こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第2主日(マルコ1:1-8)主の道を整え、道筋を真っ直ぐにせよ

2023-12-08 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/12/10(No.1268)
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待降節第2主日(マルコ1:1-8)
主の道を整え、道筋を真っ直ぐにせよ
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「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(1・3)イザヤのことばは、洗礼者ヨハネによって実現しました。曲がりくねった道、ああ言えばこう言う、これが現実です。それでもヨハネは、ダメなものはダメと、曲がったことと決して妥協せずに救い主到来を準備させました。

しかし周りを見れば、曲がったことと妥協したり折り合いを付けたりして生きています。たとえ人の道に反すると思っていても、「人の道に反しています」とはっきり指摘を受けてさえも、臆病になり真っ直ぐにすべきことができない、哀れな現実があります。洗礼者ヨハネの、竹を割ったような真っ直ぐな歩き方に合わせることができない人は、うつむくばかりです。

しかし、あとから来られる救い主は、弱くて道筋を真っ直ぐにできない哀れな人にも、憐れみをかけ、赦しを与えようとされます。私たちはその方を今まさに待ち望んでいるのです。仮に「悔い改めます」と、日に七度告白するような人にも、希望を持たせてくれるお方です。

まことの罪の赦しを届けに来る救い主は、どんなに有難いことでしょう。洗礼者ヨハネの洗礼は、「悔い改めの洗礼」と言われました。ヨハネの洗礼は、律法に背く状態から、律法にかなう状態に改めるところまででした。一方、後から来られる救い主は、掟によっては救えないような深い闇に住む人々にも光となってくださる方です。

先週から、クリスマス前の赦しの秘跡を案内しています。全員クリスマスの前に受ける必要は無いかも知れませんが、この秘跡は自分の努力だけでは道を真っ直ぐに歩けない私たちを赦して、大きな愛で包んでくださるイエス様の恵みです。よりよい降誕祭を迎えるために、積極的にあずかりましょう。

赦しの秘跡で、償いとして「愛のわざを一つ果たしてください」と言われたら皆さんどうしますか。もし、今日でしたら9時のミサ後に青年会がミニバザーを用意しています。ミニバザーに顔を出して協力してくださるなら、それは確実に「愛のわざ」となります。ほかにも、主日のミサ参加にとどまっている人が、月曜日から土曜日、平日のミサに一回でも参加するなら、それは立派な「愛のわざ」だと思います。

平日のミサに参加するには眠気に打ち勝ったり、忙しい時間をやりくりしたり大変だと思いますが、それをあえて引き受ける。その「愛のわざ」は、ご降誕のその日に必ず、報いとなって返ってくる。中田神父はそう思います。バザーに顔を出すか、平日のミサに参加する。私は具体例を示しました。どちらでもけっこうです。

「歩く道を真っ直ぐにするように、私たちは期待されている。」あなたがそう思うなら、ぜひ自分にできることを考え、実行しましょう。待降節にささげた私たちの愛のわざに、おいでになる救い主ははるかに優れた喜びで報いてくださいます。洗礼者ヨハネもこう言っているのです。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。」(1・7)

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‥次の説教は‥‥
待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)
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ちょっとひとやすみ
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▼今年2023年もあと少し。今年自分にとっていちばん大きな変化は、主任司祭かつ地区長という「置かれた場所」の重みだった。与えられた使命を十分に果たせず、うつむく日々。引き受けたのだから向き合って過ごしてはいるが、今さらながら「果たせていないよなぁ」と弱音を吐いてしまう。
▼島本大司教様がいつも励ましの言葉にしていたのは「大工は大工をしながら大工になる」ということだった。しかし八ヶ月が過ぎたが、「地区長をしながら地区長に」なっている実感はない。初めてのことがこんなに重くのしかかるとは思いもしなかった。
▼それでも、前に進まなければならない。もし私が今引き受けていることが「自分の十字架」であるなら、必ず神はそれを見ていてくださる。今週の福音朗読に光を見つけた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。」この方が、私の思い煩いを吹き飛ばすほどの喜びを携えて、馬小屋においでくださる。

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今週の1枚
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第875回目。主は神としての身分さえ横に置いた。私が「ゆず」れないのは何?

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† 神に感謝 †
コメント
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