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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2024/8/25(No.1312)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第21主日(ヨハネ6:60-69)
信仰に上限を付けると「ひどい話」に聞こえる
‥‥‥†‥‥‥‥
「種を蒔く人」のたとえをご存知でしょう。ルカの8章にありますが、たとえを説明するくだりの13節に「石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである」とあります。
試練は、私たちの信仰がどこまで成長しているのかを確かめる機会となります。イエスを信じる信仰は、中田神父の考えでは「どこまでもイエスのことばと行いに従うこと」だと理解していますが、信仰がそこまで成長していない人の場合、「これ以上は信じられない、これ以上はついていけない」と、見切りを付けてしまいます。
イエスに従い始めた人々の中には、そうやってイエスに見切りを付け、離れていく人々が現れ始めていました。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」(6・60)離れていく弟子たちとは、イエスのことばに自分たちの方から見切りを付けた人たちです。本当はイエスの進む道に最後まで従うことが正しいのに、正しさを貫くことが出来ませんでした。
試練は、現代の教会でも当然起こります。教会活動を続けていくために、礼拝のための聖堂は欠かせませんが、建物ですから年数が経つと当然手を入れる必要があります。更に年数が経てば、建て替えの必要も出てくるでしょう。
しかし、耐震補強や教会建設で積み立てが必要になると、なぜか一定数の人々は背を向けてしまいます。あからさまに転出する人々も出てきます。残念なことですが、自分たちで自分たちの教会を続けていくために協力しあいましょうと呼びかけると、身を引いてしまう人々がいるのです。ただ不思議と、補強工事や教会建設が終わると戻ってきます。
その教会にとどまって耐震補強や教会建設に協力してくれる人々は、それが「必要だと信じ、必要だと知っている」人々です。イエスがパンを取り、割いて弟子たちにお与えになった。杯も同じようにして分けてくださった。そのために今の建物に手を加えたり、新しく建て直したりすることを「必要だと信じ、必要だと知っている」これは、現代にあって最後までイエスへの信仰に従う中での試練だと思います。
イエスへの信仰は、試練によって鍛えられます。ペトロの手紙に次のように書かれています。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(一ペトロ1・7)
イエスに最後まで従っていく弟子たちの言葉にもう一度耳を傾けましょう。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(6・68-69)
今では懐かしさすら覚えますが、私たちの信仰もこうでありたいものです。イエスへの信仰は、「ここまでは信じるけれどもこれ以上は信じることができない」というものではなく、試練の中で「信じます」と繰り返すことで磨かれていくのです。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼"Switch Bot(スイッチボット)"という家電を便利にする道具がある。簡単に言えば、離れていても「スイッチ」を押せる道具で重宝するのだが、例えば「部屋の電気」を考えると、一度に押せるのは通常「ONかOFF」どちらかのスイッチしかない。
▼離れたところから電気のスイッチを押せるようになったとしても、「消すことができるようになったが、つけることができない」ということになる。もちろん、スイッチそのものを付け替えると、同じ場所を押してつけたり消したりできるので、"Switch Bot(スイッチボット)"の恩恵を存分に受けられる。
▼ただし、器具を取り替えるには電気工事士の免許を持った人が必要になる。あ~。前任地だったら「ちょっと来て~」で取り替えてくれる人がいたのだが、ここでは「ちょっと来て」と気安く呼べる人はまだ見つかっていない。そもそも、布団に潜ったまま勉強部屋の電気をつけられるようになったら、ミサに寝坊するではないか。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第919回目。福江教会聖母祭(夏祭り)恒例の無茶振り。お手本など完全無視。
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/8/25(No.1312)
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年間第21主日(ヨハネ6:60-69)
信仰に上限を付けると「ひどい話」に聞こえる
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「種を蒔く人」のたとえをご存知でしょう。ルカの8章にありますが、たとえを説明するくだりの13節に「石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである」とあります。
試練は、私たちの信仰がどこまで成長しているのかを確かめる機会となります。イエスを信じる信仰は、中田神父の考えでは「どこまでもイエスのことばと行いに従うこと」だと理解していますが、信仰がそこまで成長していない人の場合、「これ以上は信じられない、これ以上はついていけない」と、見切りを付けてしまいます。
イエスに従い始めた人々の中には、そうやってイエスに見切りを付け、離れていく人々が現れ始めていました。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」(6・60)離れていく弟子たちとは、イエスのことばに自分たちの方から見切りを付けた人たちです。本当はイエスの進む道に最後まで従うことが正しいのに、正しさを貫くことが出来ませんでした。
試練は、現代の教会でも当然起こります。教会活動を続けていくために、礼拝のための聖堂は欠かせませんが、建物ですから年数が経つと当然手を入れる必要があります。更に年数が経てば、建て替えの必要も出てくるでしょう。
しかし、耐震補強や教会建設で積み立てが必要になると、なぜか一定数の人々は背を向けてしまいます。あからさまに転出する人々も出てきます。残念なことですが、自分たちで自分たちの教会を続けていくために協力しあいましょうと呼びかけると、身を引いてしまう人々がいるのです。ただ不思議と、補強工事や教会建設が終わると戻ってきます。
その教会にとどまって耐震補強や教会建設に協力してくれる人々は、それが「必要だと信じ、必要だと知っている」人々です。イエスがパンを取り、割いて弟子たちにお与えになった。杯も同じようにして分けてくださった。そのために今の建物に手を加えたり、新しく建て直したりすることを「必要だと信じ、必要だと知っている」これは、現代にあって最後までイエスへの信仰に従う中での試練だと思います。
イエスへの信仰は、試練によって鍛えられます。ペトロの手紙に次のように書かれています。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(一ペトロ1・7)
イエスに最後まで従っていく弟子たちの言葉にもう一度耳を傾けましょう。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(6・68-69)
今では懐かしさすら覚えますが、私たちの信仰もこうでありたいものです。イエスへの信仰は、「ここまでは信じるけれどもこれ以上は信じることができない」というものではなく、試練の中で「信じます」と繰り返すことで磨かれていくのです。
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ちょっとひとやすみ
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▼"Switch Bot(スイッチボット)"という家電を便利にする道具がある。簡単に言えば、離れていても「スイッチ」を押せる道具で重宝するのだが、例えば「部屋の電気」を考えると、一度に押せるのは通常「ONかOFF」どちらかのスイッチしかない。
▼離れたところから電気のスイッチを押せるようになったとしても、「消すことができるようになったが、つけることができない」ということになる。もちろん、スイッチそのものを付け替えると、同じ場所を押してつけたり消したりできるので、"Switch Bot(スイッチボット)"の恩恵を存分に受けられる。
▼ただし、器具を取り替えるには電気工事士の免許を持った人が必要になる。あ~。前任地だったら「ちょっと来て~」で取り替えてくれる人がいたのだが、ここでは「ちょっと来て」と気安く呼べる人はまだ見つかっていない。そもそも、布団に潜ったまま勉強部屋の電気をつけられるようになったら、ミサに寝坊するではないか。
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今週の1枚
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† 神に感謝 †