WALKER’S 

歩く男の日日

新高野街道 (2)

2010-07-22 | 新高野街道

12:04

距離表示は読みとることはできない。

12:07

腰掛けがあったので倒れ込むように腰を下ろす。足はほとんど動かなくなっていた。1時間前の休憩と同じく塩をなめスポーツドリンクを飲み干したけれど、気力も体力もほとんど回復しなかった。

12:22

10分休んで歩き始めたけれど、足取りは重いまま、今年の柳水庵以降の歩きと同じような感じだ。
至高野山、1400m、12町50間。

12:33

なんとか清不動堂に到着、ここまで来れば先は見えたようなもの、でも3年前の記憶だからあてにはできない。

12:42

ようやくバス道に合流。登りはここまで、思ったより距離はあったけれど勾配は比較的緩やかで歩きやすかった。

12:44

バス道に入って2分、総本山金剛峰寺の入り口、女人堂に到着した。高野下駅から2時間半、休憩時間を除くと2時間20分。距離が分からないから正確な時速は出ないけれど、まずまずの調子ではなかったか。水屋には水道があって止めどなく山の水が溢れている。500のペットボトルで続けざまに2本分飲み干してようやく人心地ついた。やはりここまでの汗の量は半端なものではなかった。2回目の休憩で調子が上がらなかったのもそのせいだった。

12:50

女人堂の前のベンチで一息ついて金剛峰寺へ向かう。かつてはこの山全部が金剛峰寺であった。この門柱を過ぎれば金剛峰寺の中に入ったことになる。ぼくがこれから向かう金剛峰寺は豊臣秀吉が母親の菩提を弔うために建立した青厳寺が、明治維新の折りに新政府の命令によって改名されたものだという。故にこの中には秀次切腹の間が今も公開されている。

12:51

こちらは左側の門柱、ここから結構な下り坂が町の中心部まで続く、いい気持ちで歩いていたら女人堂のベンチにサングラスを置き忘れたことに気がついて無駄な一汗をかく羽目になった。

13:07

金剛峰寺の裏門(東門)の前を通過、最初来たとき何も判らなくてここから入ってしまった。こちらには水屋がないからちょっとしたマナー違反になる。

13:08

金剛峰寺の南側は広大な駐車場、観光バスがずらりと並んでいる。そういえば、ここは四国と違って今頃が一番のシーズンなのかもしれない。

13:09

本日の最終目的地、金剛峰寺に到着。団体さんの横をすり抜けながら水屋を使う。

13:10

1年ぶりに総本山でお参り、昨年は納経してもらったけれど、今回は納経帳は持ってこなかった。本堂の前で般若心経をあげる。本堂は見学コースになっていて、ぼくの目の前を見学者が通り過ぎていくのはちょっと興をそがれる。

13:21

14時13分のバスに乗るので、1時間くらいの余裕がある。奥の院にはとても行けないので壇上伽藍に行くことにした。写真は国宝不動堂、鎌倉後期の建設。

13:25

元はといえばこの金堂(講堂)が金剛峰寺の本堂ではあった。現在の建物は昭和7年に建てられた7代目のもの。だいたい200年おきに火災にあって焼失していることになる。すごいのはその度ごとに再建され続けてきたこと。それこそが空海、弘法大師の力であり、高野山の力なのだろう。

13:25

根本大塔の大きさには毎度のことながら圧倒される。こんな小さな写真ではその迫力の万分の一も伝えられない。この建物も昭和9年に再建された6代目のもの。
この写真が現在PCのデスクトップの壁紙になっている。それまでは大門の写真だった。

13:26

家に到来物の高野山せんべいがあったので持ってきた。これが本日の昼食になる。家で食べたときは美味いとは思わなかったけれど、根本大塔の前でいただくと実に美味い。持ってきた15枚の内12枚をぺろりとたいらげる。

13:58

バス停は壇上伽藍の近くにもあるけれど、路線がいくつか分かれていて、全部が集まってくる警察署の前まで歩いて戻ってきた。

14:00

ちなみにこちらが警察署、いかにもという感じ。でも玄関の上には高野山交番という看板が掲げられていた。どちらが本当なのか未だに判らない。

14:15

土曜日だということもあって、臨時バスが出ていて5分早いバスに乗ることができた。おかげで極楽橋からも予定より1本早い列車に乗ることができそうだ。


 明日から5回目の区切り遍路に出る予定だったけれど、1泊する余裕がなくなったのと、この暑さの中での鶴林寺太龍寺越えは相当厳しいので、区切りは一旦中断して秋から再開することにした。その代わり明後日の月一の休みは高野山に行くことにした。そのために午前中自転車で姫路駅まで3dayチケットを買いに出かけた。姫路はスルッとKANSAIの西の端、高野山は南の端になるので、ものすごくお得になる。ここから極楽橋まで往復で4280円、ケーブルとバスを使えば5000円を超える、それが1666円になる。
 次回高野山に行くことがあれば、学文路から東高野街道(県道118号、高野橋本線)を歩くつもりだった。でも先日の大雨でこの江戸時代の主要登山道のあるポイントが流されて不通になってしまった。仕方がないので明治時代の主要登山道、新高野街道を歩くことにする。