こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活徹夜祭(ルカ24:1-12)イエスは復活し、助けが必要な人のそばにおられる

2019-04-20 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190420.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
19/04/20 (No.999)
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復活徹夜祭
(ルカ24:1-12)
イエスは復活し、助けが必要な人のそばにおられる
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主のご復活おめでとうございます。今年の聖週間は、百人隊長の言葉にヒントをもらって福音朗読を黙想してきました。引き続き、百人隊長の視点で復活の出来事を切り取ってみたいと思います。

「本当に、この人は正しい人だった。」(ルカ23・47)百人隊長はイエスの十字架の場面で、「群衆の目に映っていたイエス」ではなく、「真実のイエス」を見抜いていました。今日の福音朗読では天使が同じように婦人たちの目に映ったイエスではなく、真実のイエスを紹介しています。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(24・6)

百人隊長が見抜いたイエスは、「苦しみの中でも人々と共におられるイエス」でした。群衆はイエスを罵り、死へと向かわせました。自分たちから遠ざけたい罪人にしてしまいました。しかしイエスは、死の間際まで、苦しむ人と共に苦しまれる方となられたのです。

「十字架から降りて自分を救うがよい。」望めばそれも可能だったでしょう。しかしあえてイエスは、苦しみと死を受け入れ、かたわらで一緒にはりつけにされた犯罪人など、誰もそばにいてあげられない死の淵にいる人々に寄り添う方となられたのです。百人隊長は、あえて降りることをしなかったイエスに、「本当に、この人は正しい人だった。」(ルカ23・47)と自分に正直に語ったのです。

今私たちは、婦人たちと同じように空の墓の前に立っています。目の前の事態と、真実の事態とは違います。イエスは常に、そばにいてくださる方でした。今、空の墓の前に立って、どのように「常にそばにいてくださる方」を想像すれば良いのでしょうか。天使がそれを教えてくれました。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

イエスは常に、そばにいてくださいました。そうであるなら、死者に結びつけられた姿を探してはなりません。今この時点で、イエスが常に共にいてくださる場所を探さなければなりません。どこにイエスを探しに行けば良いのでしょうか。

そのヒントは、婦人たちがイエスの遺体のお世話をしに来ている同じ時に、飼い主のいない羊のように打ちひしがれているのは誰か考えれば分かります。イエスは常に、共にいてくださる方でした。今この時点でもそうであるなら、イエスは、弱り果て、打ちひしがれている人のそばにいるはずです。そこでイエスと会えるはずです。

この時点で最も弱り果てているのは弟子たちでしょう。打ちひしがれ、家の戸に鍵を閉めて、閉じこもっていたのです。天使の言葉は復活したイエスを捜し当てるヒントとなりました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(24・5-6)生きておられるイエスは、常に、共にいてくださる方なのです。

私たちも、今日の復活の喜びを自分の中にとどめるだけではなく、かつて百人隊長がみずからの言葉で信仰表明したように、信仰表明しなければなりません。百人隊長は、「はりつけにされたイエス」という目の前の事態の向こうにある真実を見抜きました。

私たちも、目の前に見えているのは十字架にかけられたイエスです。復活したイエスを見ることはできません。けれども、イエスが常に、そばにいてくださる方であるなら、今いちばんそばにいて助けを必要としている人を訪ねてみてください。私たちはそこで、復活したイエスに出会うでしょう。

そして体験を通して、「イエスは復活し、いつも共にいてくださる」と信仰表明しましょう。私たちの声で届けられる信仰表明を必要としている打ちひしがれた人、弱い立場にある人が、新しい元号が始まろうとするこの日本に、まだまだたくさんいらっしゃるのです。

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‥次の説教は‥‥
復活の主日(日中)
(ヨハネ20:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼広島カープは復活するだろうか?延長戦1イニングでの12失点はプロ野球新記録だとか。開幕から4カード連続で負け越した場合の優勝の確率は0%だとか。気になる材料には事欠かない。四月にこれだけ出尽くしたら、もう不安材料はなくなるでしょ。
▼復活の主日までのささやかな楽しみは、朝が遅いこと。聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日朝のミサをしない。聖金曜日はもちろん終日ミサができないけど。だから朝7時までゴロゴロするのだ。ゴロゴロというのは、悲しいことにどうしても目は覚めるので、それでも布団から出ないということだ。
▼今年の運は、4月8日(月)にすべて使い果たした。7キロの鯛の話はすでに触れたが、さすがにこれ以上はなかろう。大鯛の実績のある場所に誰か連れて行ってくれれば別だが、自力であれ以上の魚に巡り会うのは無理だと思う。そういうことで、運を使い果たしたので残る8ヶ月は運ではなく実力。もしくは運ではなく運命。
▼どうやら今年は、聖週間の説教をプリントにして小教区で配れそうである。ただプリントにして配って、喜んでくれる人がいるのかどうか疑っている。誰かは喜んでくれると思うが、その「誰か」が誰なのか、皆目見当が付かない。
▼何通りかの冊子を考えている。A5サイズとか、B5サイズとか、PDFの形も同時に作るか。たとえば20部用意してすべて無くなれば、来年は40部くらい作ってもいいと思う。ただ、私のアイディアは独りよがりなのか、歓迎されない場面に出くわす。
▼「預言者は故郷では歓迎されない。」私がここで考える「故郷」は「教会」である。このメルマガ、ブログでもカトリックで読まれている人からの反応よりも、カトリック以外の人からの反応が目立つ。もちろんカトリック、それも身近な人もいるが、思いがけないカトリック以外の人の反応には驚く。復活のイエスの働きを届けることがまず第一で、誰に届くかは問題ではない。

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今週の1枚
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第606回目。田平教会は「毎日のミサ」を36冊利用。写真は配布者へのラベル。

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† 神に感謝 †
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