★いっしょに困って困って困ってやる ~ 中学生の心をとらえているものがゆっくりと動きだし、ことばになる長い長い過程を共にする ~
◆子どもへの接し方(指導)が、A>B>Cとなっているか常に点検しよう……と、ここ、10年くらい、教職員にも、保護者にも、そして、自分自身にも言いつづけているのだけれども、これがなかなかむずかしい。 修了式(3/26)の朝も――その1年の女子生徒とわたしのあいだには「A」「B」の層が形成されていない……いきなりの「C」は効果がないとわかっているのに――頭髪のことで厳しく叱ってしまった。
◆年度のはじめにあたり、まず、このカウンセリングのA>B>Cについて確認したい。
(1)くりかえしになるが、いきなりの「C」とか、あるいは、「C」だけというのは、ほとんど効果がない。 その子どもと自分(教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。 わたしの恥ずかしい体験だが「Cだけでやる。ベタベタしない。僕は毅然とやる」といい気になっていた時期がある。 哀しいことだが、けっして短い期間ではなかった。 さらに哀しいことだが、その期間は、教員のわたしにとって、たいへん大事な時代でもあった。 教育思想が未熟だったのだ。 Aの部分・Bの部分についての認識がまったくなかった。 それでも何とかやれたのは、他のベテラン教員が、わたしの分まで、Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。 そのことに気づくまでに、僕の場合、かなりの時間がかかった。
(2)始業式が始まる直前のことだった。 体育館で隊形づくりの指導をしている、安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが……」のことばに、わたしはショックを受けた。 これはAの部分・Bの部分だ。 わたしからはスッポリと抜け落ちていた。 このA・Bのあと、安代Tは「C」=座るときの腰、手、足の位置を指導している。 瞬時に、A>B>C……をやっているわけだ。 これは高段の技だ。
(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。 わたしたちはついついアドバイスに走る。 そして、子どもと話し合ったと思っている。 しかし、子どもにしてみれば「なにも聞いてくれなかった」という思いだけが残る。 話を聞いてやり、聴いてやり……、いっしょに困って、困って、困ってやる。 それだけでいい。 いっしょに困ってやる過程(時間)を大事にしよう。 これが教師の仕事だ。(どうしてもという場合、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させる。) 中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)容易に言語に転換できるものではない。 中学生の心を捉えているものが、あるいは心に充満しているものが、ゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけよう。
ただ、ひとつ、心したいのは、教師は親ではない……ということだ。 姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。 1年間限定の教科担任だ。 あるいは、1年間限定の学級担任だ。 この「わきまえ」が必要だ。 いい気になると、かならず落とし穴に堕ちる。
(4)ノンバーバルコミュニケーション。 子どもは、話の内容もそうだが、教師の(面談中、講話中、授業中、日常の)しぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。 だから、このノンバーバルコミュニケーションを軽く考えてはいけない。 先輩から「教師は絶対に腕組みをするな」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。 「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。 「切れることば」もそうだ。 どちらも教師としての倫理に反する。 あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)と言う人もいるが、大まちがいだ。 わたしの家のレオン(ゴールデンリトリバー)でもフォローはきかない。
ノンバーバルコミュニケーションを修業しよう。
(5)個人面談で鍛える 個人面談やチャンス相談は、奥が深い。 そして、これが、教育のスタートだ。 以前、Dr.海原純子さんと、仕事で打ち合わせする機会があった。 ほとんど、もう、向かい合った瞬間だった――彼女が一言二言話した。 ただ、それだけなのに、僕の身体からこわばりが溶けた。 これっていったいなんなんだろう! スゴイ!と思った。 同時に、僕も相手にそんなふうに感じさせるように修業したい思った。 カウンセリング理論を学びながら、わたしたちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。 その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。 「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。
★関連記事 ・★中学生の心の底にある気持ちは、そんなに容易に言語で表現できるものではない
|
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます