当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190419.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
19/04/19 (No.998)
‥‥‥†‥‥‥‥
聖金曜日・主の受難
(ヨハネ18:1-19:42)
神は愛のほかに与えることができない
‥‥‥†‥‥‥‥
主は私たちのために命をささげてくださいました。私たちが正しく、善良であったから死んでくださったのでもありません。聖パウロはローマの信徒への手紙の中でこう言っています。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5・8)
主イエスは今、十字架の上で命をささげ、亡くなられました。たしかに亡くなられた、死んだのです。けれども聖パウロは、「そのことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」と説明したのです。
こう考えました。神は愛を注がれる方、愛を示してくださる方ですが、イエスの死でさえもわたしたちに対する神の愛だとしたら、神は私たち人間に、愛のほかは示すことができないのではないでしょうか。
神は私たちに、愛のほかは示すことができないとしたら、目にするものすべてを見直すきっかけになります。私たちは神から身体を与えられました。与えられた身体を喜ぶことができず、不平不満を漏らしているかも知れません。心臓や他の臓器に欠陥があったり、知的障害を抱えていたり、もっと違う身体を願って不満に思っているかも知れません。
けれども神が人間に愛のほか示すことができないのだとしたら、私たちが与えられた身体を受け入れる気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。この身体を通して、生まれた状態を通して、神が私たちにご自分の愛を示してくださっている。もしそのように受け止めることができれば、抱えている不平不満は解消するかも知れません。
誠実に生きているのに、これでもかというような困難にぶつかり、投げやりになっている人がいるかも知れません。出会う人、向き合っている出来事、そのどれも自分にとって喜びが感じられない。そんな人がいるかも知れません。
しかし神は、私たちに愛のほか示すことができないのだと思います。御子イエスを十字架に差し出すことは、御父にとってどれほどの痛み悲しみでしょうか。それでも御父はイエスの十字架上の死によって、私たちに愛を示してくださったのです。
人は言うかも知れません。「教会はなぜ、十字架にはりつけにされたイエスを聖堂の中心に据えるのですか?」あなたは答える必要があります。「イエスの十字架上の死によって、神は私たちに愛のほかに示すことができないと仰っているのです。十字架のイエスは、御父が私たち人間に示された最大の愛です。」
揺らぐことなく、私たちは神が愛のほかに示すことができないのだと人々に伝えましょう。神の示された愛が、私たちの人生に起こるさまざまな出来事の意味を良いものに変えてくださいます。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
復活徹夜祭
(ルカ24:1-12)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼皆さんにも、「今年こそは」という何かがあるのではないだろうか。私が今思いつくのは、「今年こそはエアメールをフランスに送るぞ」ということ。ここ田平に来てから復活祭とクリスマスにフランスから手紙が届いている。それなのに一度も、返事を出していないのである。
▼相手は、田平出身の幼きイエズス会のシスター。几帳面に手紙を書いてくださるのだが、フランスの住所を見るたびに「あー、自分が書いた住所で届くだろうか」とひるんでしまい、今まで出せずじまいなのである。ただの言い訳だが。
▼そのシスターが一度、ふるさとに帰ってくる機会があって、お目にかかったことがある。高齢ではあるが、気骨のあるシスターで、フランスでもバリバリ活躍していそうな雰囲気を持つ方だった。私はどうしても、今年の復活祭には手紙を届けたい。
▼幸いに、親戚には私の後輩に当たる司祭もいて、いよいよとなればこの神父様に住所を書いてもらえば済む。そんな大船に乗った気持ちで、「今年こそは」手紙を届けるのだ。
▼「今年こそは」ですでに達成していることもある。ルームランナーで身体に刺激を与え続け、体重はここ数年で一度も到達していない77キロ台になっている。体脂肪率がまだ23%台、まれに22%台の時もあるが、こちらもできれば20%台に持っていきたい。健康的な身体、もっと言うと「おじさん体型」を脱したいのである。すでに脱しつつある。
▼皆さんの「今年こそは」は何だろうか。イエスは死んでいる人に「出てきなさい」と言い、三十八年間寝たきりの人に「起き上がり、床を担いで歩きなさい」と呼ぶ。だから不可能と思える目標でも、イエスに信頼を寄せて始めよう。イエスが声をかけてくだされば、不可能も可能となるはずだ。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第605回目。洗濯のための三種の神器。大斎・小斎で気を紛らわせるのに、洗濯。
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
19/04/19 (No.998)
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聖金曜日・主の受難
(ヨハネ18:1-19:42)
神は愛のほかに与えることができない
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主は私たちのために命をささげてくださいました。私たちが正しく、善良であったから死んでくださったのでもありません。聖パウロはローマの信徒への手紙の中でこう言っています。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5・8)
主イエスは今、十字架の上で命をささげ、亡くなられました。たしかに亡くなられた、死んだのです。けれども聖パウロは、「そのことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」と説明したのです。
こう考えました。神は愛を注がれる方、愛を示してくださる方ですが、イエスの死でさえもわたしたちに対する神の愛だとしたら、神は私たち人間に、愛のほかは示すことができないのではないでしょうか。
神は私たちに、愛のほかは示すことができないとしたら、目にするものすべてを見直すきっかけになります。私たちは神から身体を与えられました。与えられた身体を喜ぶことができず、不平不満を漏らしているかも知れません。心臓や他の臓器に欠陥があったり、知的障害を抱えていたり、もっと違う身体を願って不満に思っているかも知れません。
けれども神が人間に愛のほか示すことができないのだとしたら、私たちが与えられた身体を受け入れる気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。この身体を通して、生まれた状態を通して、神が私たちにご自分の愛を示してくださっている。もしそのように受け止めることができれば、抱えている不平不満は解消するかも知れません。
誠実に生きているのに、これでもかというような困難にぶつかり、投げやりになっている人がいるかも知れません。出会う人、向き合っている出来事、そのどれも自分にとって喜びが感じられない。そんな人がいるかも知れません。
しかし神は、私たちに愛のほか示すことができないのだと思います。御子イエスを十字架に差し出すことは、御父にとってどれほどの痛み悲しみでしょうか。それでも御父はイエスの十字架上の死によって、私たちに愛を示してくださったのです。
人は言うかも知れません。「教会はなぜ、十字架にはりつけにされたイエスを聖堂の中心に据えるのですか?」あなたは答える必要があります。「イエスの十字架上の死によって、神は私たちに愛のほかに示すことができないと仰っているのです。十字架のイエスは、御父が私たち人間に示された最大の愛です。」
揺らぐことなく、私たちは神が愛のほかに示すことができないのだと人々に伝えましょう。神の示された愛が、私たちの人生に起こるさまざまな出来事の意味を良いものに変えてくださいます。
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‥次の説教は‥‥
復活徹夜祭
(ルカ24:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼皆さんにも、「今年こそは」という何かがあるのではないだろうか。私が今思いつくのは、「今年こそはエアメールをフランスに送るぞ」ということ。ここ田平に来てから復活祭とクリスマスにフランスから手紙が届いている。それなのに一度も、返事を出していないのである。
▼相手は、田平出身の幼きイエズス会のシスター。几帳面に手紙を書いてくださるのだが、フランスの住所を見るたびに「あー、自分が書いた住所で届くだろうか」とひるんでしまい、今まで出せずじまいなのである。ただの言い訳だが。
▼そのシスターが一度、ふるさとに帰ってくる機会があって、お目にかかったことがある。高齢ではあるが、気骨のあるシスターで、フランスでもバリバリ活躍していそうな雰囲気を持つ方だった。私はどうしても、今年の復活祭には手紙を届けたい。
▼幸いに、親戚には私の後輩に当たる司祭もいて、いよいよとなればこの神父様に住所を書いてもらえば済む。そんな大船に乗った気持ちで、「今年こそは」手紙を届けるのだ。
▼「今年こそは」ですでに達成していることもある。ルームランナーで身体に刺激を与え続け、体重はここ数年で一度も到達していない77キロ台になっている。体脂肪率がまだ23%台、まれに22%台の時もあるが、こちらもできれば20%台に持っていきたい。健康的な身体、もっと言うと「おじさん体型」を脱したいのである。すでに脱しつつある。
▼皆さんの「今年こそは」は何だろうか。イエスは死んでいる人に「出てきなさい」と言い、三十八年間寝たきりの人に「起き上がり、床を担いで歩きなさい」と呼ぶ。だから不可能と思える目標でも、イエスに信頼を寄せて始めよう。イエスが声をかけてくだされば、不可能も可能となるはずだ。
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今週の1枚
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第605回目。洗濯のための三種の神器。大斎・小斎で気を紛らわせるのに、洗濯。
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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
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† 神に感謝 †