WALKER’S 

歩く男の日日

宿毛市小筑紫 大島屋旅館にて

2013-05-05 | 13年四国の旅

 土佐清水から月山神社を経て宿毛市に入る昔ながらの遍路道を歩くには、宿泊ポイントが限られているので、区切り方も多くはありません。
 1日に25kmくらい歩く人であれば、〔大岐マリン〕 25km 〔民宿夕日〕 25km 〔民宿叶崎〕 25km 〔大島屋旅館〕 20km 〔米屋旅館〕 ・・・、という風になり、
 30km歩く人は 〔足摺岬の宿〕 33km 〔民宿叶崎〕 33km 〔秋沢ホテル〕 という風に少し無理をするか、25kmに押さえるかのどちらかになります。
 20kmくらいしか歩けない人は 〔足摺岬の宿〕 14km 〔土佐民宿大平〕 19km 〔民宿叶崎〕 20km 〔安岡旅館〕 19km 〔民宿嶋屋〕 という風にかなり楽な1日を挟むことになります。
 いずれにせよ、民宿叶崎がいかにありがたい場所にあるかが判りますし、大月町の宿も、最後にぼくが泊まった大島屋旅館も本当にありがたいと思います。この道を歩くお遍路は本当に少ないのに、ちゃんと守ってくれている、こういう宿がなくなってしまうと歩く人はいなくなってしまいます。遍路道を守ってくれている宿の人たちには本当に頭が下がります。

 今年の四国の旅で一番心配していたのが大島屋旅館でした。インターネットで調べると一番新しい情報でも3年前で、そのとき女将さんが病院へ行く日だったと記述があったので、土佐市の喜久屋旅館のようになっていても全然不思議ではなかったのです。5日前予約を入れると男性が応答してくれました。ガソリンスタンドの前を左に折れて海岸に出ると右に折れて5軒目です、と丁寧に道案内もしてくれました。そのときはその必要はないと思っていたのですが、実際にバスを降りてみると、確かにへんろ地図だけでは容易に旅館にたどり着けないことが判りました。そういう人が多いので、予約した時に必ず案内をするようになったのだと思われます。
 旅館の前に行くと、全くその雰囲気がないたたずまいでした。RYOMAの休日、の幟があり、玄関灯に小さく大島屋と書かれていたので、やっとのことここが旅館だと確認できるような状態でした。時間はまだ14時だったので中には入らず海岸べりで待つことにしました。通りかかったおばあちゃんが手招きをして、旅館が分からないのかと尋ねてくれました。このあたりで迷っているお遍路さんに出会ったことがあるのかもしれませんね。

 15時になったのでようやく旅館に入ります。アルミサッシの引き戸を開けると、度肝を抜かれる光景が待っていました。桂小枝がドアを開けてストップモーションになる時のような衝撃です。全く旅館らしくない、どころか普通の家でもない。ドアから奥まで一面の土間(床はコンクリートですが)が広がっています。倉庫以外の何ものでもありません。車があればガレージですが、それもない。一瞬たじろいだのですが、びびっているわけにもいかないので声をかけました。全然応答がないので中に入って突き当たりのドアの所まで行くと、ちゃんと部屋があるようでテレビの音が聞こえています。改めて声をかけるとまだ返事がない、諦めるわけにもいかず再度大きな声を出すとようやくおばあちゃんがニコニコしながら出てきてくれました。病院に通っていたはずの女将さんに違いありません。

 お風呂はおばあちゃんがいた部屋のさらに奥にありました。リフォームされて快適です。脱衣場にも鍵がかかって女性にも安心です。部屋は2階、廊下が真ん中にずどんと通っていて両側に4部屋ずつ、一番奥の左側に入るように言われました。おばあちゃんは階段の途中までしか上がれませんでした。階段が上がりにくいのは喜久屋旅館の女将さんもそうだったので、全く気になりません。部屋は古いのですが普通に掃除されていて全く問題ありません。古い、というのと汚い、不潔、というのは全く違います。ぼくは古いということは全く気にならないしマイナスに感じることもありません。ただ、入り口はガラス障子で、鍵は簡単なフックの金具があるだけでぼくの部屋のは引っかかりませんでした。こういうのは女性は気になるかもしれませんね。トイレと洗面もリフォームされていてきれいな方です。
 夕食はボリューム十分で、やっぱり全然歩いていなかったのでちょっと食べきるのに苦労しました。台所と食堂もきれいにリフォームされていました。最初に扉を開けた時はどうなるかと思ったけど、ネットで調べた時に受けた印象通りのよい遍路宿でした。2食付き5500円です。

 バスの時間に合わせて朝食は7時からにしてもらいました。鯖は内田屋さんで食べたものほどはおいしくなかったですが、納豆がやっぱり美味かったです。今年の旅で3度味わって好きになってしまいそうでこわい。
 7時30分に食事を終え、支払いを済ませ、そのまま食堂から土間を抜けて出ていこうとすると、おばあちゃんが玄関まで見送ってくれました。国道へ出るのは右へ行く方が近道だからと教えてくれました。また来年も来ますとは言わなかったけれど心は決まっています。

  これで、歩けなくなってからの旅行記は終了です。このあとは今回の旅で感じたこと、考えたことなどを書いていきたいと思います。