こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第12主日(マタイ10・26-33)人々を恐れず「言い広めなさい」と励ましている

2020-06-19 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200621.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/6/21(No.1068)
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年間第12主日(マタイ10・26-33)人々を恐れず「言い広めなさい」と励ましている
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」(10・27)私たちはいただいた信仰を、人々を恐れることなく、「明るみで」「屋根の上で」言い広める必要があります。

先週は忘れ物に振り回された一週間でした。信徒会館のマスターキーをスータンのポケットに入れたままクリーニングを依頼して、信徒会館の鍵がないと大騒ぎしました。どこにも当てが無く、たまたま鍵の紛失に気づいたのが6月13日「聖アントニオ」の記念日でしたので、無くした物を見つけ出すために取り次ぎを願う有名な聖人である聖アントニオに、「鍵が見つかりますように」とお祈りしました。

すると1分も待たずに勝手口のチャイムが鳴り、「クリーニングに預かっていたスータンができあがりました。ポケットに鍵が入ったままだったそうです」と、鍵も一緒に届きました。まさに聖アントニオの記念日に、祈りの効果がすぐに与えられました。油断したのか安心しすぎたのか、数日したらまた大きな忘れ物をしました。

今度は6月15日、月曜日なので釣りに行く日です。朝ご飯のあとすぐにJAのガソリンスタンドに行き、船外機の燃料を10リッター買いました。最近はガソリン缶に小分けしてもらうのも免許証を見せて住所と名前、使用目的を書いてからでないと携行缶に分けてもらえません。いつもの通り免許証を出して書類を書いて、無事ガソリンを分けてもらって生向(いけむこ)から平戸瀬戸に出て半日釣りをして帰りました。

木曜日の晩、10月に結婚を予定している人の勉強会を終えて何気なく財布を触ったら、いつも車の免許証を入れているところにボートの免許証が刺さっていたのです。いろいろ探しますが見つからない。その晩はずいぶん探しましたがダメでした。

そこで藁にもすがる思いで「聖アントニオ!頼む!」とお祈りしたら思い当たる節がありました。ガソリンを10リッター買ったときに、免許証を財布から出しています。きっと月曜日に忘れたまま、木曜日になっていたのでしょう。

金曜日は「イエスのみ心」の祭日でした。祝い日のミサを終えて朝7時に恐る恐るガソリンスタンドに電話すると、「軽トラックでガソリンを10リッター買いに来られたお客さんですか?免許証預かっていますよ」という返事でした。

肝を冷やしましたが、私がガソリンスタンドを去ったあと電話帳を当たったが、小手田免19番地で「中田輝次」という名前が見つからなかったので動けなかったということのようです。「聖アントニオに祈れば間違いないから、これからも熱心に祈りなさい」と、イエスのみ心が私の心に語りかけてくれたのだと信じております。

材料はどんなものでも構いません。私はイエス・キリストを信じ、聖なる公教会を信じ、使徒たちから受け継いできた伝統を信じている。そのことを、人々を恐れずに言い広めなさいと、イエスは呼びかけておられるのです。私のようなドジを踏んだ話でも構わないのです。皆さんのこれまで生きてきた中で、自分が信仰に支えられて生きていると体験したことを、恐れずに言い広めて欲しいのです。

けれども、これだけ言ってもある人は口を開けないのかも知れません。人々を恐れているかも知れません。人を恐れるのは「今」恐れているか「将来のこと」を恐れているか、どちらかでしょう。イエスはそのどちらも恐れる必要はない、恐れを取り除いてあげると言います。

「今」恐れている人にイエスは言います。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」(10・28)「今」イエス・キリストを言い広めると、たくさんの妨害を受ける。そう感じて恐れているのでしょうか。私たちの証を「今」妨害する人も、私たちの見えない心の部分まで妨害することはできません。目に見える物に害を加えることができても、最も重要な神への信頼とか、神への愛にまで害を加えることはできないのです。

「将来のこと」を恐れている人にイエスは言います。「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」(10・32)今、妨害しないかも知れませんが、私たちの証を不満に思って何年後かに苦しめるかも知れません。あるいは私たちの後の世代を苦しめる人がいるかも知れません。けれども私たちは天の父の前でイエスから「仲間である」と言ってもらえる約束を受けています。約束を決して破らない方の言葉に信頼できるなら、「将来のこと」も恐れる必要はありません。

「将来のこと」で一つ思い出しました。宗教にまったく興味を持たない人たちの集まりに「宗教者」という形で呼ばれたことがありました。呼ばれた人たちに次のような質問をされました。「もし、来世がなかったら、宗教は無駄ではないでしょうか?」と。

その時私は「確かに、来世がなければ宗教は無駄でしょう。ですがもし、次の世界があったときに後悔したくありませんし、今の生き方にも神を信じていることで道を逸れないようになるとか、十分恩恵を受けていますよ。」それ以上のやり取りはありませんでしたが、宗教にまったく関心のない人にカトリックの司祭として証した最初の出来事でした。

信仰に根ざして、誠実に生きてきた人は、学問なんか関係なく、立派にイエス・キリストを人々に言い広める力を持っている人です。「今」恐れがある人にも、「将来」に恐れを感じている人にも、イエスは必ずそばに寄り添い、恐れを取り除いてくださいます。「神様に感謝しない千日よりも、神様に感謝する一日のほうがすばらしい時間です。」これだけでも十分な証です。

教会に集まって、ミサの中で聞いたことを、明るみで言いましょう。ミサの中でイエスが耳打ちしてくれたことを、屋根の上で言い広めましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第13主日(マタイ10・37-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼身体が思うように動かないなと感じるのは、年齢を実感する場面だ。この前一人で食べる昼食に、めったに食べない「インスタントラーメン」を用意した。ネギ山盛りが私の好み。思う存分ネギを入れて、少し硬めに仕上げ、喜びつつ盆に載せて食堂に運んだ。
▼盆に載せたのはとても熱かったからで、そのままでは食べづらい。マナーにももとるかも知れない。それで盆からテーブルのシートに移動させようとした。その時どんぶりの底がどうやら盆のフチに当たったらしい。勢いよく中身がテーブルにこぼれ、床まで落ちた。
▼「あっ!」と言ったが覆水盆に返らず。一口も食べず、泣きながら床とテーブルを拭き、インスタントラーメンを口にすることなく勉強部屋に戻った。「ふて寝」して、気がついたら夕暮れになっていた。夕食を作る気力も無く、やや不自由な右手を恨めしそうに見つめた。怒りがこみ上げ、この日の晩はいったい何を食べたのか、記憶が無い。
▼それでも、食べる喜びが奪われることはなかった。木曜日に先輩の司祭を招いて、「キーマカレー」をご馳走した。たいした料理でもないが、先輩は無類のカレー好き。箱に書いてあったとおりに調理したカレーを完食し、満足そうに帰ってくれた。
▼自由が利かなくなりつつある右手を気にして、MRI検査まで受けた。結果に問題は無いそうで、様子を見ましょうとだけ言われた。宅急便が来てサインを求められるが右手がかすかに震える。
▼証明写真や集合写真で「動かないでください」と言われて待つ間に顔の右側が揺れる。腕を伸ばし、両手を合わせてスクワットすると右腕が震える。いろいろ心配なのだが、はっきりした原因が分からない。歳を取るとはこういうことなのか。

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今週の1枚
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第675回目。料理は楽しい。面倒だし、粗相をして悔しいこともあるけど楽しい。

ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「鳥の名前で、えーと、『シジュウ何チャラ』」「・・・シジュウカラ」
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† 神に感謝 †
コメント
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