こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第20主日(マタイ15:21-28)もっと食い下がって願い求めなければならない

2020-08-16 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200816.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/16(No.1077)
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年間第20主日(マタイ15:21-28)
もっと食い下がって願い求めなければならない
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
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(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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聖母被昇天のミサを終えての日曜日です。少しずつでいいから、暑さも和らいでほしいものです。ちなみに来年の聖母被昇天は日曜日に当たっています。また、昨日の聖母被昇天と、今日の年間第20主日は、もしも聖堂内の人数がオーバーしたときのために、リモートの部屋を用意してみました。緊急の措置ですが、定員オーバーした人、堂内で具合が悪くなった人や乳幼児のいる方も含め、活用できたらなと思っています。

福音朗読に戻りましょう。カナンの女性が、自分の娘の苦しみを取り除いてくれるように願います。これは母としてのなりふり構わない熱意の表れでしょう。ところがイエスは、原理原則をまずは示します。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(15・24)。

原理原則であっさり引き下がる人はまずいないでしょう。特に無理を承知でお願いしている人は、原理原則で無理が通らないことは十分承知しています。カナンの女性は、いわば見ず知らずの、畑違いのイエスにお願いをしているからです。

イエスはさらに手厳しく、女性の願いを斥けます。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」(15・26)。自分たちを「子犬」扱いされると、さすがに人によっては背を向けるかも知れません。「なんだ。こんな人だったのか。」そんなセリフを残して、去って行く可能性もありました。

それでもこの女性は食い下がります。原理原則で拒否され、さらに手厳しい言葉で拒否されたのに、彼女は食い下がりました。母親だから、ということもあるでしょうが、私は彼女が、「異邦人だったから」食い下がることができたのかなと考えました。同じユダヤ人であれば、イエスの杓子定規の態度、人を食ったような態度に嫌気をさし、ここまで食い下がれないかも知れません。

カナンの女性が「部外者」「外の人」であれば、「ユダヤ人」は「中の人」でしょう。もっと言えば、洗礼を受けた私たちもまた「中の人」と言えるかも知れません。中にいる人たちは、自分たちがお世話を受けることをある程度当然のことと考えているので、もしこの時のイエスのように辛く当たられるとヘソを曲げ、「あの人がいる間は教会に行かない」ということになるかも知れません。

カナンの女性の食い下がる姿を、「中の人たち」である私たちは軽んじてはいけないと思います。私たちにとって当然と思えるようなお世話も、当然とは言えない人にとってはあり得ないほどの豊かなお世話なのです。そのことをカナンの女性は見抜いていた。だから、どんなにつれなくされても食い下がったのではないでしょうか。

私たちは謙虚に、彼女の姿に見倣わなければなりません。私のちょっとした体験ですが、浦上の助任時代に結婚を予定していたカップルが、予定を組んでいるのにいつまで待っても結婚講座に来てくれないケースがありました。実家に電話しますと父親が電話に出ました。「講座に来てくれないと結婚式をできなくなりますよ」と伝えると逆ギレされまして、「お前はそれでも神父か。結婚式を挙げてくれるのが当たり前ではないのか。前の神父様はそんなに厳しくしなかったぞ。何様か。」もっとひどいことを言われましたが、この家族をどうやったら導けるか、一日頭を悩ませました。

その結果、次の日の朝ミサの後にその実家に行きまして、朝7時にチャイムを鳴らしました。父親が玄関に出てきました。少しきつく言い過ぎましたと謝りました。本心は、「なぜこちらが謝らなければならないのか」と思っていたのですが、一歩引いてみました。

するとお父さんは「息子にもよく言い聞かせます」と言って、それでようやく結婚講座に来てくれることになり、無事結婚式を挙げたのでした。私は浦上に来たばかり、浦上の事情も、この家庭の事情も知らなかったので、最後の最後まで食い下がることができたのだと思っています。

私たちはつい、受ける恵みを当然のことと思うことがあります。恵みを受けられないことを不当だと考えることがあります。けれども恵みはすべて神から無償で与えられるもので、私たちのほうに要求する権利はないのです。そうであれば、心からその恵みを求めている人は、食い下がる必要があるのではないでしょうか。

「教会の中の人」である私たちは、恵みに対して食い下がる気持ちをいつの間にか失っているかも知れません。当然もらえるものをもらえなかったと言ってイエスを非難したり背を向けたり、いつの間にかそういう態度を取っていないでしょうか。

私がなりふり構わずイエス様の足もとにすがりついた、食い下がったのはいつ以来でしょうか。カナンの女性に見倣いたいものです。

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‥次の説教は‥‥
年間第21主日(マタイ16:13-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼緊急の措置ではあるが、リモートの部屋を用意して収容できない人を案内することにした。いちおう、教区本部に問い合わせて、教区長の「暫定的な措置」としての許可を頂いている。説教にも書いた通り、収容しきれない人、具合が悪くなった人、乳幼児を抱えて肩身の狭い人などが恩恵を受けられれば、と考えている。
▼リモートは、ひょっとしたら典礼上、有効なミサ参加にはならないかも知れない。しかし私たちが教えられた「有効なミサ参加」のもとになっている定義は、いつのものだろうか?ひょっとしたら、トレント公会議のものかも知れない。
▼そうであるなら、現代の状況に即した定義をもう一度考える価値はあると思う。現場がいろんな試行錯誤をして、問合せをして、それが現代における「有効なミサ参加」の議論を産めば、取り組んだことは無駄にならないだろう。
▼さすがに、「オンラインミサ」「オンライン告白」その他「オンライン秘跡」は有効にはならないかも知れないが、「リモートでのミサ参加」はこの新型コロナウィルスの経験を経て、可能性として検討されてもよいのではないだろうか。

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今週の1枚
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第684回目。美しく磨き上げられた聖母像。「巡礼者の聖母」と名付けてみた。

ホームページもご覧ください。
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今週の「笑える」
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「ドライヤーある?」「インパクトドライヤーあるよ」「インパクトありすぎ」
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† 神に感謝 †
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