こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)だれもが神のいつくしみの中で生きるように

2019-04-26 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/4/28(No.1001)
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神のいつくしみの主日
(ヨハネ20:19-31)
だれもが神のいつくしみの中で生きるように
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復活節第2主日は聖ヨハネ・パウロ二世教皇の時に「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようになりました。朗読ではイエスが弟子たちに現れ、その場にいなかったトマスにも、さらに現れます。この物語をよく読むと、私たちに対する神のいつくしみも読み取ることができるように思います。

今日、ミサのあとに女性部の総会があります。それが終わると、私は休暇を取らせていただきます。大阪に行きます。栄実さんを訪ねてきます。甲子園球場も訪ねてきます。どちらも懐かしいです。楽しい訪問になればいいなぁと思っています。ということで、田平教会では平日は土曜日の朝だけ、ミサがあります。それまではお休みです。ミサは休みますが、呼吸は止めないでください。私を大阪から呼び戻さないように。

連休後半は、3日に教区評議会総会です。最終的に参加を決断しました。4日午後は平戸地区の転勤する神父様のお見送りとお迎えです。5日はクルシリヨ参加者との感謝のミサと参加者をねぎらう食事会です。戻ってきてからもいろいろ忙しくなりそうです。5日は長崎に留まりますので、6日(月)もミサをお休みさせてください。

一つだけ心配事があります。すでに危篤の状態にある人がいると報告を受けています。もちろん連休を越してくれることを願っています。それでももしも、連休にかかった場合は、お隣の先輩にお願いをしております。念のためお願いはしておりますが、連休を越してくれることを願っています。

さて復活したイエスは、ユダヤ人を恐れて自分たちのいる家の戸に鍵をかけてじっとしていました。家に鍵をかけるとは、もはやイエスが戻ってくることもないと考えていた証拠です。弟子たちは、そこまで恐れに支配されていたのですが、イエスの復活は彼らにも届きました。

この復活したイエスとの出会いに、立ち会えなかった弟子がいました。トマスは、「大事な場面に立ち会えなかった人」を象徴的に表しています。卒業式に風邪を引いて参加できなかった卒業生とか、受験の日にインフルエンザにかかって一年を棒に振った受験生とか、そうした人々を象徴的に表しているでしょう。

イエスの配慮は、どこまで届いたのでしょうか。少なくとも、トマスまでは届きました。つまり、その場にいるはずだったのに何かの事情で立ち会えなかった人たちまで、イエスの復活は及んでいくのです。その神のいつくしみがどのようにして、私たちにまで及んでくるのでしょうか。

今日の福音朗読は、結びにこのように書かれています。「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20・30-31)

弟子たちは最初に神のいつくしみにあずかりました。そこに居ようと思えば居ることのできたトマスにも、神のいつくしみは届きました。しかし物理的にその場に立ち会えない人々がはるかに多いのです。結びの言葉はそのはるかに多い人々のためにも、神のいつくしみは届くと言っているのではないでしょうか。

今年の聖週間に備えて、私は聖週間のミサの説教をプリントにした冊子を用意しました。50部用意したのですが、50部では足りなかったようです。予想外でした。「余る」と見込んでいたのです。このプリントは、聖週間、特に聖なる三日間にすべてあずかるのは難しい、そういう人の補いのために用意したものでした。ひょっとしたら、すべてあずかった上に、持ち帰った人もいるかも知れません。

今日は、神のいつくしみの主日です。神のいつくしみは、ミサの典礼に行こうと思えば行くことのできた人にも届くわけですが、物理的に、参加がまったく不可能な人にも届くはずです。ですがそのためにはもちろん協力者が必要です。たとえば今回用意した冊子を、私があと20部増刷する。ここから神のいつくしみを届けるリレーを始めることができます。

その上で、皆さんの中の誰かが、「あの人は物理的に聖週間のミサの典礼に参加できない人だから、私が届けに行こう」そういう人が現れれば、田平教会でも神のいつくしみに触れる人、復活したイエスとあの弟子たちが集まった家に集えない現代の人々にも、神のいつくしみは届くのだと、証明できるのではないでしょうか。

そうなればいいなぁと思って、案内所に今回の冊子をあらためて20部用意しましたので、皆さんは、神のいつくしみがあなたにも届きましたよと証しする証人になっていただければなぁと思います。

私たちが、物理的にどう考えてもイエスの復活の喜びに触れることができない人まで復活の喜びを届けるなら、今日の神のいつくしみの主日は皆さんのおかげでさらに実り豊かな日となります。鍵を握っているのは皆さんです。私はきっかけは作って上げますが、女性部の総会が終わったら消える人ですから当てになりません。そう思って、「神のいつくしみを私が届けることのできるのは誰だろうか?」このように思い巡らす一日といたしましょう。

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‥次の説教は‥‥
復活節第3主日
(ヨハネ21:1-19△21:1-14)
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ちょっとひとやすみ
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▼司祭になったとき、浦上教会に放り込まれて、右も左も分からず、一週間は食べた食事の味も分からずに過ごしたことを懐かしく思い出す。人の輪に飛び込んでいくこともできず、先輩たちがたくさん信者に囲まれ、子供達に囲まれているのを見ては自分を恥ずかしく思っていた。
▼時が経ち、人の輪に入っていくこともできるようになった。それでも基本的ににぎやかな人ではないので、いつもエネルギーを必要としている。「自分の社交性の無さは、もともと司祭職に不向きだったのではないか?」そんな悩みをいくらかでも和らげてくれる出来事があった。
▼私は中学時代からの同級生がいる。その中でも特別に意識してきた同僚がいる。「張り合う仲間」と言ったら良いだろうか。お互いに決して「お前は俺のライバル」と言ったりはしないが、どこかで猛烈に意識して司祭生活を送ってきた。
▼思いがけないことで、その同僚から自分への評価を聞く機会があった。彼は私に「人を喜ばせる才能の持ち主」と評したそうである。私には全くの想定外だったが、彼は私を一言でそう言ったらしい。
▼その、彼によれば「人を喜ばせる才能」のおかげで、私は社交性の無さを埋め合わせ、教会家族に飛び込み、または組織を動かし、多少なりとも影響を与えてきた。私はただ懸命に努力しただけだったが、同僚はそれを「人を喜ばせる才能」と見切っていたわけだ。
▼この26年27年、その同僚と本音で話したことはない。今後もその予定はない。たぶん死ぬまでない。けれども、私を評価してくれていることを私も評価し直して生きようと思う。せっかく同じ時代に生き、一緒に叙階の恵みにあずかり、決して顔を見ないのに相手を意識し続けているのだから。

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今週の1枚
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第608回目。神のいつくしみが、より多くの人に届けばと願い、作成した。

ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)イエスは必ず死者の中から復活する

2019-04-26 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
19/04/21 (No.1000)
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復活の主日(日中)
(ヨハネ20:1-9)
イエスは必ず死者の中から復活する
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あらためてご復活おめでとうございます。ご降誕とご復活のお祝いは説教を別々に用意しています。朗読される聖書の箇所が違うからです。それで、皆さんご苦労ですが、ご降誕とご復活はそれぞれミサにあずかる意義があると理解して、どちらか片方に参加して良しとするのではなく、夜のミサも翌朝のミサも、両方あずかるようにしてください。苦労して別々の説教を作っていることにも共感してもらえたらと思います。

ところでイエス様は復活して喜ばしいですが、広島カープは復活しますかねぇ。復活すると思う人、手を挙げてください。復活すると思っている人はどうも少ないようですね。4月10日のヤクルト戦は参りました。9回終わった時点で3対3だったのに、10回表に12点入れられて、15対3で負けてしまいました。それ以前にも大差で負けたりして、復活の季節に復活をいまだ信じ切れない司祭であります。

与えられた福音朗読は、マグダラのマリアがイエスの納められた墓の様子を、ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子に報告に行くところから始まって、二人の弟子がイエスの死者の中からの復活を信じるに至ったという物語です。

物語をよく読むと、もう一人の弟子が先に墓に着いたのですが、墓の中に先に入ったのはペトロでした。それなのに、中の様子を見て、イエスの復活を信じたのは、そのあとに墓に入ったもう一人の弟子のほうでした。この違いはどこにあるのでしょうか。

ここにはっきりとは書かれていませんが、イエスの復活を信じることができたのは、もう一人の弟子が「イエスが愛しておられた弟子」とあえて書かれているので、イエスの愛が先にあって、人はようやくイエスの復活を理解し、信じることができるのだと思います。

今年は百人隊長の目線からという切り口でした。百人隊長がイエスの愛に触れ、愛に満たされたかどうか分かりません。「神を賛美して言った。『本当に、この人は正しい人だった』」この描写はありますが、イエスの愛に触れ、愛に満たされたとしたら、もう少し踏み込んだ声を上げたかも知れません。

私たちは空の墓の向こうにある真実を知り、理解し、信じています。イエスは死の枷を打ち砕き、栄光に入られました。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」(20・9)私たちの信仰です。

エマオの弟子たちのように私たちが希望を失いかけたとき、復活した主はそばにいて力づけてくださいます。ユダヤ人を恐れて家に閉じこもっていた弟子たちのように、素晴らしいカトリックの信仰を固い殻の中に閉じ込めている私のそばに、復活の主はともにいてくださいます。勇気を出して、イエス・キリストを告げ知らせる宣教者となりましょう。

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‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日
(ヨハネ20:19-31)
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ちょっとひとやすみ
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▼話のネタを新聞から拾う人がいる。司祭も話のネタを新聞から拾うこともあるが、最終的に司祭が語る材料を拾う場所は聖書である。聖書、特にイエス・キリストの生涯を綴った福音書が、私たち司祭の話の引き出しだ。
▼司祭はまとまった話を求められるとき、当然準備が必要になる。材料を拾ってくる。新聞もあるかもしれない。テレビもあるかもしれない。しかしそれらをまとめる中心線は、やはり福音書であり、イエス・キリストの言葉である。一度時事ネタを満載した講話を聞いたことがあるが、最後に思ったのは「結局何が言いたかったの?」ということだった。
▼私たち司祭がいくらかでもお役に立てることがあるとすれば、それは福音を語るときである。福音を語らなければ、もっとお金になる話も、もっと生活が便利になる話も、専門家は世の中にいる。司祭が太刀打ちできるはずがない。そこで司祭は、司祭でしか活きてこない分野を深く掘り下げるのである。
▼27年目に突入した。なんと27年である。同じことを、同じように、である。それでもよい。引き出しは豊富になっている。深く掘り下げた実感もある。司祭の働きで死にかかった人が明日に希望を置いてみると、前を向いて帰って行ったこともある。それだけでよい。

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今週の1枚
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第607回目。スマホの防水カバー。釣りには必携。でもiPhone8には小さい。

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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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