自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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「私の ジョン万次郎」

2012-07-28 08:53:20 | 推薦図書

写真は本分と関係のない、マレーシアの果物ショップです。


--子孫が明かす漂流150年目の真実--  中浜 博・著 1991/3 小学館 


突然ですが、8月お盆の1週間に日野原重明先生率いる
「ジョン万次郎の旅」に参加することになり、
上記の本を読み始めました。

東洋医学や健康関連の本は結構読んでいますが、
歴史や一般常識には自信がない私です。
「ジョン万次郎」も、名前だけは聞いたことがあるけれど、
詳細についてはサッパリ……でした。

ご縁をいただいたことで、とても良い勉強になりました。
気に入った文章を記録しておきます。

P.67 フォーティナイナーズの意味

  1849年にカリフォルニアの金山を目指してゴールドラッシュが起こり、
  これに参加した人を「49年者」すなわち「フォーティナイナーズ」と呼んだ。

 昔々、中学生の頃、"Oh, my darling, Clementine"という歌を、意味も分からず
  "dwelta miner, fortyniner"と歌っていたのを鮮明に思い出しました。


P.248 ……このような上下の隔てのない人間同士の付き合いは、
  乞食に対してだけではない。相手がどう思ったかは別として、
  大名や奉行に対しても同じであって、媚びることなく人間同士として話をした。

  そうでなければ、封建社会の象徴であるような大名や奉行に向かって、
  「アメリカでは投票によって、賢い人が国主に選ばれる」とは言えなかったであろう。

P.249  「万次郎は不思議な人だ。大名とも話すし乞食とも話す」と言われていたという。
  それは、アメリカで生活し、様々な人種の乗っていた捕鯨船で過ごした万次郎が、
  分け隔てのない人と人との交わりを身に付けていたからである。

  そこには国境は存在していなかったはずで、国際人以前の問題である。
  このような話を本当に理解してくれていた者が、
当時の日本に少なくとも一人だけはいた。福沢諭吉である。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言った彼の言葉通りのことを、
万次郎はごく自然に行っていたことになる。

  (中略)大宅壮一は「炎は流れる」で、万次郎が(海軍操練所を)免職になった理由は、
  「外人のパーティーなどに招待されると、どこへでも出かけていくこと、
   日本人を見下している外人と対等でつきあっているということが、
   彼の上に立つ役人たちにとっては、お高くとまって扱いにくいという印象を与えた」と
   述べている。

  いかにも日本的な考え方で、万次郎にとって住みにくい国であったと思われるのだが、
  万次郎は生涯一言もそのような不満は言っていない。



  

  
コメント
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