浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

比叡、大津方面へ旅行

2007年08月04日 18時58分24秒 | Weblog
今月の1日と2日は、1泊2日の旅行に出かけてきた。
行った場所は、滋賀県の比叡山と、大津市内の西国札所である三井寺と石山寺である。
7時ごろ、マイカーに旅行の荷物を積んで、熊山駅へ向かった。
熊山駅の無料駐車場に止めると、荷物を持って、駅に向かって歩いた。
そして、18切符に日付のスタンプを押してもらうと、1番ホームに入り、列車を待った。
7時32分発の1302Mが入線すると、最後部の車両に乗った。列車は、115系更新車の4両編成で、乗車車両の車番は、クハ115-1241である。
列車は、和気、吉永、三石、上郡、有年、相生、竜野、網干の順に停車した。
列車の行き先は、姫路だが、網干で下車し、3番ホームへ移動した。
3番ホームには、3434M新快速が入線する。新快速電車のドアが開くと、進行方向右側の座席の窓側をゲットした。新快速は、速達性などから、人気の高い列車で、折り返し駅や始発駅では、座席争奪戦が起きる。
その新快速電車は、223系の8両編成で、わたしが乗った車両は、クハ222-1011だった。最後部の車両である。その車両は、トイレがついているうえ、弱冷房なので、わたしは、東海道・山陽本線の列車に乗るときには、できるだけ、下り先頭車(上りなら最後尾)を選ぶことにしている。
新快速電車は、英賀保、姫路、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻、京都の順に停車した。
その間、車窓からは、明石海峡や、東寺の塔などが、目に入った。
京都に到着すると、新快速を降りて、奈良線ホームへ向かった。
乗車したのは、10時23分発の1625M普通列車、城陽行きである。列車は、黄緑色の103系の4両編成で、わたしが乗車したのは、先頭のクハ103-224だった。
列車は、京都を出ると、右に大きくカーブしながら、東海道本線と分かれて、まもなく東福寺駅に停車した。
東福寺駅で、京阪電車に乗り換えるために、下車した。
東福寺からは、京阪の普通電車に乗車した。1000系電車で、車番は1504だった。
電車は、東福寺を発車後、まもなく、地下へ入った。
七条駅に停車すると、普通電車を降りて、後発の特急電車に乗り換えた。
特急電車は、8000系で、わたしは、先頭の8009に乗った。クロスシートが並ぶ車内は、特別料金不要車両としては、かなりグレードが高い。
終点の出町柳に到着すると、エスカレーターなどで地上に出て、地上にある、叡山電鉄の出町柳駅の改札を通った。
そして、11時7分発の八瀬比叡山口行きに乗車した。単行運転用の700形電車で、もちろん、ワンマン運転である。車番は、711だった。
電車は、出町柳を出ると、家屋の裏をゆっくりと走っていった。途中の駅も、ホームのみの簡単な造りで、駅というよりも、停留所と呼びたくなる感じだった。
宝ヶ池で鞍馬方面の路線と分かれて、電車は、山へ向かって走っていった。
終点の八瀬比叡山口に到着すると、少し歩いて、ケーブルカーの駅に向かった。
乗客は少なかったが、マウンテンバイクを持ち込んで乗車していたグループがいた。
ケーブルカーの先頭に、女性乗務員が乗って、発車の合図を出していた。
ケーブルカーは、比叡山へ向かって、発車した。
女性乗務員は、比叡山やケーブルカーについて、案内放送もしていた。
ケーブルカーが、山上の比叡駅に到着すると、ロープウェイに乗り換えた。
ロープウェイは、徐々に高度を上げていった。
霞んでいたものの、遠くの山々や、京都盆地の街並みや集落などが、ミニチュアのように見えた。
ロープウェイが比叡山頂駅に着くと、しばらく歩き、比叡山頂のバス乗り場へ向かった。
そこからは、京阪バスが運行している、比叡山シャトルバスに乗車した。
バスは、エアロスターのワンステップで、車番は、京都200か1324だった。
バスは、ドライブウェイを走っていった。
車窓からは、琵琶湖や大津方面が見下ろせた。
比叡山バスセンターに着くと、大きな荷物をコインロッカーに預け、食堂で昼食ととってから、延暦寺の境内へ入った。
延暦寺は、東塔、西塔、横川の3塔に分かれていて、比叡山バスセンターのそばにあるのは、東塔である。
入ってすぐのところにある国宝殿で、仏像や経文などを拝見した後、大講堂、根本中堂、文殊楼、大書院を拝観した。
そのあと、自然歩道を歩き、西塔の釈迦堂などを拝観した。
それから、横川へ行く予定だったが、東塔だけで、予想以上に時間を費やした上、体調が悪くなったので、中止して、西塔バス停から、比叡山バスセンターへバスで戻った。乗車したバスは、エアロスターで、京都200か1068だった。
比叡山バスセンターで、土産を買って、荷物を取って、トイレへ行った後、比叡山頂行きのバスに乗った。そして、トンネルを抜けて、すぐのところにある、東塔バス停で降りた。極僅かな距離にも関わらず、バスに乗ったのは、その道路は、歩行者は通行できないからである。
バスを降りた後、坂本ケーブルのケーブル延暦寺駅へ向かって、1キロほど歩いた。
途中、琵琶湖を見下ろす位置で、写真撮影もした。
ケーブル延暦寺駅に着くと、ケーブルカーを1本見送って、付近で写真撮影したりした。
坂本ケーブルの駅は、国の有形文化財の指定を受けている。大正時代から、比叡山への多数の観光客や参拝客などが、利用した駅舎である。
駅からは、琵琶湖や大津市内を見下ろすことができた。
17時00分発のケーブルカーに乗り、ケーブル坂本駅に着くと、本来は、京阪坂本駅まで、歩く予定だったのだが、疲労や体調不良のため、バスに乗ることにした。
江若バスの小型バスで、ナンバーは、滋賀200か263だった。
バスは、日吉大社などの前を通り、坂を降りて、まもなく、京阪坂本駅前へ到着した。
バスを降りると、京阪の切符を買い、改札を通って、停車中の電車に乗った。
電車は、700系の2両編成で、わたしは、先頭の706に乗った。
途中の三井寺駅を出ると、あの有名な併用軌道を通り、浜大津駅に到着した。
浜大津で電車を降りると、大津港へ向かって歩いた。
その日は、琵琶湖大津夏祭りが開催されていた。
それから、宿泊するホテルである、ブルーレーク大津に向かって歩き、チェックインした後、外出した。
そして、祭りの会場を少し見学して、夜店の料理を食べた後、近くのショッピングモールのレストラン街で、夜食をとった。
暗くなると、祭りの会場や、バックの琵琶湖の噴水などが、カラフルにライトアップされた。
ホテルの部屋は、10階の琵琶湖側で、琵琶湖や祭りの会場などを、部屋から眺めることが出来た。
翌日、ホテルで朝食をとった後、チェックアウトをした。
そして、浜大津駅から、坂本行きの電車に乗り、次の三井寺駅で降りた。
三井寺駅から、三井寺へ向かって歩いた。
重い荷物を持って、坂を登ったので、肩が痛くなった。
三井寺駐車場付近の土産店で、不要な荷物を預かってもらった後、境内を歩いた。
仁王門を通った後、釈迦堂を参拝して、それから、金堂へ行った。金堂は、屋根を大掛かりな工事していた。
そばには、三井の晩鐘があった。
そのあと、三重の塔や、一切経蔵なども拝観した。
そして、微妙寺を拝観し、さらに歩いて、一番の目的の観音堂へ向かった。
観音堂の前では、大津市街や琵琶湖を眺めることが出来た。ただ、その日は、写真日和ではなかったが。
観音堂は、西国第14番札所である。参拝をしてから、納経帳に墨書きと朱印をしてもらった。
それから、観音堂をあとにして、水観寺、護法善神堂を参ったあと、駐車場の土産店へ戻った。土産物などを買った後、荷物を取って、三井寺をあとにした。
そして、三井寺駅に向かって歩いた。
駅に着くと、今度は、石山寺行きの電車に乗った。
列車は、600系の2両編成で、わたしが乗車したのは、先頭の608だった。
三井寺を出ると、すぐに併用軌道を走り、浜大津からは、再び専用軌道に入った。
電車は、家々の間を走っていった。
急カーブが多く、電車は、かなりゆっくりのスピードだった。
JR東海道本線をまたいだ後、京阪石山に到着し、発車すると、急カーブで、JR線から離れ、石山寺駅を目指していった。
終点の石山寺駅に着くと、不要な荷物をコインロッカーに預けて、改札を出た。
そして、石山寺を目指して、瀬田川沿いを歩いた。
途中の大衆食堂で、昼食をとった。そこでは、名物のしじみ丼を頂いた。
そして、石山寺に着くと、東大門をくぐり、しばらく歩いていった。
途中の建物で、源氏物語に関する絵画などの展示販売を行なっていた。
原画などは、数十万円するので、手が出ないが、絵葉書のセットを購入した。
それから、境内の奥のほうへ向かって歩いた。
石山寺の境内には、花がきれいな庭園が整備されているが、その時期は、特に何も咲いていなかった。
それから、本堂へ向かって歩いて、観音堂、毘沙門堂などをお参りした後、本堂を参拝した。
そして、そこでも、納経帳を出した。
そう、石山寺も、西国の札所で、番号は、13番である。墨書きと朱印をしてもらうと、本堂をあとにして、多宝塔の付近などを歩いてまわったあと、石山寺をあとにした。
そして、門の前の土産店で買い物をしたあと、瀬田川沿いの来た道を引き返して、駅へ歩いた。
石山寺駅に戻ると、改札を通り、コインロッカーの荷物を取って、電車に乗った。
列車は、700系の2両編成で、わたしは、先頭の709に乗った。
京阪石山駅に着くと、電車を降りて、隣接するJR石山駅に行ったが、まだ時間があった。
駅のなかのベーカリーカフェで時間をつぶしたあと、改札口で、18切符に日付を押してもらったが、それでも予定より早いので、予定より早い3475M新快速、姫路行きに乗った。
223系の8両編成で、わたしが乗ったのは、先頭の車両である。車番は、クハ222-1011だった。前日乗った車両と同一の車両である。
新快速は、大津、山科、京都、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、姫路の順に停車した。
新快速を降りると、高架ホームの上にある立ち食いそばの店で、名物の駅そばを食べた。
それからも、時間はかなりあるが、姫路から乗車の下り山陽本線普通列車の席を確実にゲットするために、早めに並ぶことにした。
姫路から乗車したのは、18時6分発の普通列車、三原行きである。
列車は、4両編成で、115系の更新車だった。わたしが乗ったのは、先頭車両で、車番は、クハ115-1068だった。
県境を越えて、最初の駅である三石までは、順調だったが、三石と吉永の間で、突然停車した。車掌の車内放送では、信号待ちということだったが、なかなか出発しなかった。そして、台風のために、徐行運転するという知らせの放送があった。
列車は、ゆっくりゆっくりと進んでいった。
大幅に遅れて、吉永駅に停車した。それから、なかなか発車しなかった。台風のため、すぐに発車できなかったらしい。停車中、運転士に問い掛けていた乗客もいた。
吉永発車後も、安全のため、徐行運転を継続した。
そして、和気に停車し、発車したあとも、徐行運転をし、熊山に大幅に遅れて到着すると、列車を下車した。
そして、駐車場の愛車に戻ると、帰路についた。
ああ、なんとか、帰れてよかった。


比叡山から見た琵琶湖


比叡山から見た大津市街


ケーブル延暦寺駅


びわこ大津夏まつり


石山寺多宝塔

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