こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖家族(ルカ2:22-40)イエスは、ご自分が触れるすべてを聖別してくださった

2023-12-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/31(No.1273)
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聖家族(ルカ2:22-40)
イエスは、ご自分が触れるすべてを聖別してくださった
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今年は12月31日が聖家族の祝日となりました。一年納めの日が日曜日でした。中田神父にとってまるまる一年ではありませんが、皆さんのお祈りとお支えによって何とか今日を迎えることができました。感謝いたします。8ヶ月で、何年分もの経験をさせてもらいました。最近気づいてビックリしたのは、もみあげが白くなっていました。苦労も経験させてもらったということでしょうか。

この一年でいちばん新しさを経験したのはミサの儀式書です。皆さんはずいぶん慣れてきたでしょう。司祭たちは儀式書の細かいところまで注意して唱えるので、この一年大変な思いをして唱えてきました。助任司祭のように若くて記憶力も衰えていなければ、変更点にもすぐ慣れていくかも知れません。しかし私のような30年選手には、今回の儀式書の変更にはずいぶん手こずりました。何せ30年同じ唱え方をしてきたことを切り替えるわけですから簡単ではありません。

今もって悔しいのは、これまで顔を上げて唱えていた部分も、顔を上げてささげることができない、ということです。去年までは、皆さんの顔を見ながら、第二奉献文を唱えることができていたのです。「まことにとうとくすべての聖性の源である父よ・・・」ところが今は儀式書を見て唱えないと不安になります。唱え始めて一年しか経っていないからです。30年選手の威厳も貫禄も見せられない。そこがいちばん悔しいです。もっと上の先輩は、もっと悔しがっていることでしょう。

ところで、奉献文の中でパンの聖別の言葉があります。「皆、これを取って食べなさい・・・」司祭は、大きなホスチア一枚だけを手に取って唱えていますが、この聖別の言葉で、祭壇の上にあるすべてのホスチアが聖別されます。イエス様は、司祭を通して、触れている物だけでなく、祭壇上のすべてのものを聖別してくださるのです。

今日、福音朗読はイエス様が神殿で献げられる場面の朗読でした。中田神父はここにも、パンの聖別と同じことが起こっている。そう考えたのです。律法によれば、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるわけです。出エジプト記13章2節「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである」これがもとになっているのでしょう。

しかし、神の独り子イエス・キリストの神殿奉献は、これまでとは違ってイエスによって触れるものすべてが聖別された、そう考えてみたのです。幼子を抱いて、ヨセフとマリアが神殿に出向きます。幼子イエスによって、ヨセフとマリアが聖別された。両親が連れて来た幼子を、シメオンが抱きました。

シメオンは幼子イエスによって聖別されました。のちに女預言者アンナも、幼子イエスに聖別されます。もっと言うなら、エルサレム神殿と、すべての聖所が、イエスによって聖別された。司祭を通してイエスが祭壇上のすべてのパンを聖別なさるように、イエスによって聖別された。私はそう考えたのです。

さてこのイエスによって聖別されるすべての中に、皆さんは含まれないのでしょうか。説教の流れをよくご理解の皆さんでしたら分かるでしょう。私たちも、幼子イエスによって聖別され、聖家族に加えられるのです。聖体拝領が可能なら、拝領することで私たちが聖別されます。もし何らかの事情で聖体拝領できない人でも、ここに集まっていることで聖別される。そう言って良いのではないでしょうか。

もちろん、幼子イエスによって私たちが聖別されたとしても、私たちはいつか罪によって聖なる状態を失ってしまいます。それで私たちは、頻繁にミサに与り、聖体を拝領するのです。12月10日に触れましたが、日曜日だけミサに参加していた人は年に一度でも良いから、平日のミサ参加を考えてください。あなたの生活全体を、イエスは聖なるものとしてくださるはずです。

誕生日や、結婚記念日、年に一度の日にぜひ検討してください。私たちはイエスによって聖なるものとされ、聖家族に加わる。このことを今週の糧として持ち帰りましょう。説教が長くなってしまいました。

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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
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ちょっとひとやすみ
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▼2023年は、まれに見る忙しい年を経験させてもらった。会議で言えば、「カテキスタ会議」「典礼委員会」「評議会役員会」「評議会」「地区評議会」「教区評議会役員会」「教区施設統廃合検討会議」「司祭評議会」「顧問会」など。これでもいくつか載せていない。
▼福江小教区・井持浦小教区・浜脇小教区、三つの小教区のこともある。まぁ簡単に言えば、私には背負いきれない、ということだ。助任司祭が助けてくれている。その助任司祭も、一人は4年目を過ごしていて、一人は3年目を過ごしている。

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今週の1枚
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第880回目。堂崎福江間司祭団マラソン中間地点。聖家族も典礼暦の折り返し。

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† 神に感謝 †
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)毎日眺めてもよい救い主です

2023-12-25 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/25(No.1272)
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主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
毎日眺めてもよい救い主です
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あらためて主の降誕おめでとうございます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(1・14)ここにお集まりの皆さんは、「誕生の喜び」を特別に知っている方々だと言えます。夜半のミサでご降誕を祝い、翌日の日中のミサも続けて来てくださっているからです。

中田神父は経験できないことですが、自分に家族がおられて、誕生の喜びを分け合ったことがあるなら、新しい命がずっと見ていても見飽きないという経験を持っているのではないでしょうか。鯛ノ浦に住んでいる私の母親は、妹夫婦に男の子が生まれ、祖母となった時に、毎日見ても見飽きないと、素直に喜びを表していました。

毎日眺めていると、小さな変化にも気がつくことでしょう。日々の成長を、細かく記憶していることでしょう。その体験は、今日ご降誕の日中のミサを祝うために大いに役立ちます。なぜなら、救い主としてお生まれになったイエスは、これから日々成長して、神と人とに愛されるようになります。

私たちは、昨晩に続けて幼子イエスを訪問に来たのですから、イエスの成長と共に、私たちも前に進んでいきましょう。イエスは神殿に奉献され、幼いときに命を狙われ、エジプトに避難します。12歳の時には神殿で学者と議論します。

さまざまな場面が、人となられた神の子の成長を確かめる場所です。私たちは、その一つ一つの出来事にミサの典礼の中で立ち会いたいと願っているでしょうか。それぞれの出来事に私たちが立ち会うなら、私たちにとっても霊的に成長する糧をいただくことになります。

降誕夜半のミサで、具体的には触れませんでしたが、何十年もルカ福音書の誕生物語を朗読し、説教しているわけです。その中で「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2・7)これはどういうことだろうと毎年考え抜くのです。

たまたま、宿が満席だったのでしょうか。面倒を避けたくて、宿屋が泊めさせてくれなかったのでしょうか。金持ちが何部屋も貸し切って、宿を取れなかったのでしょうか。中田神父が20代30代だったとき、面倒を避けようとしたことは想像できませんでした。金持ちが何部屋も貸し切ったかもしれないという発想は、50代になるまで浮かびませんでした。けれども想像したどの理由も、人間の世の中ではあり得るのです。

何十年も思い巡らして気づくこともあります。だから、イエスの一つ一つの出来事に、私たちもついて行くことは意味があるのです。毎週あずかっているミサは、同じ事の繰り返しですが、何年何十年と参加して参列者が気づくこと、ミサをささげる司祭が気づくこともあるのです。

日中のミサで朗読されたヨハネ福音書の始まりの部分も、何十年も朗読してきましたが、今年、初めて次の箇所に目が留まりました。「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(1・16)とっくにこの箇所に目が留まり、取り上げていてよいはずですが、この歳になって特別に目が留まったのです。

今年のクリスマス、一人の神父様は大腸がんという大病を患った中でミサをおささげします。だれがそんなことを想像できたでしょうか。けれども私は、ヨハネ福音記者が捉えた「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」このメッセージは今年のためにあると、信じたいのです。

わたしたちの間に宿られたみことば、イエス・キリストのおかげで、例外なく皆が、恵みの上に、更に恵みを受けた。絶対にそうなんだと、言い聞かせています。あなたにとって、おいでくださったイエスは毎日眺めてもよいと思える救い主でしょうか。来年また見に来ます。そのような存在でしょうか。今日ここにお集まりの皆さんは、毎日眺めていたい、毎日私の心に留まっていてほしいと願っている、そんな皆さんに違いないと信じております。

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‥次の説教は‥‥
聖家族(ルカ2:22-40)
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ちょっとひとやすみ
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▼日中のミサが「仕事で参加できません」と返事する人が増えてきたのはいつ頃からだろうか。少し前だと、クリスマスに参加できる化できないかを悩む人は少なかったのではないか。福江教会では日中のミサが6時と9時と二回あるので、ほぼ問題なさそう。

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今週の1枚
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第879回目。クリスマスに関係ないけど、あの人は何歳?何年生まれ?

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† 神に感謝 †
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