こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第21主日(マタイ16:13-20)あなたに天の国の鍵を授ける

2020-08-22 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://ss104313.stars.ne.jp/voice/200823.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/23(No.1078)
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年間第21主日(マタイ16:13-20)
あなたに天の国の鍵を授ける
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【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
チャンネル登録歓迎します。
(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
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「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。」(16・19)宗教画では、鍵を手に持つ聖ペトロ、剣を持つ聖パウロという構図はよく描かれます。あらためて「鍵」について考える機会としましょう。

先日、お告げのマリアのシスター橋口ハセさんが亡くなりました。名前を聞いてピンと来る人はそうとう「お告げのマリア」ならぬ「お告げのマニア」です。出津の救護院という場所で観光のため訪れた方にド・ロ神父様がフランスから持ち込んだオルガンを弾いて、「いつくしみふかき」を一緒に歌いましょうと、オルガンの音色を聞かせ、母親から聞いたド・ロ神父様の思い出を語ってくれたシスターでした。

そのシスターが、8月19日、101歳で天国に旅立っていきました。往年の、オルガンを弾いている姿は、YouTubeで誰でも観ることができます。一目見ただけで、足踏みオルガンの素朴な音色に魅了されると思います。ぜひご覧ください。

私は直接、橋口シスターにお目にかかったことはありませんが、きっと出津教会、外海地区巡りで外すことのできない場所、出会いだったのだと思います。すると、橋口シスターは外海地区の鍵となる人物だったのではないでしょうか。

巡礼で訪ねてくる人と出津とをつなぐ鍵となる人、訪問者をド・ロ神父様とその時代につないでくれる鍵となる人。ド・ロ神父様を日本に送ってくれた神様につないでくれる人。それが橋口シスターだったのだと思います。橋口ハセと言うくらいですから、生きているうちにハセ参じたかったです。

福音朗読に戻りましょう。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。」物理的な鍵を握っていても構わないのですが、私はペトロ自身が、天の国の鍵なのではないかなと考えました。

ペトロは信仰を表明した後、イエスが死と復活を予告したことに慌てて、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(16・22)と遮ります。このようにペトロはまだまだ不完全ですが、その後もイエスの言葉を生きる土台「岩」にしていったのです。イエスの言葉に信頼を置いて生きる姿が、天の国の鍵ではないでしょうか。

ペトロは、イエスから天の国の鍵を託されました。私たちがペトロに倣って、不完全な者ではあるけれどもイエスの言葉に土台を置いて生きようとするなら、私たちも天の国の鍵を授けられた者と言えるのではないでしょうか。私たちの生き方が、生き方を探している人をつなぎます。

あなたが地上でつないだ人は、本当の生き方を見つけ出し、天上でもつながれます。101歳で亡くなったシスターが、見ず知らずの人々を地上でつなぎ、その人たちの何人かは、イエスの言葉に土台を置いて生きるシスターを見て、天でもつながれていきます。私たちもペトロに倣い、身近な先輩に倣うことで、イエスから天の国の鍵を授けてもらえるのです。

私たちは、地上で何人の人をつなぐことができるでしょうか。イエスの言葉に土台を置いて生きる姿を通して、何人の人を地上でつなぐのでしょうか。それは召された生き方によって違うでしょう。ある人は、何の妨げもなく、地上の人々をつなぎ、天の国にもつなぐ生き方に召されます。

もしその招きを受けたなら、大切にしてください。101歳まで、命尽きるまで地上の人々をつなぐ生き方は、誰にでもできるものではないからです。大きな志を立てて、数多くの人をつなぐ鍵になりましょう。鍵は小さな存在ですが、とても大切な存在なのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第22主日(マタイ16:21-27)
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ちょっとひとやすみ
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▼今頃?と言われそうだが、ゴーヤの日除けを作ろうと竹を切って蔓を伸ばし始めた。去年落ちたゴーヤが自然に地面を這っていたのだが、まだまだ日差しも強く、植物のカーテンに利用させてもらおうという魂胆だ。
▼幅2mくらいの用地に、5本竹を挿した。それに地面一杯に広がった苗を「この竹を利用してね」ときっかけだけ与えて朝晩水を撒く。日中の西日が強いのでどうなることかと思ったが、頑張って蔓を伸ばし始めている。
▼だが問題も発生した。自然の環境に問題を持ち込むのはいつも人間である。幅2mに挿した竹のうち、エアコンの室外機に近い竹には、何度蔓を這わせても巻き付いてくれない。しまいには葉っぱが腐れ始めた。人間の欲で、室内を冷やそうと熱風を排出する。それを嫌がって、ゴーヤの蔓が巻き付いてくれないのである。
▼「すまんのう。」私はゴーヤの蔓に謝る。これまで野菜を育てたことも生き物を個人的に飼ったこともないので、人間以外に声をかけたことなど一度も無かったが、朝と夕に水撒きをしながら、室外機に近い蔓に謝る日々である。

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今週の1枚
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第685回目。それぞれ違った結果を辿りつつあるゴーヤの蔓。今年、実はつくか?

ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「お待たせ!鼻を長くして待っとった?」「・・・それ、『首』ね」
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† 神に感謝 †
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