こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

受難の主日(ルカ23:1-49△22:14-23:56)百人隊長さえもイエスに心動かされた

2019-04-13 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190414.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
19/04/14(No.996)
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受難の主日
(ルカ23:1-49△22:14-23:56)
百人隊長さえもイエスに心動かされた
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受難の主日、聖なる一週間が始まりました。受難の朗読が読まれました。できれば聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭聖なる三日間をあずかって再び場面を思い返してください。聖なる三日間を連続して参加できない方々のために、今日の受難の朗読があると考えてほしいと思います。

私はこの聖なる一週間を、百人隊長の目で眺めながら、考えてみたいと思いました。今日の受難の朗読の終わりに百人隊長は登場し、「この出来事を見て、神を賛美して」言います。「本当に、この人は正しい人だった。」(23・47)

百人隊長の置かれている立場はどんなものでしょうか。彼はまず、百人の兵士を束ねる隊長です。百人の命をあずかる責任者です。さらにローマ軍の兵士ですから、どのような命令であれ、命じられたことが実行されるように動かなければなりません。不当な命令であっても、それを拒むことは許されない立場でした。

また、彼はイエス・キリストに特別な感情を持っていません。彼はユダヤ人ではないからです。イエスに同情するわけでも、イエスに敵対するわけでもないのです。言ってみれば、不正な裁判でイエスが死ぬことになっても、心に何の感情も湧かないはずの人なのです。その百人隊長が、「本当に、この人は正しい人だった」と漏らしました。

この百人隊長の言葉から、私は二つのことを考えました。一つは、イエスの死の出来事は、何の関係もないローマ軍の兵士にも、何が正しくて、何が間違っているのかを理解させる圧倒的な力を持っていたということです。死のうが死ぬまいがどうでもよい他人でさえも、イエスの死に心を動かされた。それは当時も、のちの時代も、今の21世紀でも変わらない説得力があるということです。

もう一つは、これだけのことが起こりながら、ユダヤ人は「本当に、この人は正しい人だった」と理解できなかったということです。仮に理解したとしても、人間的にはイエスが亡くなってようやく理解したのでは手遅れなのです。理解するなら、もっと早く気づいて、イエスが死刑の宣告を受けることのないようにしなければならなかったはずです。

この百人隊長の言葉を、今年の聖週間を黙想する鍵にしたいと思っています。イエスの死は、どんなに縁遠い人にも心を動かす力があるのに、なぜ身近な人が、イエスを死に追いやったのでしょうか。私たちも含めて、なぜイエスの死をただ黙って見ているのでしょうか。気づくのが遅くて、もはや手遅れになっているとして、私たちはイエスとどのように向き合うべきでしょうか。

私たちはこれらのことをこの一週間かけて思い巡らしましょう。私たちを救うイエス・キリストと真剣に向き合う一週間としましょう。

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‥次の説教は‥‥
聖木曜日・主の晩さん
(ヨハネ13:1-15)
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ちょっとひとやすみ
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▼「逃した魚は大きい。」これは釣りの定説?だが、分からないでもない。私は二度、ラインをぶち切られて魚を逃したことがある。どちらも経験不足と言えば経験不足だが、もう少し考えると準備不足、心の準備不足である。
▼一度は伊王島港の目の前で。想像だが、あれはスズキとか、シーバスと言われる魚だったのではないか。みるみるうちに竿が海中に突き刺さり、建て直す暇もなくブチッと糸を切られた。あの日はアジ釣りをしていて、アジの仕掛けにスズキがかかったとしたら、ひとたまりもない。
▼もう一度は浜串で。こちらもタイラバで経験を積み始めている頃。しかも竿は本来スズキなどを強引にたぐり寄せる固い竿だ。もう少し柔らかめの竿であったなら、また違ったかもしれない。さらに悪いことに、ラインを引き出されたくないものだからそのままなら取り込めたはずのドラグのテンションを強くしてしまった。綱引きとなり、あっけなく引きちぎられた。
▼魚を逃がすのは「予想していないときに釣れた」からであり、「予想や見立てが甘い」からであり、最終的には「何が釣れるか分からない」という心の準備が足りないためである。これらのことを総合して、「逃した魚は大きい」のだ。
▼それからすると、今回仕留めたタイは運が良かった。準備は良かった(1キロ未満の魚を想定して道具のセッティングをしていた)わけだが、格闘し始めて「ショックリーダーに傷がなかっただろうか?頼むから切れないでくれ!」この一念で格闘して仕留めた。あとでぶら下げる秤にかけたところ、7キロの大物だった。浜串時代の4.3キロを楽々越えて新記録となった。
▼オチがさらに面白い。私はタイラバ釣りでは基本的に300円~400円の疑似餌を使っている。しかしこの日は、釣るつもりが端からなかったので、5個入り260円のタコベイトを結んで釣りをしていた。だからあのタイは、人生(人じゃないが)最後に口にしたのが52円のタコベイトだったわけだ。これは残念。すべて無駄なく食べた。安らかに。

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今週の1枚
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第603回目。金曜日。肉を食べずに過ごすか。しかしこのたらいの魚はいったい?

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† 神に感謝 †
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