苗政調会長が「40時間でも続けちゃう」という環境を、僕も創出しなくっちゃ……と

2013-04-15 13:30:40 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 季節が変わったからかもしれない。光に向かってカタカタとやりたくなった
2013
04.15



★日曜日に、部屋(DAKA古書店跡)の模様替えをした。
 テーマが3つあった。

 ひとつは、先日ブログに、ずっと部屋の隅に2つ並べておいてあった音響コーラルFLAT―6Sスピーカーを部屋のメインに据えた……と書いたが、実は、右スピーカーから放射される音にテーブルの角がぶつかるのだ。
 音そのものにどれほどの影響があるのかは僕の耳ではまったくわからないが、視覚的には大きな障害だった。
 これを取り除くこと。

 もうひとつは、僕は部屋(DAKA古書店跡)の隅、あるいは奥に向かって、Lets note S10 CF-S10CYBDRを置き、キーボードをカタカタとやっている。
 これがなんだかしんどくなってきた。
 季節が変わったからかもしれない。
 光に向かってカタカタとやりたくなった。
 このためにテーブルを窓際に移動する。
 うまくすると、放射された音にテーブルの角がぶつかる問題といっしょに解決できるかもしれない。

 最後は、自民党の高市早苗政調会長が「5月の連休は、参院選公約の企画作業で宿舎にこもるの。文章を書き始めたら40時間でも続けちゃう。途中で寝るのは嫌なんですよ。食糧調達に外出するとSPの方にご迷惑がかかるので、お料理が得意な主人に10食分くらい冷蔵庫に作り置きしておいてもらおうかな」(2013.4.13 18:00配信「水内茂幸の夜の政論」から引用。註=「主人」拓議員は調理師免許を持ち、政治家になる前にはレストランも経営していた。)と目を輝かせるが、僕も「40時間でも続けちゃう」物理的環境を工夫したい。

★昨日、午後、ライオンズ対楽天戦――9回裏に登場した大石が、松井稼頭央をキャッチャーフライ、藤田一也を1ゴロ、小斉祐輔を空振りの三振に打ち取り、4対2でゲームセット……と、ほぼ同時に、模様替えも完了。

 すごく気に入っている。

 なお、この記事、ならびにアップ作業は、3つ目の「40時間でも続けちゃう」空間でやっている。

★画像上=右スピーカーから放射された音にテーブルの角がぶつかる問題が解決した、僕の音響コーラルFLAT―6Sスピーカー空間。
 画像下=冬季期間、僕が向かっていた、部屋(DAKA古書店跡)の隅、あるいは奥の様子。



職員室通信 2013/04/15号
★安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが」は高段の技

いっしょに困って困って困ってやる
  
~ 中学生の心をとらえているものがゆっくりと動きだし、ことばになる長い長い過程を共にする ~

◆子どもへの接し方(指導)が、A>B>Cとなっているか常に点検しよう……と、ここ、10年くらい、教職員にも、保護者にも、そして、自分自身にも言いつづけているのだけれども、これがなかなかむずかしい。
 修了式(3/26)の朝も――その1年の女子生徒とわたしのあいだには「A」「B」の層が形成されていない……いきなりの「C」は効果がないとわかっているのに――頭髪のことで厳しく叱ってしまった。

◆年度のはじめにあたり、まず、このカウンセリングのA>B>Cについて確認したい。

(1)くりかえしになるが、いきなりの「C」とか、あるいは、「C」だけというのは、ほとんど効果がない。
 その子どもと自分(教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。
 わたしの恥ずかしい体験だが「Cだけでやる。ベタベタしない。僕は毅然とやる」といい気になっていた時期がある。
 哀しいことだが、けっして短い期間ではなかった。
 さらに哀しいことだが、その期間は、教員のわたしにとって、たいへん大事な時代でもあった。
 教育思想が未熟だったのだ。
 Aの部分・Bの部分についての認識がまったくなかった。
 それでも何とかやれたのは、他のベテラン教員が、わたしの分まで、Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。
 そのことに気づくまでに、僕の場合、かなりの時間がかかった。

(2)始業式が始まる直前のことだった。
 体育館で隊形づくりの指導をしている、安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが……」のことばに、わたしはショックを受けた。
 これはAの部分・Bの部分だ。
 わたしからはスッポリと抜け落ちていた。
 このA・Bのあと、安代Tは「C」=座るときの腰、手、足の位置を指導している。
 瞬時に、A>B>C……をやっているわけだ。
 これは高段の技だ。

(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。
 わたしたちはついついアドバイスに走る。
 そして、子どもと話し合ったと思っている。
 しかし、子どもにしてみれば「なにも聞いてくれなかった」という思いだけが残る。
 話を聞いてやり、聴いてやり……、いっしょに困って、困って、困ってやる。
 それだけでいい。
 いっしょに困ってやる過程(時間)を大事にしよう。
 これが教師の仕事だ。(どうしてもという場合、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させる。)
 中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)容易に言語に転換できるものではない。
 中学生の心を捉えているものが、あるいは心に充満しているものが、ゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけよう。

 ただ、ひとつ、心したいのは、教師は親ではない……ということだ。
 姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。
 1年間限定の教科担任だ。
 あるいは、1年間限定の学級担任だ。
 この「わきまえ」が必要だ。
 いい気になると、かならず落とし穴に堕ちる。

(4)ノンバーバルコミュニケーション。
 子どもは、話の内容もそうだが、教師の(面談中、講話中、授業中、日常の)しぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。
 だから、このノンバーバルコミュニケーションを軽く考えてはいけない。
 先輩から「教師は絶対に腕組みをするな」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。
 「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。
 「切れることば」もそうだ。
 どちらも教師としての倫理に反する。
 あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)と言う人もいるが、大まちがいだ。
 わたしの家のレオン(ゴールデンリトリバー)でもフォローはきかない。

 ノンバーバルコミュニケーションを修業しよう。

(5)個人面談で鍛える
 個人面談やチャンス相談は、奥が深い。
 そして、これが、教育のスタートだ。
 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で打ち合わせする機会があった。
 ほとんど、もう、向かい合った瞬間だった――彼女が一言二言話した。
 ただ、それだけなのに、僕の身体からこわばりが溶けた。
 これっていったいなんなんだろう!
 スゴイ!と思った。
 同時に、僕も相手にそんなふうに感じさせるように修業したい思った。
 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。
 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。
 「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。

★関連記事
★中学生の心の底にある気持ちは、そんなに容易に言語で表現できるものではない



  さらにリアルな情報は僕の公式ホームページへ


  僕のWEB無人駅線ページへ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿